鼓膜を破りそうな程の爆音と、同時に来るだろうと覚悟していた衝撃は一致する事なく、代わりの様にの身体が感じたのはこの状況下で嘘のような安心感だった。









あなたといると、どきどきするの








は苛立っていた。時刻は午後、うららかな昼下がり、御茶の時間に丁度良く医務局にあるの執務室、デスクの上には秘書のオーレリアが完璧に整えた「御茶会」が我が物顔で存在を主張している。

温められたカップは二つ。そのうちのいまだ空の(自分のそれより一回り大きい)方のカップをはちらりと眺め、忌々しげに舌打ちする。すると何もかもわかってますよ、というオーレリアのにこにこ顔が向けられる。それでさらにの機嫌は悪くなった。手当たり次第に八つ当たりしてやろうかと、そんな風に思っているとコンコン、と執務室への訪問を知らせる音。

「遅いぞ、お前何して……」

はっとは顔を上げ、普段ふんぞり返ったまま離れぬ安楽椅子から飛びだした。それで、そのままはだしの足でぱたぱたと扉を開ければ、見えたのは期待したKOHではなくて、養父で顔色の悪いユーリ・ペトロフだった。

「私で申し訳ありませんね」
「……ユーリ」

養父はの顔を見て一度眉を寄せ、しかしそれ以上何か余計なことを言うわけではなく咳払い一つののち、軽い挨拶と、そして訪問の要件を述べた。要件、というのは簡単なこと。先のヒーロー達の出陣で起きた公共物等の破損個所・損害範囲の調査が終わり請求元(主にワイルドタイガーだが)の照会も終了したので、合わせて負傷者の治療費を報告書にまとめてしまい裁判の資料としたい、とのこと。

(なんだ、ユーリか)

は事務的な内容に二、三言返事をするが、内心の気落ちと失望で気分が沈んだ。元々そういった事務的なことは全て秘書に任せている。察したオーレリアがユーリの応対を始めたのを目の端で眺め、は再び安楽椅子に戻った。

(来ないの、か。今日は、キース、来ないの、か)

キィキィと椅子を回し、は一人ごちる。

別段約束あってのこと、ではない。しかし出不精、出るのに色々面倒な手続きもあるを「もしかしたら明日や、明後日、くんは外に出たくなるかもしれない!」と決めつけ「だから私は明日も明後日も誘いに行くよ!」と顔を見せていたキース・グッドマン。今のところ「その気」になったことはないが、どうもどういうわけかキースが顔を出し、そのままそこで一杯分のお茶を飲む、というのが決まりごとになった互い。

なぜ来ない、どうして来ない、とは再び苛立ちを思い出した。いや、普段から待っている、わけではない。しかし今日は特別だった。今日は「来るだろう」と思って、朝からは、当人認めたくないけれど、待っていた。そわそわと、していた。

「退院は、今日でしたか。確か」
「……ユーリ、まだいたのか」

トントン、と落ち着きなく机を指で叩き始めたは要件は終わっただろうに珍しく居座るユーリをちらりと見上げる。先ほどは余計な事はいわぬ気遣いを見せてくれたのに気が変わったか、あるいは当初から要件を済ませてからと考えていたのか、それはの知るところではないけれど、しかしユーリ・ペトロフは、が容易させたお茶の道具や、午前中から全く進んでいない仕事の山を一瞥すると呆れたように溜息を吐いた。

「気になるのなら直接病室へ行けばいいでしょう」

キース・グッドマンに会いに、と続けられはぶすっと頬を膨らませた。

「なんでわたしが態々行かなきゃならない」
「助けてもらったお礼を、と名目…というより義務はあるはずです」
「わたしは!別にキースが庇ってくれなくても死ななかった!」

あいつが余計なことしたんだ!とはむきになって声を上げた。立ちあがり、どん、と乱暴に机をたたけばカップの中のお茶が揺れる。ガッシャン、とガラスのぶつかる音がして、ユーリの顔が顰められた。女性のヒステリックな声とガラスの音、というのは彼のトラウマである。普段であればはそれを気遣える余裕があるのだが、折角この二週間考えないようにしていたこと、ふたをしていた事を思い出しメラメラと激情に駆られていた。

「わたしは!悪くない!わたしが攫われたのはここの警備がザルだった所為だ!拉致先でだって!わたしは一人でも逃げられた!キースが勝手に助けに来たんだ!勝手に、あいつが勝手にわたしを助けに来て、誘拐犯と戦って…!勝手に爆発に巻き込まれたんだ!!」
「えぇ、そうですね。そうして貴方を庇って爆発を身に受けたキース・グッドマンは半死半生になって、あなたがその執刀をしたのでしたね」

カチャリ、といつのまにか着席したユーリはティポットから紅茶を注ぎ口をつける。ふるふると震えながらは唇を噛み、乱暴に座りなおした。

湧きあがる怒りはユーリに対して、ではない。目を閉じれば能力など使わずとも容易く浮かんでくる、焼け爛れた肌、肉、どろどろになった血と、ぐったりと気を失った白い顔。「天才外科医」と名高く、また利用価値の高いNEXT能力の所持者でもあるをテロリスト集団が狙った。目的は、武力による「革命」とかなんとか。その詳細には興味ない。しかし思想に共感したアホが局内にもいたらしく、内通者の手引きによっては拉致された。

そして例によって例のごとく、ヒーロー達の出陣。囚われた哀れな「一般市民」のは助けに来た正義の「ヒーロー」に助けられた。

(キース、あいつ、あの馬鹿。わたしを見つけて、スカイハイが来たからと、状況を察した誘拐犯が、自分たちが捕まって情報を取られぬようにと、自爆して、その、爆発を)

酷い有様であった。爆発後暫くは耳が聞こえなかった。それほど大きな音だった。だが、無傷だった。

(あいつ、背中が焼け爛れてた。意識も、なかった。それでも腕の力だけは馬鹿みたいに強くて、わたしは、虎鉄さんたちが遅れてやってくるまで、ずっと、そのままだったんだ)

ぎゅっと、は自分の腕を掴む。もうあれから随分と経ったから、その後はの身体にはない。だが、爆発からは無傷だったの細い身体には、くっきりと痕がついていた。何のことはない、キースが、スカイハイが、『守ろう』と必死必死に抱き締めた、その腕の痕が、ついていた。

は、今日キースが来るのを待っていた。

執刀したのはだが、その後の担当は所属会社の専門医である。多少の情報は入ってきているものの、どんな様子かはっきりとはわからない。だが今日からヒーローを再開する、との知らせは聞いていて、それで、あの爆発の時から(意識がなくなったため)言葉を交わしていない、会っていないキースを、待っていた。

(会って、どうするつもりだったのか)

「先生、あの」

思考に沈むを、オーレリアの声が引きあげる。顔を上げれば秘書の、深刻そうな目と合った。

なんぞあったのかとが口を開くより先に、先ほどユーリが閉めた扉がバタンッと大きな音を立てて開いた。

「おはようくん!good morningだくん!!」
「今は昼です。グッドマンさん」
「キース・グッドマンさんがいらっしゃいました」




+++




「元気がないよくん。どうかしたのかい?お腹が減ったなら、そうだ、おすすめのハンバーガーショップが近くにあってね、」
「何しにきたんだ、キース」

二人っきりになった執務室。ユーリはなんぞ言いたげな顔をしながら結局何も言わず出て行って、オーレリアは何やらにやにやしながら出て行った。どちらの反応も腹立たしいことこの上ない。はその所為もあっての不機嫌さ、それにこの目の前の、相変わらずしまりのない、にへら、とした顔で笑いかけてくるキースにますますいらいらした。

ぞんざいな扱いだが、その程度で今更怯むキースではない。表情を全く変えずにこにことしながら「話は全て聞いた!私の手術をしてくれてありがとう!そしてありがとう!」と例のポーズをしっかりきめてのたまう。

「別に、お礼を言われるようなことはしてない」
「しかし、」
「私がお前を助けたのはそれが私の仕事だからだ。お前だってそうだろ。ヒーローだから私を助けたんだろ。だから私、お前に礼なんか言わないからな」

ぶすっとは頬を膨らませキースから顔を反らした。

(会ったら、色々酷い事を言ってやろうと思った)

助けに来たくせに死にかけて馬鹿じゃないか、とか、お前になんか助けられたくなかったとか、あれこれ、あれこれ、鈍いキースでも傷付くようなことを、はこの数日ずっと考えていた。そうして、そうして罵倒してやって、自分はどうしたかったのかはわからないのに。

だが今はそんなたくさんの言葉がすっかり迷子になっている。数日間、剃刀のように鋭さを、磨いで研いでいたのに、浮かんでこない。

はちらり、とキースの顔を見た。

(顔色は、悪くない。血行、心拍、脈拍…問題、ない)

医者の目で見て看て、その体調に安堵する。と、その「ほっ」とした自分の心には苛立った。そうだ、そう、イライラするのだ。

「病院のね、ベッドの中で考えたんだ。目が覚めた時、天井があって、白くて、ジョンのお腹もこのくらい白いんだが、それで、私は直ぐにわかった。私がこうして生きているのはくんが助けてくれたからだと」

が黙っていると、目の前に立ったままのキースがにへら、と笑って、聞いてもいないのに口を開き始めた。は「突然なんだ」というようなうろんな目でキースを見上げる。目が合うとキースはやはりにへら、と笑う。その顔を見るたびには「何笑ってるんだ」と不機嫌な声を出すのだけれど、腹の内から力を込めて、低い声をわざと意識しだしているということは、自分でもわかっていた。

キースはの仏頂面をにこにこと眺め、そして青い目でじぃっと見下ろしてくる。その中に映っているのは、不安を隠そうと顔をしかめている女の子の姿だ。

「そして私は感謝したよ。ということは、くんは手術が出来る状態、酷い怪我をしていないんだと、わかって、私はとても嬉しくなった。もちろん、身体は痛かったし、ずっと寝ていなければならなかったのは辛かったが、しかし私は運がいいと、そう思ったんだ」

小娘一人を庇って死にかけてベッドに縛り付けられることになった男の言う言葉ではない。が「頭大丈夫か」という顔をすると、そんなことはお構いなしにキースが続ける。もうにへら、とは笑っていない、青い目をまっすぐにこちらに向けている。は知らず、ぎゅっと掌を握った。小さな動作で小さな音、普段鈍感な男が、その些細な音に気付き、ふわり、と自然な仕草で、自分の大きな手を重ねてくる。

「お前っ、」
「私は頑丈だし、NEXT能力も「守り」に利用できる。私はとても運がいい」

触るな、離せ、とは乱暴に手を振り払おうと思った。しかしキースは表面上の優しげな様子からは想像できぬ頑固さでぐっと、の抵抗を抑える。強引さは、ない。それであるからはうろたえた。もう少しが力を込めれば容易く振り払えるとわかるのに、それ以上の力を込めさせない、まっすぐなキースの目に狼狽した。

「君が無事かどうか、心配して、不安になる恐怖を味合わずに済んだ。ずっと考えていたのは早く治して君にお礼を言いにいって、一緒に散歩をしようと、そういうことばかりだったよ」

キース・グッドマンは完璧に近い「ヒーロー」だ。周囲の期待に応えることを負担とはせず、ヒーローである自分を公私ともにしている。普段のどんな振る舞いも好青年というよりは「ヒーローらしい」もので(その際のヒーローとは、テレビの中のスカイハイ、という意ではなく、小さな子供が「こうありたい」と自ら思い描いてラクガキした「ヒーロー」をそのまま人の形にしたような)それが心底は嫌だった。お前に「自分」はないのか、お前が完璧であるほどそのすべてが偽善っぽく見えるんだ、と、勝手に嫌悪していた。

(あぁ、そうか)

「そんなこと、私が、知るか」
「はは、そうだね。でも私は、くんを守れたのが嬉しかったんだ」

笑う、笑う、キース・グッドマン。あぁ、そうか、そうだったのか、とは唇を噛み締めた。

(わたしは嫌だったのか。キースに、キースが、「ヒーロー」の顔で、自分と接するのが嫌だったのか)

普段から、キース・グッドマンはヒーローである。模範的な振る舞い、褒められるべき素行。けれど、しかし、人には「本心」がある。キースがにこにこと笑うその面を、がいつも引っ叩きたくなるのは、にへら、として「大丈夫だ」と言う度にひっかいてやりたくなるのは、なるほど、嫌悪というよりは、もどかしさであったのかと、そうは自覚した。

「だから、ありがとう、なんだ、くん。君が無事でいてくれて、そして私がヒーローでいられることに感謝をしたいんだ」

あぁ、と、は俯いた。なんてことだ、なんという、ことなんだ。

(わたしはお前に、恋を、しているのか)

自分には見せてほしい、ヒーローと気張るその姿ではなく、もっと別の、きっとその優しげな顔の下には何かしらの本心が、人間臭いその面相があるのではないかと決めて、思って、勝手に予想して「自分には」とそう求めたらしい。

しかしキースはそうはならない。そうは、しないのだ。

「わたしは、お前なんか大嫌いだ」
「そうか、だがしかし!私はくんが大好きだ。とてもとても大好きだ」

好意を、感じる。想われているのだと、それを否定するほどは鈍感、ではない。だがその度に付きまとう疑念。「ヒーローであろうとしている」からこちらを気にかけているのではないか。妙な境遇の己を「なんとかしてやりたい、してあげなければいけない!」と思ってのことではないか、いや、当初のきっかけはそれでもいい。だがしかし、そうではない、もっとこう、はキースの「個人的な」「本音の」と、おもっと、人間臭いものを感じたかった。

だが、それはできない。そうは、できないのだ。

キース・グッドマンは公私から「ヒーローであろう」とする青年である。好意を持った相手に、「君のヒーローになりたい!」とそう思うのは自然で、むしろ「君を守りたい。君のヒーローであり続けたい」と一層その壁のようなものは厚くなる。

「ヒーローの恋か」

呟き顔をしかめながらはぐいっと、キースのシャツを掴んで顔を覗き込む。

なるほど己の恋のライバルは、そこらへんの女どもではなくて、キース・グッドマンに付きまとって離れない「キングオブヒーロー・スカイハイ」であるのかと、じっくり実感し、なんだか笑えてきた。




Fin


(2012/11/31 10:25)