コンビニ天使っていうタイトルが既に出オチ
一日が終了し、今日も兄を見つけることができず気落ちしているかと思えば大天使ミカエルは「いずれ時が来れば兄と出会うさ。私が諦めなければね」と全くもって焦る様子がなく、飄々といつも足を運ぶコンビニエンスストアの自動ドアを潜った。初夏を過ぎ盆、いや、それもどうやら終わったらしく少し前まで探さずとも目に入った線香や蝋燭が定位置に戻され、今はもう秋を間近に控えるころあい、というのがミカエルが光臨した地球・東京都内某所の暦らしかった。真夏日には自動ドアを潜るたび店内の効きすぎる冷房が一瞬体をひんやりとさせてくれる、その感触をミカエルは楽しんできたけれど、聞いた話によれば今年は「節電対策」とやらの影響で温度は高めに設定されていたそうだ。天使であるミカエルには体感した温度が十分「冷えすぎている」と思うものであったけれど、ヒトというのは暑い真夏日には室内で肌を露出するのがつらい程室温を下げる文化があるのだろうか。
そんなことを戯れに思い雑誌コーナーを素通りしてペットボトル飲料水ではなく缶の飲料水がびっしりと納められている冷蔵リーチインショーケースの前で立ち止まり、ミカエルは形の良い頤に手を当てた。毎日利用しているため目新しい新製品は今日のところはなさそうだ。では先日購入して味の気に入ったものを今日は買って帰ろうかと柔らかな金色の目でケース内を探っていると背後からトントン、と肩を叩かれた。
「ついでに私と彼の分も買ってくださいよ」
大天使ミカエル様、と気安い調子の声でこの地上では呼ばれることのない肩書き名を呼ばれミカエルは一寸驚きいた。
「やぁ、君か、」
振り返ってみれば、こちらの肩を叩くため黒のサンダルの踵を上げて背伸びした一種愛らしさを感じさせる少女の姿。知人を見止めミカエルは口元に慈愛の篭った笑みを浮かべた。
「来ていたとは知らなかったな。今日はいつもの格好ではないんだね」
普段はターコイズブルーのスカーフにセーラー服という井出たちの少女はこの時代には違和感がないはずだが、天界や一万年以上前の地上で堂々と「時代に合わぬ格好」をしていたのに、今日はイシュタルの転生体であった盲目の少女が着ていたような、今の時代でいうところの南アフリカ系の民族衣装を思わせる衣服に身を包んでいる。ミカエルにとって美醜は意味のあるものでもないし、この世で最も美しいのは己の双子の兄であると信じてやまぬ。それであるからがどういう格好をしていようが問題はないが、礼儀として指摘するとがひらりひらとした長いスカートの裾を掴んでくるり、と回って見せた。
「深夜に制服でうろつくなんて「襲ってください」あるいは「補導してください」ってプラカード掲げてるようなものです。この体でこの街を出歩くならそれなりの対応が必要なんですよ」
「なるほど。確かに若いヒトの子、女性が足を露出して夜の街を歩くのは危険だろうね。そういえば聞ける相手もいないので聞いたことがなかったんだが、そういう「この時代慣れした」きみの目から見て私の格好は不自然ではないかな?」
「自分ではどう思ってるんですか?」
「そうだな、いろいろ調べてみて自分で気に入ったものを選んで身につけているつもりだよ」
まぁ、兄を意識していないといえば嘘になるが、というとの瑠璃の目が一瞬揺れた。ミカエルはそれを気付かぬふりをして「及第点がもらえるといいんだが」と世間話を続ける。は一瞬見せた動揺を即座に心の奥に隠しこんで、こちらを見上げると「そうですね」ともったいぶって間を置いた。
「えぇ、まぁ、歌舞伎町も近いですし、違和感はないですよ」
「……それは褒められて、いるのかな?どうも、そうは思えないのだが…」
まだ光臨して日が経っていない。地上のことは兄ほど詳しいわけでもないミカエルだがの言葉に善意以外のものも感じ取れ「ん?」と金色の眉を跳ねさせる。
「いえいえ、そんなそんな。天使だから、あるいはあの大天使様が黒だったから白スーツなんて着ているんでしょうが、普通日本で白いスーツを着こなすなんて新郎かホストしかいませんよ、とかそういうことは思ってますけど、悪意はありませんし褒めてます」
つらつらと続けられる言葉にちっとも褒められている気はしないのだが疑いの心を持つなどよい振る舞いではないとミカエルは自身を納得させた。
それで、自分が飲むための缶ジュースをひとつ手にとって、わきにあったカゴの中に入れる。自分ひとりのものだけならカゴは不要だががいる。は気遣いににこりと笑って慣れた仕草でショーケースを開けると既にめぼしを付けていたらしい商品を2つ取ってミカエルのカゴの中に入れた。
ミカエルは缶ジュースを買う、という目的はあれど「いろいろ見ているのが面白いから」という理由でコンビニを訪れている。他に何かめぼしいものはないかとゆっくり店内を見ていると、後ろをひょこひょことついてきていたが菓子コーナーで立ち止まり、赤いパッケージの長方形の菓子を手に取った。
チョコレートだ。それも一般的な板チョコと呼ばれるもので、のような少女ならそういう簡素なものより中にフルーツの仕込まれている他の商品を手に取るだろう。彼女の行動がミカエルは気になって自分もその棚に近づく。は手に板チョコを持ったままミカエルに顔を向けることなく「世間話」を続ける。
「本当はこちらにバイトでもしてばったりミカエル様と遭遇、なんていう展開もいいんじゃないかって思ってました」
「あぁ、きみの性格ならそっちを選択しそうだよ」
「ここのコンビニ、深夜バイトの募集はしてないんです」
残念なことに、とが心底真面目に言う。は周囲に住宅地が少ないから日中の人手の方が足りなくてそちらをメインに募集しているのだろうとそんな予想を立ててきて、ヒトの雇用状態に詳しいわけでもないミカエルは「きっと複雑な事情があるんだろう」とだけ言った。コンビニのアルバイト募集について複雑な事情って何です、とが笑った。笑うと彼女は花のようである。ミカエルは兄ほど美しいものは存在しないと思っているし、兄の半身である女神が「女性」というものの中で最も美しい存在であると決めているがこういうの「おかしくて笑う」顔を美しいと素直に評価していた。
ミカエルの金の目に見守られていることに気付いたか、は笑い声を止めて「そういう顔をすると、本当、あなたって天使様だと思います」と肩をすくめる。
「あ、そうだ。もしかして深夜のバイト募集がないのはミカエル様の所為かもしれない」
「私が?特別迷惑をかけるような行いはしていないと思うんだが…」
毎日利用しているといってもそういうヒトは多くいるはずだ。入店時間もそれほど長居しないように気をつけているのでミカエルはのいう意味がわからない。それで眉がハの字になった大天使をはころころと声を上げて笑う。
「えぇ、きっとわからないでしょうね。あなたは天使だもの」
それで彼女はぴん、と人差し指を上げて自身の推理を披露する。
「初歩的な推理ですよ、ミカエル様。毎日夜遅くになると白いスーツを着た背の高い金髪の人が来て、日本語も堪能。ここでバイトをしている女の子は率先してシフトを入れたがるものです」
今だってほら、とは小声になってこっそりとレジの方を指した。
「深夜のコンビニって店員もレジに長居しないのよ。裏に監視モニターがあるし、座って店内を見ているほうが多いのに」
言われてみればイズメロン程度の若い女性がレジカウンターの奥に立っていてこちらに視線を送ってきている。その視線にこめられた感情と思念を読み込んでみればなるほど確かに彼女たちはこちらに「好意」を持ってくれているらしいことが感じられた。
「私があなたに声をかけてきてから私に突き刺さる敵意と殺意…ふふ、怖いですね。彼女あなたに恋してる」
恐れているようには欠片も見えぬの含み笑いにミカエルはため息を吐いた。
結局はチョコレートを買う気のようで、そのままカゴに投げ込んでくる。ミカエルはあまり長居をしないほうがいいと判断して会計を済ませるべくレジに向かった。
こちらに視線を送ってきていた女性はミカエルがレジを利用すると気付くと髪を撫でつけ、愛想の良いとても明るい笑顔で「こんばんは」と挨拶をしてくる。ミカエルも挨拶を返し、女性が商品のバーコードを読みレジを打つ間訪ねてくる2、3事に答え会話をしもした。それで清算が終わり普段ミカエルが一回に使う倍の合計金額を支払ってビニール袋を受け取る。女性は気配りができるタイプらしくきちんと缶の向きが正確でが買ったチョコレートは缶の冷たさで冷えるように間に挟まれていた。
「またいらしてくださいね」
ミカエルが自動ドアの前のマットを踏むと、女性の美しい声が背にかかる。振り返って挨拶を返そうとミカエルは思ったが、その前に駆け寄ったが彼の腕を掴んで店の外へ引っ張り出した。
「?」
「罪作りなことをしてはいけないわ。これだから大天使は…」
はぁ、との呆れるようなため息にミカエルは目を瞬かせ、とにかく店を出るとそのままパチン、と指を鳴らした。
「わからないな」
そうして次の瞬間にはミカエルとは人気のない夜の公園に立っている。移動したことをさほども驚かぬは街灯の下にブランコを発見しパタパタと駆けていく。その背にミカエルはポツリ、と言葉を投げた。
「?何がです」
やわらかいゴム製の椅子を野本の鎖で吊り上げた用具に座り、はミカエルに顔を向ける。ミカエルは自分も遊具を使用する気はなくとも近くに腰をかけようと思って、がいるブランコの斜め横にある鉄パイプの囲いに軽く腰掛けることにした。
白いビニール袋から先ほど購入した缶ジュースを取り出す。も飲むかと思って目で問うがは首を振った。ミカエルはカプリッ、と軽い音を立ててプルタブを起こす。
「先ほどの女性のことだよ。私は彼女と言葉を交わしたことがなかったし、彼女は私が天使であることも知らないのになぜ好意を持ってくれたのだろう」
かつて堕天したサリエルが多くのヒトの女性に好意を向けられたことを覚えているが、それはサリエルがヒトが敬愛する天使であり、ヒトに天界の知恵を授けたからだろう。彼は人格者であったからその性格に惹かれてというのもあると思うが、ミカエルは現在自分とあの女性の間にはそれらの「理由」が一切見当たらなかった。
首をかしげて見せるとが不思議そうにこちらを見上げてくる。
「なぜって、そんなの決まってるわ。人は見かけが9割って言うし、一目惚れだってありえるんですよ」
「つまり、私の容姿に彼女は好意を抱いてくれているのかい?」
「そう言ったのよ?」
どこかおかしい?と逆にが聞いてくる。
もちろん天使であるミカエルは恋愛をすることはない。そもそもヒトの言う「男女の愛」というものを見て知ってはいても「理解」できないのが天使なのだ。堕天すれば知れる、のではなく、理解できた途端、それは天使ではなくなるとも言えるだろう。
ミカエルが黙っていると、はブランコを漕ぎ始めた。ゆらゆらと揺れる少女の服の裾は人工的な光の下で不確かなもののように見える。
「わたしもね、探したほうがいいんじゃないかって、そう、最近思うんですよ」
そうして暫くミカエルがのブランコを漕ぐ音を聞いていると、ぽつり、と唐突に彼女が切り出してきた。
思えば天界にいて、ある大天使のサポートをしているが地上に気安くやってこれるはずもない。ミカエルは「神が君を地上に遣わしたのか?」と聞いた。自分はそんな話を聞いていないが、神との間のことを自分が全て知る義務と権利があるわけではない。
神、という言葉には柳眉を動かし、ぴたり、とブランコを止めてミカエルを見上げる。
「わたしは「神のために」なんてしないし、したくないわ」
「ではなぜ。君がいなくなればあの大天使は困るのではないか?」
「大丈夫だ、問題ないって、言われてしまったの」
力なく、が笑う。兄が以前、堕天する前に関わったセムヤザ率いる堕天使たちの問題を解決させたヒトの子を、ミカエルは思い出した。
(あのヒトの子は、全てが終わった後に天使へと昇天した。彼女はその「ヒトとしての死」あるいは「イーノックという人格の消滅」を恐れ疎い嘆き彼が翼を持つその最後の瞬間まで抵抗して、しかし結局、はメタトロン光臨を阻止できなかった)
イーノックに加護を与えるためアークエンジェルの一員として白鳥の姿に模していたミカエルは間近でその、神との攻防を見ている。洪水計画を中止させ、さらには背徳の塔の機能を停止させたイーノックを神は称え御前に呼び寄せようと腕を伸ばされた。純白の空気と神聖な光に満ちた「大天使誕生」のその時に、それまでじっとイーノックの旅を影から見守り続けていたが乱入した。神は怒りに向かって何度も何度も雷を落とす。その度には血反吐を吐きながらも立ち上がり、神に呪いの言葉を吐き、イーノックという「ヒト」をを守ろうとした。
彼女にとってはその瞬間しか「チャンス」はなかったのだろう。イーノックの旅を失敗させることもできず、彼の魂を汚すこともできなかったは、イーノックが使命を果たし終えやるべきことはないと、晴れやかな心になった瞬間に、神の前からイーノックを奪い取る他、に選択肢はなかったのだ。
『いや、正直。なぜ立ち上がるんだろうって不思議で仕方なかったよ。神は絶対だってことがわからん彼女でもないだろう?無駄なことをするなんて、堕天使たちじゃあるまいし』
後にミカエルの兄ルシフェルはその時のの行動をそう言って笑い飛ばした。だがその後に兄は、同じように「神に逆らった」のだ。
そうしてデビルとなったルシフェルは今は『フォース』と名乗り行方がわからないでいる。ミカエルは兄を探し出し、そしてできれば救うために地上に降りている。
「もちろん彼は優秀だが、大天使メタトロンはまだ天使となって日が浅い。君が不在なことは彼にとって良い状況ではないと思うよ。兄のことは弟の私がいるし、心配しなくていい」
「気遣ってくれるんですね、ありがとう」
神との攻防はイーノックの昇天が完了し、大天使メタトロンがの前に光臨したときに終決した。以後は強力な力を持ちはするが天使としては若すぎるメタトロンの補佐をするべく天界で暮らしている。
傍にいることは彼女にとって辛いことだろうが、それでも離れることの方がもっと辛いだろうと思い、ミカエルは立ち上がっての頭に触れた。天使の祝福、というには心もとないが、ミカエルが触れればはほんの少しだけ、心の闇を薄くしたようだった。青白かった顔に血色が戻り、一度目を伏せてからにこり、と笑顔を見せる。
「メタトロンがね、あなたを心配していたわ。あなたは素晴らしい天使だけど、一人きりで探し続けるのは辛いんじゃないかって。天使に寂しいなんて感情はないって言ったんだけど、神ですら見つけられない彼を探し続けるあなたの様子を気にしていた。だから、わたしはここに来たんです」
わたしなら2011年の時代には慣れているし、とは付け足した。正直なところ、確かにが今後協力してくれるというのならミカエルも頼もしく思うだろう。兄と同じ顔をした泥人形が複数あちこちに散らばりフォースを探しているとはいえ、ミカエルはあれらを頼みにはしていなかったし、非効率だ神に言ったほどだった。実際のところミカエルが一人でフォースを探しているようなものだった。
「不思議ですね、覚えているわけではないんです。メタトロンの中にはイーノックの記憶はないのよね。でもね、神の命を受けて手がかりのない「何か」を長い時間を覚悟して探し続けなければならないあなたを、メタトロンは自分に重ねているんです」
一度口に出すとはこれまで長い間押さえていた感情が溢れてきたのか、口元は笑みの形を浮かべながら、瞳はまっすぐ射抜くようにミカエルを見つめ、真剣な声で語り出す。
「あなたが「一人で探しているわけではない」ということをメタトロンが知っていれば彼の心の憂いが晴れる。わたしは『彼』のためならなんだってしてあげたい」
「」
「でもわたしは、フォースが永遠に神に見つからなければいいと思っているんですよ。だってやっと自由になったんだもの」
イーノックが消滅して以来、は涙を流さなくなったらしい。こういうときヒトは落涙して感情を落ち着かせるのだと、涙というのはそのためにあるのだとミカエルは本で読んだが、涙を流すことをしなくなったは苦しみを胸のうちに溜め込んでどれほど経つのだろうか。
「わたしはルシフェルまで神にいじくりまわされたくない・・・」
もう何も起こらないで、と声を搾り出す、祈るような彼女に、だがミカエルはが不吉なことを言うので顔を顰め、首を振った。
「そんなことを言ってはいけないよ、。兄は神に反逆して落とされ悪魔になった。兄を見つけ出し神がどんな処置を取られるのかはまだわからないが、私は兄を救うために探している」
大天使ミカエル。兄ルシフェルと同じく大天使であり、神の左腕と他の天使たちに称されてきた。兄の堕天後はミカエルが兄に代わって「時間と時代を移動し神に報告する天使」の役を引き継いでいる。そしてかつて兄がそうしたように、ミカエルは神に逆らった者を追っている。
やメタトロンの言うように、自分はイーノックや、ルシフェルと同じことを経験しているらしかった。アークエンジェルの一員としてイーノックを守り旅をしはしたが、あの時とは違うように感じている。
ミカエルがを諭すと、ブランコに腰掛けたままのは顔を伏せた。長く伸びた黒髪で顔が隠れ、その肩が震える。それでも彼女は涙を流していないのだろうとミカエルはわかっていて、そして先ほどコンビニで、彼女が昔と変わらず兄を「大天使」と無意識に示したことを思い出した。
(私はヒトの「愛」というものがわからないが、しかし、彼女のこの様子はきっと「愛」なのだろう)
Fin
(2011/08/25)
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