みのむし




情けない事に自分に残された最後の手段は、彼女の「母性」を利用することだけだった。雨が降ると角の結合部分から酷い痛みが走ると、そんなことを世間話の間にぽつりと言えば、己の想ってやまぬは目を見開いて「なんだと?検査はきちんと受けているのだろう?あの科学者ども、お前にそんな不便をしているのか?」と憤慨した。大したことではないし、今は慣れているからと微かに笑ったのがとどめとなって、次の瞬間、ハイレインはぐいっとに抱き締められた。

「技術は随分進歩していると報告は受けているが…お前は第一世代。しかも黒トリガーの適任者だ。口にはせぬが、痛みや苦しみはそれだけではないだろう」

すまない、とが声を震わせる。アフトクラトルのトリガーホーンの理論は、元々彼女がユグドラシルの王、黒帝のそれを見て考案したものだった。己を包む柔らかな胸の感触に一瞬意識が飛びそうになり、なんとか堪えてから、ハイレインは「あなたが気に病むことではない」と静かに首を振る。丁度狙ったように窓の外で雨が降り始め、天はどうやら自分に味方してくれているのかもしれない。窓の外を見てが顔を顰めた。

「全く都合の悪い。雨か。わたしも雨の日には古傷が痛む」
「あなたも?」
「あぁ。わたしはトリオン体にはなれないからな。あちこちに、っと…まぁ、それよりお前だ。待っていろ、今医者に言ってなんぞ薬を、」
「それよりも、あなたの傷を見たい」

気が紛れる。それに、己のこの痛みも国の為に負ったあなたの傷と同じなのだと思える。続ければが困った顔をした。さすがにこれはストレート過ぎただろうかと違う言葉を探していると、は「あまり見目のよいものではないぞ」と眉を潜める。

しゅるりと布擦れの音をさせて、が分厚い軍服を脱いだ。白いなまめかしい身体が目の当たりになる。この方に羞恥心というものはないらしく、ハイレインはあまりにあっけなく肌を許されたことに戸惑う余裕もない。白い身体に、確かにあちこちに傷があった。火傷や切り傷、銃創など、数えれば十では足りぬだろう。ソファに座ったの隣に移動し、ぎしりとスプリングを軋ませて詰め寄った。触れて良いかの許可を得る前に触れると、がくすぐったそうに笑った。

「は、はは。すまんな。あまり、触れられるのには慣れていないから」
「今も痛みが?」
「酷いのは腹だけだ。あとはもう50年以上前のものばかり。ヴィザがわたしの副官になってからは、わたしが怪我を負うことは殆どなくなったからな…っ、ん」

出された名前に力が入った。ぐいっと、むごたらしい腹の火傷の跡を押してしまい、が顔を顰める。

「ハイレイン…っ、すまないが、そこには、」
「あぁ…。これは黒帝が?」
「…っ…あぁ。あの男がなっ……ん……ヴィザが来なければ…これだけではすまなっ……ハイレイン…ッ!」

触れるなと懇願する声に曖昧に返事をし、指の腹で撫でながら乾いた皮を唇でなぞると、ぐいっと頭を掴んで引き離された。

?」
「〜〜〜お前!最初からそのつもりだったな!?」

今更気付いたのかとしれっというとが絶句した。その間に背をついっと指でなぞるとびくりと身体がしなる。身体から、欲情する女のにおいが香った。ここまですればもう拒絶されることはないとわかっていて「続きはどうする」と問うと、「この…ガキが…」と全くもって可愛らしさのかけらもない言葉がくる。エネドラの口の悪さは黒トリガーの所為ではなくて血なんじゃないか。頭の隅で思って、ぐいっと、腰を抱くと「15分で済ませろ!あと三十分で会議だ!というかお前もだろう!!」と怒鳴られた。揃って会議を遅刻したら、上層部はどんな顔をするだろうか。いや、それよりも会議の時間の前にを呼びにヴィザが来る筈だ。想像し目を細めて口の端を吊り上げると身体の下のが「あの頃の素直で良い子のお前がこんなサド男に……これだからトリガーホーンは!!」と妙な事を言う。何でもかんでも角の所為じゃないだろう。だが言っても今は聞く耳を持たない。それであるからハイレインはそれ以上何か言うのは止めてガリッとの首に噛みついた。

「ッ……」

犬歯で皮膚を喰い破るほど躊躇いなく肉まで届かせると、髪を掴んで引き離そうとしてくる。呻かないのは彼女の矜持か。いっそ扉の向こうまで声を響かせて貰った方が都合はいい。ハイレインはちらりと時計を見、廊下で足音が聞こえてこぬかと耳を澄ませる。残念ながらまだヴィザはやってこない。

フーフーと痛みをやり過ごそうと肩で荒く息をするの顎を掴んでそのまま口づけた。相変わらず髪を掴む指の強さは変わらない。が、頭皮から引きはがれるほどの強さはなかった。どんな時でも、アフトクラトルの人間を傷付けることはしない。その彼女の「愛」にじらじらと濁った感情が湧く。

(ヴィザの背には爪を立てるくせに)


FIN


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