「思い出さないか、アルファ?」

ゆったりとソファに寛ぎながらアルバートは微笑を浮かべながら話しかけてきた。珍しいことである。暖炉にて先日博士から「お前もこういうのをたまには読むといいよ」と貰った本を読んでいたアルファはそこで顔を上げて、己とは同じ顔をした色違いの機械を見る。

偽004、なんて一時呼ばれはした完全機械のアルバート・ハインリッヒとアルファ・ハインツ。共に博士と暮らす日々を選んだ元ブラックゴーストの暗殺者である。

2人は004ことアルベルト・ハインリヒの戦闘データを元に作られた。009こそが究極のサイボーグではあるけれどこと戦闘能力や搭載機能でいえば004が最も理想的な「兵器」である。サイボーグ、という「元々人間」という枠を考えず「いかにして強力な兵器を作れるか」という点にのみ特化し、かつてブラックゴースト内では「004計画」というものが行われた。アルバートハインリヒ、オリジナルよりも青白い肌に透き通るような銀髪を持つ三白眼の男はその最たる「成功例」であり、彼に日々「愚弟」と戯れに称される土色の肌に黒の目、鉛色の髪のアルファ・ハインツは大量廃棄された「失敗作」の一つであった。

『何の事?』

アルファは言葉を話せるように出来てはいないが、同じようにして作られたアルバートとは意思の疎通が出来るのだ。最も、お互いはそんなこと望んではいないのだけれど、とにかく普段己を見下すだけの「成功例」が話しかけてきたので通信機能をオンにして答えると、アルバートがくつくつと笑う。

「TVニュースだよ。見てご覧?」

まるで子供を諭すような口調でアルバートは言う。確かに、彼から見れば失敗作のアルファなど大人にとっての子供、取るに足らない存在でしかないのだけれどいつもいつものその態度にアルファはむっとする。が、自分などが怒りを顕わにしても成功機としての誇りのあるアルバートがアルファを相手にするわけがなく、仕方なくアルファは視線をアルバートの見ていたTVに向けることにとどめた。

『テレビって、ごく普通のニュースだよね。これが何?』
「先の戦争によりパレスチナとイスラエルを分断するフェンスが出来たそうだ。長さはかつてドイツを苦しめたベルリンの壁を全て越えているそうだよ」

ふぅん、とアルファは相槌を打ちながらニュースに注目する。どうもどうやらいろいろ不運が重なってパレスチナ側に取り残されてしまった不運なイスラエル家族のドキュメンタリーだ。なんとも気の毒な家族で、フェンス越しに互いの顔を見る事はできるのに手を握り合うこともできず、またいつどちらがどちらとも死ぬとも限らぬ状況。せめて家族一緒なら死を迎える日々もなんとか乗り越えられように、こうして分断されてはそれも叶わぬ、というところだろうか。

『思い出すって…何を?僕等はオリジナルのようにドイツにいたわけじゃないでしょ?』

ドキュメンタリーがニュースキャスターの解説に変わったのでアルファはTVから視線を外した。そして自分を面白そうに観察しているアルバートに問い掛ける。

ベルリンの壁、といえば己らのモデルとなった004ことアルベルト・ハインリヒに強く関係がある。ドイツ国民、壁を越えて夫婦で亡命しようとして片方、最愛の妻が命を落としそこで重症を負ったアルベルトもBGに回収されてサイボーグ化されたと、そういうデータはアルファにもしっかりインプットされている。しかし、だからといってその当時をありありと思い出す、ということにはならない。

それで、目の前の成功例が一体何を言いたいのかと素直に不思議がる。

「解らないか、そう言うのか。お前は」

くつくつと低く笑うアルバートにアルファは困惑した。この男はいつも自分を困らせることを楽しんでいる。通信機、というより2人の間に「会話」が成立するのは、アルファの思考回路をアルバートが読めるゆえ、というのが正確だ。それで、自分の思考回路はこの男に筒抜けだというのに、同じハズなのに自分には全くわからない。それがアルファには悔しく思う。元々成功例、であるアルバートが末端器官、捨て駒、試作品であるアルファの情報を遠くはなれた場所でも読み取れるための機能、であるから仕方がないといえばそれまでだけれど。

むっと眉を潜め、困ったままの失敗作を成功例は愉快気に口元を歪め眺めてから口を開く。

「あの思い出深きBGでの生活を、お前は覚えていないと言うのか?04-001-022?」
『…ッ…!?』

かつての認識ナンバーで呼ばれてアルファは身震いした。アルバードに揶揄されずとも、今でも鮮明に思い出すことが出来る。あの暗く、悲しいただの兵器でしかなかった時代。ぎくりと身体を震わせ、ぎゅっと唇を噛み締める。

忘れていない。そんなもの、忘れるわけがないのだ。

実験実験、実験、実験の日々。己はどういうわけか痛覚器官が備え付けられていて、日々身体が改造されていく、その生々しい感覚を十分に味わった。感情らしいものを芽生えさせられてからは同機たちと戦う日々に苦しんだ。(痛みも感情も「戦闘力を上げるために必要なのかもしれない」と言うそんな理由でアルファのそれは人工的に作られた)

それは確かに忌まわしい記憶だけれど、アルファには彼が何を言いたいのかよくわからない。そんなアルファを「まだ解らないか、ジャンクめ」と一瞥してアルバート・ハインリッヒは言葉を続ける。

「我が愛しき博士があの鋼鉄のドイツ人を連れ立って脱走してから、なぜ己を連れていってはくれなかったのかと思いはしなかったかね」

じっくりと、ゆっくりと真綿で人の首を絞め甚振るような声に、アルファはそこで初めてこの男が何を言いたいのか解った。

壁を、言いたかったわけではないのだ。この男は己に理不尽に取り残されたイスラエル人と己を言っていたのだ。

「彼女の元へ行きたいのに、行くこともできず、ただ待つしかできない。待てば変わるだろうかという不安。いつか、いつか何もかもの状況が変わって己が救い出されるのではないかと思い、しかしそんな日が来るわけがないと理解している日々。さぁ、思い出したか?」

アルバートは低く笑う。からかうように、小ばかにするように、笑って、嗤って、とことんアルファを見下し不快にさせる。アルファは唇を噛んだ。別段、この男は自分を不快にさせたいわけではないのだ。ただの暇潰し。が買い物に行ってしまっていて暇だから、なんとなく戯れで思いついたことに自分を巻き込む。アルファは、哀れな失敗機はもしもう少し冷静で機転が利けばソファに踏ん反り返る傲慢な男に「それはお前も一緒だろう」と言い返してやれたかもしれないが、しかしありとあらゆる点で「劣る」存在であるという認識の強いアルファ・ハインツ、そういう言い返しはけしてできない。それでぐっと、ただ悔しげに唇を噛み締めてけして叶わぬ成功機を睨みつけるしかできない。

その反抗的な、しかし結局は無力であるジャンクの視線を受け満足そうに口の端を歪めていた銀色の男、ふと、何かを気付いたかのように入り口に視線をやる。

『?』

アルファも視線を向けるが、そこには誰もいない。何か問い掛けようとしてアルバートにもう一度視線を向けた瞬間、声がした。

「おーい、アルファーっ。アルバートっ。ちょっと手伝ってくれねェか」

愛しい、大切な、何よりも大切な主の声である。買い物から帰ってきたらしい。博士!と声に出して返事のできぬアルファは瞬時に立ち上がって入り口に走る、だがしかしアルバートは立ちあがろうとしない。行かないのか、と尋ねると彼は微笑した。

「憂いを知るからこそ、お前は今の自由と幸福を慈しんでいられるのだろう」

柔らかい声音にアルファは目を見開いた。

先ほどの話の続き、であるのはさすがに疎い己でもわかる。だが意外な声音に目を白黒させていると、ゆっくりと立ち上がったアルバート・ハインリッヒ、優雅な足取りでさっさとアルファを追い越す。

「さて、行くとしようか、我が愚弟。我らの愛しき博士がまた無計画にも大量の食料品を買い込んだようだ」

全くなぜあれほど頭脳明晰でありながら自身の家の消費量を把握できぬのか、と呆れるアルバート。アルファは何ぜの行動が解るのだろう、とアルファが首を傾げるとアルバートはなんでもないことのように答えた。

「でなければ荷運び意外の役に立たぬお前を呼ぶわけがないだろう」

やっぱり、この男は己をバカにすることが大好きなのかもしれない。

アルファは顔を引き攣らせ、さっさと言ってしまったアルバートのあとを追った。




Fin


(2006/10/3)


・別に偽4さんはアルファくんをいじめてるわけじゃなくて弟のように思ってるだけです。