※いろいろ捏造してます。本当あれこれ妄想しています。
何が出てきてもOKという心優しい方のみ↓で。本当・・・時代考証とかできる人は素敵ですよね。
「禅師は悪いお坊なのですか?」
幼い子供特有のふっくらと、丸々太った顔の中の太い眉が困ったようにハの字になりながらそう、伺うように言うもので、は竹千代を輿に乗せ自らも乗り込もうとした体を止めた。安祥城を攻め落とし織田信広を人質にしたのは今から少し前のこと。今川領に来る筈だったこの竹千代、松平家の嫡子を織田に奪われは必ず竹千代を奪回すると義元に誓い二年も経ってしまった。三河の豪族である松平宏忠は今川家の庇護を受けている。昨今三河で勃発する織田との小競り合いにおいて今川の協力を得ようと臣従するため嫡子を人質として送り出しましょうと、そう宏忠と話がついたのはにとってはつい最近のことのように思えるが幼い竹千代にはこの二年は随分と長かったはずだ。一度三河の岡崎城にて見た子供も六つともなればそれなりに受け答えをできるようになる。特にこの子供は賢い目をしているので並の子供以上の理解力がありそうだと、引渡しの際に一目見ては感心したほどだった。
その竹千代がおっかなびっくり、というのではなく確認の形をとって言う言葉。一寸は考えてから輿に乗り込んだ。普段移動の折に一人で使用している輿だが元々基準より大きく仕立てさせている上には小柄であるので幼い竹千代と二人乗り込んでも窮屈さは感じない。トンと合図をすれば輿がゆっくりと上がって動き始めた。人質交換であるからある程度の安全は互いに保証済みであるけれど織田信秀にとっては何度も煮え湯を飲まされた憎き相手であろうしにとっても何度も性懲りもなく今川家に縁の土地や豪族にちょっかいをかける信秀はうっとうしかった。だから心から信じてよいこの「安全万全な人質交換」なわけがなかろうとお互い疑ってかかって当然で、二年前に竹千代を今川家に輸送中に奪われたという失態もありは自ら竹千代を向かえに出て、移動を同じ輿にさせるという慎重さを取った。正直な話をすれば竹千代がおらずとも松平氏を従わせるのは難しいことではなく態々が今川義元のもとを離れてここまでする重要性はない。だが今川領安泰や利害ではない理由によりは竹千代を保護せねばならなかった。
「竹千代さんは妙なことを聞きますね。尾張で何ぞ吹き込まれましたか」
動き出して暫く、は竹千代が息苦しくないようにと空気の出入りや厚さに気を使ってやりながら懐から旅の携帯用にと小さく誂えた菓子箱や冷えた茶の入った竹筒を取り出す。ここから今川領の駿府まで輿の移動では幾日かかかる。子供の身では心労がかかろうと思ってあれこれ竹千代を退屈させぬ準備もは整えてきた。茶を差し出しながら問えば竹千代は幼い顔をしかめ俯く。その様子を眺めては緑の目をにっこりと狐のように細めた。
(図星か)
これまで幾たびもは織田とやりあっている。もちろん個人的な諍いではなくは今川家の軍師として尾張の大名織田信秀と戦っているのだけれど、時折戦場にて信広はこちらの顔を見るなり「この破戒僧がッ」やら「外道鬼畜の悪道者めがッ!!」などと力いっぱい罵倒してくる。確か半年前の戦ではいい加減あんまりにも信秀がうっとうしいのでは「ついカッとなって」信秀を肥溜めに突き落として指差して笑い飛ばしてやったのだが、「今は反省している」のでいいだろう。
まぁそういうあまり好かれぬ間柄。此度の人質交換は仕方ないとしても信秀殿は何ぞこちらに一矢報いてやりたいのか、それとも肥溜めに突っ込んだささやかなこちらの悪戯心に対する仕返しか、この竹千代にあれこれと己のことを吹き込んだようである。
やや青くなった竹千代の顔を見る限り想像できるのは、この己のこれまでの悪逆非道をいい具合に盛って語って聞かせて脅しておくといったことだろうか。ここ最近の悪行なら思い当たるのは他国からの入国を徹底的に取り締まり、そのせいで親の死に目に会えなかったものがいるとか、あるいは病状が悪化して死んだとかそういうものだろうか。尾張の織田家から流される己の噂の中には「夜な夜な禅師は子供の血肉を啜っている」というものもあるらしいから竹千代が怯えるのも無理はない。
「今川は松平を支配するための人質として竹千代さんを欲して、これから竹千代さんはそれはもう酷い扱いを今川家から受けるとか、そういうことを言われたのでしょうね」
出した茶や菓子に手をつけぬのは警戒しているからか。太らせてから血や肉をいただこうと打算しているとでも思われているようではため息交じりに眉を寄せ、空気口からついっと外を眺め、再び竹千代を見下ろした。
こうして警戒心を見せるのは子供にしては賢いし、抵抗する素振りや拒絶反応、あるいは迷信に取り付かれて己を嫌悪する目をせぬのがには好ましい。だがまだ幼いその証拠にこうして己に直接「悪いお坊なのか」と聞いてしまっているその素直さはいけなかった。正直なのは人の美徳と禅道にもあるが、しかし正直が馬鹿を見るのがこの戦乱の世である。そして下手に賢い正直者は長生きできぬのが道理だ。どうせ正直ならバカ正直のほうがいいとは思う。鈍感な馬鹿者はこの世の中では行き方次第でどうにでもなれる。そう思うと脳裏にが心のそこから敬愛する義元の姿が浮かんできて、知らず口元が緩んだ。
(義元、あぁ、そうだ義元さまがこのに竹千代のことを頼まれたのです)
二年前に織田にさらわれた折、父の松平はそのまま織田に服従することはせず今川所属を貫いた。それは事実上子を見捨てたということに他ならず、僅か二歳で母と生き別れの身となっていた竹千代がさらに不憫でならぬと、そう義元が丸い眉を下げてぽつん、と梅の木の庭で呟いた。
竹千代の父、松平忠広の妻であった於大は水野家の出で元々水野家は今川に仕えていたのだが、まぁ、いろいろあって織田についた。その事件の後に松平忠広は水野の出である妻を離縁し今川から不興を買わぬようにとりはかったのだけれど、松平の嫡男であるゆえに幼い竹千代は母も恋しい頃に大人の事情によって母と引き離されることとなった。それを義元はよく覚えていたらしい。
は己の知略と力の及ぶ限り、義元の胸から悲しみを取り除いて見せるとそう誓いを立てている。だから梅の木の庭で義元が「あわれよ、の」と呟いた姿に胸を痛めたとえ忠広が竹千代を見捨てても今川はそうはせぬという姿勢を取った。その姿勢が此度の織田家庶子との人質交換に至った経緯である。
「気を悪くしたのなら申し訳ない。その、わしは、」
「どちらかといえばは悪いお坊ですよ。お酒も飲みますし肉魚も好んで口にします。戦で指揮をすれば必ず百は人を死に追いやっているでしょう。生臭坊主、破戒僧の自覚はしっかりありますね」
思考に沈み黙ったに竹千代が弁明するよう何か言いかけるがそれを遮って、はことも何気に告げた。思わず絶句する幼い子供の顔のおかしいこと。ころころと笑い転げては若君への無礼になる。卑しくも松平の嫡男である竹千代に対して無礼はいけぬとは自戒して、袖でそっと口元を覆うに留めた。
「織田の者たちが何と言ったのかは知りませんが、はどちらかといえば極悪非道、非情な性質です。竹千代さんはもうわかっていらっしゃると思いますが大名家というのはこの戦国乱世にあっていつ他国にあっさり滅ぼされるか知れぬもの。それを守り続けるために或る種の外道さを持っていなければならないのです」
「……父上がわしを見捨てられたようにか?」
「なんとまぁ、情けないお言葉」
話題は己の外道さについてであったのに竹千代は父のことを切り出した。なるほどこの子供の頭の中には常々あった、考えようとしなくともどうしても頭から振り払えなかったことなのだろう。それがふと思い出されてつい口をついて出た。子供らしいと笑うべきか、あるいは哀れと思うべきか。は外を眺めまだ日も高いことを確認してから、まだまだ駿河には時間もあるし、この子の「しこり」をここでどうにかできるのならしておくべきであるとそう改めた。
が「情けない」と言えば竹千代の眉が寄る。お前に何がわかるのだと言いたげな子供の怒りだ。いや、それに加えてこの竹千代には賢さがあり、城主の嫡男に生まれた己の運命を、あるいは政治の道具になるしかない大名の血族の悲しい定めをお前のような身のものに理解できるわけがないのに判断するなという気高い拒絶があった。
「百姓は田畑を耕し米を作り国を賄うのが役目。子は親の土地を守り年貢を納めるためにあります。大名の子は親より土地を受け継ぎ国を守るために産まれてくるのです。子供が欲しいから、愛しいから作るのではありません。子を作るは家のため。竹千代さん、大名の子は、己によって国を危機に追いやるようなことを何よりの屈辱としなければならないのですよ」
この時代この日の元にはまだ「個」という概念はない。「個人」という言葉すらなく、全ての人が家のため、あるいは国の為に尽くすことが当然の教育をされてきた。自己顕示欲はあろうがそれらは名を残し家を残したいという根本ゆえのこと。その中で考えれば後世に残る豊臣秀吉という男だけは三英雄の中で異色であったと言える。それゆえに「家」「血族」を大事大事にしてきた日本では一代以降の繁栄ができなかったというわけでもあるのだが。
まぁそれはさておいて、は幼い故に「自分の不幸」というものを感じているらしい竹千代を見下ろして容赦なく言い切った。織田から「禅師は情がない」と言い含められているのなら都合が良い。遠慮することなく事実を告げると、ぎゅっと、竹千代が正座して膝の上に置いた手を握りしめる。
賢い子だ。こちらの言葉を受け取り顔を青くしたり赤くしたりしながら体を震わせ、そして暫くして口を開いた。
リッサの鉄柩
「本当に、貴女は昔と何一つお変わりがない」
「突然なんです、家康さん」
「昔、駿河の地で貴女に過ごした日々のことを思い出していました。私は小さな童で、よう泣いておりましたな」
正しくはよくに泣かされていたのだが、そう言うほど徳川家康は意地の悪い男ではないし、目の前で茶を立てている禅師は彼にとって恩ある師であるので礼儀を持って言葉を選んだ。それをもわかっている。懐かしい昔を思い出すように翡翠の目を細めてからことん、と茶筅を置いた。
人質として今川に来た幼い子供は今ではひとかどの大名である。桶狭間にて今川義元が織田信長に討たれて以来、家康は信長と同盟を結び公然と今川家に反旗を翻した。桶狭間での事件の起きる何年も前、は義元の生母とその孫、義元の嫡男である氏真に疎まれて今川家より遠ざけられ隠居していたのだが、その当時のめまぐるしい時代の流れはよく覚えている。家康に言わせればを今川家から遠ざけたその時から今川家の没落は避けられなくなったのだという。こうして家康が浜松城に居を構えるようになってからも時折そのことを話題に出すのだが、そのたびは「一人の坊主の存在で国の有無が決まってたまるか」と笑って言うのが決まりであった。
義元の傍から遠ざけられたは竹千代の教育に心血を注いだ。状況の見えぬ氏真が心もとなく竹千代を今川補佐として仕立てあげようとしたのだが、珍しくの思惑は外れ、いや、予想通り竹千代、元康と名乗り、今は家康と名を改めた男は立派な人物に成長したけれど、今川家のためには生きてくれなかった。
と、まぁ、義元が死した今川家に未練はない。そのことは今更どうということもない。とにかく、そういうわけで家康にとっては育ての親であり師でもある。今川家から離反した家康は早々にのために三河領内に寺を立てて住まわせると、時折こうして話をしにくるようになった。
天正七年、家康は三十八になるが未だに出会った当初と変わらぬ若い娘の姿のままのをしげしげと不思議そうに眺めてくる。
「今更貴女を物の怪の類ではないかと疑い恐れるつもりはありませんが、禅師、その不老長寿の秘訣をぜひとも伺いたいものですな」
「家康さんは礼儀をわきまえていらっしゃる。わたしを「人」と仮定した上でただ長生きなだけと思うてくれているのですね」
「禅師は鏡にも写り、また傷を負えば命を危ぶめる。それを知っておりますからな。あなたは不老で長寿であっても不死ではない」
えぇその通りとは肯定し、立てた茶をそっと押しやった。
「まぁわたしの正体が何であれそれは今はどうでもいいのです。家康さん、三郎さんを斬られますのか」
「……」
ありがたく茶碗を受け取ろうとしていた家康の手には乱れがなかった。だが正座した左足の小指がほんの一寸動いたがの位置からは見えぬ。常日頃家臣らにも何を考えているかわからぬと不安がられ、諸国の大名らからは狸だなんだと噂される感情の見えぬ家康の、さすがといえる態度だが、幼き頃よりこの男を知っているは目をつぶっていてもその動揺のほどが知れる。家康がゆっくりとその動揺を底に圧し沈めるのを待ってから口を開いた。
「信長さんもどくしょうなことを言いますね。築山さんはともかく三郎さんが武田を共謀して謀反など起こそうはずもないでしょうに」
「むろんそうでしょう。どの、信長公とてそれは判っておいでだ。此度のことが武田の罠であることもなにもかも承知でそれでも命ぜられた。それはこの家康を試しておいでだからでしょう」
えぇそうでしょうと先ほどと同じ調子では肯定した。何もかもわかっていることだ。先だって、家康の正妻にして今川義元の姪である築山殿が武田勝頼と密書を交わした。家康の嫡男であり築山の子である岡崎三郎信康(岡崎城を居城にしているからの呼び名)を武田と共謀させ家康と信長を謀略を持って殺害すると、そう申し入れをした。この時既に武田信玄は病没しており、家督は武田勝頼が継いでいる。勝頼は築山の申し出を承諾したとの誓書を送り、その誓書を築山の腰元が見止めて信康の妻徳姫の耳に入れた。
徳姫は信長の娘である。信長にとって生涯忘れえぬ女性吉野どのの死後出会ったお鍋の方の生んだ娘で、五徳と信長は愛称で呼び可愛がった姫だ。信長の娘ゆえ今川の宿敵と築山殿は日ごろから辛い仕打ちをし、姑と嫁の関係は最悪の一途をたどっていた。その中で義母が武田と通じ父を討つ算段を付けていると知った徳姫は驚き急ぎ父に書状を認めた。
その結果信長は安土城に家康の老親である酒井忠次を呼びつけて真偽を確かめたのだが、こういう追及をかわせる術に長けた本多正信や、あるいはであれば結末は違ったかもしれないが、酒井は信長の追求を上手く交わすことができず、疑いは晴れぬまま信長は家康に正室と嫡子の命を差し出すよう命じてきた。
に言わせればこれらは茶番である。武田は信玄亡き後どうあがいたところで滅亡する。後継ぎの勝頼が不甲斐ないとは言わぬ。あの男はあれで名将に間違いないが巨星のあとではどうしたって霞み重圧もあろう。それを支え切れる器が生憎なく、先の長篠の戦いでは無様な采配により織田・徳川連合の前に数多の老臣が命を落とした。既に上杉謙信もこの世を去り、織田信長にとっての脅威はもはや中国の毛利くらいなものとされている。つまり武田勝頼は信長公にとって脅威ではなく、かえって武田にとって織田信長という男は脅威であった。
だから武田のどこぞの阿呆は織田と徳川の同盟を破棄させ多少なりとも織田の勢力、あるいは徳川の力を削ぎどちらかを吸収してやろうとこのような面倒くさいことをたくらんだのだろう。確かに今徳川が織田から離反すれば徳川は強力なパートナーを失い武田とやりあうには武が悪くなる。なまじ徳川には旧松平家臣、今川派もいるわけで築山殿が三郎信康殿を担ぎ上げれば三河の内乱というのも十分にありえるのだ。そのどさくさにまぎれて武田に侵攻されればひとたまりもない。
「信長公からすれば家康さんの忠誠心を試す良い機会ですからね」
笑いながら言えばさすがの忍耐強い弟子も顔を真っ赤にして怒りを表すことだろう。は袖で口元を隠し目を細めながら遠慮がちに家康を見やった。
あの賢すぎる信長公がこの武田の企みに気付かぬわけもない。それでいて信長は怒鳴って見せたのだ。魔王の怒りを静めるには正室と嫡男の命を差し出すほかない。信長は家康の忍耐強さと忠誠心がどれほどのものか図っている。家康が嫡男を失えず織田に挙兵するとしても構わぬのだろう。それをあっさりと捻り潰すだけの力が信長にはあった。家康もわかっている。今徳川が生き残るためにはどうしたって築山殿と信康には死んでもらわねばならない。
「家康さんは三郎さんを斬られますのか」
今日こうして家康がの元を訪れたのはその胸のうちを吐露するためではない。この弟子は頭が良いし一人で何もかも考えぬけるだけの術を幼い頃の体験で身に着けている。今更どうしようもないことを「どうにかしたい」と駄々を捏ねるような男ではないとは見込んでいた。それであるから「斬るのか」という問いかけも確認の形を取るし、さらに言えばは「まだ耐えるのか」と問うている意味であった。
「昔、殿は父に三河の地と天秤にかけられ見捨てられ泣いた私を「情けない」とそう仰いましたな」
「えぇ、はっきりと」
「三郎も、あれも泣きましょうか」
「いいえ。あの頃あなたは六つの小僧、三郎さんは二十一の、初陣もとうに済ませた武将です。家のために死ねと言われれば潔く腹を切るでしょう」
「あぁ、武士とはそういうものでしたな。あれは親の私以上に立派な武将であれば、そうするでしょう」
本人に問わずともわかることだ。は頷く家康にならって頷き、脳裏に三郎信康の姿を思い浮かべる。今川の血を引く若武者はにとっても愛しい子だった。徳姫と婚約したときはまだ二人とも雛人形のように幼く愛らしかった。成長してからは文字通りの勇猛果敢、十七の頃に初陣を飾り数々の功績を挙げてきた。趣味は鷹狩りか戦の話か、あるいは女を抱くことかという典型的な武辺者。女人の心というのを一寸理解しておらず、徳姫を可愛がりつつも「おいちょっと裏にこいや」と説教したくなるような振る舞いもあるにはあったが、名将の器、いや、それ以上の者であることはの目にも疑いようがなくいずれ三十も過ぎれば父家康をしのぐ人物になるだろうと楽しみであった。
さらに言えばは、時期に武田に並んで今川家も滅びると検討付けている。氏真は愛嬌のある人物だが人望やら人徳といったものは一寸、ない。己もあの子に手を貸そうとは思わぬし、次々に今川の忠臣といえた者たちは離反していると聞く。それであれば時期に今川も消えうせよう。そのときに駿河の、あの懐かしく美しい場所が武田や織田の手に落ちるのは忍びなく、可能であれば信康が家康の後を継ぎ、駿河の地を守ってくれればよいと思った。信康には今川の血が流れている。今川の人間らしい気品のある顔を思い出しの目元は優しくなった。
だがこのままでは信康は腹を掻っ捌いて死ぬのだろう。
「織田と徳川は同盟者、しかしそうではないと、対等ではないと信長公はわしに突きつけたいのか…」
言ってから押し黙るをじぃっと眺めていた家康がふと視線をはずして表を見た。が日ごろ「目指せ猫屋敷」としている庭はまだ造り途中。またたびでも植えられればよいがあいにくこの国には十分なまたたびがないためうまく運ばない。コツン、とシシオドシの音を響かせてから、一拍、家康が視線を戻した。
「武士の子は国を守るために産まれる。国を受け継いでいない子供は国を守る手段がないのなら、せめて足手まといにはならぬよう潔くあるべきだと、そう殿は仰られる」
「えぇ。身分のある生まれは分別を持つべきです。飢える事の少ない分、飢える民にはない苦労を」
「我々は民の作った米で生き永らえている。民は米を作り続けることで安全を保障されなければならない。民のため、国を続けるため、信康は死なねばならぬのですな」
「家康さん、珍しいですね。何が言いたいんです?」
答えは決まりきっていることだ。堪え続けるしか未来のない家康がこうもぐじぐじと話を続けている。普段であれば即決し、己とはここで茶の湯を交わす時間のほうが多くなるはずのこの男。何が言いたいのだとは見つめて、そして家康が目を伏せ首を振った。
「いや、何もござらん。殿」
幼い頃に母と引き離され父に見捨てられ、ただ家臣の希望となって生きてきた子供は過剰なほど忍耐強い男に育った。
(多分きっと、耐えられる自分がもどかしいのだろう)
普通であれば妻と子の命を自らの判断で奪うことはできぬ。この非常無情な戦国乱世であってもそうできぬ者のほうが多くいる。耐えられず、国を危険な目に合わせても家族を守ろうとする。しかしこの男は、徳川家康という男は、それを選べぬ。耐えられる。見据えた遠く先、家族の愛を頂かなかった子どもは家臣の信頼・期待・希望によってこれまで苦難に耐えてきた。だから家康は選べぬ。家族よりも彼が重要であると理解できるのは国・民・家臣への思いである。
その思考で行けばいずれこの家康が天下を取り泰平を世に築き上げるとして、たとえば徳川家が延々と反映し続けるとして、その上でこの男のある種の「家族」と「肉親の情」を最終的なところで省みることのできぬ気質で考えれば、その延々と続くだろう「徳川の世」というもの、徳川の血脈を繋げるというのもも、それはただ単に一つのシステムであり、国を、民を、泰平を、続けるための情も夢も希望もない、感情を伴えぬ高みの結果なのかもしれない。
はこの場で家康が「殿に三郎を匿って頂きたい」とそう家康がけして言わぬのをわかりつつ、むしろそうと教えたのはこの己であるのに、言わねば己は徳川を見限ってこの地を去るのだろうと、その、つるりと光る月代を眺めてぼんやりと思い、そしてかつて義元公が「哀れじゃのう」とぽつんと呟いたその真意にやっと気付くのだった。
(童が我侭を言えないことは最大の不幸であり、それは一種の虐待である)
Fin
リッサの鉄柩:人一人が身を縮めてやっと納まれる大きさの鉄の棺。蓋は螺子で押し下げ負荷の調節が可能。犠牲者は蓋の重さに押しつぶされて死ぬが徐々に重さを加えていくため圧死まで数日掛かる。また棺は完全な暗闇であり闇の恐怖による精神的苦痛も拷問の一つである。
(2011/07/24 17:11)
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