情けない。
その言葉はどんな人間をも一瞬で奈落に突き落とし、さらにはその高みからまるで天竺の菩薩が蓮の池を見下ろすが如く哀れみを浮かべながら投げられる言葉である。

真っ昼間の商店街裏、心底呆れる新八の怒声が響いた。

「アンタ本当ッに情けねぇよ!!マジ本当…ダメ人間っていうのは知ってたけど今回はマジで見捨てさせてくれぇええ!!」

銀時の胸倉を掴んでガクガク揺らしながら罵倒しているのは、メガネ意外に目立ったところはないのに、なんでか妙に印象にのこる青年新八である。揺さぶられた銀時、銀色の髪だが一見すれば白髪にしか見えない、普段死んだ魚のような目をした男、気持ちが悪いのか真っ青になりながらうぇっと、口元を押さえている。

「ま、待てまて新八くんっ!話せばわかる!!だからそんなに揺さぶらないで、吐く……」
「まっ昼間っから酒飲んで日が暮れる前に酔いつぶれるなんてどんだけダメ人間なんだよぉおお!!!」
「ダメね新八、銀ちゃんは一回病院に入れるべきアル」

ゴミバコの上に腰掛けつつ、自分の傘の先を銀時に向ける、少女は神楽だ。んー、と狙いすますのはこのまま発射してこの酔っ払いを完全な病院送りにするためか。

「びょ、病院……!!?」

ビョウイン、という言葉を聞いた瞬間、銀時の顔がさらに青くなった。

「そうですね…一回放り込んだらこのぐーたら生活もなんとか改善するかもしれません。最近はホームレスを更正させる施設とか江戸に出来てるらしいですから…」
「いやいやいや!!銀さんまだそこまでヤバくないから!!だいたい最近この辺りの病院ってロクな所ねぇじゃねぇか!!ヒトの臓器売り飛ばそうとしたり、変な生物にほれ込む看護婦いたり…!!」
「アンタは注射を嫌がる子供かぁああぁあ!!!」

「新八、退くネ」
「え」

どがっしゃぁあん。

「ぎゃァああ!!!神楽ちゃん!!アンタ何してんのぉお!!!」

盛大な音を立てて、銀時が壁に突っ込んだ。さながらノックのように、傘をバット、ボールを銀時に見立ててステキシュートした神楽はっふ、と傘の先を拭いて静かに呟いた。

「駄々っ子はどついて黙らせてが一番ヨ」
「なにそのヴァイオレンス!虐待って訴えられるよ!!」
「見つかれば虐待、隠し通せば躾アル」
「銀さん!!銀さん!!しっかりしてください!!」

「新八、新八、これ、何ネ?」

すっかりノックアウトされ、頭からダグダグ血とか流している銀時を抱え込み新八が見事にテンパってると、張本人、そんなことなどすでに忘却の彼方か、飽きたのか、まぁ、両方だろうが、神楽、ツンツン、と新八の着物を引っ張った。

「神楽ちゃん今忙しいから後にして!!早く銀さんを病院に連れてかないと……」
「クスリ、って書いてあるネ」

え?と新八が振り返る、その目先には「久坂薬局」と、少々やる気のない小さな文字で書かれた、看板なのか、ただの板切れなのか、その、表札が掛かっていた。

「ここって…久坂薬局だったのか…」

小さく呟いた新八を神楽が不思議そうに眺める。

「?」

神楽が知らないのもムリはない。
久坂薬局、かつて江戸一の医者と言われた久坂玄水の開く薬問屋の名である。

攘夷戦争後数年は診療所として開かれていたのだが、二年前に突然、幕府から開業取り下げ処分を受けて潰れた。
今は小さな薬屋としての形をとっているが、久坂との係わり合いを恐れる市政の人々は久坂の薬を買わないようにしているらしい。
腕は確かなのだが、幕府に睨まれてまで、ということだろう。実際、現在の医療は天人のもたらした技術もあり日々進歩しているのだから、あえて久坂に関わらずとも、なのかもしれない。

(それにしても、噂には聞いていたが、本当に……小さい)

新八は商店街の裏側だというのに、やけに静かな、久坂薬局を見上げて眉を顰めた。かつては栄華を極めたであろう、久坂玄水という医者も、サムライの衰退と共にこうして忘れ去られていくのだろうか。

「開けろぉおおぉ!!銀ちゃん死んだらこの病院ヤブって言いふらすネ!!」

神楽は何を勘違いしたのか、ドンドンと扉を叩いている。

「何てこと言ってんだぁああ!!すみません!嘘ですから!嘘ですから!!」

出てきたらどうすんだぁあああ!!と新八は神楽を引き剥がそうとするのだが、神楽の怪力にメガネな新八がかなうはずもない。あ、メガネは関係ない。

「ここは薬屋であって病院では、」

真っ昼間にもかかわらず着流し姿で現れたのは新八の姉、妙より少し若いくらいの女性だった。
ここの娘か、見習いの薬剤師だろうか、真っ白な顔はどちらかとえいば患者に見える。

「いいからさっさと診るアル!!」

神楽は行き成りその娘さんの胸倉を掴んで、銀時と対面させた。むちゃくちゃである。というか、この娘は久坂玄水ではないのに見せていったいどうするのか。と、新八は突っ込みを入れようとしたが、薬剤師にしては、やけに手馴れた様子で娘が神楽の手を外し、銀時の顔やら手首やらを触る。

「銀ちゃん飲みすぎでブっ倒れたネ。そのうえ、打ち所が悪くてチミドロ」
「いや、打ち所っていうか、神楽ちゃん…」
「………」

間を空けて、娘は心底気の毒そうな顔で二人を見た。

「残念ですが、こちらでは、手の施しようがありません」
「そんな…」
「この天然パーマは治しようがありません」
「ってそっちかよ!!この怪我見てってば!!重症なんです!!」
「私には何も見えない」
「目ぇ逸らすなぁああ!!!アンタ何言ってんの?!!何すがすがしい顔で夕日見てんだよ!!」
「そんなやる気のないフリーターなんて死ねばいい。ニート率が下がる」
「下がらないよ!たった一人の人間の命で社会は変えられないから!!」
「一人の人間が何か変えようとことを起こさなければ、大衆は動きません」

え、なに、この、一見革命家の名言だか迷言だかわからない、掛け合い漫才?
神楽は飽きてしまったのか道端の草なんてむしってる。

「まぁ、いつまでもここでぐだぐだ言ってる場合でもないですね。診てさしあげますからついてきてください」
「へ?診るの、君が?」
「わたしが医者の久坂玄水です」

新八が驚いても、久坂はさして得意そうな顔はしなかった。が、が「嘘付けぇえええ!!」と突っ込むと、嬉しそうな顔をする。その違いがまた、わけがわからなくて、けれど、そういう「変人」の匂いがするからこそ、新八は彼女が「久坂玄水」であっても、違和感はない、と思えてしまった。



+++




「銀さん、大丈夫かなぁ…」

寝台の上で目を覚まさず、ただテキパキと久坂に治療を施されていく銀時を見つめながら新八が不安そうに呟く。記憶喪失にとか、なったらどうすればいいんだ。この男に給料とか貰ったことないのに、今までの仕事は全部無駄に?え、どうすればいいんだ、姉上になんていえば…。

そんな新八の葛藤など知らず、久坂は最後にぱしん、と銀時の額を叩いて振り返った。治療が終わったらしい。神楽に負わされた怪我は意外に軽症だったのか。

「命に別状はないですよ、いっそ丸刈りにしてやれればいいほど重症ならいいのに」
「アンタさっきから何!?天然パーマになんかうらみでもあんの!?」
「ヤブ医者ァアア!!銀ちゃんになんかあったら許さないアルよォオオ!!」

いや、ここ運ばれる一番の原因作ったヤツが言うな。
神楽が暴れるような気配を見せたのですかさずに新八が神楽を押さえ込むと、言った言葉が耳に障ったのか、久坂はぴくん、と、その形のいい眉を吊り上げた。

「誰がヤブですか、変な言いがかりをつけるとあなたのその生ッ白い肌に石油塗りたくって皮膚呼吸ができないようにしますよ」
「ならこっちはお前の体中にス昆布貼り付けてじいやの脇よりすっぱくしてやろうかぁァアア!!!」
「どんなケンカだよ!ちょっと二人とも!一応病人の前なんだから静かにして!!」

なんでいつもいつも自分は仲裁役に回らなければならないんだ、と悩みたくなる志村新八青春真っ只中。同じ仲裁でもならば自分をめぐっての美女の争いの、とかの方がいい、あ、お通ちゃんをめぐってもいいかもしれない、なんて暴走しかけた脳みそ。早くも現実逃避の片道切符を買いかけた。

「いや、ホントまじで喧しいんだけどお前ら…何?ここは未成年の主張の場ですかコノヤロー…」

しかし、テツ○ウとメー○ルが永遠ハッピーエンドの旅を続けられなかったように、妄想特急も停車する。それも、死んだ魚のような目の男のやる気のない声で。

「銀さん!!!」
「銀ちゃん!」

無事でよかった!と銀時にダイビングして、軽い絶叫。もう一回治療が必要かもしれない。銀時はあー、とだるそうに首を動かして、ハタッ、と、久坂を見つめ、止まる。

「あ……?アレ、お前……か?」

久坂玄水、を、見て銀時は「」と呼ぶ。

「え、知り合い?」

新八はメガネを直しながら、銀時と久坂を交互に見つめるが、再会、にしては久坂の表情に変化はない。

「人違いでしょう」

きっぱり切り捨てて、カチャカチャと広げていた治療道具を片付け始める。しかし、それで引き下がれば銀時は、銀さん、ではない。

「いや、お前みたいなのは一人で十分だって、何、お前、あの金魚またでっかくなってんの?」
「金魚じゃないです、鯉です」
「やっぱじゃん」

あ、と久坂は声を漏らしてベッドの下に隠れるように入ってみるが、銀時が足首を掴んだのでそうもいかない。

「暴力反対です」
「暴力じゃねぇ、愛だよ、愛」

そんな愛はいりません。と、なんだこれ、漫才?

何か事情がありそうなので、新八と神楽は先に帰ることにした。
どうも、昔の銀さんを知っている人のようだったから、別に、二人きりにしても大丈夫だろう、と新八。神楽は何か心配そう(というか、家に帰ったところで食料は何もない、ならここで病院食、出るのかわからないが、それをアテにしたかったのかもしれないが)に何度も振り返った。

「銀ちゃん大丈夫アルか」
「平気だよ、久坂玄水っていったら昔は有名なお医者さんだったし」
「そうじゃないこの駄目メガネが」
「ンだとコラ、メガネ馬鹿にすんじゃねぇ!!」

殴りかかるように神楽の胸倉を掴んだ新八を、神楽はいとも簡単に投げ捨てて、ぼんやりと空に浮かぶ少し早め、夕方のお月様なんて見上げながら呟いた。

「あの女、うちのクソ兄貴とおんなじ匂いがするネ」



++++




は、松陽先生がどこからか連れてきた子供だった。当時すでに天人がいて、西郷だが東郷だかが暴れて戦争もそれとなくあって、孤児は珍しくなかったのだけれど、松陽先生は、孤児を引き取ったことはなかったはずだ。
だから、も孤児ではないのだと、銀時はぼんやりと思っていた。しかし家族はいないのだろうなとも思っていた。

最初にに会ったのは、銀時で、最初に交わした言葉は覚えていないが、この子供には名前がないのだよ銀時、と松陽先生が言うものだから、じゃあジョリアンナ、と言うと、当時はまだ名前のない子供が心底嫌そうに泣いて、松陽先生が、、という名前をつけたのだ。



松上村塾の廊下をパタパタ走る音がする。なんだ、と振り返ればそこには泣き顔のが服をドロだらけにしながら走ってきた。
「銀兄さんっ」
「なにやってんの、オマエ」
「高杉さんが、またいきなりわたしの背中蹴ったんです!」
「愛だって先生がこの前言ってたぞ」
「そんなドメスティックヴァイオレンスな愛はいりません!!」

難しい言葉知ってんなァ、オイ。お前マジで3歳児か?
ぎゃあぎゃあ言いながらは銀時の着物を引っつかんで離さない。

「で、銀さんに何して欲しいわけ?

問いかけると、はキョトン、と急に大人しくなって、じぃっと銀時を見上げたまま固まってしまった。

「おぉーい、―」

その小さな頭を掴んで「脳みそ入ってますかー」と振ると、後ろから木刀が飛んできて、銀時の頭に激突した。

「げふっ…!!ちょ、何すんだよ…!!高杉!やっぱてめェか!!!」
「これくらい避けろよ、バァカ、ボォケェ」

カス、クズ、なんて短いがしっかりとした暴言を吐いてから、反論しようとする銀時なんて眼中にない高杉、銀時の足元にいる小さな、小さなに視線を合わせるようにかがみこむ。

「おい、チビ」

びくん、との体が震える。すかさず銀時の背後に隠れるように回って、身をちぢこませた。

「オイオイ、高杉サーン、うちの子いぢめないでくれるー?」
「虐めてねェよ。なァ、。俺と遊んでんだよなァ」



(あのちっさいが、何を間違えたのか数年後には高杉と付き合っちまって、それで、祝言まで挙げかけて、俺らも戦争参加することになったっけか)


回想終了、見上げた天井にはシミもない。真っ白、ではないけれど、薬屋よりは病院のほうがイメージに合うと思った。
自分が寝かされているのはのベッドらしい。
当然か、ここは薬種を扱うただの小さな店だ。診療所の名残で診察台はあるようだがベッドといえばの私室にしかないだろう。

の部屋は、まるで昔、が暮らしていたあの場所をそのまま持ってきたようにそっくりそのまま、同じに見えた。

本棚の位置も天井の高さも壁の色も、なにもかも。まさか本棚の中の書物までもが同じだろうかと思い、しかし当時彼女がいったいどのような本を読んでいたのか、そういえば、銀時は知らなかった。

ぎこちない、空気のような微妙な、キリキリ舞い。銀時、寝台から起き上がってそろぞろと机に向かって何か雑記をしたためている久坂玄水、昔の名を、の、背中に声をかける。

「っつーかお前、何してんの。ビックリしたわぁ、何ひょっとして俺より先に江戸に住んでたりして」
「私が来たのは、ほんの、数年前です」

あなたがいつからいるのかは知りませんが、とは付け足して、もう一度筆を動かし始めた。

、久坂玄水の昔の名前は、今はいったいどれくらいの人間が知っているのだろうかと銀時はぼんやり考えてみる。
そういえば、になる前の、元々のコイツの名前はなんだったか、と思い出そうとするのに思い出せない。昔の、名前、いや、違う、そういうのではなくて、なんだっけか。

「あ、そう。で今は薬屋かぁ…そういや、お前昔っから薬草とかそういうの得意だったもんなァ」

何かを思い出そうとすると頭痛がするので、銀時はぽりぽりと頭をかき、寝転がったままを見つめた。

「お前、変わったなァ。なんつーか、背、伸びた?」
「銀時さんは相変わらずダメ人間ですね」

ぴしゃり、と冷たいお言葉。

「いや、ダメ人間じゃないって、ちゃんと会社経営してるし。ほら、万屋銀ちゃん」

はい、と名刺を渡されては一瞬呆れたような目で銀時を見た。

「何でもの屋はフリーターと同義語なんですよ」

なんてさらりと言って名刺を机の上に放る。興味がもたれなかった四角い紙は古びた道具のある中で妙に白さが違和感立って仕方がない。

「フリーターじゃないって、ちゃんと社会人。社員もいる。立派な中小企業じゃねぇか」

そういうのはお給料ちゃんと僕らに支払ってから言ってください、とか、新八が聞いたら突っ込みそうな言葉、実際銀時の耳にはなんとしなしに聞こえてきて、もそれを察したのか、一度とん、と雑記帳を閉じてから、それで初めて銀時の目を見て吐き捨てた。

「銀時さん、最低」

昔は自分の後ろをトテトテついて「銀兄さん」なんて微笑んでくれた可愛らしい妹文にそんなことを言われて、さすがのダメ人間の代表も、正直、ちょっと落ち込んだ。




++++



夜半、こんこん、と扉を叩く者がいる。さすがに妹のように思っているのベッドを自分が占領するのはどうかと思い、銀時は床で寝ることになった。
その、銀時の耳にもハッキリ聞こえる怒声の混じった、音。
ドンドン、というよりも、ガンガン、ガガガガガ!!である。

「あー、何だよ、こんな時間に」

煩くなって、銀時が体を起こすと、ベッドの上で既に身支度を整えているが長い髪を簪一本で起用に結わき上げているところだった。妙に手馴れている。

「オイ、お前まさか、借、」
「借金取りとお付き合いなんてありませんから」

ぴしゃり、と銀時の言葉を遮り、はステン、トトト、と足音を立てて出て行く。心配だからついていこうかなぁと思ったけれど、一応、一人暮らし、ということになっている久坂玄水の家に、誰かいたら、それだけで怪しまれたり、するかもしれないと、銀時は珍しく気を利かせた。
けれど、だからと言って、かわいい妹分を放っておく気はなく、そっと、窓の外から門の前の様子を伺うことにする。

見覚えのある、黒い制服の連中だ。聞き耳を立てて、聞こえる声にも、覚えがある。

「真撰組、御用改めである」「改められることなんかありませんよ、あ、そうだ、改めるなら後日改めてください」「そういってもう二度三度改めてんだよ、先日来た時にゃ『猫が屋根から落ちたので今治療中です』だったなぁ…何だァ!今回の言い訳は何だァアァアア?!!」「鯉の産後のひだちが悪いので男性の方はご遠慮ください」
「上等だぁコラァアア!!!テメェいい加減にしやがれってんだ!!女だからって容赦しねぇぞ!!」「土方さん落ち着いてくだせェ、毎回毎回このペースに乗せられて未だに敷居をまたいだこともないってのは確かに恥ずかしいったらありゃしねぇですケド、相手は女だァ、もう少し優しく扱ってくだせぇ」「あら、まぁ、そう言いながらバズーカー構えていらっしゃる」「俺ァガキなんで、女の扱いなんて知らねェや」

なんて、会話だ。それで、ドガン、と一応門は軽く破壊されたのだけれど、それで、が怯んだかといえば、そういうことは絶対になさそうだ。
何事かと土方が言葉の押収をして、が最後に何か、懐から小さな紙を見せて「いいんですか?」と言うと、土方が苦虫を潰したような顔をしながら、タバコを吐き捨てたのが、見えた。

けれど、それで、何故だか騒動は終わってしまったらしかった。
は丁寧に、去っていく真選組の連中を見送り、戻ってくる。

帰ってきたを、廊下で迎えると「覗き見は関心しませんよ」なんて、別に本当は気にもしていないくせに、社交辞令(?)でそんなことを言われた。銀時は「喉渇いちまって、眠れねぇんだよ」と、子供のような返事をした。
そうしたら、が「お茶でも飲みますか」と、その、言い訳がさらに悪化するようなことを平気で言う。

そういえば、のお茶、を飲んだのはもう何年も前で、懐かしくて、銀時は「頼むわー」と気だるげに答えてしまった。

それで、二人で台所に移動する。

「おい、。お前、真撰組に目ぇ付けられるなんて何かしたのか?」

あの集団は個別に見ればお気楽集団だが(いや、集まってもバカさ加減は増すが…)仕事をしている面では本気でプロの武装集団だ。
背後には幕府という大きなものが控えている連中に、目をつけられるとしたらテロリストや何か密売系にこのが手を染めている、と言うことだろうか。

「どう思います?」
「…してる、わけねぇか。ヅラじゃあるまいし」

が、そんな根気のいるものをできるわけがない。
信頼とか、そういう以前に、はそういう生き物だ、と銀時はよく解っているので、なんだ、と言うようにガシガシと自分の頭をかきながら呟いた。

「そうそう、その通りですよ。あーゆー面倒くさいことはヅラさんとかがやってればいいんです」

コロコロとも面白そうに笑って、コポリコポリと急須を傾けて、お茶を注ぐ。色は紫だ。

「え、何コレ」「面白そうだから作ったんです」「昔っから、銀さんよく言ってんだろうが。意味わかんねぇモン飲ませんじゃねぇよ」「いや、銀時さんなら気合で飲んでくれますよ」「坂本がバカになったのはテメェの茶を飲んでからって知ってっか?」「坂本さんは元々バカですよ」なんて掛け合い漫才?

秘密兵器か、「お茶請けです」と江戸でも美味いと評判の外村屋の饅頭を差し出しながらお茶を勧める。
それで自分はちゃっかりちゃんとした緑色のお茶なんて飲んでいるのだか、銀時は冗談抜きでこの女を張っ倒したくなった。



++++


それで、半刻ほど。再び寝室をそっと抜け出して、
やけに長生きする鯉たちに餌をやりながら、ぼんやりと月なんて眺めていた。

銀時がこの江戸に来ていることは知っていた。
最近では桂もこちらに来ているのだと聞く。どうも、どうして数年間、全く関わらなかった彼らが再び、縁の糸でも意図的に辿ってきたのか、近づきあっているような、気がする。
それにしても真選組の連中はどうしようか。
まぁ、彼らは何も知らない。知らないまま、で構わないのだろうから、それほど危険視することもないだろう。

「お前、なんで江戸に来た」

思考にふけっていた所為か、それとも親しすぎる銀時の気配には気付けないのか、いつのまにか、すぐ傍に銀時が立っていた。
しゃがみ込んで、銀時は池の鯉を眺める。

「別にお前なら江戸じゃなくたって生きてけるだろ。むしろ、山奥の方がしょうにあってんじゃねぇの?」
「……いろいろと、思うことがありましてね」

ぽつり、とは呟いて、鯉がさわさわ泳ぐ池に、浮かんでいるお月様なんて眺めてみる。ゆらゆら揺れる鯉によってお月様がゆらゆら揺れる。その、不安定さ。

「何?悩み?銀さんに話してみなって、解決はしねぇけど参考にはなるよー」
「欲しいものがあるんです」
「ハーゲン○ッツとか?」

女の欲しがるものはわからなかったが、身近なところで考えて口に出してみると、やっぱりには似合わないような気がして銀時は鼻で笑い飛ばしたくなった。しかしはその、銀時の軽口にニコリともせずに、残っていた鯉の餌を、なぜか、庭にばら撒く。

カァカァと、真夜中なのに、眠っていなかったらしい、カラスの群れがバサバサと庭を埋め尽くして真っ暗闇が真っ黒く塗りつぶされるようだった。

「お前の欲しいものって何?」

の白い背中を眺めながら、銀時はその姿がぼんやりと消えてしまいそうな気がして見失わないように、つとめて平静の声を出し、聞いてみた。真っ黒、黒の、鴉をぼんやり眺めていた、は、白いユラユラ揺れる自分の白い、真っ白い指を口元に当てて、まるで内緒話でもするかのように、声をひっそり低音、下げて、言う。

「幸せです」

幸福に、なるために。と、は笑う。その、微笑みの、その、目は相変わらずビー球のようだけれど、その口調だけは、夜の中にもひっそり染み渡ってくれているほどの、意思の強いものだから、銀時は安心してふぅっと、息を吐き。いつの間にか自分が緊張、していたらしいことに気付いて苦笑。
まさか、まさかが将軍の首を狙っているだとか、先生の復讐を願っているだとか、そういうことを言い出すわけがないと、わかってはいたはずなのに、それでも、最近物騒なことが何かと多い、この街、この国。
が、変わってしまうわけがないと信じているのに、不安はあったり、するのだ。

「幸せ、ねぇ」

いいんじゃねぇの?と銀時は言って、立ち上がり、の見ている、鴉の群れを自分も見てみた。

「幸せか」
「はい、幸せです」
「いいんじゃねぇの?」
「先生と約束しましたから」

ピタリ、と、空気が止まった、ように思えた。銀時はギクリ、となぜだか、身を震わせて、の顔を見る。なんで、だろうか。昔はあれほどに、優しかった「先生」という名前も、なぜだか、この、戦争が終わってから、聞くと、思い出すと、なぜか、銀時は恐ろしくなった。
今でも、先生の優しい、あの面影が消えているわけではない。思い出す、先生はいつだって優しいのに、なぜだ。

と、考えるまでもない。銀時は、あの頃、先生を失った、そのために、酷いことをした。酷いことを、する生き物になれた。だから、だろう。先生、は悪くない。ただ、先生、が引き金になることによって、起きたことを、銀時は未だに、まるで嫌なトラウマに触れられたかのように、ギクリ、となる。のだろう。

「約束しました。いつも、先生は言っていました。わたしには、幸せになって欲しいって。わたしは、先生の夢は叶えられなかったけれど、でも、だから、先生の願いは叶えたいんです」

だから、幸せになりますよ、と微笑む。銀時は、動悸・息切れ・眩暈、なんて症状と戦いながら、やっぱり「いいん、じゃねぇ、の?」と返した。

「いいでしょう?」

は微笑む。
それで、ゆっくり、銀時を振り返った。

「だから、あなたも幸せになってくださいね、銀兄さん」

ねぇ、銀兄さん、と。
あの頃のように、が銀時を呼んだ。無性に、懐かしく、なる、この湧き上がってくる慕情はなんだろうか。


Fin

(2007)