目の前に出された奇妙な色の飲み物に、山崎は冷や汗を流して全力ダッシュしたくなった。が、ガシッ、とその襟首を久坂に掴まれる。

「どこに行くんですか、山崎さん」
「いえ、ちょっと用事を思い出しまして……」
「慌ててはいけませんよ、さぁ、お茶でも飲んでゆっくりなさい」

これお茶ですか。なんかシュウシュウ怪しい色の煙出しているんですが。山崎が見る湯のみはごくごく平凡な作りのもの、けれど、その中の液体は、なんでこんな色が出せるのか不思議な、なんと言うか…コレ、何色?

「昨日の夜思いついたんです。玄水スペシャルミックス風味です。効果は肩こり腰痛胃の痛みを、あまりのまずさに感覚を麻痺させて紛らわせてくれます」
「何の効能もないじゃないですか!!それ!っていうか、昨日起きてたのってこれ作ってたんですか!?」

細かいことを気にするとハゲますよ?と心底心配そうに眉を寄せて見つめられ、山崎は頭を抱え込んだ。

(やっぱヘンだよこの人。っつーか副長!マジでこの人攘夷浪士と関係してんの!?こんな人攘夷浪士だってはだしで逃げ出すって!!)

「山崎さん?」

あぁああぁああ、早く帰りたい、というか、もう、ミントンでもして現実を忘れたい、と葛藤する山崎の耳に、心底、寂しそうな久坂の声。

「ひどい…飲んで、くださらないの?」

何が酷いのかわからないが、なぜか、薄幸の美少女のように辛そうに眉を顰められて、さすがに、これで「嫌だ」と言える男はいない。とくに、真選組の芋サムライたちは基本、女性には弱い。目じりに涙さえ浮かべられればもう、山崎はこう、言うしかなかった。

「男山崎、逝かせて頂きます!」
「まぁ、すてき」

先ほどの泣き顔はどこへやら、パン、と手を叩いて微笑んだ久坂。同時に上がる山崎の断末魔。
久坂薬局は今日も平和そうです、と作文のように遺書?を脳内で書きながら山崎が悶絶していると、ぴくん、と久坂が顔を表に向けた。

「……何か、煩いですね」
「え?」


外が騒がしい、と久坂が言い、二人で様子を見に行くことになった。人と関わるのが面倒なわりに、久坂はこういう、騒動をやたら、野次馬したがるのだと山崎は気付いた。面白そうに、トテトテと音のする外へ向かう、久坂の背中にはユラユラ揺れる色素の薄い髪の束。ひと括りにしているが、簪やら何やらで飾れば美しかろうなと思われる質をしている、のに。もったいないなぁ、と京の女、遊郭をそれなりに嗜んできた山崎はぼんやり思った。



+++



「なんの騒ぎです?」

久坂薬局のすぐ近く、に、人ごみが出来ている。ガヤガヤと騒いでいるその人ごみをひょいっと久坂が覗き込めば、山崎も見覚えのある顔が見えた。

「あ!久坂先生!大変なんですよ、さっきここで小火が出たんで」

幸いすぐに消し止められたのだが原因は放火、犯人はまだ捕まっていないらしい。久坂に話しかけたのは薬局の数少ない常連で、商店街で煙草屋を営んでいる老人だ。はげ掛かった頭に、いつも浅黄色の着物を着ている昔ながらの江戸っ子だそうだ。

「この辺りは、住居が隣り合っていますし、長屋も多いですから、一つが焼けたらそのまま連鎖で酷いことになりますね」

山崎はぐるりと当たりを見渡して、冷静に言った。せめて堀や土の壁でもあれば防げるだろうが、本当に火災になったときに、この辺りは全焼してしまうだろう。少し前にも放火魔が出たことがあったが、あれは歌舞伎町での話しだ。この、久坂薬局のある周辺は、昔ながらの小さな商店街に、基本住居の場所である。放火をしても華やかさはなく、人が死んで罪が重くなるだけだ。
では、なぜ放火など、と山崎の思考がそちらに向きかけたとき、人ごみの中で嫌に、悪意のある声が上がった。

「大方、誰かの家を狙ったんじゃないのかねぇ」

鋭い声の先に山崎と久坂、それに老人が視線を向ければ、博打打ちという風体の青年がニヤニヤと久坂に視線を向けていた。

「ここにゃ、厄介なお人がいるからねぇ」

悪意のある視線が久坂に向けられた。久坂はその視線を受けて僅かに、眉を顰めたようだった。

「久坂センセイでしたっけか。何をしでかしたか知らねぇが、お上に目をつけられてるアンタだ。何か、ヤバイことに俺たちを巻き込まないでくださいよ」

まぁ、無理もない疑いだろうな、と山崎も思う。争いごととは無縁の環境に、何か問題が起きたとすれば、何か異質なものが疑われるだろう。久坂はまさに最適の話題であり、山崎だって、攘夷志士か、幕府の過激な人間が放火をして久坂を亡き者にしようとしているのかもしれない、と考えた。
青年の疑惑が周囲の人間にも伝わったのか、久坂を見る視線が厳しいものになる。

「言いがかりを…!このガキが!久坂先生はなぁ……!」

老人が久坂を庇うように声を上げるが、その声を久坂が手で制した。

「でも、先生……!」

久坂は静かに首を振る。それは、無用の争いを嫌うようでもあり、否定をしないようでもある。老人は前者に受け取り、青年は後者に取ったようだ。しかし、静かな久坂の様子にいらだったのか、その逞しい腕を振り上げて、久坂を掴みあげる。

「大体俺はアンタがここに住むのだって我慢ならねぇんだ!最近は物騒なテロも続いて、真選組の連中がアンタの周りをかぎまわってるそうじゃねぇか!」

(まぁ、平和に生きたい連中からすれば当然の感情だろうなぁ、俺だって、同じ立場だったら怖かったかも)

自分の日常が壊される、のは恐ろしいものだ。山崎は青年の怒り、ではなくて恐怖に同調した。真選組が何か、しらの影響によって壊されたり、変わってしまったりすれば、山崎はその何か、しらへの憎悪を抑えられないだろう。そういう、ものだ。
さて、このまま久坂が締め上げられて何か自分を弁護する言葉でも吐いてくれれば、そこから結局、彼女が黒なのか白なのかを判断できそうだ、と山崎は期待した。
のだかが、無骨な青年が乱暴に、久坂を壁にたたきつけた瞬間、山崎は自分の意思なのか、違うのかはわからないが、いつのまにか、がしっ、と青年のいかつい顎を山崎が掴んで、吊り上げていた。

(あ、れ?)

一瞬自分の行動に驚いても、それで、この状況が変わるわけでもない。しかも、口からはスラスラと言葉が出てくる。

「あの、止めてもらえませんか?」

申し訳なさそうな顔と声で、しかし、手だけはギリギリと力強く男の顎を掴みながら山崎は言う。

「ほら、久坂さんがそんなことするわけないじゃないですか?あんまり変なことを言うと、おっかない真選組の屯所にでも突き出しますよ」

ねぇ、とあくまで下手にいるような声音で言うと、青年はおっかなそうに山崎を見、コクンコクン、と人形のように何度も頷いた。

「よかった。あ、俺最近久坂さんのところでお世話になってる者です。これからもよろしくお願いしますね」

にっこりと笑って、それから青年の顎を離して地面に叩きつけると、しりもち、悲鳴、青年は一目散に逃げていった。その背後を、老人がどこから出したのか塩なんて振りかけて「おとといきやがれ!このごくつぶしがぁあ!」なんて怒鳴っている。

「あの、大丈夫ですか……?」

突き飛ばされた久坂に駆け寄って、山崎はハンカチを差し出しながらおそるおそる、聞いた。

(思えば、おかしな状況だ。久坂玄水を疑っている自分が、彼女を庇った)

「えぇ、大丈夫。疑われるのは慣れていますから」
「……」

にっこりと笑った久坂は、本当に気にもしてないようで、それがいっそ、奇妙だ。普通であれば、隣人からいわれのない疑いを向けられれば久坂のような年頃の少女は恐れ、困惑するものではないのか。

「慣れてるって……でも、本当は無実なんでしょう?どうして、」
「言って信じてくれるのなら、言います。でも、信用する気がなく、疑っている事実が証明されることを望んでいるひとには、言っても無駄でしょう」

パンパン、と久坂は立ち上がって着物についた埃を払う。

「どのみち、関わることがない人です。好きなことを信じればいいんですよ」

さぁ、帰りましょうと薬局に向けて歩き出した久坂の顔はもう先ほどの出来事など頭の片隅に追いやっているようだった。なるほど、と山崎の密偵としての冷静な部分が分析をした。久坂は、人に関わらない。関わらなければ、相手が何を思っていようが、関係のないことなのだろう。ブラウン管の向こうでファンがアイドルをオカズにしていようが、歌っているアイドルは知らなければ何も関係のないことだ。いや、たとえが極端か。

「山崎さん?」

歩き出さずその場にたたずんでいる山崎を、久坂が振り返って呼んだ。

「帰りましょう、この辺り、最近は物騒だそうですから」

かけられる言葉は山崎の身を案じてくれていて、優しい。それでも、久坂はきっと、先ほどの男と、山崎に対しての距離は同じなのだろうと思い、なぜだか、少しだけ、息が苦しくなった。


 

 



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・山崎ブラック。