連日連夜、何事もない、というのは怪しすぎると、疑う監察としての自分がいる。どうしても、久坂は白であって欲しいと思うのに、疑い、何も出てこなければ嫌だと、根掘り葉掘りあら捜し、をする、自分が、気味悪くてどうしようもない。
(のに、こうして、毎晩屋根の上から、久坂薬局を訪れる攘夷浪士がいやしないかと、待っている自分がいる)
覆面をした黒い忍び装束、の山崎はひっそり息を吐きながら、どうしようもない、自分の性質に振り回されていた。
時々、出てきてしまう、己の中の、酷い自分。数日前に万屋の旦那に向かっても、“山崎退”らしからぬことをしてしまった。まぁ、あの旦那は何かと修羅場なりなんなりを潜り抜けているらしいから、人の二面性など、見たところで驚きもしないだろうけれど。
(こっちの俺を、久坂さんに知られたら、俺は舌噛んで死ぬな)
いったいいつから、こんな風になってしまったのだろうかと、ぼんやり、雪洞のように浮かぶ大きな満月、眺めてひっそり、ひっしり、思う。真選組に入って、いろいろ、怖いことがあって、いろいろ、諦めないといけないことがあって、それで、いつのまにか、覆面を被って、顔を半分隠して、さえ、いればどんな酷いことでもしてしまえるようになって、それで。いつのまにか、覆面をつけていなくても、最近、自分の中の黒い生き物がひょっこり、まるで当たり前のように顔を出して、くる。
もし本当に、久坂が攘夷浪士たちと係わり合いがあれば、捕まえなければならない。細かな関わりを、調べるために尋問、拷問を、しなければならなくなる。あの、優しい、とても、儚い笑顔を浮かべる人にそんな酷いことを、したくはないのに。なのに、自分は、彼女が黒でなければ、納得しないのだろう。
思考回路がいい加減ネガティブ、最悪なドアを叩きまくってしょうがなくなるのに、ふと、山崎の目の端に、ゆらゆら、何かが移った。
「……」
あれは。山崎が視線を止めたのは、薬局の裏口に集まっている数人の、浪人だ。これは、まさか久坂と係わり合いか?とようやく手がかりを見つけられて山崎はほっと息を吐いた。
そろそろ、ここを出なければ染まってしまいそうな自分くらい、自覚している。いくら任務だなんだと割り切っても、割り切れない何かが久坂にはあるのだ。
浪人たちはなにやらヒソヒソと小声で話し合っている。
「火を、つけようとしているのか?」
怪しい浪人の一人が、手に小さな火種を持っていた。まさか、最近この辺りで頻繁に起きている放火は彼らの仕業か。
こうして、久坂をピンポイントで狙うのは、やはり、何かあるのだろう。
では、彼らは久坂とツナガリが、あるわけではないのか。やや残念に思い、このまま放火されては面倒と山崎が屋根から下りて浪人たちを捕らえに行こうと思考を切り替えていると、なにやら気配を感じたのか、久坂が離れから出てくるのが見えた。
(ヤバイ…のかな?)
浪士と久坂はまだ、お互いに気付いていない。けれど、気付けば、どうなるのか。見たいなぁ、と思うのは一瞬だ。久坂がばたり、と浪士たちと遭遇、してしまった。双方の間に走る、緊張感。
「あなたたち……」
すぐに、久坂は懐刀を取り出して応戦する、がヤバイお茶や薬は作れても、剣などろくに扱ったことのない細腕、持った脇差もすぐに飛ばされて、浪士たちに押さえつけられた。
当然だ、なんであんな無謀なことをしているのだろうと、山崎は屋根の上からぼんやり眺める。
「貴様が久坂か」
三人いる、浪士たちのうち、主格らしい背の高い男がスラリと長い刀の刃を、久坂の喉下に押し付けた。
「かつては攘夷志士たちと志を共にしたお前が、今は幕府と通じているとはなんとも嘆かわしい。かつての仲間たちに悔いて、死ぬがいい」
(ヤバイ、やばいよ、な?これ、やっぱ)
このままでは、久坂が殺される。けれど、好都合、なのかもしれない。攘夷志士に殺された、ということは、久坂は攘夷志士との関わりはない、ということになる。それに山崎もこれで任務が終了して、真選組に帰れる。いやぁ、久坂が白でよかったよ、と、自分を安心させられる。
久坂が幕府と内通しているのなら、それはそれで、いずれ真選組にとって厄介な人物になるかもしれない、なら、ここで見捨てるべきだ。
久坂が浪人の一人に、殴られた。何か言ったのだろう。小さな声だったので山崎には聞こえなかった。また、殴られる。今度は乱暴に、髪を引っ張って持ち上げられていた。
ガクン、と膝から崩れ落ちて、だらしなく吊り上げられたまま、眉を顰めている。
「お前の死体を見れば、幕府も志士たちの誇り高さを思い知るだろう」
山崎は無言で、飛び出した。手に、しっかりとクナイを握っている、自分が何をしようとしているのか、本当に、不思議だ。
(何、してるんだろ、俺)
++++
「大丈夫か」
山崎の声を知られているので、故意に声を低くし、作り声を使った。泥だらけになった久坂は、黒尽くめで覆面までしている不審な男を見上げ、それでも悲鳴を上げることはなかった。
じぃっと、山崎を見上げるその目は、どこか、恋情を含んでいる。その目にどきりと、山崎は場を忘れて、何か、思った。けれど、久坂が次に口に出した名前に、すぅっと、能が冷えた。
「高杉さん……?」
高杉晋助、攘夷志士の中で最も危険な男。真選組の監察方として何度も、山崎はその所在を調べようとして、結局、あの男に近づくだけ、恐ろしいことになると、思わされただけだった。その、恐ろしい男を、久坂は「高杉さん」と、嬉しそうに、いや、泣き出しそうな顔で呟いて、それで、そっと、山崎に抱きついた。その手が震えている。幻でも掴んだというのか、その、動揺に、同様、したいのに、冷静な能はぼんやり、この女があの男の愛人だかなんだかなら、利用できるとか、そういうことを考えているのだ。
「俺は、」
何を、言おうとしているのだろうかと山崎は自然に出る自分の言葉の続きを待った。しかし、その前に、久坂が山崎の胸から顔を上げて、そっと、首を振った。
「……違う、そんな、わけ、ないですよね」
ごめんなさい、と久坂は目じりを拭って、離れる。その顔は寂しい横顔だった。自分が、高杉ではなかったことが、申し訳なくなってくる。けれど、呼ばれた名前が己ではなくて、腹立たしくもなってきて、それで、どうしようもなく、なって、山崎はすぐさま去ればいいのに、口を開いてしまった。
「……なぜ、江戸にいる。命を狙われているのなら、江戸ではなく、どこか山里に入ればいい。なぜ」
ふわりと、久坂の長い長い髪が、揺れて、ふわりふわりと、笑顔を浮かべた顔が、山崎の言葉を止めた。
それでも、何か言いたくて、山崎はなんとか続ける。
「……死ぬぞ」
ここにいれば、殺される。山崎でなくても、そう思うはずだ。昨今相次ぐ小火騒ぎ、近所の住民から白い目で見られ、あからさまに迫害されるようになるまで、そう時間は掛からないだろう。その上、真選組からも(まぁ自分だが)狙われていて、幕府からも、目を付けられている。そんな、状況でどうして、あえてここにいるのだろう。
「死にませんよ」
「根拠がない。君はこのままでいれば、殺される」
「絶対に、殺されません」
何を言っても、無駄なのか。それとも、何かを、考えた結末のことなのだろうかと考えて、山崎、覆面の下でぎゅっと唇を噛み、久坂を振り払って、後ろに大きくとんだ。
「助けてくださって、ありがとうございました」
ぺこり、と久坂が丁寧にお辞儀をする。そして、くらり、と、その体が倒れた。疲労、心労、傷、怪我、なんでも、理由になりそうなほど、だったのだと、山崎はやっと、気付く。
「なんで、こんなになってまで」
そっと、その細い体を抱き上げて、山崎はそっと口元の覆面を下ろした。今も足元に転がっている攘夷志士たち、彼らは、山崎が現れ、かなわないと悟ると即座に奥歯の下に隠してあった小さな毒袋を突いて死んだ。何も解らず、ただ、久坂が狙われた事実だけが残った。
彼らは本物の、覚悟を持った攘夷浪士たちであった。その、危険な人物になぜ久坂が狙われなければならなかったのだろう。そして、高杉晋助を、なぜ、焦がれたように呼ぶのだろうか。
(彼女は、いったい……)
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・やっま、ざっき、さーん!山崎さんは真選組で一番真面目だといい。
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