日課、いったい何年生きる腹積もりなのか悠々自適に泳ぐ池の鯉、餌をばら撒いて久坂、はぁっと溜息を吐いた。本来なら昔からの、日課。どれほどに時間云々過ぎようとも変わらぬ、一つこの、行為、続けることが己の立場の再確認だと、そう、微笑めることのはずなのに。この、憂鬱さ。
原因などはとうにわかっている。この、連日連夜、こうも行方知れずに出かけられてはさすがに心配になるのだ。

山崎はあれから時間を見つけては「火付けの犯人」を見つけるためにあれこれと動いてくれているよう。しかし、真選組を使えるのならともかく、ただ単身での捜査で何が解るのだろうか。

(もういっそ、クビにでもして、一切関わりないようにしたほうが)

思う久坂は、どうして「放って」おくことができないのだろうと己に問いかける。信じて、くれている山崎は、勝手に信じさせておけばいい。のに、どうして。
あの弱々しく自信なさげにへらりと笑う、あの青年が己のために何かをしてくれようとしていることが、久坂には「煩わし」かった。

ぼーん、ぼん、とあの火事の火から、久坂の薬局は誰も訪れる者がなく、さらに時折嫌がらせのように、何かしらの騒音、廃棄物がやってくるのだけれど、別段、それは「煩わしく」はないのだ。

ふぅっと、久坂は息を吐いて、手に残った餌を庭にばら撒いた。カラスたちがやってきて、お互い奪い合うようにして啄ばんで行く。地面すら抉り出すのではないかと言うその勢いに、なんだか、地面に隠してきたいろいろなものが、掘り返されてしまうのだろうと、ぼんやり思った。

まだ、山崎は帰ってこない。久坂はあまりここから出たくはないから、山崎がどこぞで何をしているのか、興味もない、はずなのに。どうしても、気になる、のはどうしてか。餌がなくなった、鴉たちがぎゃあぎゃあ騒ぐ、そして飛び立つ。再び沈黙に、久坂が俯いてしまいそうになると、ガタガタと、屋根から何か、落ちてきた。

「ぁ……!!!!!」

山崎さん、と、呼ぶこともできない、久坂の動揺。どさり、と縁側に落下した山崎に駆け寄って、懐から出した、蛍火でその顔、体、手足を確認する。

「あ、久坂さん。すみません、遅くなって」

真っ黒い装束、ではなくて、久坂薬局にいつもいる、ごく普通の和装の山崎は、買出しに手間取って遅れた、ような気安さで笑う。というのに、その腕や頬には酷い傷だ。彼は手だれのはずである。というのに、この負傷。

(黒幕は、あの男。あの男の声の掛かった連中が、雑魚のはずはないけれど、それでも、この人が傷つくとわたしは解っていなかった)

「……もう、お止めください」

搾り出すように呟いて、久坂は山崎の傍らに座って、懐から手妻のように小さくした包帯やら薬やらを取り出し、並べ、山崎の着物に手をかけた。

「え、あ、あの」
「酷い臭いがします。血の臭いを誤魔化すために、どくだみなど……」

山崎は沈黙して、へらり、と、笑った。

「すみません」
「もう、止めてください」

いったい、わたしの無実を証明などしてどうするのだろう。そんな、ことに意味などあるのか。それで、何か変わるのか。久坂は、だぐだぐと血の流れる山崎の体を止血して、薬を塗る。己に医者の心得があってよかったと、思えて、久坂は唇を噛んだ。

「もう、止めてください、死んで、しまいます」



+++



「すみません」

そう、繰り返して、山崎は俯いた、小さく震える久坂の頭を撫でた。どうしたって、きっと、この人を救うことはできないのだろうと、何となく最近、ぼんやりと山崎はわかってきてしまった。この人を救うことは、きっと誰にも出来ないし、救うにはきっと、いろんなものを、自分は抱えてしまっている。けれど。

「俺は、あなたが無実だっていうことを証明したい」

ここにいるのは潜入捜査で、自分の身分は嘘まやかしで、何度か彼女には嘘の笑顔だとか、そういう、確かではないものを向けてばかりきたけれど。けれど。今、この、時にまるで、宝石のかけらでも吐き出すように、大事に繋いだ言葉は「ほんとう」だ。山崎はじっと、久坂を見つめて微笑んだ。

(自分がどうして彼女を助けたいのだとか、傷つくのが嫌だとか、そういうのを思っていたのか、認めてしまえば、単純だ。俺は、)

彼女が、無実であって欲しいのだ。そうで、あってほしい、という、願望。その根底にあるのは、柔らかな花の色のような、感情だ。

「あなたを信じたいんです。だから、、さん」

大切に、いつだったか万屋の旦那から聞いた久坂の名を呼んでみる。初めて、呼んだ。どうして今の今まで呼べなかったのか不思議なくらいに、自然に口に出る。

ひゅっと、久坂の喉が鳴った。はっと顔を上げて、驚いたように目を見開き、山崎を見上げる。その、目はいつものようにビー玉のように透き通っていても、ぼんやり、とはしていない。硝子球の中に、何か、炎でも閉じ込めたように、揺らめいている。

「俺に、あなたを信じさせてください。あなたは無実だ。あなたは、」
「山崎さん、お願い、どうか、」

言い続ける山崎の顔をがはたいた。ぺしり、と、それは弱すぎて、草でも掠ったような、力だ。はまるで己が打たれたかのように青い顔をして、わなわなと唇を震わせると、消え入りそうな、か細い声で、続けた。

「わたしに、近づかないでください」

そろそろと、恐れるように山崎から顔を伏せて、弱々しく首を振ったが山崎、心底愛しく思えて、それで。そのまま抱き寄せられたらどんなに良いだろうと思うのに、それをすることは、今の自分には出来ないと思って、ぎゅっと、拳を握り締めた。

彼女を大切だ、信じたいとは思う。心底、想っているのに、それでも、自分が真選組の隠密としてここにいる事実は消えなくて、それで、だから、どれほどに想っていても、無実を信じているとしても、結局、彼女を抱きすくめることはできない。

自分は卑怯だ、と思う。彼女を信じさせてくれ、とは言うのに。彼女には正直であってくれと、言うのに。自分を信じてくれ、とはいえなかった。後ろめたくて、どうしようもない。

(信じることと、信じてもらうこと、簡単な方ばかり俺はして、いるんだろうな)

認めてしまえて楽になって、それで、その思いをに言えば、ただ、は困るだけなのに。



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・やっまっざっきさーん。え、なにこれ告白シーン?いえ、まさか。気付く男と、気付かない女、です。(07/7/9 22時2分)