崩落、寸前、その、跡に



情報を貰った礼として、は蒼穹の守る神社で行われる攘夷志士の会合に一度だけ、顔を見せることとなった。かつて白夜叉と共に戦場を駆け回ったのもう一つの名は戦争終了後の限られた志士たちしか知らない、ある事件によって、不滅のものとなっているらしい。志士たちも詳細は知らずとも、噂に聞くの所業を伝説のように扱い、昨今の火付けになるのではないかと、蒼穹へを担ぎ出すようにと声が高まっていたのだ。
けれど蒼穹、もう二度ととは関わらないと心に誓っており、今の今まで何の連絡もなかったのだが、それで今回、蒼穹の力だけではどうしようもなかったので他の攘夷志士の力を借りて、それで、その、見返りである。

は久方ぶりに感じるピリピリとした、けれども不快ではない気にゆっくりと眼を伏せて、一室に集まった志士たちに丁寧に頭を下げた。

「修羅雪、久坂と申します」

その一言しかなかったが、荘厳な気配に一同が静まり返り、そして蒼穹のほこん、と取り繕う咳払いに、はっと顔を上げ我に返った。

再びが何事か告げようとしたか、口を開きかけた瞬間、外からけたたましい大砲の音と、鋭い怒鳴り声。


「真選組、ご用改めである!」




崩壊、寸前、その、跡に






高らかに響く声、びくり、と周囲に緊張が走った。若い志士たちが刀に手をかけるが、はそれを制する。

「待ってください。まだ、戦いになると決まってはいません」
「しかし、」
「蒼穹」

蒼穹はの呼びかけに答え、すくっと立ち上がった。彼はここの社の主である。彼が上手くこの場を乗り切れれば、問題はない、と言うこともありえる。無駄な血、争いは好まない、というのがの本心、ではあるのだけれど、ここで責めてきたのが真選組ではなかったら、自分は若い志士たちを止めただろうかと、思案して、答えに気づく前に、蒼穹に伴われて己も部屋を出る。

「皆さまは、取り決めどおりに」

言い残して、さっと、裾を翻し歩くさまはとても、久坂薬局という寂れた場所の世捨て人のような久坂玄水ではない。一歩後ろを歩きながら蒼穹、たとえ相手が真選組の鬼であろうと、この方が共にある今は、負けることなどゆるされないと、気を引き締めた。

蒼穹との出会いは至って平凡なもので。社僧隊結成から数年たった時、蒼穹が故郷を捨てて攘夷軍に入ったのを、神社の人間だからとが引き受けた。まだ刀の扱い方も何も知らなかった蒼穹を育てたのは当時の社僧隊の副隊長だが、蒼穹が守りたい、と強く思ったのはである。には、そういう、不思議な魅力があった。刀は扱えない、何かカリスマ的な魅力があるわけでもない、けれど、彼女を守りたい、と、強く思わされるのだ。社僧隊後期などまさに、そういう思想を持った集団になって、鬼兵隊の総督に煩わしいと思われるほど、隊員たちはを大切な宝のように扱った。

(その、殿がある日突然社僧隊を解散させ、行方不明になった時は心臓が止まってこのまま死ぬのだろうと、私は本気で思ったものだ)

ゆらゆら、揺れるの長い髪を眺めながら、あの頃と全く変わらぬ自分との目線の高さ、の髪、笑い声に、嫌な予感がしてきてしまう。今回とて、どうしてが自分たちに関わりを持ったのか、蒼穹はよく解らない。それでも、彼女が助けを求めてきたから、手を差し伸べてしまっただけだ。
そういうあやふやな理由で戻された立ち位置は、きっとまたあやふやになって消えてしまうのではないだろうか。

「蒼穹」
「あ、はい、なんでしょう、殿」

ぴたり、とが入り口まであと少し、の位置で立ち止まる。それで、振り返って、蒼穹に微笑みかけた。

「もうわたしを守るなどといわないで、どうか、自分が生き延びることを考えてくださいね」

それは無理な相談、と言おうとして蒼穹、その、の顔があまりにも、悲愴に満ちているものだから言葉を失い、頷きかけて、やはり、頷けなかった。を見捨てる覚悟が出来るのならば、誰も、最初から守りたい、などとは思わないだろうに、それを、どうしてもは理解してくれない。守ります、と言うととても困った顔をする。そういう、ものなのだと、蒼穹は長年の付き合いでもはや、諦めてはいた。




+++




神社の門の前、に立ち並んでいたのは大筒傍らの、真選組一同である。は一応傍観者に徹するつもりで蒼穹の背に隠れる。今日は局長はいないのか、やっかいなことに一番隊隊長と、副長がコンビでいた。
と蒼穹が現れたのを観ると、土方が高圧的に言い放つ。最初からこちらの言い分を聞く気はないのだ、と知らせるようだ。

「お前やその女、久坂玄水が攘夷浪士だってことは調べがついてんだよ」

瞳孔開いている、男の言葉に畏怖する蒼穹でもでもない。蒼穹は顔を見合わせて、はて、とやや芝居がかった仕草で首をかしげた。それでも土方は構わずに続けた。

「大方、お前は久坂と共謀してかつての社僧隊を復活させようとでもしてるんだろう。噂じゃ、あの高杉も鬼兵隊を復活させたそうじゃねぇか。こりゃ、元社僧隊としちゃ黙っていられねぇんだろ」
「ははは、鬼の副長殿。――田舎侍が、我らが主を愚弄するでないぞ」

ギン、と穏和な笑みを浮かべていた蒼穹の眼が見開かれて沖田を睨む。

「本性表しやがったか」

その殺気に本物のようだな、と土方が呟いて、後ろに控える隊士たちに何事か告げる。そしてこちらに向き直って、まっすぐ、刀を構えた。蒼穹はやはり、そんなものに怯むことなくその、顔を鬼瓦のようにいかめしくして、を背に庇った。

「無礼な。社僧隊、解散しようと志は変わらぬ、ただ主がために。不躾な犬の礼儀をわきまえぬ態度を叱ったまで。それを、謀反・反乱と決め付けられてはかなわぬな。攘夷志士どもが何を企んでいようと我らには関わりなきことだ」
「そうかい、アンタらは無実だと」
「そのように申しているのです」

じぃっと蒼穹はその真っ黒い眼で言って、下がるようすを見せない。

「それじゃあ、しょうがねぇな。おい、総悟、引き上げだ」

あっさり、土方は言い放って、ぱっと、手を振った。拍子抜かれたように沖田が眼を細めて、しぶしぶ刀を納める。

「いいんですかィ?」
「神社に手ェ出したってんなら縁起が悪くなりそうだ」

ちっともそんなものを信じていない態度で土方は言い、そしてそのまま、その収めた刀を、今度は素早く抜き取って、蒼穹の背後に投げつける。

「なっ――殿!!!」

すかさず蒼穹が身を挺して庇い、なんとか、腰に刺した木刀でそれを弾いた。

「……無礼も、無礼。さすがは、田舎の芋侍ですこと」

蒼穹の背中越しにはひっそりと、底冷えのする声を出して、土方を睨みつけた。この男が言葉そのままとは思わなかったけれど、さすがに、これは予期していなかった。はちらり、と冷たい視線を送って、土方と距離を取った。

「引き上げるのではなかったのですか」
「神主たちは無実としても、アンタにゃ上から逮捕状が出てるんでね。弁明も何も不要だ。大人しく付いてきてもらおうか」

土方が懐から出して見せた紙を細めで見て、はにっこりと、笑い首を振った。

「お断りです」
「この状況わかってんのか?あ?」
「江戸城になど行くくらいなら死んだ方がましです」
「は…?何言ってやがる、お前が行くのはまず屯所だろ」

おや、とは目を細める。逮捕状が出ている、というからてっきりあの男がそう仕向けて、この頭の良いと評判の真選組の頭脳にはいろいろ話しているのだと思っていたがどうやら、違うのか。
では土方が己を追うのは本当に、ただ攘夷志士だと、そう、思い込んでいるらしい。なんだかおかしくなってきて、はころころと、笑い声を立てた。

「事情を何も知らぬ犬がわんわん吼えてまぁ可愛らしい。おかしくて、おかしくて、吐き気がします」

言って目を細めると、土方「上等だァ、このアマ」と眦を上げた。それでがまだ何か、言ってやろうと口を開きかけるのだが、それがきちんとした言葉の形を成す前に、爆発音。

爆風に、と蒼穹が驚いて、背後を振り返った。志士達が隠れ潜んでいた場所、こうしてたちが真選組の相手をしている間に逃げるための道、のある方向から悲鳴が聞こえてくる。

「芋侍、田舎侍、犬だなんだと、罵られようが結構。俺たちゃ、俺たちの流儀で行かせてもらうだけだ」

爆風に顔を伏せ、煙草に火をつけながら土方が呟いた。おのれ、と蒼穹が歯を向いて掴みかかろうとするのを、が静かに止め、そして、真っ直ぐ、鬼の副長と評判の犬に顔を向けた。

「ご存知、でしたか」

さすがは切れ者と名高い。こちらの、ありきたりな方法は見抜かれていたのかと、、内心かなり、穏やかではない。

「アンタがこっちにくる、らしくもねぇ暴言を吐く、山崎が報告したアンタの性格にはあわねぇ。とくれば、アンタが時間稼ぎをして、中の人間を逃がしていると考えるのが道理だろう」
「おっと、動けばそのままぐさり、ですぜぃ。俺ァ土方さんや山崎と違ってガキなんでね、女相手だろうと容赦しやせん」

おかしい、との動きが止まった。この男たち、観察方、スパイとして活動をする山崎の名をどうして、こうもあからさまに出すのだろう。それに、真選組は、が山崎の正体を気付いていることを、知らないはずだ。
が疑問に思い、その答えを自分で見つける前に、蒼穹がひゅっと、息を呑む音が聞こえた。

「コイツはうちの隊士でね。潜入捜査・隠密が専門でな。お前とその女の関係も、こいつが調べた。もはや、言い逃れはできねぇぞ」
「貴殿は……!!」

沖田の背後からすっと姿を現した黒髪に、黒い、隊長服ではない隊服を着た青年の姿が完全に視界に入り、脳がそうだと判断する前に、は懐から真っ白い雪の結晶のような塊を取り出してそのまま、地面に叩き付けた。
辺りをまばゆい、閃光が包む。

「蒼穹、逃げますよ」

さっと、蒼穹の手を引いて、駆け出す。蒼穹がうかがい見た、の顔は、真っ青だった。彼女はきっと、あの青年の正体は知っていたのだろうと思う。それでも、数日前にここへあの青年を連れてきたのはきっと、「信じて」いたのだろう。

殿」
「何も言わないで」

ぴしゃり、とは言い、蒼穹から視線を逸らして走り続けた。


(いろいろなものが、軋む音がする)


 

 

 


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土方さんはさんに遠慮をしないで欲しいです(07/7/13 1時8分)