じぃっと、河川敷でぼんやりたたずんでその眼は必死に川の流れを見ていた。この水は奇妙だと心底思うのにいったい何が妙なのかは、判断できない自分にいらだってきて、いっそ、ばしゃんと、身でも投げ出して流れを一瞬崩してやろうかと、そういう、ことを考えていた、小さな、小さな、女の子。
時折コホコホと咳なんてして、形の良い眉を顰め、口元を押さえた掌に血が付かなかったそんな、当たり前のことにほっと息を吐いている。
「、」
その、少女の背中に声が掛かった。濃い緑の着物を着た少女がゆっくり、ゆっくり振り返って、ひっそり、眉を顰める。
「松陽殿、」
と、は立ち上がって、ばつの悪そうな顔をした。夕方。冷え込むから、あまりは外に出てくれるな、とこの、優しい人に何度も言われている。日が暮れかけても布団の中にいない自分をこうして、松陽が探しに着てくれることは解っていたがそれでも、気付かれないでそのまま忘れてくれやしないかと、思っていたのも事実だ。
松陽は長い髪をさぁっと揺らしながら、顔に穏和な笑みを浮かべたままに近付く。
「ここにいたのですか、おや、今日は銀時たちは一緒ではないのですね」
松陽は滅多に怒気をあらわにするひとではない。が言いつけを破るには何か理由があるに違いないと、聡明な松陽はちゃんと解っているから、常ならぬことの中の、常を探して、それで、違和感があるよ、と優しく言う。はぎゅっと、掌を握って、再び、河川敷にしゃがみ込む。
「銀兄さんたち、を置いて行きました。何か、怖い」
ひとりぼっちになっている、自分が嫌だと思うこころが自分に芽生えている。はぶるっと身を震わせた。ふわりふわりと、風が動いて気付けば、松陽も、の隣、にしゃがみ込んでいる。
「」
優しく微笑まれて、は、首を振った。このひとは、自分のことをちゃんと、理解している。自分が、どういう酷い生き物なのか、わかっている。どうしてがここに、松下村塾にいるのか、知っているのに、を大切だと、笑ってくれる。
「何か言われたのですか」
、という、正体不明の生き物がごく普通の子供ではないのではなか、という疑問は、人間であればなんとなしに、本能で悟ることが出来てしまう。最近、攘夷戦争が勃発している昨今、異質なものに対しての憎悪の眼差しは強い。
村人は松陽には敬意を称しているようだが、中には、色素の薄いや、銀の髪の銀時に、酷いことを言う者もいる。
「は信用できないって、言われた。そしたら、銀兄さんたち、その人のところに行ってしまった」
「」
とん、と松陽が膝を折っての頭に手を置いた。長い髪がさらさら流れる。今頃銀時たちがまぁ、中々大乱闘でも繰り広げているのだろうということは、まぁ、これで想像が付いたのだけれど、それを、止めるという選択肢は松陽にはさらさら浮かんでいなかったり、する。
「記憶者であるあなたに私が教えられることは殆どありません。知識は何も教えられないし、あなたに、思想という概念がもてないことは、わかっています。それでも、」
ぎゅっと、抱きしめられて、幼い少女は戸惑ったように、手を宙に泳がせる。こうして、この人がなにかあるたびにこうして優しく抱き閉めてくれるのは、嫌い、ではないけれど。けれど。わからなくなる。どうすればいいのか、わからなくなる。
「……松陽殿、」
は江戸城にいたころ、自分がすることはただ触れた人の記憶を頂くことと、この身から出る情報を只管書き続ける、そういうことだけだ。触れるのは冷たい肌と、立体のない紙。なのにこのひとはとても、暖かい。
ぎゅっと、いつか桂に「そういうときは先生の服でも握ってやればいい」といわれた言葉を思い出して、やってみる。松陽はのことを、ちゃんと解っているのに、その手がぼそぼそと、触れてきても、嫌がらなかった。
「どうか、幸せになってください」
、と、優しく、祈るように松陽がを抱きしめて呟いた。
(この子の生はつらいものになる。これから世界が動くならばなお更、この子の血は世界の驚異となる。息をしているだけで、この子は世界に憎まれるようになる)
ぎゅっと、は松陽の服を掴んだまま、くらくらしていく痺れる脳になんとか抗ってじっと、松陽の、眼を見つめた。
このひとは、なにをかんがえているのだろう。
何事か嫌な予感がしてきてしまって。それの真意を探ろうとするのだけれどその前に、「ァ、おーい、どこだー?」なんて、よく聞きなれた、声。やる気のなさそうな、ぼんやりとした声。がびくん、と反射的に顔を上げると松陽が、笑った。
「あぁ、ほら、。銀時たちが呼んでいますよ」
二人で声のした方向を見れば、小高い丘の上から、黒い着物に、銀色の髪の少年がこっちに軽く手を上げているのと、黒い髪を後ろに結わいた少年。それに、ぶすぅっと、機嫌が悪そうに二人の少し後ろにいる、少年。
が「銀兄さん、」と嬉しそうに名前を呼んだので、松陽はと手を繋いで、一緒に歩き出す。
そろそろ、帰らないと暗くなって、月が出て、には酷な時間になってしまう。ゆっくり、ゆっくり歩き出すその足並みは遅いが、しっかりしている。
(今はまだ手を引いてやれる。この小さな手が震えだしても、大きな己の手で包んでやることが出来る、けれど、いつか私が死んだときに、この手を握ってやれる者がいるだろうか)
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ぼんやり、眼を開くと、見慣れない天井が見えた。それと、糖分とかいう、スローガン?それに大きな犬がこちらを覗きこんでいる。え、なにこれ。この、犬って犬神?知っているはずの知識を呼び出そうとして、酷い、頭痛がしてきた。それでは諦めて体を起こすと、糖分、の書初め?の下の椅子に座って新聞を読んでいた銀時と目が合った。
「眼ぇ、覚めたか」
「助けてくれたんですか、」
「まぁな」
銀さんホントびっくりしたんだからなー、と、さして重大でもなさそうに言うのに、その足はおちつか無そうにびんぼうゆすり。はそのままソファから降りようとしたのに、体がズキズキ、いろいろな個所が痛んで、軋んで、無理そうだった。いたい、と小さく呟くと、たまらなくなったか、銀時が飛んできた。
「、」
「山崎さん、生きていますよね」
銀時に体を支えられながら、は最初に、聞いた。あの、竹林であの後に、何があったのか、覚えていない。でもきっと、自分はついにたまらず気を失ってしまって、あの、騒ぎを聞きつけた銀時と山崎が遭遇して、戦って、こう、なったのだろうとは容易く想像が付く。
ぎゅっと、銀時はを抱きしめて、やる気なさそうに、笑う。
「殺してもよかったんだけどねー。銀さん久々にキレちゃった」
「そういうこと言わないでください」
少しだけ、見たかったなぁ、と思うのは不謹慎だろうが。山崎と、銀時の本気で実力・経験の差は明らかで、けれど、山崎は、どう、思いながら戦ったんだろうかと、それが、見たかった。あの時、あの瞬間あのひとは確かに、悩んでいた。を、自分を殺せるのに、殺さないで、殺せない、意思を持ちたがっていた。そこに、自分を守る、ことに集中した銀時が現れて、山崎は、結局、どちらを取ったのだろう。
「悪ぃ、って言わないからな」
考え込んでいるに、銀時が眉を顰めながら、呟く。この様子では山崎、二、三度斬られたのかもしれないと、ぼんやり思う。
あれは、しょうがなかったのに、と思うのはの言い分で、銀時は「のこと泣かしたじゃん」と優しい言葉。でも実際に涙を流していたのは山崎のほうだ。
何か言い訳をしないとこれはこのまま銀時、桂のように真選組と書いてカスだなんだと呼ぶ人間になってしまう。常識のない銀時がさらに常識を失うのはちょっと、イヤだなぁと思って、それで、言おうとしたのに、銀時が、先に切り出す。
「銀さんさー、いっつも夢にお前が出てくると、泣いてんだよね」
抱きしめられた力はそれほど強くない。肺も弱いが苦しくないように、銀時はガラス細工でも扱うように、を扱う。
「幸せになれつったのに、なんで、お前、そうなわけ?」
怒って、いるのだろうなぁ、とぼんやり思う。銀時は、怒っているのだ。いろんなことが、気に入らなくて、結局何が一番気に入らないのかわからないほど、いろんなことがあって、それで、最終的にそれが原点への怒りへ戻る。銀時は、そういう単純なところがあった。
「本気で幸せになろうって、思ってんのか。」
「思っていますよ」
「お前、ただ約束を守ろうとしてるだけだろ。それは、願いじゃねぇよ、ただの、義務だ。そういうのは、違うだろ」
松陽との約束は銀時も知っている。そして、松陽が最後の最後までの幸せを願っていたのも、知っている。そのを戦争に出してどれほど後悔したのか、銀時は今でも思い出して、悔やんでいる。あの頃の自分に会えるのなら、即座に、自分を殺しているくらいに、後悔してきたことだ。
「俺ぁな、。お前が本気で幸せになりたくて、なるためにはどうしても、ジミーが必要なんだって言えば、協力してやるよ。でもさ、お前、本当は何を企んでるんだ」
銀時は、に幸せになってもらいたい。どうしても、幸せになって、もらわなければ困る。自分はもう、いろんなことを諦めて、今はもう何も失わないようにすることで精一杯だけれど、にだけは、幸福になって、欲しい。
そのために、どんなことでもする。もしが幕府を壊したいというのなら協力する。田舎にひっそりと隠居暮らしをしたいというのなら、一緒についていって、面倒を見る。自分に出来ることは、なんでもする。
のに、は幸せになど、なるつもりはないように見えて仕方がないのだ。
幸せにならなければならないという義務があると思い込んで、でも本心は、自分が「幸せになる資格などない」と、思っているように、銀時には思える。
どうして、なっていけない、なんて思うのだろうか。
考えて、銀時に浮かんでくるのは、が思うかもしれない“負い目”だ。
「……アイツに、殺されようとしてんのか」
ぴくり、との体が震えた。それで、銀時がカッ、となって何事か怒鳴ろうと、必死に、説得しようとしたのだけれどその前に、がきっと、銀時を睨んできた。
「あの人が、わたしを殺したらあのひと、壊れてしまいます。大切なひとに、そんなこと、させません」
はっきりした言葉を聞いて銀時は安心、したはずなのにそれで、ふと気付く。が言う、「あの人」とはどちらのことなのか。山崎か、それとも、がこんなに近くにいると、誰も彼も、裏にいる人間ならば知っている現在も、姿どころか影も見せない、あの、男なのだろうか。
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前半の、山崎の初々しさが懐かしい…。(07/7/15 17時17分)
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