きみがないてる声がする





容赦なく顔を殴られた。これでも真選組で生きていれば暴力など慣れている、けれど、まさか仲間、というか、これまで敵ではないと思っていた人間から、本気の殺意と怒気を向けられるとは思わなかった。
壁に背中を叩きつけて、受身も取れずに山崎は二、三度低く呻く。その、小さな反応も気に入らなかったのか、松平片栗虎はタバコを加えた口元を不愉快そうにゆがめて、眉を寄せた。

「それで、おめおめ戻ってきたってわけか」

松平はじろり、と山崎をにらみつけた。その目は普段のダメなオッサンのものではなくて、破壊神と言われるだけの、威光を放っている。まともに見れば恐怖に体が震えてくるのだろうなと思い、山崎は殴られた衝撃を良いことに、顔を上げなかった。
唇が切れている、血が出てくるが、それでも、告げなければ、と思った言葉を綴った。

「……数日間にわたる調査の結果、久坂玄水は完全に無実です。元社僧隊と思われるも、現在は攘夷活動に参加しているようすはありません。これ以上の任務続行は無駄かと、」
「それを判断するのは末端のてめぇじゃねぇ、俺だ」

ぴしゃり、と言い捨てられた。そして、再びの暴力、今度は、蹴り飛ばされた。山崎の体がサッカーボールのように、上がって、落ちる。

いったい、何なのだろうか。普段松平はここまで高圧的な言い方はしないし、遠慮のない暴力も振るわない。

「ガキが。耳の穴ァかっぽじって良く聞けやコラ。いいか、久坂のクソアマが白だろうがなんだろうが知ったことじゃあねぇ。アイツは黒だ。それ以外は認めねぇ」
「……教えてください、久坂玄水は、」
「知る権利がねぇんだよ、テメェには」

口を開けば殴られる、蹴られる、そういえば、戦国時代から、そうだったのだとぼんやり気付く。忍びとは、隠密、密偵とは、犬以下の扱いを受けてそれを当然と受け入れれなければならない立場ではないか。

松平は悪い人間ではない。では、ないのだけれど、松平は代々の、武家だ。そういう、風習が本人の意識になくとも、染み付いている、のかもしれない。

「お前に殺せっつったが、もういい。お前はただ、をとっ捕まえて来い。あのクソアマはこの俺の手で殺す」

奇妙だ、と思う。天導衆だけが久坂を疑っているのであればキナ臭い。だが、あの松平までもが、根っこは信義を通す男である松平までもが久坂を疑う、いや、憎悪している、その理由はいったい何なのだろう。

知る権利がない、と山崎は言われた。近藤局長も、知らないのだろう。いったい、久坂は何者、いや、何をしたのだろうか。

それでも、頷かなければ真選組がどうなるのか、この、松平の様子を見る限り案じずにはいられなかった。山崎は、小さく小さく頷いて、それで、脳裏にちらりと浮かんで離れない、の、顔を消したくなった。

(どうすれば、彼女を守れるように、意識を持てるようになるんだろう)

今でさえ、守りたいとは思うのに。



++++



昔から、殴られるのは慣れている。そういえば、どうしてだっけかと、思い出して山崎、苦笑する。そうだ、そう、そういう、人に育てられて、いつも怒鳴り声とか、そういうものにおっかなびっくりの生活で。そうだ、松平に何となく、真選組うんぬんの前に逆らえないのもきっと、そういう、トラウマだかなんだかの所為なのかもしれな。というか、そう、なんだろう。
山崎は明け方。ずりずりと、痛む体を引き摺ってなんとか屯所まで戻った。神社へのガサいれから一夜、まだ屯所には戻っていなくて、けれど監察方の山崎がふらりと姿を消すのはよくあることで、誰も不審には思わないだろうと、堂々と門を潜る。

「朝帰りか、おい」

門の直ぐ脇、に、背を凭れさせて立っていた土方に、腕を掴まれる。丁度、酷く蹴られた場所だったために痛みが走ったが、山崎はただ「そこに土方がいるとは思わなかった」と言う、自然な驚きしか顔には出さない。

「あ、ふ、副長」

お、おはようございます!!と、普段の山崎、条件反射、で不自然でないように慌てて見せて、「何も後ろめたいことはないのに怪しいようになってしまうんですしょうがないんです」的な、本当に普段どおりの対応をした。のに、それで騙されてくれるようなら鬼の副長よりももっと可愛らしい名前が付いた、土方だ。普段から鋭い、瞳孔開き気味の眼をぎっと、山崎に向けて、掴んだ腕の力を込める。

「お前、その怪我どうした」
「……これは、」
「俺に嘘付きやがったらどうなるか、わかってんだろうなァ」

土方は馬鹿ではない。寧ろ賢すぎるから、山崎が最近、自分の命令だけではない、もう一つの命令で動いていることを、そろそろ悟っているのだろう。証拠は残していないはずだが、どこから嗅ぎつけるかわからない、土方とはそういう男だ。

「松平様は、久坂を捕らえて何を企んでんだ」

山崎の腕を掴んだまま、土方は器用に煙草を口にくわえて、火をつける。その仕草をサマになっているなぁ、こういう人がカッコイイともてて、そういえば、あの人も副長をやっぱり、そういう風に思ったんだろうかと、一瞬考えて、へらり、と笑いたくなる。

「なんのことですか?」

まだ、大丈夫だと山崎は土方に向かって首をかしげた。松平のことがバレてしまったのは、まぁ、しょうがない。それでも土方だって真選組の副長だ。監察の山崎が、その上司である松平にあれこれ使われていても、まぁ、許容範囲だろう。そう、一人推測して、とぼける。

「久坂玄水のこととは別のことでとっつぁんには色々言われてたんです。ほら、あの人自分の娘の恋人潰すためにヘリチャーターするような人ですから」

へらり、へらりと、笑って、それで土方が眉を寄せた。このまま普段のように殴られてしまえば楽だ。本当に、殴られるのは楽だなぁ、とぼんやり山崎は思う。自分はマゾなんだろうかと疑いたくなった。

「とぼけんな。これ、読ませてもらったぜ」

しかし、土方から鉄拳が振ってくることはなく、それより、ぱっと、腕を離されて、その掴んでいた手をポケットに入れ、山崎にそのまま押し付けたのは密偵へ送られる黒い封筒だ。しまった、と山崎は眉を寄せる。扱いには十分に気をつけていたつもりだったが、それでも、屯所の中の仲間が、自分の地味な仕事に興味を持つはずがないと、どこかでたかをくくっていて、久坂薬局に置くよりはと部屋に隠していたのがまずかったか。

「人の手紙読まないでくださいよー、副長」
「俺じゃねぇ、総悟だ」

お前が何してんのか気になってたらしいぜ、と言う土方。どうして沖田が気にするのか一瞬山崎は不審に思うが、真選組の影の山崎があれこれ動いて、ひいては近藤局長に何事かないか、沖田は子供らしい心配性で、気にせずにはいらない、そういう、ところがあるから、そういう、ことなのだろう。
確かに山崎はいつも沖田には「なにしてんでぃ」と言われたら、へらり、と笑って「隊長にはかないません」と手を上げてあれこれ、報告して安心させてきた。負けているようで、そういうふうにして、沖田と上手くバランスを取ってきた。けれど今回は本当に、自分に余裕がなかったらしい。沖田に、そういえば何度か、屯所に帰ったときに顔を合わせてもただ会釈をするだけだった。

「近藤さんにゃ、報告しねぇよ。だがなぁ、お前は俺たちの仲間だ。お前が何をしてるのか、俺は把握する義務がある」

そうだろう、といわれればそうだ。

「……」

しかし、今回のことをそう、土方に話すべきか山崎にはよく、わからなかった。自分だってわかっていることは殆どない。いや、だからこそ、断片を土方に伝えて「何が」起きているのかを判断してもらうべきなんだろうか。
黙り込んだ山崎に、土方が溜息を吐く。

「俺はお前に、久坂玄水を監視して、攘夷志士との関わりがないかどうかを探れと命令した。それでお前は久坂のところにこの一ヶ月潜入して、それで。白だと一昨日報告してきた、が。松平様が昨日急に久坂への逮捕状と、それに、今まで何かありはしねぇかと睨んできた蒼穹のところへガサ入れの命令が入った。そこに、久坂もいた」

それが、土方のわかっていることだ。それは、正直、山崎がわかっていることと大差ない。山崎はそれに加えて、松平が直接山崎に「を殺せ」と、最初、命じていたことくらいだ。「こりゃ、どういうことだ?おい、何が起きてる」と、土方に強い眼差しを向けられても、本当に、山崎は何もわからない。
一番最初、山崎が耳にしたのは天導衆が久坂玄水に最初に目をつけている、という噂。それで、天導衆から直々に、久坂を探れと命令。それを受けた真選組が監察方にスパイをさせることになり、それで、土方がことの真意を探れと、そういう、はずだった。しかし、久坂薬局に潜入捜査に行っていると、松平が聞きつけてそれで、久坂が黒なら捕まえてこい、という話になった。あのオッサンが間違ったことをするとは、まぁ、思わず山崎はどの道どれも同じ、久坂を探るということに間違いはないと思って頷いて。これまで探ってきた。しかし、先日の、竹やぶで久坂を取り逃がしたことを告げて、あの、松平の変貌。

「俺だって…何もわからないんです」

いったい、何が起きているのか。そもそも、久坂玄水というのは、いや、は何者なのか。
山崎は土方から渡された手紙を読んで、そこで初めて、が「阿修羅姫」と呼ばれたあの、攘夷志士であったことを知る。けれど、彼女の過去は本当に、それだけなのだろうか。だとしたら、それは、あんまりではないか。

「攘夷戦争に参加してたってだけで、幸せになっちゃいけないんですか?ずっと、疑われていないといけないんですか?」

ふるふると、手紙を握り締める山崎の手が震えた。手紙には、かつてがどれほど酷いことをしてきたのか、が書かれている。いったいどこでどう、調べたのか。山崎がこの二ヶ月、久坂の傍にいて探っても、彼女の過去は何もわからなかったのに。いや松平、そこまで最初からわかっていたのなら、なぜ、自分などに見張らせたのだろう。
松平がこの手紙を送った真意はわからない。けれど最近の報告で、自分がに心を寄せ始めているのを気付いて、の、布石か。
だとしても。

「昔の知り合いにあっただけで、あんな…酷いことを、されないといけないんですか……?」
「おい、山崎」
「攘夷志士だったっていうだけで、どうして命を狙われないといけないんだ!!」
「山崎!」

びくん、と、山崎の体が揺れた。本気で、土方が怒鳴った。

「お前、自分が何言ってんのか、わかってんのか、あ?」

真っ直ぐに山崎を見つめる土方の目は、今山崎が言った言葉に対して、酷く怒りを孕んでいる。どうして、と一瞬考え山崎は「あ」と、声を漏らした。

「俺たちは真選組だ。攘夷思想を持ったテロリストを殲滅するのが俺たちの仕事だ。俺たちがここにいる、理由だ。ここにいるために、しなければならねぇことだ。理解だなんざの前に、しなきゃなんねぇ、義務だ」

そういう、ものである。真選組は、そうあるべきものだ。黒かろうが白かろうが、真選組は、その道を歩く。それが、近藤局長とここに来た、土方たちの役目だ。山崎の今の言葉はただの、久坂という一人の人間に恋焦がれている、どうしようもなく、なって、戸惑っている、ただの、青年の悲鳴でしかない。

「久坂の幸せうんぬんの前に、あいつが本当は何者なのかを調べて、斬る斬らないの材料を集めるのがテメェの仕事じゃねぇのか」

ふぅ、と土方が息を吐いた。山崎は、どうしてか土方にはこうして、弱音のような言葉を時々吐く。それは土方という真選組の掟が自分を律することを望んでいるからだ、と土方は判断してきた。だから、ここで本当に、山崎が久坂を想っていようと、それを知らせてやるのは自分の役目ではない。土方は、そういう意味で隊士たちに嫌われるのだと思う。真選組の副長であらねばならない、から、厳しいのだ。自分にも、他人にも。

「全員を幸せになんて、できねぇから俺たちは、江戸っつう箱を守ってんだろうが。その箱の中のことを振り返ってたら、何も、守れねぇんだよ」

ぽそり、と呟いた土方になぜだか山崎ぼんやりと、武州で残っている、薄幸の美女のことを思い出した。そういえば、もあの人も体が弱かった。そうだ、そう、いう人に、一瞬でも土方が面影を重ねないはずがない。けれど、土方はと対峙する時、常に容赦ない。それが、山崎と土方の差なのかもしれない。

項垂れて、「……すみません」と呟く山崎の背後に、場違いなほどに明るい、間延びした声がかかる。

「あ、ここにいたんですかィ。土方サン。なんでィ山崎も一緒か」

ぶらぶら歩いて来たのは、ポケットに片手を突っ込んだ、色素の薄い髪の少年。

「なんだ、総悟」
「近藤さんが見当たらないんですがねィ」
「またお妙サンのところだろ」

今日は非番ではないのだが、まぁ、それでもある程度の執務が終われば近藤は志村妙のところにストーカーに行く。最初は止めさせようとして来た土方だが、最近は諦めている。

別段子供じゃあるまいし、少し姿が見えないくらいで大騒ぎすることではないと土方が煙草を踏みつけると、丁度通りかかった、スキンヘッドの隊長が小首を傾げて会話に混じる。

「局長でしたら、なんでも上から呼ばれたってんで、三十分ほど前に出かけましたよ」

土方の眦と、山崎の眉が揃って上がった。



++++



「風邪か」
「風邪、ですね」

こほんと、が再び咳。本当に、風邪だとは銀時はこれっぽっちも信じていないが、の病名を自分が知ったところで、どうしようもない。
それよりも、どうして今また、久坂薬局に自分たちが戻ってきているのか、の方が聞きたかった。

は万屋で目が覚めて、すぐ、一時間ほど体の調子を自分で確かめるとさっさと身支度を整えて「帰ります」と、さっさと、出て行った。慌てて銀時が追いかけても、帰らないと薬がないのなら、処方しないとならないのなら、しようもない。銀時が必要な材料を取ってくる、という案も出したのだがは言ったら聞かなかった。

一応、つい昨日、真選組にばっちり命を狙われたのだから暫く、ことが落ち着くまで自分のところか、または隠れ潜む、ということでは本当に最適な桂の場所にいてくれと思うのに、は本当に頑固だ。それで、銀時が護衛もかねて一緒に薬局まで来ても、真選組は影も形も見せない。

それが、銀時には不気味だった。神社での乱闘騒ぎは新聞にも出ている。選組が十三人、攘夷志士、元社僧隊と思われる神主、坊主たちは四十人あまりが死亡した。なのに、久坂の名前はどこにも出ていない。緘口令か、なんなのか、銀時には検討も付かないが。あれほどの大立ち回りをして、だけが追及の手を逃れられる、はずがない。
なまじ、は幕府に殺されて引き摺りまわされてもおかしくない、過去がある。

「銀兄さん?」

考え込んでしまった銀時にが不思議そうに声をかける。銀時ははっとして、今はこうして自分の目の前に、剣が届く範囲にがいれば、守れると、一人頷いて、冗談めかした声での頭をコツン、と叩く。

「お前医者だろうが」
「医者だって風邪くらい引きます。そういうの偏見って言うんですよ」

コホコホ、と辛そうに咳をしては布団を被った。本当に辛そうだ。一応、は自分の作った薬を飲んで、自分が最適と思える処置を自分にしているのだろうけれど、それでも、心配になる。他に何もできうることがなくても、心配だ。

「ちゃんと暖かくして寝ろよ、粥作ってあるからそれ食え、何かあったら、」

言いかけた銀時は黙って、眉を寄せる。お休み三秒ですか?静かに寝ている、は返事をするわけがない。その、影を落とすほどに長く整った睫毛、顔立ちをじぃっと眺め、銀時は唇を噛み締めた。

(なんで、あの時、戦争が終わる前に、一人で江戸城に行ったんだ)

聞きたくても、聞けない。その真相が銀時の予想するものとは違っていても、聞いてしまえば、銀時はまた、に「銀時さん」と、空寒い名前で呼ばれることになるのだろうと、そう、思えば、怖かった。
根性ないな、と笑い、ぎゅっと、頭を抱え込むようにして蹲った。

 

 


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・山崎さんは真選組が好き、なんですけど、土方さんのほうがもっと、大好きですよ真選組。(07/7/17 0時20分)