まさか囚われのオヒメサマ、ならぬゴリラさま、なんて何の冗談だ。天井、屋根裏伝いにスタスタ進んで、何度か、遭遇した忍び衆を蹴散らして山崎、進んでいく。近藤の、気配はわからないが、あの、最後、が土方の問いを無視して松平に向かっていった直後、土方に「近藤さんは大丈夫」だと告げたその、瞬間に、天井を見てにっこり微笑んで、音には出さず僅かに唇を動かして言った。

(御鈴廊下の突き当たり、右の部屋に)

そこに、近藤がいるのかどうかは解らないが、現在、そのの言葉を手繰るしかなさそうである。山崎、本当なら土方についていくべきで、もし山崎本人の意志を優先できるのなら、これから、松平に挑むであろう、挑まざるおえないであろうの傍らにいたかった。それでもやはり、自分はの傍にいない、のが現実で。近藤を救うべく、こうして動いている。

隠密活動はお手の物。江戸城に撒かれている忍びたちも、山崎の敵ではない。それも、そのはず山崎退、真選組観察方になる前は、配属される、まで、近藤に惹かれる、その前までは、お庭番、なんて、やっていた。(今の己を考えれば冗談のような過去だ)

の示した場所、御鈴廊下と呼ばれる場所は、江戸城の大奥にある。山崎は未だに入ったことはない。江戸城が天人に下るまでは女性と将軍しか入れない場所だった。忍びも、くのいちのみの場所だった。そこに、ゴリラが囚われていたら山崎は冗談抜きで笑う。

長い長い廊下の天井を越えて、ストン、と、目的の部屋にたどり着く。

「おう、山崎か。心配かけたみたいだな」
「きょ、局長……」

すたん、と降り立った山崎を平然と迎えたのは、ロープでぐるぐる巻きにされて「ひとじち」なんて平仮名で書かれた紙を額に張られた、近藤局長。
あまりに、アンタ、のん気すぎやしないかと山崎はややずっこけて、ザン、と、クナイでさっさとロープを切った。

「それじゃあ、屯所まで護衛しますから、」
「いや、いい」

と、近藤、さっさと机の上に置かれていた刀を腰に差しなおして、また、椅子に座る。

「俺ぁ、とっつぁんからここで待っているように言われたんだ。とっつぁんが来るまで動くわけにはいかないんだよ」

なんて、言う。アンタどこまで純粋に過ぎるんだと、さすがの山崎も苛立ってきた。普段であればただ呆れるだけだが、この人が掴まった、というか、この人が自分や、真選組にとって大切に過ぎたばかりに、さんが今、逃げ回ってきたのに、囚われてしまっているのだ。この状況。

「いや、あの、状況わかってんですか。アンタが戻ってこないって大騒ぎですよ。土方さんが冷静に対処してくれたんで、まぁ大丈夫でしょうけど」
「帰ったらトシのヤツを殴らないとな。こんなオッサン一人のために誰かの言いなりになるようじゃ、真選組、鬼の副長失格だ」
「そりゃ、そうですがね。今回は、例外です。なにしろ、要求されたのは……テロリストの身柄ですから」

言って山崎は、あぁ、そうなのだ、と自分に言い聞かせる。今回、いろいろ真選組の行動、近藤のために、言いなり、になったのは、近藤の命と天秤にかけられたのが、テロリストと疑いのある、人物だったからだ。これが江戸、一般市民の命、であれば土方はきっとそれこそ知恵を駆使して何かしらの手段をとるだろうし、松平だろうが天導衆だろうが、人質、だなんて方法を使われて許すことはない。
けれど、今回は、相手が“悪人”だったから、その悪人を差し出して近藤局長が助かるのならと、気安かったのだ。

「とっつぁんは、復讐したいだけなんだろう」

近藤がぽつり、と天井を見上げながら呟いた。山崎、一瞬頷きかけて、首を傾げる。

「久坂っていうのは、先代将軍を殺した酷い女でな。でも、権力があって、手が出せずにこれまで見逃して、生かしてきたそうだ」

うんうん、と頷きながら語る近藤の顔は真剣そのものだ。この人は染まりやすい、というかバカだから、きっと、松平の言う言葉をそのままに信じたのだろうと山崎は溜息を吐きかけるが、いや、と思いなおす。

これが、事実だ。表面上から見た、事実だ。山崎は、が将軍を殺した、というそれは今始めて聞いて、十分におどろいるが、それ以上に、がこれまでしてきたこと、を普通に言葉に聞けば、彼女は、真選組の敵であるという、正しい、事実を突きつけられて、それに、驚いているのが強い。近藤はまだ、言葉を続ける。

「とっつぁんが警察のトップに立ったのも、真選組なんてチンピラ集団を作ってくれたのも、俺たちのような、権力なんぞ気にしないハチャメチャな連中が、理不尽なことを見逃さねぇようにだって、話してくれてたよ」
「……」

その、通りだ。だから土方は、一見近藤人質に従うようにして、を突き出したのだろうか。その、いいなりに見えたその実は、今の今まで将軍殺しを裁かれずにのうのうと、天導衆の保護を受けて生きてきたを、裁かせるためか。

だとしたら、自分はここすべき事は、松平の目を盗んで近藤と江戸城を脱出することではなくて、松平がここへ来て近藤に「よくやった」と、そう、言いに来るまで傍らにいるべきなのだろう。

「で、山崎。お前は、本当に久坂玄水を、そう思うのか」

え、と、山崎が沈んだ顔を上げて近藤を見ると、近藤は、ニヤニヤ笑っている。何か、楽しんでいる顔だ。

「お前の最近の顔を見てりゃ解るさ。お前、久坂って女に惚れてんだろ」
「ほ、惚れて…!!?な、何言うんですか!局長!!」

「いんや、惚れてるね。鏡持ってたら見てみな。俺が久坂のことを悪く言ってる間ずぅっと、俺のことを睨んでたぜ。お前」

言われて山崎ははっと、自分の顔を触ってみる。が、触っただけでは変化はわからない。それで、懐に隠してある鏡(これは突き当たりなどで使う忍具の一つだ)で顔を確認してみると、もう間抜けな自分の顔があるだけだったが、かすかに、殺気を出した余韻が残っている、自分の、顔。

「……す、すみません」
「なんで謝るんだ。いいじゃねぇか。なぁ、山崎。お前はいい奴だよ。よく俺のことをバカ正直だなんだって皆言うがな。お前だって、バカに真っ直ぐな、良い奴だ」

酷い人間だ、人でなしだと、罵られてきた己に、向けられる言葉ではないと山崎はへらり、と笑って濁そうとしたが、近藤があんまりにも、信じきった、笑顔で「そういうお前が傍にいて、惚れた女だ。久坂はきっと、優しい良いひとだろうよ」と、言ってくれて、目の前が霞んできてしまった。

「本当、ですか…?」

思えば、初めてではないか。自分以外に、を「信じて」くれている、ひとを見るのは。銀時、万屋の旦那は何か、違う。あの男はを信じている、のではなくて、ただ、疑うことでなんとか、彼女を守ろうとしているのだ。大切だからこそ、彼女の一切を疑わないと、いけない。本人は気付いていないだろうが。
けれど、近藤は、会ったこともないを、「良いひと」だろうと、信じてくれている。

「本当に、さんは……間違って、いないんでしょうか…」
「そりゃ、俺にはわからないけどよ。でも、山崎、お前が一番確認したいのは、それじゃねぇだろ?」

言われて、はたり、と、一瞬表情を消す。そうだ、自分は、本当にしたいことは、違う。を信じられること、ではない。近藤さんはひとを疑わないが、それが世間一般であることを求めない。そうじゃ、ない。自分は、山崎は、一番、確かにしたいこと。

「俺は、さんを、守れるんでしょうか」

守りたい、と思う心はある。けれど、守れる、強い、意志がない。真選組と、秤にかけられればどうしようもなくなる。なのに、守りたいのだ。これは、守る、ことができるのだろうか。

近藤が、眩しいくらいに、明るく笑った。

「行ってみりゃいいだろ」

簡単なことだ。守って、みればいい。行け、と、顎で示されて山崎、ばっと、深く勢いよく近藤に頭を下げて、口布を当てて、天井に上がった。



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・近藤さんって本当にいいひとだなぁ。(07/7/18 23時13分)