真っ暗な穴の中にそのまま自分が放り込まれていくと思っていたら、強く腕を引っ張って、どさり、と、どこかの上に乗せられた。ぼんやり目を開けば、懐かしい同僚の顔。
「……あらあなた、ジミーじゃない」
「そういう呼び方すると俺もサルって呼ばせてもらうよ」
ふぅ、と溜息を吐く山崎に猿飛は「呼んだら鼻フックするわよ」と、妙な脅しをして、じろじろと山崎の格好を眺める。真選組に入ったと聞いていた。忍び刀ではなくて、武士の持つ刀を持ち始めたとも聞いて、仲間たちと笑っていたものだ。昔から、この男は中途半端でみっともなくて、でも平気で酷い事を出来るから、腕は皆の憧れで、恐れだった。
「あなたまだ忍び事続けてたの?真選組に入ったって聞いてたけど。相変わらず地味ね」
「助けたのに何それ。なんで罵られなきゃなんないの、ねぇ」
え、何、と突っ込みを入れて山崎はびしっと、さっちゃんの額をチョップした。普通に痛い。さすってさっちゃん、自分の体がきちんと手当てされていることに気付く。ここは江戸城、の、どこか。何かと何かの隙間にある、忍びでも解りにくい、知っている者しか発見できない場所のようだ。
「まぁそれはお礼を言っておくわ。ありがとう、ジミー」
「いい加減にしないとキレるよ、俺」
ジミーが最近本名みたいに馴染んでくるんだけど、と半分泣いている山崎は、しっかり口に布を当てていて、それが覆面、あの、さっちゃんたちの恐れた修羅の匂いがぼんやりとする。
あまり、この男と関わりたくはないのだけれど、と思いながらさっちゃん、「それで?何が目的なの。傷を負った忍びを助けて、何をしろって?」と、早々に切り出すとさすが、話が早いと山崎は頷いた。
「呼んできてもらいたい人がいるんだ」
君を笑わすために微笑んでいようと思いました
ガリ、ガリと引っかく音がする。眠くて、もう目覚めたくなくて何度も深いふちに進もうとするのにその音が邪魔して、どうしようもなく、目を開く。目の前にある、天井、屋根裏、だろうか。
「……山崎、さん」
ぼんやり、が感じた気配の主の名を呼ぶと、なにやら、の手足についていた鎖を外そうとしていた山崎と、目が合った。
「気が付きましたか、さん」
暗がりで山崎の顔はよく見えないが、例の口布をつけているようだ。くぐもった声だけれどそれは確かに山崎の声だった。は一度ぐるり、と辺りを見渡す。あの後自分は松平に囚われたはずだ。しかし、こうしているところを見ると、牢だか何かに入れられていたのを、山崎が助けてくれて、ここまで来たのか。意識のない自分を天井裏に運び込む芸当に感心するが、気付く、どうして、自分を助けてくれたのだろう。
「山崎さん、」
「局長ならなんか元気そうでしたよ。あ、土方さんはたぶん近藤さんが出てくるまで門の前で待ってると思います」
「どうして、わたしを助けてくれたんですか。あなたが一番に守らなければならないのは、真選組のはずです」
つらつらと説明を始める山崎の言葉を遮って、はぎゅっと、眉を寄せ山崎を見つめる。彼がこうして自分に関われば、また松平は近藤やら何やらを盾にするだろう。そういうのは、好きではない。
山崎はゆっくり頷いて「俺の一番は、今だって真選組です」と、笑いながら言い切った。それがあんまりあっさりしているのでは一瞬信じられず、何も言わないでいると、山崎は補うように、言葉を続けた。
「どうしてさんが将軍を殺したのか、どうして、そんなことをしなくちゃならなかったのか、本当にそれが正しいことだったのか、悪いのか、間違っていないのか、いるのか、俺にはわかりません。でも、俺はさんが大切なんです。真選組を守るために、大切なひとを見捨てるのは、違うと思うんです。大切なひとを大切じゃないって、思って守るのは、違うんじゃないかって、そう、思ったんです」
一気に言って、ぎゅっと、山崎はの手を握った。が何事か反論する余地もない、にっこり笑って、その、まま、立ち上がって、歩き出す。
「逃げましょう。ここから一度、逃げればきっと、貴方なら何とかできるはずだ」
今、山崎に出来るのは江戸城から脱出することだけだが、はその後、逃げ続けようと思えばきっと、できるのだろう。天導衆の保護や、それに山奥、誰も知らない場所に逃げれば、大丈夫だと思った。
同時に自分も出来る限り、何かしようと考えながら屋根の上を走っていると、銃声がとどろいて、即座に身を伏せる。の腕を引っ張って抱き込み、周囲をうかがうと腕の中でが小さく「やっぱり、来ました」と呟いたのが聞こえた。
「山崎、テメェ腹切るか」
「……松平のとっつぁん…」
+++
向かい合った屋根の上、に、しっかり両足でバランス取って、片手に銃を持ってだらり、と伸ばしているサングラスのオッサン。今は満月の夜なのに、なんでサングラスと誰かツッコミを入れて欲しい。
松平、ふぅん、とと手を繋ぐ山崎を見て、顎を引いた。
「自分が何してっかわかってんのか?ア?テメェ一人の行動の所為で真選組が潰れんぞ、近藤が腹ァ斬るんだぞ、わかってんのか」
「真選組は俺一人で守っているわけじゃありません。局長、副長、沖田隊長たち皆で真選組を守っているんです」
だから、潰れる事はないと言い切る山崎の目は、やっぱりへらりと笑っているのに、どうしても、強い。眺めてはぼんやりと、この流れはいけないんじゃないか、と思えてきた。どうして行き成り山崎が自分を大切だ、なんだと言い出したのかはわからないけれど、それでも、このままでは山崎が松平の敵になってしまう。
そういうのは、ダメだと思った。
「その女はなァ、将軍を殺した大罪人だ。たとえ、裁かれることがなくても、そいつは、生かしておけばこの国の正義を曲げることになる」
わかってんのか、と松平は鋭く山崎を睨みつける、その目には殺意がしっかり含まれていてビリビリと痺れそうだ。は、ぎゅっと、山崎が自分を強く抱きしめる腕を掴んで、松平に顔を向ける。
「そういうところが、わたしは大嫌いですよ」
びくり、と山崎が震えた。この状況でが何事か口を開いてもいい結果になるわけがないのに、どうして大人しくしていてくれないのか、と戸惑う眼差し。受けて、はにっこり山崎に微笑み、山崎が一瞬怯んだ隙を突いて、その腕から逃れる。トントン、と素早く松平と山崎の間に移動して、さりげなく、弾道から山崎を庇い、松平に向き直った。
「大義名分がなければ安心して憎悪を抱けませんか、自分の感情だけでは不安ですか、この、ヘタレが」
「言うじゃねぇかこのクソアマ」
ふんと、鼻で笑い飛ばす松平とて大物だ。が山崎を見逃してくれ、と心底思い嫌味を言い始めたのは、解っている。そんな手には乗るか、と乱暴に睨むと、はにっこり、笑って首を傾げた。
「素直に言えばいいでしょう。友人を殺したわたしが憎いと、憎悪を向ければよいでしょう。面倒な、将軍を殺した、国を捨てた、だなんてことを言わずにただ、」
の声は相変わらず深々とふりそそぐ雪のように、つかみどころもなくはっきりとは目に見えず、だというのに、積もれば重く圧し掛かる。一瞬松平は、この先を聞いてはいけないと本能で解った。が、耳をふさぐ前に、の口をふさぐ前に、放たれる、言葉。
「自分の気がすまないから、わたしを殺すのでしょう」
途端、銃声が響いた。
「てめぇが言うんじゃねぇ!!!」
怒声、泣き声、悲鳴のような、叱責、それら全てが一人の男から発せられていて、それを受けた。は一瞬空に浮かぶ満月を眺めて目を細め、真っ直ぐ、松平がこちらに腕を向けて、引き金を引くのを、見た。
「さん!!!」
咄嗟に、山崎が走り、を攫うように抱き上げて、一目散に走り出す。逃げなければ、今、ここにいたらが死んでしまう。どこに逃げるのかとか、自分がを庇ったら、どうなるかとか、考えなければならないことは、頭に浮かんでこなかった。とりあえず逃げて、逃げ、なければならない、それが、今するべきことだ。
は驚いて目を見開き、山崎の素早い反応は予測していなかったと自分を叱り、それでも、必死に自分を抱きしめるその腕を、今度は払うことが出来なかった。
逃がすか、と松平の腕が容赦なく上がり、を抱いて逃げる山崎の背中に向けられた。そして、人差し指に力が込められて、それで、撃たれるはずだった。のに、その、指が完全に曲がってしまう前に、背後から、声が掛かる。
「もう止せ、片栗虎」
聞こえたのは、静かな声だ。しかし、はっきりとした、威厳のあり、そして、やけに疲れたような、今にも泣き出しそうな子供の声でもあった。
ゆっくりゆっくりと、片栗虎の腕が下がり、現れた、青年の方へ顔が向く。
「……上様」
佇んでいたのは、身なりの良い青年。まげを結い、袴、羽織、松平に対して縋るような、祈るような視線を向けている、青年。ゆっくりゆっくりと、息を吸って吐いて、言葉をつむぐ。
「もう、良いのだ。片栗虎」
青年の後ろに控えているのはメガネをかけた髪の長いクノイチが一人。肩に傷を負い、足を引き摺りながらも、猿飛は感情を見せぬ忍びそのものとして、将軍の傍らにいた。ちらり、と猿飛は離れていく山崎、の影を見て、再び目を伏せる。
「何が良いんですか、俺は、」
「あの時あの場にいたのは、お前だけではない……!!予もいたのを忘れたか。父上が、久坂に何を言ったのか、忘れたか」
必死に、叫ぶ、将軍様、説得しようと、必死な姿。
松平の中で、その言葉で、大義名分が一瞬で消え去ってしまった。殺された男の息子は憎悪など微塵も抱いておらず、といって妥協もしていない、ただ、ありのままを、受け入れているその器。己の父がしたことを、理解して、受け入れているその器、は、賢君に相応しいもの、ではあったが片栗虎。免罪符をなくし、牙を一瞬で折られたこの、奇妙な感覚。
松平はじぃっと、青年将軍を見た。
この言葉に頷くのは簡単だ。将軍がどんな思いで殺されたのかくらい、松平にはわかっている。しょうがなかったのだと、歳を重ねて諦める事だって、できた。しかし、自分が覚えていなければ、ならなかったのだ。あの女がしたことを、忘れてはいけなかった。親友を忘れたくなかった。いなかったことに、したくなかった。自分の記憶から段々と、親友が消えていくのが嫌だった。だから、憎しみ続けた。それは、楽だった。を憎んでいれば、親友の顔はいつまでも鮮明に残ってくれていた。
(忘れられる、ものか)
自分が忘れてしまったら、真実は消えて、本当に、先代将軍は病死したのだ、ということになってしまう。誰も彼もが知らない、で、事実になってしまう。
けれど、あの女を憎んで脳裏に親友の顔を焼き付けなくても、見れば、親友の面影をよく、残した青年が自分のすぐ傍にいたと、どうしてこれまで気付かなかったのだろう。
振り上げた拳は行き場所を失い、けれど彷徨うことなく、いつのまにか消えていって、しまうのだろうと、ぼんやり思った。
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・とっつぁんは悪い人、じゃなくて先代将軍がとても大切だったから、忘れたくなかったんです。そういう気持ちを持ち続けるには誰かを憎むのが一番手っ取り早い、って言う、だけだったのかもしれない、っていう話。(07/7/20 4時50分)
⇒2012年2月時点追記:まさか先代将軍が存命とは思いませんでした!
しかし昔書いたものだしッ、という理由でこの話はこのまま行きます。
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