「あなた馬鹿なんですか、えぇ、馬鹿なんでしょうね、「天然キャラ」ってかかわいらしいイメージがありましたけど面と向かってみると苛立ちしかありません」
消毒液のにおいのする、と前置けばイメージされるのは病院である。しかしここはヒーローズの使用するトレーニングルームを設備するアポロンメディアビル内の医務室。ヒーローたち専属医であるはその幼い顔を苛立ちに歪め、ダン、と聊か乱暴に患者の背中を叩いた。と言ってもそれは暴力の類ではない。医者であることを誇りとしているはどんな理由があろうと他者を害そうというつもりはなく、ただの子供の癇癪の一種だった。
患者用の丸椅子に腰掛けにこにこと柔らかな表情での小言を受けるKOH、スカイハイことキース・グッドマンはのそういった癇の虫の騒ぎに慣れている。取り合うこともなく持ち前の天然さもあって、が手当てしてくれた腕や背中の傷を手で触れて確認すると満足げに大きく頷き、にっこりと爽やかな笑顔を彼女に向けた。
「いつも丁寧に治療をしてくれて私はとても感謝をしている。だからそんな君に言いたい、ありがとう、そしてありがとう!」
「張っ倒しますよこのKOH」
なんで同じことを二度言うのだ、とは額を押さえた。
世間が言う「スカイハイさんの天然さ」やら「同じことを二度言うのが特長で愛嬌がある」というものも己には苛立ち要因でしかない。しかし自分の言った「KOH」という呼称は蔑称ではなく悪口にならなかったと気付いて顔を顰める。当人そんなことを気にもしないがこちらのプライドの問題だ。それで何かキース・グッドマンを罵る良い呼称はないかとあれこれ思い浮かべるが、残念なことに「天然野郎」以外この男を罵れるものが思い浮かばなかった。
名誉の為に言うが、けしての想像力が乏しいのではない。この冬に13歳になる、あどけなさを残す丸みを帯びた顔に大きな目、大きな帽子をすっぽり被って長い黒髪を白衣にたらしている学者風の装い、この少女はアポロンメディアが中央病院から引き抜いたシュテルンビルドきっての天才医師であり、記憶容量系のNEXTである。彼女の頭脳と知識を持ってすればまるで欠点のない人間を罵倒し鬱病に追い込むくらいお手の物だったが、そのの目を持ってしても、この、キース・グッドマンは「完璧」だった。
「金髪青目筋肉質高身長愛犬家友人想い正社員高収入NEXT能力が飛行能力って……どこの白馬の王子だ、このイケメン」
「え?え?あ、ありがとう…?」
思いつく特徴を並べてはぐわぁっ、とキースの胸倉を掴んだ。殴るような体勢であるがが暴力に訴えることをしないと信頼しているキース、やや戸惑いながらも叫ばれた言葉が「褒め言葉?」と受け取れるものだったので礼を口にする。
「褒めてないです」
「そ、そうなのか?すまない、勘違いをしてしまった」
「あなたの欠点が見つからないのがいけないんです。このイケメン」
困惑するキースはごもっともなのだが、はフラストレーションが散々溜まってそれどころではない。ぐしゃぐしゃと膝の上で薬草をすり潰し、まだ露出したままのキースの首部分にべっどりと塗りつけた。目が痛くなるほどの悪臭にキース・グッドマンがその整った顔を顰める。
「すごい臭いだな」
「湿布みたいなものです。速乾性ですし、市販のものより効果があります」
「ひょっとしてくんは怒っているのかい?」
ふざけたことをぬかすのではじろり、とキースを睨み付けた。途端「いや、はは、そ、そうだよね、そんなわけないよね。すまない、そしてすまない」とキースが気後れしたように謝罪してくる。そういう態度に益々苛立った。
「あなた、馬鹿ですよ。えぇ、馬鹿なんです。ヒーローの格好してないときも人助けして、でもあなた、ヒーローの格好をしていない時にNEXT能力を使うのはダメだとか自分勝手に決めて、それでいつも怪我をして、馬鹿じゃないですか、全く、馬鹿ですよ」
「くんに馬鹿だと言われてしまうと言い返せるひとはいないんじゃないかな」
「当然です」
困ったようにキースが笑う。は眉を寄せて、また乱暴にぐいっと、湿布を張った。
この男は、この、妙にやわらかい顔で笑うこの男は馬鹿が付くほどの天然で馬鹿が付くほどのお人よし、その上思い込みも激しかった。
はヒーローという概念がそもそも嫌いで、唯一の例外がワイルドタイガーであるが、いかにもヒーローという、このキング・オブ・ヒーローのスカイハイが、どちらかといえば嫌いであった。
しかしにへら、とした顔で「くん、すまない、そして申し訳ないが手当てを頼むよ」と言われればアポロンメディア、ヒーロー専属医務室室長であるは断ることはできない。彼自身のひとたらしという魅力ゆえではない。ただここにいる限りはヒーローの手当てを(たとえそれが指にとげが刺さったとか些細なものであっても)丁寧十分きっちりとこなす、というのがのプライドである。
(どこまでも正義のヒーロー。仮面の下は白馬の王子さま。なんです、この完璧な「ヒーロー」は)
キース・グッドマンはよく執務室を利用した。つまりはよく怪我をする。いや、普段のヒーロー活動での怪我、ではない。上記の通り、キースはヒーロー活動以外の時間、普通のヒーローたちが「私生活」に当てているその時間すら「正義の味方」のままでいる。公園で女性がたちの悪い男に絡まれていたら身を呈して守り、困っている老人がいれば助ける。それはいい、まぁ、それは慈善活動の一環で一般人もできなくもないだろう。
だがキースは、この男は、それだけではない。
(もともと凶悪犯と戦うヒーローだから、延長線上の私生活であっても、それを変えない)
一般人でいなければならない「ヒーローの格好をしていない時間」であっても、キース・グッドマンは当たり前のように凶悪犯と向かい合う。
先日など偶然居合わせたバスジャックの犯人に素手で立ち向かい、その時は別段犯人に刺されることもなく取り押さえられたのだけれど、犯人がバスに仕掛けた爆弾が爆発し、民間人と犯人を逃がすことを優先して自分が被弾した。
「ねぇ、あなた、いつか死にますよ」
もちろんキースは普段から鍛えているし、当然受身も取れる。爆発時に巻き込まれても最小限の被害に留められるよう身を上着やバスの椅子で庇ったのも評価できる。だが能力を使えばもっと楽だったのではないか。は13時間に及ぶ執刀の最中この男の焼け爛れた肌、血が足りなくて青白い顔を眺めて呆れたものである。
思い出し、一応医者として、また同じネクスト能力者として忠告してみれば、キース・グッドマンはいつものようににへら、と笑う。
「うん、でも、助けてって声が聞こえたり、困っているひとを見ると体が勝手に動いてしまうんだ」
「でも体が勝手に能力使ってはくれないんですね、たいした反射神経ですよ」
「はは、そうだね。あぁ、そうだね。それでくんにこうして迷惑をかけてしまっていて、本当にすまないと思う」
迷惑だと思うほど手間は掛けていない。そんなこともわからない馬鹿なのかとは再度言い切り、くるり、と背を向けた。
キースが来そうだと思う日は割りと大目に薬を用意している。どういう基準で「今日は来るのか」判断しているかと言えば統計だ。物事はほとんどが統計で知ることができるとは思っている。
カチャカチャと道具を片付け、手洗い場で丁寧に手を洗い終えると、怪我の具合を確かめ、上からシャツを着直したキースが立ち上がっていた。
手当てが済めばは「さっさと帰ってください」オーラを全開にする。KYな男でも不機嫌な少女の様子くらいはわかるのかいつもであれば「ありがとう、そしてありがとう」と妙な言い回しで礼を言い去っていく。そうしては静かな時間を取り戻すのであるけれど、今日は立ったままじぃっとこちらを見下ろしている。
「なんです」
自分の身長が低い所為だとはいえ見下ろされるのは好きではない。は神経質にぴくんと眉を跳ねさせてキース・グッドマンを見上げた。深いブルーの瞳の男はにっこりと笑みを深くし、うん、と大きく頷く。何か決意をしたような、大層な動作である。
「いつも君には世話になっているから、是非今日はお礼をさせて欲しい!この後一緒に昼食をどうだろうか!」
「嫌です」
珍しく昨日今日と犯罪がなくヒーローTVも過去の事件でのヒーロー特集などで繋いでいる「平和」な二日間であった。ヒーローが出動しない、ということはの仕事もそうあるわけではなく、多忙、ではない。
だがなぜこの一緒にいるだけで苛々させられる男とランチなどせねばならないのか。
きっぱりと断ると、キース・グッドマンは叱られた子犬のようにしゅん、とあからさまに気落ちした。先ほど大層に決意決断したから余計にへこたれている。一般的にこちらに「落ち込ませた」「酷いことを言った」と罪悪感を抱かせるような反応だがそんな態度の通じるではないので当然放置する。
しかし、残念そうに肩を落としたキースが「先日タイガーくんを誘ったら好評だったバーガーの美味しい店があったんだが…」と呟いたのを耳で拾ってしまい、はぎゅっと、振り返ってキースの手を握り締めた。
「行きます。今私の胃袋が急激に空腹を訴えました」
自他共に認めるワイルドタイガーのファン、は「好きなアイドルの好きな食べ物は一度食べてみたい!」というミーハー根性が自分にもあることを自覚させられた。
(あぁ、わたしって単純)
冷静な部分ではそう自分に呆れるが、しかし浮ついた部分はすっかり舞い上がっている。「虎鉄さんがお好きなものを知れるチャンス!差し入れ用に買って行ったら喜んでくださるだろうか!」などと打算的なことまで考えてしまう、そういう妙なところで活用するな灰色の脳細胞、と保護者代わりであるユーリ・ペトロフがいれば突っ込んだかもしれないが生憎彼は司法省で執務中である。
「よかった!それじゃあ行こうか!今ならそんなに混んでいないだろう」
「……」
「くん?」
あれこれ考え脳内ではすっかり「虎鉄さんに「ありがとう」って言ってもらって頭を撫でてもらう」と飛躍しまくった展開になっていたは、はたりと我に返った。
「そうですよね、外出するんですよね」
「カフェテラスがあるような店じゃないんだが、公園のベンチがあるし、今日は天気がいいから気持ちがいいと思う。私はいつも公園で街の人たちの平和な姿を眺めながら食事をするのが好きなんだ」
「……」
キース・グッドマンの趣味趣向などどうだっていいのだが、忘れていた、この男、ジャンクフードを片手に公園でランチタイムを平然とするタイプだった。
は額を押さえ一時のテンションで食事を受け入れてしまった自分を後悔する。
普段頭脳明晰冷静沈着(しかしわりと短気)で知られる才女であるが、鏑木・T・虎鉄のこととなるとすっかりピンク色の脳細胞になってしまう。
こう見えてはシュテルンヒルドの重要人物だ。といって権力やら地位があるわけではない。
単純に、記憶力が優れ頭がいい、結果新薬開発や難しい外科手術の成功者であるということが「貴重な人材」であると判断されている。
そして自身がまだ若干十三歳でしかない、ということが問題にもなっていた。
ある程度経験を積んだ「天才」であればただ歓迎し協力を要請するだけでいい。しかしはまだ幼く、頭はいいが(出生から8歳まで父親に監禁されていたため)社会経験が極端に乏しい。周囲の大人、いわゆる市長を元とする「有権者」「代表方々」は「幼い天才を一般社会においていては危険な思想、あるいは悪に染まりはしないか」と懸念した。ヒーローが活躍しこそすれ、シュテルンヒルドはいまだ犯罪、テロ、NEXT選民意識、あるいは差別者が多くいる街である。そんなところにまっさらな状態の、なんにでもなれる可能性のあるを放り込んでよいものかと、それはという子供のためではなく、将来的な自分たちの保身が目的であった。
彼らは過去天才的な頭脳を持ち社会貢献できるだけのものがありながら、天才ゆえに犯罪組織に利用、あるいは共感し手に負えなくなった人物たちをよく知っている。そういう経験もあり、シュテルンヒルドはの監視・干渉を決定した。
正当防衛であると判断されたとはいえ父親を殺害し保護観察が必要となっていたである。当人も異論はなかった。
そういう経緯で、上からの信頼も厚い裁判官で実家住まい・独身者の若手裁判官ユーリ・ペトロフが抜擢され(当然のことながらユーリ本人は母親のこともあり相当拒んだのだけれど、カウンセラーが「ユーリさんと二人きりではなく、無邪気な子供がいたほうがお母さまの回復に役立つでしょう」と言い強制的に執行された)ユーリが執務を終え迎えに来るまでは社内から出てはならず、会社・司法省・自宅以外は出入りできない、という規則がある。
「くん?お腹が痛いのかい」
押し黙り小難しい顔をするをキースが案じる。
「いえ、自分のうかつな発言を悔いる、そういう経験をしているだけです」
短慮ってよくないですよね、と疲れた様子で言い、は安楽椅子に座り込んだ。不思議そうにこちらを見つめているその青の目を受け、さてどう説明したものかと一瞬思案、当たり障りない言葉を選んだ。
「私、いつも仕事が終わるとユーリが迎えに来てくれますよね」
「あぁ!タイガーくんがよくお世話になってるあの司法省の髪の長い綺麗な人か!最初見たとき女性かと思ったよ」
当人が知ったら落ち込むことをすがすがしい笑顔で言う彼は正義のヒーローだ。
確かにユーリの顔はとても綺麗だ。当人火傷を隠すための薄化粧が「男が化粧をするはずがない」という前提のもと「きめ細かさは生来のもの!」と思い込まれて「色が白い」と取られている。
には不健康としか見えぬあの目の隈も「どこか神秘的な雰囲気のある人だな」と一部では妙に受けもいい。まぁ、そんなことはさておいて、は説明を続けた。
「わたしこれでも箱入り娘でして、保護者であるユーリの許可がないと会社の外には出られないんです」
「?どうして?」
「裁判官のユーリ・ペトロフに個人的な恨みのある人間が家族であるわたしに報復しないかとか、まぁそういう理由で心配されているんです。感動的ですね、愛されていますね」
どう考えてもあの裁判官殿がの身を個人的に案じるわけがないのだが、筋は通っているはずだ。はキースに自分が危険因子になりえるからなどという面倒くさい説明をしたくなかった。
「そうか…うん、なるほど、そういうことか」
こちらの(ありきたりではあるが)言い分に納得したように頷いて、キースが腕を組む。
ヒーローをしている彼も自分が犯罪者に恨まれ(天下のキング・オブ・ヒーローだ。その数も多いだろう。また、そういった危険性のためヒーローが素性を隠すことが多い)家族に危害を加えられるかもしれない、という危機感は共感できる部分があるようだ。
「すいません、一時はOKを出しておいてなんですが、やはり遠慮させていただきま、」
「よし!それなら大丈夫だ!」
折角鏑木虎鉄が気に入ったという店に買い付けに行けると期待があっただけには残念だった。キースの誘いを断ることになった罪悪感は欠片もないが、行けない、ということに悔しさを滲ませ眉を下げると、最後まで言い切る前にぐいっと、キースがの肩を掴む。
「なぜなら私が君を守るから!」
「いえ、あの、まって、待ってくださいよ、あの、別に守っていただかなくても結構です。というか問題はそういうことじゃなくて、」
「そうと決まれば裁判官さんに連絡を入れて許可を貰おう!そして承諾してもらおう!」
「あの、だからそれ意味一緒…」
こういう行動は早いキース・グッドマン。が突っ込みを入れている間にさっさと司法省のユーリ・ペトロフに連絡を入れ外出許可を得た。一応も保護者に挨拶をするため電話口で代わってもらったが裁判官殿は「ヒーローが一緒ならこれ以上のボディガードもないでしょう」とごもっともな言葉を告げてきた。
「さぁ行こう!くん!今日は天気がいいから、きっと楽しい」
電話を切って嬉しそうにこちらに手を伸ばす好青年、は約三年ぶりに仕事関係・自宅以外の場所に、ユーリ以外の人間と出かけることに、ほんの少しばかり心が弾んだ。
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