くんは、とても賢い」

キース・グッドマンの会話・話題はいつだって唐突だ。今日も今日とて二人で午後のティタイム、なんぞと洒落込むのは本意でないといっても常習化していることは事実で、それはも渋々認めるところ。そのお決まりの時間、お互いの定位置にあって、先ほどまでジョンの毛並みの手触りの良さについて熱弁していたキースが何の前触れもなく口にした言葉。この男の突拍子もない話題にも随分慣れた。はさして驚きもせず、片手に持っていた陶器のカップをソーサーに戻し不機嫌そうに片方の眉だけぴくんと神経質に跳ねさせる。

「何を当たり前のことを言ってる。バカにしてるのか、お前」

医務局にいる時やワイルドタイガーらヒーロー相手には出来る限り礼儀正しい口調をと心がけているの平素に戻った言葉使いに、キースは彼女の機嫌を損ねたと気付き慌てて首を振る。

「いや!そんなつもりはないよ!断じて!けっして!」

大の男がワタワタと身ぶり手ぶりで必死に謝罪してくる。その様子がには面白い。それで、フン、と行儀悪く鼻を鳴らし、は勿体ぶった態度でギシリと安楽椅子を軋ませる。何も夏目、言葉の通り「バカにされた」などと感じたわけではないし、何よりキースが人に嫌味や皮肉、悪意のある言葉を投げられるわけがないと知っている。わかっていて意地の悪い言葉を返す、自分の性格の悪さをじっくりと再認しながら困った顔をしても相変わらずイケメン、と感じるKOHを一瞥した。

「で、なんです」
「その、気を悪くさせたのならすまない。そして申し訳ない。だが私は思ったんだ」
「私が賢いのは当然です。そういうNEXT能力なんですから」

秀才天才、頭が良い、なんて評価はにはさしたる価値もない。太陽が高熱を発しているように当然のこと。知らぬキースではないだろうに一体今更何を言うのか。

問う目を向けると、カチャリ、とカップを両手で包みこむようにして持つ(この男は大柄なくせに、その時折の仕草が妙に可愛らしい)キース、一度沈黙し間を開けた。

何か言い辛いことか、いや、この男が、思った事をどうもそのまま口に出してしまう男が何を言い淀むことがあろうか。であれば「どう話せばくんに誤解されずに伝わるか」というのを、珍しくも考えている、と言ったところだろう。

は考え込むキース、という珍しい姿を(大変失礼だが)しげしげと眺める。互いのカップが空になればこのお茶の時間は終了。は先ほど飲み終わっており、あとはキースの一口分を残すのみ。ティポットにはまだ2杯分はあるのをお互い知っていてもキースは決まって「一杯」だけで腰を上げる。その最後の一口を飲み干すのに十五分近くかけるのならいっそおかわりすればいいのに、とは改めて思って、なんだか胸のあたりがざわついた。

「?」
くんは、」

その妙な覚えのない感覚に首を傾げていると、やっと考えがまとまったのかキースが口を開く。はキースに顔を向け、その、眉間に寄った皺、真剣な目に一瞬息が止まる。

くんはとても賢くて、そして勇気がある。どんな苦難にも負けない心、物事を的確に判断する冷静さがある。とても素敵な人だ、素晴らしい人だ」

真っ直ぐにこちらを見つめる、ソファに座り、カップを手で持つ青い目の青年。じぃっとじっと、離れた場所、安楽椅子に座るの、赤い瞳を覗きこむ。

「私はくん程強い人を知らないし、賢い人を知らない。しかし、それでも、そんな君でも」

夢を見たのだと、キースは言った。今朝方に見た夢。朝起きてからベッドの中でぼうっとしている間、ジョンと一緒にジョギングをしている最中、トレーニングルームで身体に負荷をかけている時間もずっとずっと、気になって、考えさせられた夢を見たのだと、そう言う。

明け方に見た夢は正夢であると、トレーニングルームでネイサンやカリーナ、乙女組に言われ、それでいてもたってもいられず、しかしイレギュラーな事態を嫌うを考えて、いつものお茶の時間を待った。(すぐに話せずにいたのは、の顔を見て嬉しくてその不安を忘れてしまっていた)と、そう、答え合わせのように言ってくるキース・グットマン。何が言いたいのかとまだわからぬので黙ったをそのままに言葉を続ける。

「そんなくんでも、もしかしたら、どうすることもできない、そんな状況になるかもしれない」
「わたしが悪の親玉に攫われる夢でも見たんですか」
「その夢は随分前にいくつか見たけれど、幸いなことにいつもくんは自力で悪の組織を壊滅させてその上しっかりワイルドくんの手柄に情報操作していたよ」
「当然です」

ではどんな夢だと、はちょっと興味がある。というか、自分は何回この男の夢に出てきているのかも気になった。別に出演料を寄こせ、とかそういうつもりはないが、口ぶりから毎回ピンチになりそうなシュツエーションのようで、しかし毎回キース、というよりもスカイハイが救出に向かう前に解決しているらしい。

いろいろどこから突っ込んでやろうかとが考えていると、カタン、と物音、我に返ればキースが立ちあがってこちらに近づいてきていて、そしての前で立ち止まり、膝をつく。椅子に腰かけている己と目の高さが近くなり、片膝をついたキースの方が若干低い。キースはの膝の上の手を取って、じっと見上げてくる。

「どうかくん、信じて欲しい。私は必ず、君を助けに行くよ」

賢さや勇気、で世の中の全てが乗り切れるわけではない。はそれに加えてNEXT能力があって大抵のことは何の問題もなく解決させる。キースもそれを知っている。を侮るなど、あり得ない。だがしかし、しかし、キースは今朝の夢で観た。

どんな状況かはわからない。だがが、どうしようもなくなってしまって、苦しみ、泣き、打ちのめされているその姿をはっきりと夢に見たのだと、そう言う。

「君はヒーローを嫌う。それは分かっている。それでもきっと、君にもヒーローは必要なんだ」

手を握り「私は必ず」と誓うキング・オブ・ヒーロー。

その頭、金色の髪、青い瞳、おとぎ話の騎士か、王子さまがそのまま抜け出してきたような、正義の心を持っているヒーローの誓い。

は見下ろして、ぎゅっと眉を寄せた。












信じたつもりは、きっとなかった











(どうして、今、そんなことを思い出すんだ)

ぱちり、と目を開けては白昼夢。いや、時刻は夜だが、朦朧としてきた頭の中で流れた過去の記憶に呆れた。

ずっと同じ体勢のままもう二時間以上経っている。抑制された体がストレスを感じ、大きく伸びをして酸素を取り入れたくて仕方ない。そういう状況であるから意識が混濁してくるのだろうか。いや、しっかりしろ、夏目、今頭を使って考えるべきことはもっと他にあるだろうに。自身を叱責し、コツンという靴音、目の前に現れた黒縁眼鏡にスーツの男、アルバート・マーベリックを見上げた。

今このタイミングで見たくない顔ぶっちぎりのナンバーワンだ。(次点はバーナビー・ブルックス)

睨みつけると当人はにこにこと人の良い人間が浮かべる手本のような笑顔をこちらの向け、そしてさも申し訳なさそうに眉をハの字に下げて見せた。

「すまないがくん、どうも君に私の記憶操作の能力は有効ではないようだ」

なぜか突然、全く持って唐突にシュテルンビルド市内にて「大河虎鉄」が指名手配された。もちろんワイルドタイガーとして、ではない。奇妙なことに「虎鉄=ワイルドタイガー」という公的な記録が全て抹消され、さらには正体を知っているはずの医務局のスタッフまで虎鉄のことを知らぬという始末。

何かおかしいと違和感を覚えたが保護者であるユーリ・ペトロフの元へ向かおうとした途中、ワイルドタイガー、のようなものに襲われこうして捕らえられた。

その後色々あったのだが、要約すれば全ての元凶はこのマーベリック。虎鉄を苦しめ、兎の両親を殺した犯人。は常々この男が嫌いであった。ペトロフ家の不幸は全てこの男の所為だと心底思っている。だからこの男から「悪役です」とカミングアウトされたときもさほど驚きはない。

しかしマーベリックがNEXTであったこと、またその能力が人の記憶に干渉し記憶を書き換えるという危険なものであることには驚いた。

「当然だ。お前なんかにわたしの記憶が書き換えられるか、このイボ」

その力で虎鉄を追い立てたようだ。は噛み付くように言い放つ。

の能力は記憶すること。マーベリックと能力の部類は近いのだろう。だからマーベリックが書き換えようとしてもの記憶にはバックアップがあり、書き換えられたところで即座に修復される。

「お前の思い通りになんかならない。虎鉄さんを苦しめたお前は地獄行きだ」

今も街中で虎鉄は言われなき罪に追い立てられているのだろうか。それを思うとの胸は張り裂けそうだ。だがワイルドタイガー、が信じる正義のヒーローはけして負けない。きっと虎鉄ならこの状況を打ち破ってこの目の前のイボ野郎を殴り飛ばすのだ。

「お前のその時の無様な姿を永久保存版で記憶できるのが楽しみだ」
「きみ能力は貴重だ。こちら側に引き込まないのは惜しい」

マーベリックはの言葉などまるで聞いていない。嘲笑する少女を商品を見下ろす商売人の目で眺め、そうだ、と勝手に頷く。

「考えたのだがね、まぁ、君はどんなに脅しても私の言うとおりにはしないだろう。だからここはひとつ君の記憶を上書きするのは諦めて、君をまっさらな状態にしてしまおうと思うんだよ」

ひくり、との顔が引き攣った。賢い彼女、この男が何を言っているのかは直ぐわかり、そしてそれが可能である、ということも理解した。

マーベリックがの記憶を書き換えられないのはにはっきりとした「自我」があるからだ。自我あり、「自分の記憶」と認めているものがあるからはコンピューターのような情報を入れるだけのものになり下がらずに済んでいる。発狂しそうなほどの情報を抱え自我を保ち続けているのは自分自身を自覚しているからで、それほどの負荷に耐えているのだからマーベリックの干渉など脅威ではなくなっている。

だがマーベリックの「人の記憶を書き換える」というその能力、いうなれば精神を破壊することができる力でもあるということだ。実際目の当たりにはしていないが能力の研究をしたことのあるは、そんな予想が容易くついた。

始めての顔色が変わったことにマーベリックは満足げな表情を浮かべる。分厚い唇を歪め、ぽんぽん、と優しい手付きでの頭を撫でる。

「何、殺すわけじゃない。廃人になってこそ君のNEXTとしての能力は輝くんだ。それに今までと変わらない、データを詰めていく人生だよ」

それは確実な「夏目」の死である。

は養父ユーリの実母、オリガ・ペトロフを「心の壊れたひと」とそう判断してきた。オリガはかつてユーリを慈しんだオリガとは別人。人は心や記憶が壊れてしまうとまるで違う人間になる。つまり人を支えているのはその記憶で、体は入れ物のようなもの。そのような哲学がにはあった。

(ここから出るシュミレーションを1000通りした。しかしどれも、わたしでは実行不可能だった)

己の腕力のなさをは自覚している。万に一つ、この部屋から脱出できたとしてもマーベリックには偽ワイルドタイガーなどといった戦力がある。そしてこの街は現在マーベリックの手中にあるのだ。

ユーリの元にたどり着く前に必ず己は再び捕らえられる。

(ここまで、か)

恐怖はない。一瞬の動揺をしはしたが、己の能力、弾き出される結果がを冷静にさせた。足掻くことは無駄である。そう突きつけられた心、動揺することは無様だ。

観念したを悟ったか、マーベリックがもったいぶるようにゆっくりと部屋の中を歩く。あれこれとなんぞご高説をのたまっているが、にはもはや興味のないこと。目を伏せ、せめてこれまでの人生を思い出そうと最後に能力を発動させる。

短いが、己は中々に恵まれた人生であった。
生まれはよくわからないが、ユーリに引き取られ、オリガに可愛がられ、そして勉学に勤しみ周囲の嫉妬を受けながらも医者の道に進み、虎鉄さんに救われた。

己が死ねばユーリが一人ぼっちになる。そのことを考えないわけではない。だが、に不安はなかった。ルナティックとして、ユーリは虎鉄に会った。虎鉄は、どうやらNEXT能力が後退しているようである。子が目覚めたからなのかそれはには結局わからなかったが、しかし、奇しくもユーリの父と同じ状況になった。

だからきっと、ユーリは大丈夫だ。それを、なんの保障もないけれどは思い不安を消していた。

仕事も、問題ない。己がいなくても困るだろうが、しかし世界が滅亡するわけではない。人が死んでも世界はきちんと回っている。それをは知っている。だから、何も問題はない。

それに、マーベリックのことだ。きっと夏目、という人間が存在していた、その記憶も消してしまうのだろう。

『明日も明後日も、君を誘いに行くよ。だって明日や明後日には、くんも外に出たくなるかもしれないからね』

再生されていく脳裏に、ふと浮かんだ優男の顔と、声。

ぱちっと、は目を見開いた。

あの男も、わたしを忘れてしまうのか。
あれだけしつこくわたしに付きまとったのに、あれほどわたしを外に連れ出して見せると豪語したのに、このイボ野郎の「能力」だなんて簡単なもので、あいつはわたしを忘れるのか。

正義のヒーローなど大嫌いだとはっきり言った己に、眉を下げながらも「しかしわたしはヒーローでい続けるよ!シュテルンビルドの平和の為に!」と言い切ったキース。
ジェイク事件のあと打ちのめされ自信を失っていたものの、女性に恋心を抱き自分を取り戻したキース。

が敬愛するワイルドタイガーとは違う種類の、正義のヒーロー。型にはまったその偽善者っぷり、まるでミスターレジェンドのように常に完璧でいようというその心が、は大嫌いだった。

『私は必ず、君を助けに行くよ』

なんの保証もないのにそう、勝手に誓ったあの男。
今頃何をしているのか、はリアリストだ。ここで都合よくキースがやってくる、なんてことは期待していない。

虎鉄さんが危機に陥りながらも悪に立ち向かうと、そういう状況になるのなら、仲間のヒーローたちもきっと共にいることになる。記憶操作も虎鉄さんならなんとか打破する。そこに、仲間は絶対にいる。

だからスカイハイは此処にはこない。ヒーローはテレビの画面の中にしかいなくて、そのテレビ画面の事件は自分には関係ない。

きちんと、はわかっていた。

『私は必ず、君を助けに行くよ』

能力を使わずとも、思い出せるその声、言葉。

あぁ、とは目を伏せた。

「君はここで、誰にも知られず私に壊されるんだよ、夏目くん」

マーベリックの手がの額を掴む。

掠れていく意識、歪んでいく面影。

己がここで死んだらキースは「間に合わなかったヒーロー」と、落ち込むだろうか。いや、マーベリックがきちんとキースの記憶を書き換えてくれるだろう。

マーベリックは大嫌いだが、しかしはこの悪役がワイルドタイガーによって舞台から追い出されるその前に、キース・グッドマンからきちんと、夏目を奪ってくれと、心から願った。



Fin



あとがき
さんはキースが来る、とは思ってないし期待もしていないのですが、危機に駆けつけたいという強い意思は理解していて、スカイハイ、正義のヒーローが「間に合わなかった」という現実を突きつけられるのは嫌だと、そういう気持ち。

(2012/03/29 22:46)