「とても素敵な人なんだ!素敵なんだ、とても!」
高潮した顔で話すキース・グッドマンを前にして夏目は「何度も聞きましたよ」と苦笑を返した。
元KOHが恋をしたようです
ジェイク戦後はすっかりと医務室から遠ざかり(入院してはいたが退院後も検査以外では寄り付かなくなった)どこか腑抜けた人形のような有様を晒していた男が本日急に復活した。それでこれまでの空白期間などなかったように笑顔一杯で医務室にやってきて、以前のように「くん!さぁ公園に行こう!今日もいい天気だよ」と誘ってきた。
「……」
執務机の安楽椅子から立ち上がることもせず、は椅子の上で胡坐をかきそのキース・グッドマンを向かえ、「嫌です」と以前のようにきっぱりと断る。しかしそうするとタイミングよく秘書が「局長、お茶を入れました」とやってきて、スカイハイのイラストの描かれたカップを二つテーブルの上に置く。それであるからは、以前のようにカップを一つ受け取って、キースと向かい合いお茶をすることになってしまった。
そうしてそれでは以前のように「が黙って、キースが一方的に喋る」とそういう状況になるのかと思いきや、そこだけは以前のように、とは行かず、暫くキースが黙っていた。
気を使うではないけれど、普段かまびすしい男の沈黙は気分が悪くなって、それで「調子はどうです」とそう、7社のヒーローの医者に任命された者として不自然ではない会話を降った。キースはそれに一瞬びくり、と顔をこわばらせたようにには見えて、確かここ最近スカイハイの活躍がなく、ヒーローTVでも成績を落とし、今絶好調なタイガー&バニーにその人気を奪われたと、さらには先日の今期最終ランキング+MVP発表ではバーナビー・ブルックスJrに見事王座を明け渡してしまっていたと、そういうことを思い出す。
(兎の活躍は気に入りませんが、虎鉄さんがメディアで多く見られるようになってわたしは嬉しいですけど)
口のさがない連中は世の中に多い。ジェイク戦で一回戦で大敗し、さらにはヒーローランキングの二位に転落した「スカイハイ」をどう評価するのかは想像するに容易い。
はキースの足がここから遠ざかったのは彼の正義の揺らぎ、あるいは自信の喪失だろうと見当付け放っておいた。ヒーローとして彼がこのまま転落するのならそれもそれ。はキースに、どこかレジェンドと似た要素を見ていた。一心不乱な正義のヒーロー。人の期待に応えることを喜びとし、それを義務と信じている。そういう男が、そういう人生であった男が、あっさりと「無力」を思い知らされたときどうなるか。
堕ちるのならその様をユーリの目に触れる前に医療事故でも装って引導を渡してやると、そういう心さえあった。
だからこうして目の前で、「調子はどうです」と問う己にほんの少し不安がる様子を見せたキース・グッドマン、元王者をは冷静に眺める。
「怪我はもうすっかり治ったよ。くんの治療のおかげで以前と変わらない生活ができている。後遺症も出るかもしれないと言われていたがそんなことにならず、本当に君には感謝している」
ジェイク戦にてワイルドタイガーの敗北後、アニエスがジェイクに交渉しワイルドタイガーと捕らえられていた二人のヒーローが解放された。
すぐに病院に搬送されが優先的に手術を行ったワイルドタイガーは(その後当人がバーナビーのために病院を抜け出すというの神経を逆なでする行為をしたとしても)経過もよくその後の検査でも悪いところは出なかった。
しかしタフさが売りのロックバイソンと違い、重症のまま生身の肉体で長時間高所に吊るされていたスカイハイはあと少し遅ければ両腕が壊死して使い物にならなくなる、というところまで来ていたのだ。
「NEXT能力者は元々一般人よりも治癒能力が高いんですよ。それにあなたは普段からよく鍛えていらっしゃる。さすがに一週間で足の骨折を治したことには驚きましたが、とにかく、あなたの治療に関しては特別わたしが何かした、ということはありません」
TV画面で、はスカイハイがジェイクに嬲られる様子をしっかりと見ていた。どの程度の怪我であるか、どの器官が無事か、処置が必要か、流れた血の量もなにもかも把握していた。
(わたしはあなたが殴られるのを観ながら「まだ死なないからほうっておいていい」とそういう判断をしたんですよ)
感謝の言葉を向けられる覚えはない。は目を伏せ、カップを膝に乗せた。
「思ったより、顔色がいいようで安心しました。てっきり死にたそうなほど落ち込んでいるかと思いましたから」
「はは、心配をかけてすまない」
「何か良い事でもありましたか」
成績不振に対する悩みはあるのだろうが、しかしそれをこちらに知らせはせぬ態度。だからも知らぬ顔でいる。キースにとって己はそういう立ち居地なのだ、というのがよくわかる。これが友人や家族であれば「何か悩み事でも?」と水を向ける、あるいはせずとも「最近悩んでいるんだ」と打ち明けることがあろう。だがキースは己にそうはしない。
(つまり彼にとってわたしは未だに「救うべき対象」あるいは、悩みを打ち明けて相談したい「信頼」のある人間ではないということですか)
言葉は悪いが「子供相手に話せる内容じゃない」とそう判断され彼は己に悩みを打ち明けない。
は勝手に解釈しておいてなんだが腹が立った。その己にも腹が立つ。頼られたところで人を救うことなどできぬと3年前に諦めているだ。何もしてやれないだろうと解っているのに、それでも今この場で、キースが自分を「相談相手」にせぬことに苛立つ。
「良い事か、どうか、まだちょっと解らないんだが、今、恋をしているんだ」
「……ジョンが?」
「いや、私だよ」
「…………ジョンに?」
「?いや、だから、ジョンではなくて私が女性に恋をしているんだ」
思考に沈みかけたをキースの妙にほわほわとした声が引き戻す。しかし内容が似合わないネタだっただけに、一瞬の脳は停止し、そして真剣な顔で聞き返したのだけれど、さわかやに、そしてどこか気恥ずかしそうに笑いながらキース・グッドマンは「私は今恋をしているんだ!」と告げてきた。
ガタン、とは無言で立ち上がり、そのまま内線電話で秘書に繋ぐ。
『はい?局長、どうされました?まさかまたスハイカイさんを窓から追い出したんじゃありませんよね?』
「オーレリア!今から30分絶対誰もここに通すな!!たとえ虎鉄さんであってもだ!!!」
一方的に言い放ち、はがしゃん、と電話を切ると何事もなかったようにソファに戻り膳としているキースに詰め寄った。
「恋!?恋って、あなたが、あの、博愛主義者、正直男も女も全部一緒に見えるようなあなたが恋ですか!!?」
「そ、そんなに驚くことだろうか…?私だって人並みに恋くらいするのだが…」
趣味人助け、特技人助けとしっかり履歴書に書いてポセイドンラインの入社試験を受けに行ったような男が「人並み」とか言うな。(以前、スカイハイを心底が嫌うものでブチ切れたポセイドンラインのCEOから「ふざけるな!君はスカイハイがいかに天使か知らんのか!!」と怒鳴られスカイハイマジ天使伝説を強制的にデータに入れさせられた)はいろいろ突っ込みを入れたくてしかたがなかったが、そうなると脱線すると自制して、震える手でカップを持った。
「それで、どうしてそんな奇跡と言うか珍事が起きたんです」
「そ、そんなにおかしいかい?さっきトレーニングルームでローズ君たちに話した時も同じような反応をされたのだが…」
おや、恋をしているとカミングアウトしたのは自分だけではなかったのか、とはやや不満に思う。しかしそれを表には出さず「皆さん驚きますよ」とだけ答えた。
「それで、3人がいろいろアドバイスしてくれてね。女性の意見はとても参考になるよ、とても!」
女性が「3人」だったかとそういう疑惑はさておいて、はトレーニングルームでのヒーロー女子会の様子が眼に浮かぶようだった。
「あの三人の言うことなら的確でしょう。それで、その人とはどこまで行ったんですか?」
「?いや、いつもジョンの散歩で通る公園で会うだけなんだ。いつかいろんな所を二人で歩けたらとは思うのだけれど、まだ会ったばかりだからね」
急いではいけないよ、急いでは。と照れくさそうに言うスカイハイには額を押さえた。
「…一目惚れ?」
「よくわかったね!偶然会った彼女の隣に座っていたら、とても惹かれてしまったんだ」
昨日会ったばかり、しかもおそらく、いや、確実にまだお互いの名前も名乗っていない間柄ではないのか。
(よくもまぁ、それで「恋」だと公言できる)
基本的には「一目惚れ」というのを信じない。いや、「ある」というのはわかっているがそれは「気のせい」「気の迷い」「錯覚」と片付けられるもので、『愛』にはなりえないとそう判断していた。
「出会いというのは、私の家族であるジョンが突然吠え出してしまってね、それで、彼女のもとまで走って行ったんだ。いや、普段人に吼えるような仔ではないんだが、彼女はそんなジョンを許してくれて、それで私がお詫びの印にと持っていたリンゴを渡すと、どうやら彼女はNEXTの能力に目覚めたばかりのようで、コントロールできずリンゴを潰してしまったんだ」
(……)
だが不思議と呆れる心はなかったし、キースを「単純なやつ」と見下すこともなかった。
(嬉しそうに笑っている。とても楽しそうですね)
にこにこと笑い、あれこれ聞いてもいないのにその女性との出会いや彼女がどんな人であるのか、と話してくる。
(以前と同じように)
は前と同じように黙ってキースの話を聞き、カップを傾ける。キースは時折顔を赤くし口ごもりながらも、それでも「彼女はとても素敵なんだ」と話す。
「今日も会いに行くんですか」
「あぁ!ローズくんたちのアドバイスを上手く生かしてみせるよ!」
カップの中身が僅かになった。ペースはキースも同じで、そろそろ追い出すことになる。その「終わり」をほんの一瞬、何か惜しむような心が己に生まれは首を傾げたが些細なものだった。それで、キースが退室しなければならない頃合だと判断する前に口を開いてそれを阻止する。
「アドバイスってどんなです?」
「そうだね、ファイヤーエンブレムくんからは「笑顔」を大切にするように言われたよ。ドラゴンキッドくんは何か褒めるといいと助言してもらってね」
「あぁ、なるほど」
セオリーだ、とも頷く。
笑顔を大切に、と、しかしあえて言わずともこの男ならいつも笑顔だろうとも思った。そして恋をしている相手になら、きっとがこれまで見たどんなものよりも眩しい笑顔を向けるのだろう。
(青春っていうんでしょうね、こういうの)
「ブルーローズさんはなんと言ったんですか」
「ローズくんは、その、スキンシップというか、手を握るのが良いと…」
「できるんですか?」
「難しい!とても、難しいよとても!」
まだチャレンジしてもいないのに今から恥ずかしがって顔を伏せるキースに、は「お前どこの乙女だ」と突っ込みたくなった。
は一目惚れ、というのは「気の迷い」と切り捨てるけれど、しかし、今こうしてキースが顔を赤くしたり、照れくさそうに笑う、その顔は良いと思った。
(これが「恋」をしている顔か)
そういえば自分の周りにはこういう顔をするものはいなかった。の周りは常に社会の黒幕かお前ら、というような腹黒い大人たちばかりであったし、保護観察人のユーリ・ペトロフはレジェンドの一見後恋愛というか、男女の関係そのものに興味を失い(それと多分精神的トラウマから不能になってるんじゃなかろうかとは診断している)これまでそういう話を聞いたこともなかった。唯一、恋愛を経験したと聞いているのはオリガだが、心を病んでいる彼女が夢心地で「あの人と昔ね」と言っていてもには病んだの原因の一つとしてしか記録できなかった。
「…うん?なんだい?くん」
「…なんです?」
「いや、ずっと私の顔を見ているから、何か付いているかい?」
気付けばじぃっと、キースの顔を見つめていたようでははっと我に返った。
「いいえ、ただ、あなたの顔を見るのが久しぶりだと思いました。相変わらずイケメンで腹立たしいですよ」
「?ありがとう!褒めてもらえて嬉しい!」
「褒めてはいません。あぁ、そうだ」
いつものようにピシャリといってから、は思い出したように手を打った。
「もしその女性と上手くいったら、是非紹介してくださいね。お会いしてみたいですよ」
この男にここまで好意を抱かれているのだ。その女性は幸せ者だとは思った。そして同時に彼女に興味もあった。
(ヒーローであり続けたこの男は今、岐路に立たされてる。堕ちるだけであったかもしれないのに、きっと恋をしているから、まだ彼は笑えているのだ)
敗北し転落する元王者。無力と突きつけられたレジェンドが苦悩したように、彼もまた苦悩しているに違いない。はそのスカイハイの葛藤に関与することはできず、また彼もそれを望まぬから、はただ黙ってみているだけだった。
だが、世界というのは優しくできているのだろうと思えるほどに、タイミングよく、スカイハイの前に「恋」の奇跡が舞い降りている。
(ヒーローを救う存在、たとえばそれはきっと、物語のヒロインのような「ヒーローにとって世界中の「皆」とは違う大切な存在」であるのだろう)
博愛主義者の彼が恋をした。
誰も彼もを愛して守ろうとする彼が「特別」と思えたその女性、彼女はきっとキースを救うのだ。当人意識するしないに関わらず、彼は彼女という存在をきっかけに今の状態から脱出できるに違いない。
その過程にはとても興味があり、そして僅かに「その過程をよく研究すれば、ユーリを救えるかもしれない」と久しぶりに期待した。
「結果報告を楽しみにしていますよ」
退室するため立ち上がったキースを見送り、はぐっと、キースの手を握った。
Fin
(2011/10/07 18:06)
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