※サイ初登場絵石家襲撃事件後、病院にて。
そして私は怪獣になった
どうも、どうやら真っ直ぐにこちらを睨みつけていると感じていたが、どうも、どうやらそれはただの「凝視」だったらしいと、暫くしてからは思い当たる。そう誤解がされそうになるほど、意識せずに向けられる彼、笹塚の眼差しは、恐ろしいものだ。けれど別段、睨みつけられようが凝視されようが、そこに含まれる感情に区別がなければ、どちらでもよいと、そうと、そのように思うのである。
「何か」
だから、は平然と首を傾げて、問うてみる。すると、警視庁の刑事殿、寧ろ普段から相手に質問する事に慣れてばかりだろう相手は些か居心地の悪そうな顔をして沈黙する。そして、それだけでは大人として礼儀に欠けると思ったが「いや」と、小さく言葉を発して、濁した。そうしてそれっきり押し黙る。それでもその視線は逸らさぬのだ。はこちらも居心地の悪さを感じなければならないのだろうかと、そんなことをぼんやり考えた。
(全く、馬鹿馬鹿しい)
まったく、何年生きているのか知らないが、その初々しさはいったいなんなのだろうか。普段は「可愛らしい」と余裕を持って含み笑いでもできそうな彼の仕草が、は今、酷く苛立ってしようがない。らしからぬ短慮な己を内心で叱り、不快に思う。が、といって、押さえ込めるほどはまだ感情というものに詳しくはない。というのも、一応己は完璧無敵を誇る魔界の幼き女王「茨の「」」として生まれてきたはずなのに、愛しいと感じた人すら、守れずにこうして病院のベッドの脇に寄り添い、ただ、不機嫌でいることしかできない。人間はもろい。あっさりと、容易くに死んでしまう。それであるのにこの男、いつ死んでも構わぬというような、そんな目をする。もちろんは「真理」と「真理」を心得ている魔の生き物であるから、どうして己がここまで不快を抱いているのかを、理解できぬわけではない。
まぁ、結局のところ、つまりは、は自分の無力さが腹立たしくてしかたがないのだ。
(守りたかったのに)
ベッドに縛り付けられたように横たわっている、男。包帯と点滴と、それに、いろんな医療器具を背後に携えている、男。にはこれらがどのような意味を持つものか、正直よくわからない。科学というものとは無縁の生き物。けれどもこれがなければ死ぬのだろうと、それはわかっていた。細い管がこの男のもろい命をか細く繋いでいる、と、そのことが妙に慇懃に思われた。
ノバラが沈黙していると笹塚が困ったように眉を寄せる。そんな顔をさせたいわけではないのに。唇を噛む。あぁ、きっと、この人はまったくの見当違いなことを考えているのだろう。どうせ、自分が彼女を、を守れなかったとか、たくさんの犠牲を出してしまったとか、の友人、弥子を利用したとか、そんなことを考えているのだろう。
本来、彼が最も考えなければならないことをきれいさっぱり考えず、そんな、にとっては、どうでもいいことを、考えているのだ。
そんなことを考えるのなら。
「すまなかった」
首を動かすことはできないから、声だけで彼は謝罪をしてくる。かっと、は自分の目頭が熱くなったような錯覚を覚えた。くだらない、ばからしい。涙など、もちろん出るわけがない。かといって、逆上するなど、この己にあらざるその思考、の本性が許すわけがない。何も言わずに、ただ脣を噛み、そして何かを堪えるように手を握り締めている小さな少女を、笹塚はどう思ったのか、まだ言葉を続ける。
「本当に、悪かった。どうか、してた。サイに接触するためとはいえ」
断片的に彼は話す。まだ意識は完全にははっきりとはしていないのだ。だから、言葉にもそれほど道筋が立って語られているわけでもない。だというのに、彼は必死にそれを伝えたいという思いだけで、今、言葉をこちらに放っているのだ。それほどに、悔やんだのだ。その理由、つまりは。
「ご心配なく、弥子さまは無事ですわ」
にっこりと、は微笑んでで笹塚に囁いた。点滴の繋がれた細い手首を掴んで、優しく。優しく、そっと答える。
「大丈夫。ご心配は、ご無用にございます。弥子さまはご無事にございます。毛ほどの怪我もございません。笹塚さまが「逃げろ」とそう仰ってくださった時から、一切、弥子さまはに危険はございませんでした。ご安心くださいませ。笹塚さま」
ただ、繰り返した。言うたびに、ずきりと心臓が痛む。いやばかな。心臓など、この己にはないではないか。というにその本来に人間の体であればあるその場所、ずきりと妙に痛む、膿んでいくよう。いや、膿み、毒でも吐き出してくれれば、いったいどのような感情なのか、わかるのに。
(そう、無事。ご無事にございます、何を案じることがあるのでしょう)
言った言葉に嘘偽りなどない。本当に弥子は無事だ。彼女は、何の怪我も負わずにいる。多少、あの化け物という名前の人間に興味を持たれてしまったようだけれど、彼女であれば大丈夫だ。何しろあの女子高生探偵には、魔人がついている。
魔人、ネウロがあの少女にはついているのだ。魔界において何よりも圧倒的であり誰よりも圧力的であったあの男が庇護しているのである。それで、何の危険があるというのだろう。確かに昨今のあの男は、魔人としての力が極端に低下してしまってはいるけれど、それでも、だからといって「人」になれるわけでもない。どれほど弱ろうが、情けなくなろうが、たとえ人間を愛そうが、魔人は魔人。その領分は何も変えられぬことだ。たとえ湯が水になったとしても、水が氷になったとしても、魔人は人にはなれはしない。そしてネウロ、そのネウロ、は、どうやらあの人間の少女に対して何か、なみなみならぬ感情をいだいているようで、ならば、弥子の身を案じる必要性など、どこにあるのだろうか。露ほどもなかろう。そんな杞憂よりも、よほどしなければならないことは、きっと、笹塚の身のこと以外にはないだろうに。
は脳裏にあの怪盗を思い浮かべた。怪盗、怪盗、Xとそうよばれる妙な生き物。人間の形をしているのに、己を化け物ではないかとあんじる、あの、昨日まではただの「わからしい生き物」として表なかった生き物が、今はどうしても憎らしくてしかたがない。いっそ、あの男の正体を突きつけてやろうかと、すら思う。真理を喰らうからすればサイの正体の一つはわかる。それが彼の求める正体であるか、それはには関係ない。けれど、何の口出しも手出しもせずにいたのは、別段、ネウロに対しての忠誠心だけではない。いや、はネウロに対して臣下の例を尽くさねばならなかった。それが魔界と人間界の地平線を力技で破り渡った男への礼儀であり、地平線の魔女たるの義務でもあった。しかし、Xに対して不干渉を貫くのは、おそらくはネウロのためばかりではない。
笹塚の、この、ベッドに横たわりうわ言を繰り返す、この、男のためなのだ。
だというのに、まったく、この醜態はなんなのだろう。その、の「気遣い」とやらが、今のこの、笹塚の負傷という状況を作り上げているのに。
笹塚が小さく呻いた。弥子の無事に安堵して、目を伏せた途端体中の痛みを思い出したのかもしれない。
あぁ、どうして、どうして、そんなにも。
軽い嫉妬が、を刺す。誰に対しての嫉妬なのか、弥子かネウロか、Xか。それとも笹塚本人になのか。己の感情すらにはわからぬ。けれど、けれど、今のこの状況では誰も彼もを己は憎んでいるようにも感じる。嫉妬の対象が定かではなくても燃え上がる憎悪は魔界の地を焼き尽くすのではないだろうか。そう、思った。
あぁ、憎い。憎い、全てが憎くてたまらない。ここまで笹塚に心配される弥子が、愛しい存在を全身全霊をかけて守れるネウロが、笹塚をこんな目にあわせたXが、笹塚の傍らに片時も離れることなく、当然と寄り添える石垣が、憎い、憎いとそう戦慄く。
けれど、何よりも、何もできなかったくせに、こうして感情をただ濁らせているだけの己が一番汚くおぞましい。愛情は憎悪と表裏一体。普段愛しいと慈しめる性質(タチ)なだけに、こぼりこぼりと、湧き上がっていく感情をうまく押さえつけて正当化させることは難しそうだ。
結局のところ、己もいつの間にか完全な魔人としての特性をとうに見失っていただけと、そういうことだろう。
(あぁ、ネウロさま。魔人にとってここは地獄のようでございまする)
Fin
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