黒檀の羅于に繋がれた吸い口と雁首は黄金。よくよく見れば細部に精巧な彫刻の施された一級品とわかる、その煙管を無造作に無骨な男手で掴み紫煙を上らせる隻眼の男。久坂薬局母屋、中庭に出る縁側にて胡坐をかいて当然のように寛ぐ。さらりと着こなす派手な紫の着物には黄金の蝶、女物のようでありながら男が色気を出すために誂えられたような妙な迫力があった。

は、動揺した。

「にゃぁ」

押し黙り棒立ちになったと煙管をぷかりと吹かして言葉は発さぬ男。その双方が一向に何も切り出さずにいるとしびれを切らした、というわけではなかろうが、いい加減の懐が窮屈になったらしい黒猫の千両が小さく声を上げてスルリと飛び降りる。

「せ、んりょう」

はっと、それでやっとは我に返り、どくどくと脈打つ自分の心臓を抑えながら走り出した千両の後を追う。迷子になった子猫はそんな自覚もなく、むしろ「ひとりで外に飛び出して無事にかえってきた!」という武勇伝のつもりであるのか誇らしそうに縁の下で他の子猫をあやしている母猫に飛び込んでいって「心配かけてもうこの子は!」と猫パンチを食らっていた。

「あぁ、おしろさん、そんな乱暴な…。いえ、心配をかけた千両も悪いのですが。ですが、あ、ちょっと、他の子押し潰してますよ」

縁の下に誂えられた猫たちの寝所にて始まる母のしつけタイムにはおろおろと眉を寄せながら見守り、その首をついっと、引っ張られた。

「ちったァ驚けよ」
「……驚いていますよ。十分に。わたしの心臓の音、聞こえてませんか」

高杉さん、と呼べばそれまでニヤニヤと薄い笑みを浮かべていた顔がスッと凍りついたように無表情になり、しかし首に触れた手から確かにドクドクと脈打つ音を感じられたのかぴくん、と、形のよい眉が跳ねる。

「発作か?ったく、夜中にほっつき歩くからだ」
「違います心臓病的なことが原因で動悸が激しくなってるとかそういうじゃなくてあぁもうどうしてわたしが解説しないといけないんです」

いや、ちょっと、とは自分の羽織を脱いでこちらに寄越そうとしてくる高杉に待ったをかけた。縁側を覗き込むためしゃがんでいた足を伸ばし、高杉の隣に腰掛ける。

「驚いていますよ。高杉さんが来て」

予期していなかった、といえば嘘になるがだからといってはっきりと「来る」とは思っていなかった。

江戸に来て数年。己がここに、こうして生きていることを高杉は知っていただろう。そうしてお互い「答え」を出そうと沈黙を続けて昨今。は山崎と出会う前からぼんやりと高杉の訪問を予期してはいた。

攘夷戦争末期、銀時らから離れた己は江戸城で凶刃を振い一方的な報復を終わらせた。先代将軍を殺した時に、己の中の憎悪と敵意、殺意は霧散してしまってその後高杉たちと共に駆けることはどうしてもできなかった。

だからは一人この土地で居を構え、「幸せになろう」と決めた。松陽が願ってくれた己の幸せ、その形にはならぬのだけれど、は自分で自分の「しあわせ」を決めた。

(高杉さんが出す「答え」がわたしの幸せ)

かつて祝言の日取りまで決めた相手。しかし離れてしまって、高杉は駆け続けた。けれど「別れた」というのが永遠になるわけではなく、いつか必ず互いに顔を合わせる日が来るとわかっていた。だからと高杉は「その時」に何を選ぶのか決めたら会おうと約束をした。

別段その約束は高杉相手に限ったことではないのだろう。こうして銀時と再会し、そうして桂や、いずれは坂本とも出会えるような気がにはした。

(銀兄さんは「昔と変わらず」私を「妹」のように扱ってくれる。桂さんは、昔とは違ってもう「同志」ではないけれど、かつてを共に生きた同郷者として接してくれている)

一度「別れた」人間同士が「再会」すれば必ず「あなたをどう思うか」「あなたにどう思われるか」と選択をする。

(わたしは五年かけて、高杉さんが選ぶ答えがわたしの幸せであると、受け入れる覚悟を決めた)

人に自分の生を任せる。一見無責任、簡単のようで、中々に難しい。どんな選択を突きつけられてもそれを心の底から受け入れ、そして後悔をしない。死ねと言われても、鬼兵隊に入ってこの国を壊せと言われても、従う。そしてその示された道を高杉の所為にするのではなく、自分自身の意思での行動とする。

そう、答えを出した。

一箇所に留まり続けていれば、高杉も己が何を選んだのか気付いただろう。そして高杉は今日まで会いに来なかった。は高杉が、自分のこととなると臆病になることを知っている。何もかもを壊すという男だ。は正直なところ、高杉はきっと自分を切り捨てると思っていた。だからその答えを出すのに時間がかかる、あるいは考えることを止めていると、そう思っていた。

(だからわたしは、高杉さんがずっと答えを出さないで、わたしの前に現れないで「今」が続くのだとも、どこかで思っていた)

千両を探しに行く前、縁側にてぽつりともらした言葉。「わたしは、もう」と新たな覚悟ができていた。

(高杉さんの答えを受け入れられない。山崎さんや兄さんを泣かせることはできない)

この数ヶ月、銀時や山崎と出会い、満ち足りた日々があった。山崎が命をかけて必死に必死に己を護ると誓ってくれ幸福感に包まれた。だから己はもう高杉の答えを受け入れることができない、大切なものができてしまった。

(そう、思っていたのに)

こうして高杉を前にしてはっきりと、は動揺していた。どうして、どうして、と何度も何度も頭の中で問いの言葉が駆け巡る。

は自分を見下ろす高杉の、一つしかない目を見つめその中に移る、狼狽した顔の己を見つめ返す。

「驚いているんです、わたし。あなたが来たことを驚けない自分に、動揺しているんです」

山崎と銀時を悲しませたくない。そう、強く思っていたはずなのに。もう高杉の選択には従えないと思っていたはずなのに。自分の「今」を壊しにきた男の訪問をちっとも恐怖できない。

そのことが恐ろしいのだと言えば、一瞬顔を歪めた高杉がそのままの肩を床に押し付けた。




業火よ




床に押し付けた肌は京女のそれより白く、廓に囲われ骨の弱った遊女よりも華奢な肩は僅かに力を込めただけで容易く軋んだ。爪を立てれば容易く破れる。煙管を押し当てれば直ぐにただれる。

そういう弱い女の肌を、しかし高杉は蹂躙するわけではなくただ自身の手、指先、掌をつかってゆっくりと確認する。肉の薄い肩から始まり、指が挟まるくらいに浮き上がった鎖骨、青白い血管の目立つ細い首、辿り、すっきりとしたおとがいに、頬、小さな唇。その赤い唇に触れて高杉は一寸意外な心持ちがした。

己の知るという女はざっくばらんなところがあって、まず自身の容姿に毛ほども気を使わない。松陽先生があれこれ用立てなければ銀時と同じ男物の着物を平然と着ていた娘時代で、その長い髪に簪を挿していた見覚えもなくいつもさらりと流していた。その、であるからてっきりある程度の齢の女なら最低限の嗜みである紅すらも無縁のものと思っていた。

というのに、今触れた指に薄く色がついた。それで高杉は一瞬気が立つ。わかりやすい。不精な女が紅を刺すようになった、となれば男でもできたのだろうと直ぐにわかるもので、また高杉は何も知らぬままこの女のもとを訪れたわけではなく先に真選組の監察を交えてひと騒動あったことを知っている。その上でその後もひょこひょことのもとにその監察が通っているとなれば、答えは容易い。

しかし高杉は悋気を起こした己を笑い、何を今更と胸中で吐き捨てる。

(俺はが他の男と寝りゃァいいと思って待っていたんじゃねぇか)

唇に触れた指をそのままに目を細め、ついっと組み敷いた身体から退く。情事の始まりのような空気があったわけではなかったが突然の態度にが押し倒され天上を見上げたまま黒い硝子玉の眼をぱちりとやって、そして考えを巡らせるように眉を寄せた後、ゆっくりと身体を起こしてから、ついっと高杉の袖を引いた。

「血色の悪い唇や顔をしていると兄さんが心配するんです」
「何も言ってねェだろ」

言い返せばが息を吐いた。ため息、ではなくて、けほり、けほり、と肺や心臓を患うもの特有の嫌な咳である。己が急に動かしたから負担がかかったのかと高杉は舌打ちをし、昔の記憶を手繰り寄せてか細いその背を軽く叩く。

「夏の口たァいってもまだまだ冷え込む。さっさと寝ちまえよ」

昔もよくこうして咳をするの背を叩いた。それで症状がよくなるわけでもなかろうに、高杉が背を掌でとんとんとやれば「すいません」とすまなそうな顔をした。兄さん兄さんとが慕う銀時はそのたびに「ちょ、高杉ィイ、てめぇそれ俺の役目だから!のにーちゃんは俺だから!」と割り込んできたものだ。

思い出して高杉は顔を顰める。

「高杉さん」
「あ?」
「もう大丈夫ですよ。ありがとうございます」

思考に沈みかけた高杉をの声が掬い上げる。それで高杉はじぃっと視線を当てていたの頼りない背から、こちらを振り返る白い貌に移して、そしてついっと、その耳元に流れる色素の薄い髪をひと房引く。といって痛みを与えるためのものではなく、ただ触れる、というだけのもの。が困惑するように瞳を揺らした。

(この女は昔、俺と祝言を挙げるはずだった)

日取りまで決めて、河原で銀時や桂に殴られたりして、松陽先生に祝辞まで貰って、何もかも滞りなく進んでいた。

けれど結局が白無垢を着ることはなく、天人らと戦うための志士の装いに身を包んだのだけれど。

その時から高杉は止まらない。だがこの女は止まった。かつては高杉と変わらぬだけの憎悪と敵意と怨念をその身の内に蠢かせていたというのに、それがあっさりと消えうせている。そのことを、こうして触れて、そのすっきりとした貌を見て、高杉はことさら実感する。

高杉は待っていた。この女が一箇所に留まり己が首を絞めに来ることを待っていると感じ取ったときより前から待っていた。己らの前から姿を消した銀時や坂本、どうも同じ道にはならぬ桂のように、この女が己と「相対する道」に身を置くのを待っていた。

という女のことを、高杉は自分より理解しているものはいないという自負がある。は身勝手な女なのだ。銀時たちは「は優しい」などとふざけたことを言うけれど、そんな生き物ではないと高杉は見抜いていた。いや、確かにこの女に慈悲の心はある。だがかつて高杉を救い導いた吉田松陽のような「やさしみ」の慈悲ではない。この女の慈悲は一方通行、博愛、優しい言葉を吐くようで、相手を気遣う選択をしているようで、結局のところは身勝手な、タチの悪い優しさの持ち主なのである。

かつては高杉と同じように、自分の憎しみのために世界を破壊するという強い意思を持っていた。だがこの女は「世界を壊すなんて酷く悲しいことはできない。だから代わりにわたしが壊れたほうが悲しくない」などと、自己犠牲のような手前勝手なことを言うようになったのだ。だからこの女は、もう自分で何も選ぶことなく己が、高杉晋助が、かつて愛した女さえ壊すという選択をし姿を現すのをただ黙って待ったのだ。

高杉は彼女と離れ、彼女の本質に気付いた時にという女を嫌悪した。おぞましい化け物であるとすら思い、そうしてそんな醜いどうしようもない女なら昔の己への決別の意味も含めて早々に斬って捨ててやろうと、松陽先生の報復を忘れのうのうと生きるのなら己が引導を渡してやろうと、そう思って、そう決めて、高杉、三ヶ月前に一度、この久坂薬局を訪れ(新月の夜に塀を飛び越えて)寝所にて眠る彼女を見下ろし、高杉は刀を抜いた。

「そういえばわたし、何もお出ししていませんでしたね。お酒はありませんから、高杉さん、お茶といちご牛乳ならどちらが宜しいですか」
「銀時じゃあるめぇし甘ったるいモンは好かねぇ。つっててめぇの出す茶を飲むほど生き急いじゃいねェ」
「大丈夫ですよ、今日の久坂スペシャルはちゃんと緑色をしているんですよ」

ハッと高杉は短く笑って、立ち上がろうとするの腕を掴んだ。

「高杉さん?」
「なぁ、

結局、高杉は三ヶ月前のあの月のない晩にに向かって刀を振り下ろすことはしなかった。(苛立ち紛れに帰り際吼えようとした野良犬を斬るというらしからぬ行動をした)振り下ろす、ことができなかった。醜い女だ。嫌悪していた。どうしようもなく身勝手な女だった。だから、容易く斬れるはずだった。

だが斬れなかった。

高杉はその「斬れなかった理由」を、未だどこかで自分自身の中、この女への未練でもあるのかと疑った。かつて誰よりも己の傍にいた女。寄り添うた女。それが、いみじくも高杉という男を待っている、その姿に打たれたのかと(似合わぬが)己を疑った。(そうしてらしからぬ思考でもしているのかと思わなければ説明がつかぬと当惑さえあった)

だから待った。高杉は、久坂が銀時たちのように自分と袂を分かつ、そういう状況になることを待った。真選組の監察を、正体を知って自分の薬局で雇い、そうしていろいろあって、彼女がその男を憎からず想うようになったのを高杉は見届けた。

が己を待たず、他の男と寝て幸せでもなんでも掴みさえすれば、己はもう容易く彼女を、己が「全てを壊す」と誓うその中に押し込むことができると、そう思った。

そう、思い込んだ。

「俺は、お前を斬れるぜ」
「えぇ、知っていますよ」

腕を掴み、真っ直ぐにを見上げて宣言する。ぴくりとも眉を動かさずには肯定した。あっさりと頷かれ不服、というわけではないけれど高杉、それで、スラリと腰の刀を抜きの細い首に刃を当てる。つっと、そのまま己の方に引けば頚動脈が切れて血が吹き出よう。そういう場所である。

引かずに数秒、互いにじっと見つめあう。無言でいれば、暫くしてにこり、とが、この状況に合わぬ妙に愛想の良い笑顔を向ける。得体の知れぬその顔に高杉が嫌な予感を覚え刀を戻そうとすれば、ぎゅっと、それをが掴んだ。

「テメェッ、」
「わたしは、」
「ハイハイハイハイッ!ストップ!待てってお前らそういうどっちがSだかMだかわかんねぇような妙なSMプレイじみたやりとりは殺傷力のねぇモンを使えマジで頼むからッ!!」

つぅっと刀の端をの赤い血が伝う、とその様をありありと高杉が片目に焼き付ける前に、がにっこりと口を開き正気の顔で正気ではない言葉を吐く前に、ドタドタと騒々しくやってきた坂田銀時が2人の間に割って入った。

「銀時」
「兄さん」

ゼーハーゼーハーと荒く息をつく銀時を高杉は見下ろし、はきょとん、と顔を幼くさせて見つめた。

とりあえず銀時は自分の呼吸が整うのも待たず、未だしっかりと高杉の刀を握っているの手を解き、手ごろな布もなかったので自分の着物の裾を破いてぐいっと止血をした。されるがままのはパチリパチリ、と何度か瞬きをし、まるで夢から覚めたような不思議そうな表情で「わたし、まぁ、なんてことを」と呟く。

「兄さん、兄さん、あの、ごめんなさい、わたし」
「外出控えて辻斬りに遭遇しねぇでも中にテロリストを入れたら意味ねぇだろ、もう、銀兄さんの心臓止まるかと思ったよーマジでさァ」

ぐいっと銀時の大きな手がの掌を強く掴み、そうしてやっと血が止まった。高杉が勢いよく刀を引こうとしなかったため縫合が必要なほど切れてはいないようだった。

銀時はやっと息も落ち着いてきたので、の隣、未だむき出しの刀を握る幼馴染に顔を向ける。

「で、高杉よォ、一応聞いとっけど、お前が噂の辻斬りとかじゃァねぇよな?」
「誰がンな欲求不満みてぇなマネすっかよ」

高杉と銀時、こうして言葉を交わすのはカラクリ事件以来である。だがすぐに噛み付いてこぬところ。今この場で白夜叉を彷彿とさせる言動をすればが引きずられ先ほどのような状況になるのではないかという心か、あるいは道が違うとはっきり自覚すれど、別段「敵対する」というつもりではない銀時の無言の訴えか。どちらもありそうだと高杉は鼻で笑い、刀を鞘に納め中庭に下りる。

去るつもり、が、一度を振り返り、高杉は目を細めた。

は醜い女だ。どうしようもなく身勝手で、おぞましい女だ。しかし、それであるのに、振り返った高杉の、一つきりしかない瞳には、刀を振り下ろせぬほどに美しい女が映るのである。



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・結局お互いに、自分が相手を想う気持ちを見縊っていたってことですね。
いろいろ心理描写とかごちゃごちゃ書いてますが、結局ただのバカップルです。あと三ヶ月前に高杉さんが久坂薬局に来たうんぬんは修羅01にチロっと書かれていたりします。

(2012/02/16 15:12)