「そういえば昔、神社の境内にぽつんと一人でぽつぽつ手慰みの手鞠をつきながら手鞠歌なんぞ歌っていやがる嫌にちみっちぇガキがいやがったなぁ」

なんて高杉が、朱の盃になみなみと注がれた鬼殺しをみなみな飲んでしまいながら唐突にそのような、懐かしすぎて記憶が霞み新たに塗り替えられてそれが真実(ホントウ)になってしまいそうな、話をしてきた。三々九度でもできるんじゃなかろうか、なんて心配したくなるそんな巨大な盃のみ干す姿、似合いすぎてしまって笑えぬとは高杉が、自ら捌いてくれた鰹の焙った部分を器用に箸でほぐして口に運びつつ、ちらりと視線を向けてみた。

「お言葉ですが、当時のわたしより高杉さんの方が背が低かったかと」
「十三の頃には俺が勝ってンだからいいんだよ」

ということは、そのくだんの話は十三歳以前のこととなる。曖昧におぼろげな記憶もその背後の情景やら情報やらで固めていけば真のものとなるのだろう。けれど、それでもそれが固めた模造品、でないとはいいきれぬ。
は鰹の上に切り刻んで添えられていたかぼすとネギの合えものを、ほぐした鰹と一緒につまんで口に運び、目を細めた。

「うまいか」
「生臭くはありません」
「そりゃそうだァ」

なんたって、この俺が気遣ってやってんだ、と高杉は自慢げに笑い、今の今まで己は酒を飲むだけだった手を止めて、やっと己も魚に手を付け始めた。
高杉は、案外繊細だったりするのだと、は蕪汁を口につけながら思った。少し前だって、随分と久方ぶり、ほんと、ウン十年ぶりに再会した己の腕をぐいぐい引っ張りながら「少しでも痛かったら言え。俺ァ腕を切り落としてやる」とそんな、雪でも掴むかのような丁寧さで触れているだけのくせによく、そんな、泣きそうな顔で言うものだと、はその前に自分が言った「わたしに触れるようになったんですか」と、言う言葉を忘れてあきれたものだ。
今だって、そうだ、こうして再会してからだって、高杉は、殆ど自分に触れようとはしていない。時々気まぐれに一瞬、頬に触れようとはしてきても、即座に、己の手を下げて、腐って落ちてしまえばいいのに、というような眼差しで手を見てしまう始末。

(この鰹にしたってそうだ)

「高杉さん、お酒、注ぎましょうか」
「酒瓶は重い、疲れんぞ」

一升瓶はまだ半分以上のこっている。

「失礼な、高杉さんわたしをなんだと思ってるんです」
「ほーぉ。なんだぁ、お前事典より重いもん持ったことあんのか」

にやにやとからかうように笑われてぐっと、は言葉に詰まった。いやしかし、となんとか己を奮い立たせ(そんな大事でもないが)少し不機嫌になったというように口を尖らせ、反論してみようとするのだが、中々良い文句が思い浮かばなかった。第一、それほどムキになるようなものでもないという諦めが瞬時に浮かんでしまって、それでは少しだけ、掌にぎゅっと力を込める。それに目敏く高杉は気付いてしまったのであろうが、ついては何も言わず、またぐいぐいと手酌をして注ぎながら、愉快そうに、なんでもなさそうに言う。

「いいんだよ、軽くなったらやってもらおうじゃねぇか。底にちょいと残るくれぇならお前だって傾けられんだろ」

あぁまた気を使わせてしまったとは悔やんで、けれど、それでまた己が沈めば堂々巡り、顔を上げたときにはいつもの表情、ひょうひょうとして肩を竦めた。

「次は一升瓶オンリーじゃなくて、ちゃんととっくりにわけておけば問題ありません」
「そりゃそうだ」

原点である、と高杉はおかしそうに笑うのだが、絶対にそうはしないのだろうとお互いによく解っていた。大杯には一升瓶自らが、というのは高杉のいう趣きである。大器にちまちまとした小細工は無用と、それとかけているのかは知らぬし、きっと本能的なこだわりなのだろうとは思うが、とて、見ているさまはどちらかといえば高杉のこだわりのほうが良い。

「そうそう、それで、神社のチビのことだ」
「チビじゃないって言ってるじゃないですか」

煩ぇ、黙れ、という、殺気も怒気もない眼差しを向けられて、これ以上の会話の脱線はどうかと思うのでは黙ってみた。

「あのチビ、いつ来てもひとりでぽんぽん手鞠なんぞついていやがる。石を投げて鞠をはじいてやろうとしてもあたらねぇ。器用にぽんぽん続けて、止めねぇ」

いやなガキだったと思い出して言いたいのか。は高杉の表情を伺い見た。この男が昔語りとは随分と珍しいことだと、改めて思いやる。
「恨みごとですか」
遮ろうとは思っていなかったのだけれど、不機嫌になるわけではないが、自然の声は低くなった。

「そう、思うかぁ」
「秘密主義は互い様かと」
「そりゃあな、面倒がなくていい」

喉の奥で引っかいたような笑い声が立った。は溜息を一つ吐いて、そっと手を伸ばす。高杉の頬に触れようとした瞬間、高杉がなんでもないように、身を引いた。けれど、どうしてだかは、普段の諦めの良さがここでは上手く発揮してくれなくて、少々強引に膝を進めて、ぐいっと、無理矢理、高杉の柔らかな頬に左手を添えてしまった。
びくり、と、細胞からひきつるように、動いて、止まる高杉。

「なんだ」

それでも声は一切の変化がないあたり、この男も大概いじっぱりな気質であろう。はじぃっと、高杉の眼を覗き込んだまま、暫し沈黙した。
触れようと、己が思えばこのように、どうやらあっさりとそれは適うのだ。同じ、ことなのかもしれないと、ぼんやり銀時と高杉のことを考えた。

、離せ」
「大変そうに見えて、ほんとうはあっさりできるものなんですねぇ」

引きつった声をしている高杉とはもう本当に天と地ほども違う、余裕のあるの、のほほーん、とした声。

「何がだ」
「いえ、こちらのこと」

軽く笑って、やっと高杉から手を離した。触れていた肌の感触は、丁寧に指先・掌にじんわりと残って吸い込まれてゆく。

「そういえば、最初に声をかけてくださったのは高杉さんでした」

何事もなかったように、は再び膳に向かい、先ほどから中断ばかりする話題を、改めて今度は、己から振ってみた。そうそう、そういえば、と、思い出せば淡い思いが、確かにあった、ような、気もしてくるものだ。

「一ヶ月くらい、なんだかじぃっとこちらを恨みがましく見てくる男の子がいるとお思っていましたよ」
「最初からテメェ気付いていやがっただろう」
「気付けるようにしていたじゃありませんか」

思い出して、は楽しそうに笑ってみた。神社の境内で、考え事をする傍ら手慰みにと思ってついた鞠が弾むたびに、不機嫌そうにこちらを伺う子供がいた。声をかけてくる様子はないのに、いつも、いつも見えた。はこちらから声をかけるだけの気力も性分も当時はなかったので放っておいて、一ヶ月。

当たり前のように、高杉が「何をしているんだ」と言ってきて、それで、も「手鞠を」と、あっさりとした言葉を返したのだ。一ヶ月かかって、それですかって、思わなかったわけではないけれど。

こうして紐解いてみれば、意外に鮮明に思い出せるものである。あの頃の、ムキになって閉じ込めてしまっている思い出の中には、辛いだけではないものも、確かにあった。ただその、結末がどう見ても苦しいものにしかならないから、どう頑張っても、幸福だと思えた時間まで、返せば辛くなって、なかったことにしたかった。

「高杉さん」

そこで、ははっと、気付いた。もう普段の雰囲気になっているというのに、また壊すようなことを言うのは忍びなく、けれど、どうしても自分は高杉にはきちんと気使いをすることができないらしい。いうなれば、甘ったれたところだろうかと、ぼんやり思いながら、口を開いた。

「さびしいですか」

高杉は、どれほど内心怒り狂っても、気分を害しても、自分に対してひどいことはできやしない。身のうちにのたくる憎悪も、嫌悪も、には向けられることがないと、それをよく承知で、けれど、だからこそ、己でなければならないと、告げる言葉の真意をよく理解していた。

ぱりん、と、高杉の手の盃が砕けた。白い破片が手に刺さって、糸のように細い血が流れてゆく。

、触るなよ」

断っておいて、高杉は傷ついた手でかちゃち、かちゃちと破片を拾い、懐から出した懐紙に包んで行く。破片でが怪我をすることがないようにと、そういう配慮を即座にしてくれた。

「高杉さん、」
「もう黙れ、
「わたしは、」
「斬られてぇのか」
「どうぞ」

ガシャン、と、整えられた膳がの真横の壁に投げつけられた。それでも、その残骸の欠片さえには飛んでも来ない。ぐしゃり、と、畳の上に鰹の切り身が転がって、高杉、ゆらり、と、ふらつきながら立ち上がる。

「あとで来島を寄越す」
「片付けくらいできます。一々呼んではまた子さんに悪いですよ」
「じゃあ真選組のヘタレを呼べ」
「山崎さんはヘタレですが、パリシではありません」

けれど二人、間違っても現在住み込みで働いているはずの、赤井鈴子を頼ろうとはしない。けして存在を綺麗さっぱり忘れているのではない。
それこそ惨事であるというのがの検討で、高杉に関しては、完全に鈴子を嫌っているのだから、しょうがないことだ。

「高杉さん」

今度は、高杉が耳を塞いだ。子供っぽいことをする、と笑うには必死すぎる様子。はじぃっと、高杉を見上げながら、それでも続けた。

「わたしは、さびしいですよ。今も、ずっと」

だから、と、手を伸ばした。手を握り返してはくれないだろうかと、そういう、そう、いう意味を込めて伸ばしてみた。じぃっと、ギリギリ、お互いなんどもなんども互いを見てしまって、しまいには、高杉が、ぎりっと、歯の奥を噛み締めた音が響く。

忘れられない、から、つらいのです。

いつだったか、河川敷、一緒に小石を拾って積みながら呟いた。は幼い子供だけれど、もう、しっかりとした記憶者になってしまえて、高杉は、まだ幼い子どもだったのに、敏感に何かを感じ取れてしまっていた昔。

(手鞠歌)

 

 

 

 


Fin

やまがないオチもないいみもないです。(07/12/25 15時6分43秒)