(お前は何も知らないのね)
哀れんで、蔑んで、それでもその言葉には何の意味がないことを愚かではない彼はよく知っていた。
とりかごの中で
嫌がらせかと顔を顰めたくなるほど長い石階段を上がっていけばこの世とは一寸違う雰囲気の門が迎える。りんりんと小指に巻いた鈴を鳴らし潜ればお社の境内、ちょこんと社にこしかけた千年生きる大妖の御前がにこり、とこちらに手を振った。
「大蛇丸くん、ようこそ」
「歓迎されるのは初めてね」
揶揄りながら、大蛇丸はいつものように武器改めするクジャクに土産の和菓子を渡した。見止めて、が嬉しそうに声を上げる。
「わぉ、今日はどこの?」
この、世間一般では危険人物とされている大蛇丸が、毎度毎度この神社にやってくるときに持参する手土産を、は何の危機感もなく喜んで受け入れる。いっそ毒でも混入させれば面白い展開になるのではないかと思いつつも、大蛇丸は何の面白みもない菓子折りを持ってきた。
「水の国の紫陽花だそうよ。ちょっと用事を言いつけたカブトがお前にって買って来たの」
「わーぉ」
カブトを苦手とするは何ともいえない表情を浮かべた。大蛇丸からすれば、自分を怖がりもしないくせにカブトを嫌がるの反応が分からない。彼は自分がどれほどバケモノじみているのかを理解しているから、もはや嫌われてこそ、という悟りすらある。だというのに、この、正真正銘の化け物である御前は人間そのもののカブトを恐れている。
「実は大蛇丸くんに聞きたいことがあってさ」
「珍しいのね」
なるほど、だから歓迎されたわけか。まぁ別に、こちらとしても不快感はない。ギブアンドテイクが一番安心できる。なまじ、いずれの力を使ってやろうと考えている大蛇丸には、今一つでも多く貸しを作っておくにこしたことはない。
「アカツキって、何?」
あどけない眼で見上げる少女。しかし、大蛇丸は眉を顰めた。なぜ、お前がその名を知っているの、と問いそうになり、思い当たる。
「そういえば、ここに出入りしてるのはアタシだけじゃあなかったわね」
くつくつと大蛇丸は笑い、前髪を払う。
「愛と正義と平和のために働くボランティア集団よ」
「へぇー。うん、怖いこというねぇ」
小さくが笑って、大蛇丸を見上げた。
「わたしは信じてしまうよ?」
与えられる言葉だけをソロソロと水を吸う切花のように飲み込んで、それでも永遠の時間を約束されている生き物には真実も虚偽も意味がない。嘘もいずれ風化してしまうことを誰よりもわかっていれば、もはや真実になどなんの価値があるのか。大蛇丸はのそのようなスタンスを気に入っていた。それであるからそれ以上の情報を告げずに彼女が彼女なりに「真実」とやらを自身のなかで捏造してしまうのを待っていると、珍しく沈黙は続かず、ぽつり、とが言葉を続ける。
「アカツキに入らないかって、誘われてね。面白いから、ずっと皆と一緒にいたいなって言ったら、誘われたんだよ」
おや、と大蛇丸は目を開く。驚き、そして眉を潜めぐいっと、彼にしては無作法にもの袖を掴み、その顔をこちらに向けさせる。無礼とも言える行動に一瞬お社の空気がぴしりと歪んだ。に仕える狐らの不況を買ったのはわかるが取り合わず、大蛇丸はじっとの目を見つめた。
「御前」
「うん?」
「お前は組織に入るタイプじゃないわよ」
「そうだね」
「どういう心境の変化かしら」
「少し、思うことがあって」
ぱくぱくと、無尽蔵にすあまを食べながらはぼんやりと言葉を続ける。大蛇丸に袖をつかまれていることなどさして気にもしない。空いた手がさらにもうひとつ茶菓子を掴み、その紅色の唇に運んでいく。
どうもどうやら社に出入りしている暁の誰ぞが御前を唆そうとしているらしい。いや、別段唆す・誑かすなどと悪意あっての言葉かけではなかろう。そんな素振りがあれば御前の傍の火狐が容赦せぬ。けれどそういうことがあった気配はしないので、となれば暁の誰ぞがにそんな誘いをかけたのは、きっとおそらく、彼女自身が「こわい」と泣いたからだろう。
そう判じる大蛇丸を肯定するように、ぽつりぽつり、とまるで幼子がそっと母か何かに胸のうち、つっかえた魚の骨のような些細なものを、しかし無視はできぬ鋭利なものを告白するような様子で天下の御前が続ける。
「このままでいたら、何も変らないんじゃないかって、思うの。わたしはもう何百年もこうして生きてきて、正直、大蛇丸くんたちのことも、長いわたしの時間の一時でしかない。このままでいたら、ね」
大蛇丸が半生をかけて探している不老不死を手に入れた生き物は、普段の無邪気すぎて苛立つ顔をどこへ引っ込めたのか、真面目な面差しのままじぃっと大蛇丸の蛇のような目を見つめる。その合わせられたガラス玉のような目を覗き込み、大蛇丸はやや乾いた喉を一度湿らせ、声を出す。
「変りたいの?お前、一瞬一秒を、意味のある時間にしたいの?」
問うてみる言葉ぶりではあったがその実、響きは責めるようになった。無論大蛇丸は意図してのことでり、本音では責めるつもりなどはない。だがしかし今日こうして強行して彼女が自分をお社に「歓迎」した、そのことを思えば己が彼女に言うべき言葉は決まっており(一種の芝居じみた)うつろな目をする御前、ゆっくりこっくりと首を動かす。
「大好きなひとがいるんだ。そのひととすごす時間を、今までと同じ、流れていく出来事のひとつにしてしまいたくない」
「興ざめね。お前がそんなことを言うなんて」
「だから、貴方に相談するんだ。あなたはわたしに期待しないでしょう」
さぁわたしを止めてくれとガラス玉の目が懇願する。大蛇丸が掴んでいたはずの袖はいつのまにか逆に彼女が彼の手を、手首をぐっと掴むようになっていた。その意外に強い握力に大蛇丸は「きっと痣になるのね」と頭の隅で思い、ため息を吐いてこの芝居を続けてやる。
「暁に入るのは止めておきなさい。あの組織は、お前には似合わないわ」
「うん、あなたが言うのだからそうなのだろうね、それならそうするよ」
頷き、は茶器に手を伸ばす。さめざめ眺め大蛇丸は、こうして、そうやって、こうして、彼女はずっとこの社に引きこもり続けてきたのだろうと確信する。自分で何一つ決められない。自分より長生きしないだろう生き物の「助言」ばかりを己の道に宛がえて、それで「だってあのときそういわれたから」という顔をするのだろう。
(あぁ、化け物め)
Fin
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