「肉が食いたい酒が飲みたいそれかせめて煙草持ってこいよ」
「煩悩の塊でございますな、殿下」

寝不足でくっきりと隈の出来た目がどんよりと虚空を睨み、世を恨む呪詛のように低い声で呟かれたのは至極矮小なもの。

丁寧に挨拶をして「軍神」の部屋に入ってきた初老の男「傾城」「初見殺し」「星の」などと異名をとる名高きアフトクラトルの兵士・副官ヴィザは、寝台の上でだらしなく寛ぐ上官に苦笑した後、トントン、と床に散らばった書類を拾い机の上に戻す。

「色気のこれっぽっちもない固形の軍食なんぞ一ミリもテンションが上がらん」
「致し方ありません。艦に搬入できる物資には限りがあり、食糧等は第一に軽量化・効率化されるものでございましょう」
「武器とかいらないから酒を積め」
「遠足に来ているのではございませんよ、殿下」

本国アフトクラトルから離れ敵国へ来てふた月ほど。成程そろそろ殿下のかんの虫が騒ぐ頃か。軍事大国・惑星国家のならい、敵国敵の星への侵攻戦はこう着状態にあった。いや、戦力は率いる軍勢に随分と分がある。開戦した途端領地の大半が既にによって占領され、今は首都を残すのみ。その要塞じみた首都を攻めあぐねいているのかといえば、それもまた違う。

「本国からの「使い」はまだこないのか」
「今日明日には到着する頃かとは思いますが」
「誰を寄こすのか知らないが、全く気に入らなんな。あと一歩で潰せる国を、あの馬鹿どもの「駒」の手柄にさせたいから待てなどと。そいつが手ぶらで来て見ろ。不慮の事故を装うぞ」

バジリと空気が跳ねた。「物騒なことはお止め下さい」とヴィザは一応制しておいて、どうせ癇癪を起したらそんな己の忠告など「そんなこと聞いてない」とケロっと返されるのだ。いい加減長い付き合い。この傲慢で尊大な、しかし敬愛すべき上官の扱いは心得ている。

「食事の件ですが、殿下お一人分であれば、望まれればどのようにもなります。酒も動物性たんぱく質も嗜好品も」
「ふん。私ひとりで贅沢をして何が楽しい。お前や他の連中がクソまずい固形物齧ってる中で酒をかっくらうくらいならブーツでも煮て食った方がましだ」
「ほほほ、殿下はお優しい。では殿下が満足できる食事を取って頂けるよう、本国へ帰還した折には一番に勝利の宴を開かねばなりませんな」

皆への慰労感謝致しますと慇懃に言えば、が「ふん」と鼻を鳴らした。

通常軍隊は階級ごとに食事内容な配給される物資に「差」があるもの。まぁ縦社会当然なのだが、はそれを嫌がった。一般兵が味気ないレーションを口にし戦地に挑むのなら己もならうと。最高官である彼女がそうすれば、彼女以下の者もそうした。強制はしていないが、自然と「あの殿下がお酒を我慢されるのだ。我らも殿下と同じものを口にしよう。なれば勝利の美酒は格別であるぞ」と笑いながらそうなった。

「肉が食いたい」
「えぇ、ご用意致しましょう。殿下のお好きなフォット豚のまるまると太った姿焼を出せば皆も喜びます」
「酒も忘れるなよ」
「もちろんでございます。大男がかつげぬくらいの樽に皆が溺れる程の勝利を祝う酒を」
「それといい加減柔らかいベッドで寝たい」
「お屋敷にお戻りになれば。殿下のお帰りを待つエネドラどのとレイラシエスさまが殿下に子守唄を歌って貰おうと寝台に集まりましょうな」

そこまで言って、やっとが笑った。「あぁ、そうだな。あの子たちに、今度は何を歌ってやろうか」機嫌を直し、コインがはじき返されるほど硬い寝台の裏から古びた本を取り出してパラパラと捲る。以前どこぞの星で手に入れた児童の子守唄をあつめた一冊だ。常に持ち歩いているため擦り切れて日に焼けているけれど、が自身のトリガーよりも大切にしているものだった。

本国の家族の名を出すとの顔は随分とやさしくなる。敵味方に「魔女とか悪魔とか通り越して大魔王」と恐れられる軍神が、幼い子供を前にするとどうしようもなくなる。ヴィザは二か月前に出立が決まったを見送りに来たエネドラとレイラシエスが幼い子供ながらに軍事国家の子供らしく「おばうえ、おばうえ、ぶうんをいのります。ごぶじのごきかんを」と敬礼をした姿を思い出した。エネドラというのはの妹の息子、レイラシエスはの娘(産んだわけではない。がどこからか拾ってきて「私の子だ」と言い張った。孤児を引き取るのは常だったが、その少女だけは自身で名付けエネドラと一緒に育てさせていた)だ。

「こんな戦さっさと終わらせて帰りたい」

が強行すれば容易く帰還のメドはたつ。けれども本国が、先ほどのの言葉の通り「我々の派遣する兵士に都市を落とさて頂きた」と申してきた。伝えた通信機を叩き壊して、伝えた伝令を殴り飛ばす暴挙に出ただが、しかし今回は大人しく従った。最高司令官たる彼女が、である。昨今、アフトクラトルの軍事、内部があれこれと、今までを「軍神」「国母」と絶対的に見ていればそれでよかったものが、どうにも、何かしらの変化があるように思える。悪いものではない、はずだ。そうならが抵抗する。が、していないのだ。は、自分が「全て決める」のではなく、そう、まるで、いつまでも君臨していた国母が、その座を退こうとしているような、そんな。いや、しかし今はそれは関係ない。

さて、敵国が反撃せぬよう、同盟国に救援を求めぬよう、あるいは援軍が来ても合流させぬよう、この一見は「こう着状態」、しかし実際には「トドメを差される寸前の、死にたいの国」の状態を維持させている。

さてどうしたことかとヴィザが判じかねていると、パタパタと艦内を走る音が部屋の前で止まり、兵士が入口モニターに映り敬礼したまま伝令内容を述べた。

「殿下!ヴィザ翁!本国より黒トリガー適合者「卵の冠(アレクトール)」のハイレインどのがご到着されました」
「で…殿下ッ!!!!!」

出された名前にヴィザが「まずい」と思うより先に、艦の外壁を蹴り壊してが外に飛び出していった。


+++


「そうか、お前かハイレイン。よく来たな。移動用の船は狭苦しかっただろう。うんうん、こんなところまでよく来たな。こんな戦場にお前を送りこむなどなぁ。あぁお前が来てくれたことは嬉しいよ。まぁ、本国の連中は許さんがな」
「…………………。私以外の本国からきた兵士たちはどこへ?」
「知らない方が良いことが戦場には多くあるのですよ、ハイレインどの」

手についた血をハンカチで丁寧に拭い、にこにこと自身を迎えるに若干引いたというか怯えというか、何か色んな感情ないまぜになった表情をするハイレインにヴィザは遠い目で助言をした。

ちなみに殺してはいない。死んでない。殺すと面倒なのでそんなことはしていない。

「本国からの指示です。というよりも、これも実験の一環なのでしょうが……私の黒トリガーで制圧せよと」

暖色の髪に通った鼻筋のはっきりとした、しかしまだ幼い顔の青年はクセのある髪の中から鈍く光る黒い角をのぞかせ、丁寧ながらも反論を許さぬ強い声音で述べた。ぴくん、との眉が跳ねる。部下の武功をかすめ取られることがただでさえ気に入らなかった彼女だ。そのうえ「自分の扱った戦場を、自分が反対する「子供にトリガーホーンを植え付け強い兵士を作り上げる実験」の一端に使われる」こと「そしてやってきたのが自身が可愛がっている子供の一人」である。

やれやれとヴィザは本国のお偉方の見解違いも良い所な今回の指示に呆れた。

「お前であればわたしが反対はせぬと。寧ろお前の身に危険がないよう守り、連中の望むデータが得られると、馬鹿どもめが」

そんなわけないだろうとヴィザは突っ込みたかった。昔から本国の、椅子に座った連中とはソリが合わないが、連中のやることなすことが悉くの神経を逆撫でするのだ。ワザとやってんじゃなかろうかとも思うけれど、生憎連中に悪意などはないのだ。

ふふふふふ、と低く笑うが「帰ったらいじめるリスト」を作成しようとしていると、それまで黙っていたハイレインがすっと前に出た。

「手助けは必要ありません。私一人で十分です」

アフトクラトルは少し前から、角状に加工したトリオン受容体を幼児の頭に埋め込み後天的にトリオンの高い「兵士」を作ろうという研究がされていた。いずれ訪れる、大国ユグドラシルの侵攻を防ぐため。国を防衛し、さらに強くなるために大量の子供が死に(そのほとんどは敵国から連れてこられた捕虜である)数年前にやっと、0に近かった成功率が10パーセント程に上がった。

その、冗談のような成功率で行われた「実験」の唯一の「成功例」であり「生存者」のハイレインは、更に国内に存在した黒トリガー「卵の冠」と適合し、その「角」を黒く染めた。

「実践は初めてだろう」
「ですが自分の能力は把握しています」
「『卵の冠』が反則級に強いのは知ってる。だがお前は子供だ」
「私はアフトクラトルの兵です、殿下」

黒トリガーは本来本国の守りに使われる。そして貴重な「成功例」のハイレインは、常に本国でかたく守られ閉ざされ秘密にされているのだが、しかし本国の連中は「実戦経験有」といううまみも欲しかったのだろう。

危険のないよう、しかし簡単過ぎぬような場所で、とそれでここが選ばれたらしい。

自身の立場と本国の意思を理解している青年は、難色を示すを真っ直ぐに見詰めた。ぐっと、の眉が寄せられる。

「私は戦える。任務を果たし、国へ戻ります」
「子供のお前にそんなことはさせられない」
「既に私の頭には角がある。黒トリガーを得ている。、私の歩む道は決まっている」

ぐいっと、がハイレインの胸倉を掴んだ。

「わたしが作った戦場が、お前を汚す最初の泥になどさせるものか」




++++




「おや、これは?」

許可するまで出歩くなと、権力を笠にした強制的な「命令」でハイレインは部屋に軟禁された。取りつくしまもなく激昂しているは、さすがのヴィザにも手がつけられずどうしようもない。やれやれと溜息を吐きながら、とりあえずはハイレインの様子を見ようと訪れて、青年が大事に持って来たらしいワインボトルに目をやった。

「……ランバネインが、弟が、出国する私に持たせてくれたのです。酒で私は飲めませんが、が喜ぶだろうと。「あにうえがぶじにせんそうをおわらせればがよろこぶ。ふたりでのめばいい」と」
「弟君はまだ幼い筈ですが…一体どこから…いやいや、詮索はいたしませんが。あの方は酒豪になりそうですなぁ」

笑って言うとハイレインが小さく笑った。あぁなるほど、とヴィザは悲痛な面持ちになる。おそらくハイレインは、この子供は自らの戦地を望んだのだろう。いずれどこぞに「実戦経験を」と出されるのなら、その場所は「彼女のところがいい」と、そう、大人達の勝手な都合で振りまわされてきた子供が、自分の今の立場と価値を踏まえた上で、そう、求めたのだろう。

「叱責を受けることはわかっていたんだ」

ぽつり、とハイレインが口を開く。「わかってた」「でも、それでも」「あの方の戦争を終わらせる役目なら、おそろしくはないと」と、ぽつぽつ、ぽつり、と呟く。

の望むものは、世界平和ではなくただ「アフトクラトルの平和」だった。国の子供たちが戦争など行かなくてもよいように、圧倒的な強国になること。他国に侵略しようなどと、抵抗しようなどと思われぬ、絶対的強者に、国を作り上げることがの望みだった。

その為には他国を痛めつけることを厭わず、子供達を慈しむその手で他国を蹂躙している。その業の深さをハイレインは理解しているのだ。

ぽんぽん、とヴィザはハイレインの頭を撫でた。

「ヴィザ翁?」
「ふむ。わたしは殿下のようにひとに安心を与えて差し上げることはできませんが、ハイレインどの。しかし、えぇ、よくぞ、頑張られましたな」

結果だけは誰もが知っている。
沢山の実験の結果、生き残ったハイレイン。強い、圧倒的に強い黒トリガーを手に入れた。

だが、研究室でこの子供が何も感じていなかったと?
なぜ自分がこんな目にあうのかと自問自答せず受け入れられたと?
目前に死を突き付けられ、周りの自分と同じ子供たちが次々と死んでいく中に何も思わなかったと?

そして生き残って、「成功例」になって、それをどう受け入れるべきなのか、悩まなかったとでも?

「よくぞ、ハイレインどの。よくぞ、決められましたな」

言って、その幼い顔を覗き込めば、黒い角を生やした子供がゆっくりと目を伏せて眉を寄せながらこくい、と頷いた。


FIN


(2014/10/20 00:23)



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