この時から判っていました、兎は敵です
ふんわりとしたフレアスカートに聊か大胆なスリットの入ったアフタヌーンドレス。ベルベットのケープにブルネットのディナードレス。大粒のパールのネックレスに真紅のリボン、きらきらと輝くダイヤのティアラ。それらを豪勢にベッドの上に広げ、オリガ・ペトロフは車椅子の上から満足げに微笑んだ。
「ユーリはプロム(卒業パーティ)に行かなかったし、もスクールに通っていないからお母さん諦めていたのよ。でもよかった、デザインは少し古いけど、きっとに似合うわ」
言ってオリガは手元にあった白いワンピースをの背に当ててみる。彼女が若い頃に来ていたもので、言葉の通り流行遅れではあったが多少手直しをすればきっとによく似合うドレスになる。
宝石箱をひっくり返したよりも見事な部屋の有様に珍しく素直に驚いていたはオリガの柔らかな視線にむぅっと顔を顰める。といって不機嫌になったわけではないことをオリガはよく知っていた。嫌味や皮肉を言うときは惜しみない笑顔を振りまくであるが、こと素直に嬉しさや照れくささを出すことをしない。それでくすっと微笑し、オリガはその皺だらけの手をに伸ばし、頭を撫でる。
「も大きくなったのねぇ。お父さんが助けた時はもっと小さかったでしょう?」
「……さぁ、どうだったかな。忘れた」
ぶっきらぼうにが返す。5年前にオリガの夫、人々が「ミスターレジェンド」と慕うヒーローがを救った。オリガの中では夫の輝かしい功績の一つである。そのままユーリがを引き取り、オリガ達ペトロフ家は現在四人家族。そういえば今日は夫はどこへ行ったのだろう。急な事件が起きない限り一緒にいてくれているはずなのに、とオリガは記憶を辿ろうとしたが、答えに行き当たる前にぐいっと、が彼女の手を掴んだ。
「?」
「困っているんだ、オリガ。もう今夜には今期のヒーローMVPの発表会があって終わったら祝賀会がある。わたしはそこでワイルドタイガーに会えるからできるだけおめかししたいのにドレスを買うお金がないんだ」
「えぇ、そうだったわね。それはさっき聞いたわ?」
「そうか。すまない、同じことを二回も言うなんてわたしらしくない」
は頭のいい子で、とても物覚えがよかった。だからオリガはが来てから家事を手伝ってもらったり、夫の車を一緒に掃除したりととても助かっていた。そのが珍しく「助けて欲しい」と頼んできたもので、どうしたのかと思えば、女の子らしい悩みであったのでつい微笑ましく思ってしまった。
「この白いワンピースもいいけど、こっちの赤いのも素敵ね。の髪はとても黒くて綺麗だからきっとなんでも似合うと思うの」
「問題はサイズだ。オリガは随分とスタイルがよかったんだな」
「ふふ、ありがとう。こっちのシルクのドレスはね、お父さんと出会った時に着た思い出のドレスなの」
「ワインの染みがついてないか?」
「そうなのよ、あの人ったらそそっかしくてね、ふふ、ヒーローだなんて言われていたのに上がり症なところがあって、スピーチの後緊張を思い出して手が震えていたの。そこに私が通りかかって、ぶつかってしまってね」
懐かしい、とオリガは思い出す。あの頃自分の髪は今のように白髪ではなくて美しい銀髪だった。ミスターレジェンドはオリガのシルクのドレスを汚してしまったことをとても悔やみ、何度も何度も謝ってきた。一緒にいたマーベリック氏が素早く着替えのための部屋と衣装代を弁償すると言ってくれたけれど、オリガはミスターレジェンド、英雄と言われる男の人、叱られた子供のように困った顔がおかしくておかしくて、その日のために誂えたドレスが無駄になった悲しみや恥ずかしさなどどうでもよくなった。
「ぶつかった時のお父さんの言い訳、なんだったと思う?」
「さぁ、なんだろう」
「あなたの銀髪があまりにも眩しかったんです、って。ふふ、おかしいでしょう」
言ってオリガは自分の髪に触れた。鏡はこの部屋にはないが、自分の髪はもうすっかりと白くなっている。夫はこの髪をいつもなんと言っているのだったか、毎日のように触れてもらっているはずなのにオリガはすぐには思い出せない。いやだわ、と苦笑する。歳を取ったからか、物忘れが激しい。でも落ち着いて思い出せばすぐに浮かんでくるだろう。だって夫はいつも傍にいるのだから。
「こっちのクリーム色のワンピースにしようと思う。オリガ、夕方までにサイズ直しができるだろうか?」
「大丈夫よ、私はお裁縫が得意ですからね」
つい思考に沈んでしまいそうになったが、そうだ、今はの手伝いを優先しなければとオリガは我に返る。
が手にしていたのは彼女が若い頃によく来ていたシンプルなデザインのワンピースタイプのフォーマルドレスだ。部類としてはカクテルドレスとも言える。聊か素っ気無い印象も受けるが、女性らしい丸みを帯びる前のの体系ならこのようなタイプが一番合うかもしれない。
オリガは目を細め、がこのドレスを着ているところをイメージし、あれこれコサージュを付けて、あとは提灯型の袖を落として肩を出すタイプにアレンジすれば良いだろうと見当を付ける。
「ユーリが五時に迎えに来るのね?ならあと3時間もないわ。、手伝ってくれる?急いで仕上げてしまいましょう」
ちらり、とオリガは部屋にかかっている時計を見て時間を確かめた。自分の腕前に自信を持っていたし十分に間に合うとは思うが、裁縫をに教える良い機会である。車椅子を押すよう頼み、に裁縫箱を用意させると、オリガは早速作業に取り掛かった。
+++
「オリガは魔法使いのようだな」
素直には賞賛し、出来上がったドレスに早速腕を通し、その出来栄えに顔が緩んだ。しかし素直に笑顔になれぬ夏目。緩む頬をぱしんと容赦なく叩き、にやけた鏡の中の自分を罵倒する。
「間に合ってよかった。それにとてもよく似合っているわ。ふふ、私が魔法使いならはシンデレラね」
玄関の姿見の前でくるくると回りふんわりと広がるドレスの具合を確かめていると、車椅子を軋ませてオリガがに近付いた。梳かしただけの髪をひと房手にとって残念そうに顔を曇らせる。
「本当は髪もちゃんとしてあげたかったのよ」
「これで十分だ。できる限りドレスは汚したり破いたりしないように心がける」
「できれば無傷で返して欲しいけれど、まぁ、楽しんでらっしゃい」
普段からあちこち唐突に地べたに座り込む、手をスカートで拭く、とやりたい放題の相手にそれは無理な相談とわかっているオリガ、とりあえずはが「心がける」という言葉に満足することにして、の頭を優しく撫でた。その仕草にの顔が歪む。
暫くするとユーリが一時帰宅した。ユーリが来るのと介護師が来るのは同時で、どうやら表で会ったらしい。既に留守中のオリガについてあれこれ指示を終えているようで、ユーリと共にやってきた常連の介護師は「こんにちはオリガさん」といつもと同じく親しげに話しかけ、オリガの車椅子に手をかけた。
「支度は済んでいるな、」
「えぇ。ユーリはそのままで行くんですね」
「仕事の延長線上のようなものだ、着飾る必要もない」
いつものスーツ姿で構わないと素っ気無く答えるユーリにはふん、と鼻を鳴らした。黙っていれば月下美人(サボテン科クジャクサボテン属の常緑多肉植)の花も恥らうように美しいユーリであるとは本気で思っている。それであるのに当人は癖の強い髪で顔を隠すし仕事詰めで普段から目の下に酷い隈を作っている。女のように着飾れ、とまでは言わないが、背もありそれなりに筋肉も付いているユーリがしっかり誂えた礼装に身を包めば見栄えがずっと良くなるに違いない。
「もったいない。綺麗な顔を有効利用しないのは損ですよ」
「枕営業を仕掛ける歳でもないし趣味じゃない」
そういうことは言っていないのだが反論はしなかった。
戸締りはユーリがするため、は靴を履いて玄関先で待つ。すると介護師に部屋に連れて行かれるはずのオリガは見送りたいと強く希望したようで、ユーリの背に優しく声をかけた。
「あっちに言ったらお父さんによろしく伝えて頂戴ね、ユーリ。それから私が行けないことを代わりに謝ってちょうだいね」
「……ママ、」
「ユーリとはお仕事の関係者ってことでいいでしょうけれど、私はミスターレジェンドの家族でしかないでしょう?正体を隠しているのだし、やっぱり公の場には出られないわよね」
「ママ、何度も言わせないでくれ」
あぁ、とは顔を顰めた。己はオリガの中でいまだにレジェンドが生きていることやいろんな記憶の矛盾点を放置している。医者である己がそのようではいけないとわかっているがこの家族を救うことをとうには諦めていて、また当人達がそれを望んでいないのも知ってしまった。だからはオリガと二人きりであってもその間違いを指摘することはしておらず、それがますますオリガの妄想を増徴させていて、そうして、ユーリのこめかみがぴくりと神経質そうに動いた。
は苛立ったユーリが言葉を告げる前に、すいっと二人の間に体を挟んでからその後ろ手でぐいっとユーリの体を押す。
「パーティではいろいろご馳走が出てくるんだ。ユーリはそんなに食べないから興味ないだろうが、和食洋食中華と豊富だから何か見繕ってきてやる」
タッパーの準備は万全だ、と真面目腐った顔で言い、黙ったままのユーリを見上げる。もちろんは善意からの行動、ではない。はいつだって自分のことしか考えていない。ここでユーリとオリガが怒鳴りあうような展開になれば出かける時間が遅くなる。祝賀会に遅刻、あるいは欠席するようなことになったらはとても悲しい。折角オリガのままごとに付き合ってドレスを借りたというのに、とどこまでも外道な思考。
そういうのをユーリも判っている。善意、行為、慈善、そういったものから遠ざかったの本心に冷笑し、怒りを納める。
「あら気を使わなくていいのに。でもそうね、帰ってきたらお父さんが小腹を空かせるかもしれないし、一緒に食べれそうなものをお願いするわ」
二人の無言のやり取りに気付かぬ老人。にこにこと「楽しみにしているわ」という顔をして答えて、車椅子を軋ませた。
「それじゃあ行ってくるよ、ママ」
「えぇ、ユーリ、が変な男の人に声をかけられないように注意してあげてね。あなたはのお父さんなんですからね」
去り際に、それでも丁寧に実母に挨拶をしていくユーリ、優しい声で見送る母のユーリとしては勘違いも甚だしい忠告に一瞬ドアを燃やしそうになった。
++
気まずいと言えばこれほど気まずい空気もないのだが、慣れたものでは無言を決め込みユーリの運転する車の助手席に上がりこんだ。
オリガの話はしないようにしている二人。互いに言い分があり、衝突するとわかりきっていることだった。それであるから黙していようとは決め、ユーリもそれに従った。そういう礼儀というよりも、一種約束事のようなものが二人にはあった。
車が発進し、ユーリは飽き性なの為に車内のミニテレビを付ける。番組一覧表には興味を惹かれるものがなくは教育テレビを選んだ。映し出される色の派手な着ぐるみのコントに一瞬ユーリが嫌そうな顔をするがそういう顔が見たくてはセレクトしたのである。
「今日は今期終了日ですから、最終ランキングの発表とMVPの表彰ですよね」
「予定では6時から表彰式が開始される。君の楽しみにしている立食会はその後になる」
「わたしは別に食事が楽しみなんじゃなくて虎鉄さんにお会いできるのが楽しみなんですよ」
大食漢のような響きがあったのでは訂正したがユーリは取り合わない。言い合いをする気はなかったのでも鼻を鳴らすのみに留めて椅子に深く座り込み、テレビモニターに顔を向ける。
自身これっぽっちも興味のない児童向けの教育番組では骨格からおかしい不気味な(子供の目にはかわいらしいとか愛嬌があるとか評価を受ける)空想の動物を模した着ぐるみが明らかに人が中に入ってます、という動きでなにやら児戯を披露している。あれが火の輪でも潜ってくれれば指を指して笑うのだが、生憎画面の中の不気味な人形たちは仲良く手(?)を繋いで踊っているのみである。
そういえば今日のヒーローTVの特集はなんだったか、と思い出してみる。犯罪の起きぬ日はヒーローTVはヒーロー特集をしたり過去の事件の分析をしたり、とファンサービス満載やら真面目やらとあらゆる視点から番組を作る。確か昨日は今人気のスカイハイとブルーローズの共演ライブ(歌っていたのはブルーローズのみだが)だったか、と思い出して顔を顰める。
ワイルドタイガーの特集が組まれたことはが観るこの三年間一度もない。正直ヒーローTVを企画するアポロンメディアに何度も視聴者の声としてハガキを送りまくったり、イボ野郎に「アポロンメディアで管理するヒーローたち(にはワイルドタイガーの名前しか興味なかったが)の治療施設の室長になって欲しい」と頼まれ引き抜かれてから何度もワイルドタイガーの特集を打診したりとしたのが、生憎権力よりも数字を取る仕事の鬼、アニエス女史が相手ではの個人的過ぎる要望は叶えられなかった。
「タイガーさんの魅力がわからないなんてここの住民はバカなんですか?バカなんですね」
とりあえず教育番組が死ぬほど退屈だとわかったのではチャンネルをヒーローTVに変えると、即座に画面いっぱいに写ったKOHに顔を顰める。
「スカイハイとかブルーローズとかファイヤーエンブレムとかドラゴンキッドとかロックバイソンがいなくなればワイルドタイガーが一位なのに」
「消去法でいけばそうだろう」
「折紙サイクロンはいいんです。あの方は人畜無害でいいですよね。好きですよ、とても」
自分勝手なことをいいは脳内に浮かんだランキングを振り払う。今日の表彰式を待つまでもなくは既にポイントの合計数が記録されており、今夜表彰式までに何か事件でもない限りワイルドタイガーがトップに輝くことはない。
いや、まぁ現時点で4000ポイント引き離されているので一位は難しいだろうと冷静な部分ではきちんとわかっている。
「でもいいんです。明日からはタイガーさんの同僚になれるんですから、わたし」
どこかで集団テロでも起きないか、と物騒なことを呟きがウィンドーを少し開けると夜風が入ってきた。
これまで大小含めた企業がヒーローを雇い自社の宣伝にと利用してきたが、来期より大手7社が独占契約することになる。以前から水面下にて進められてきた計画で3年前はアポロンメディアのCEOアルバート・マーベリックにワイルドタイガーの雇用を条件として引き抜きに応じた。
3年越しの片思い(別に恋愛感情ではないが)が成就することもあり、は今夜のパーティを楽しみにしていた。しかしただ「タイガーさんの同僚になれる」と単純に喜ぶとは違い、ユーリはやや険しい顔で進行方向を見つめる。
「大手企業の買収か。まだ正式には発表されていないが、あまり好ましい状況ではない」
「まぁ癒着と八百長のし放題ですからね」
己の保身を第一とするような腹黒い大人の連中が顔を突きつけあって考えることなどわかりきっている。はファイヤーエンブレムがオーナーを勤めるヘリオスエナジーにはわりと好感を持っているがその他の企業は正直言って好きではない。
は口に出さないし、ユーリ自身が会話に上げることもしないけれど、二人がこの仕事に着く前の世代、前世代のヒーローには八百長が常習化していたという事実がある。噂、ではなくははっきりとしたデータとして所持しているし、ユーリ自身は実際目にしてきたことだろう。
その筆頭だったのがアポロンメディアだ。大手7社がヒーローを独占する、なんていう展開はどうしたって歓迎できるものではない。
潔癖症なユーリが嫌うのも無理はなかった。
「でもワイルドタイガーが八百長なんてするはずないです。今のヒーローとは診察所に来る範囲で面識はありますが、皆さん真面目な方ですから、まぁ大丈夫じゃないですか」
「ヒーローの掲げる正義は脆い。その脆弱な正義を掲げ続けるためなら連中はどんな卑劣な手段でも取るものだ」
この話題はまずい、とは思った。レジェンドのことを思い出しているときのユーリとはできる限り言葉を交わしたくない。は話題を変えようとテレビモニターに視線を向け「タイミングいいな!」と素直に声を上げた。
「ほらほらユーリ、見て下さいよ。現金輸送車襲撃ですって!」
「仮にも裁判官に保護されている人間なんだから、犯罪が起きて嬉しそうにしないでくれないか」
一応突っ込みを入れながら、ユーリも運転の妨げにならない程度にちらり、と視線を投げ、また正面に向かい直す。はユーリの為にボリュームを上げ『中継』の文字が躍った画面に集中した。
先ほどまでスカイハイ特集が流されていたヒーローTVは今や慌しく画面が変わり、現在市内で勃発した強盗の追跡中継になっている。
「犯人は三人、300万シュテルンビルドルが強奪されたようです、現在車を奪って逃走中。三人なら確保したって一位にはなれませんよね、もっと大人数で奪えないんですか?」
モニターの情報と、即座に広げた手のひらサイズのパソコンでデータを集めは犯人達にに苦情を漏らす。
銀行強盗たちはいくつか余罪もあった。中継ではまだその情報を掴んでいないのか報道はされないが、思わずは「外道」と声を漏らす。
「ねぇねぇユーリ、この連中うっかり事故って大怪我して半身不随になったりしてくれないでしょうか」
「余罪はなんだ」
「誘拐が多いですね。それも子供を狙ったもので、身代金を貰っておいて人質を結局殺してますよ。あ、そのうち2件は親もろとも殺してますよ、これ」
今回の強盗はおとなしい類じゃないか、とは冷静に告げる。何件かは犯人が不明とされている事件だったが、の記憶の中のデータと照合すると手口が一緒であり、犯行時刻の周囲の目撃情報からこの三人組であるという確証が出た。
もうヒーローTVに晒されているという時点で逮捕フラグなのでとしてはこの連中をどうにかして痛めつけてやりたいがとても残念なことにシュテルンビルトの法律では拷問は許可されていない。
残念、と呟き画面に意識を戻す。
犯人達は順調に逃走中だが、その後方から現場に一番乗りで駆けつけたファイヤーエンブレムのカスタムカーが追尾してきている。
「ネイサンの車はいい。格好いいと思う。ユーリもあぁいう格好のいい車にすればいいのに」
「一般人では車検が通らない」
炎の能力を持つNEXTのファイヤーエンブレムが使用する炎のモチーフが描かれた車をは絶賛した。
エネルギー系の能力者はテレビ映えするもので、エフェクト付きのファイヤーボールが犯人達の乗る輸送車を直撃し、車は煙を立てて速度を落とすがまだ停止するほどではない。捕まれば刑務所、とわかっているだけに犯人達も必死だ。燃えながらそれでも進む車が中継で映し出される。
その動く火達磨を止めたのは頑丈さが取り得のヒーローロックバイソンであるが、なぜか頭上に持ち上げるというパフォーマンスを行い、結果とても気の毒なことに仮面の角に突き刺さって車が抜けなくなった。
「さすがタイガーさんの親友のロックバイソンさん!面白いですよ、ねぇユーリ、観てます?」
「運転中に話しかけないでくれ」
「あ、犯人たちタクシーを奪いましたよ、逃げますよ。必死ですね」
別にが嬉々と実況せずともヒーローTVお馴染みの実況アナウンスは流れているのだが、は親切心という名の迷惑行為を止めない。
現場では逃げようとタクシーを奪った犯人達が頭上から降ってきたカンフーマスターこと雷を放電するNEXTドラゴンキッドによって車を破壊され、そのまま運転席と助手席の犯人が二人確保された。
その瞬間は「ッチ」と舌打ちしユーリに睨まれる。同時にの脳内データではドラゴンキッドに犯人二人確保の400ポイントが追加された。
「でもあと犯人は一人残ってるし、これで人質とか取ってくれたら救出ポイントで何とか5位にはなれる可能性もありますよ」
「事件の拡大を願うな」
「あ、ちょっとユーリ!大変ですよ!逃げ延びた犯人がモノレールをジャックしましたよ!」
大歓迎、という全く持って非人道的な養いっ子の声にユーリはこのままブレーキをかけて車を停止し頭を叩いてやろうかと思ったがそんなことで改善されるわけもない。は犯人がジャックした車内のカメラの映像をいち早くハッキングし身勝手に人質カウントすると獲得ポイントを計算した。まさに外道である。
状況的には市民の安全を確保しいったん中継は停止、あるいはヒーローも行動を制限するべきである。しかし番組プロデューサーは数字のためならなんでもするアニエス女史。当然のように番組は続行、さらには列車の行く先に一人のヒーローの姿を確認し、は大声を上げた。
「ユーリ!ユーリ!タイガーさんですよ!皆のヒーローワイルドタイガーですよ!」
「わかったから落ち着け」
「アニエスがCMあけてからとか世迷いごとをほざいてるがそんなことで止まるワイルドタイガーなものか!!」
画面いっぱいに映し出されるワイルドタイガーの映像にの口調が素のものに戻る。ぐっと手のひらを握り締めキラキラとした目で画面を食い入るように見つめる。普段死んだ魚のような目しかしない幼女の変貌は毎度のことなのでユーリは突っ込まない。とりあえずあまりに興奮したがテレビを破壊しないことを願うのみである。
早速ハンドレットパワーを発動させた正義の壊し屋ワイルドタイガーは筋肉の盛り上がったたくましい腕でレールを引っぺがしまとめて障害物とし列車を停止させると勢いよくガラスを突き破って中に飛び込んだ。
「違うワイルドタイガー!下だ下!!!あぁもう!ユーリ、この回線ヒーローに繋いでいいんじゃないか?」
「絶対に許可はしない」
「あ!空気を読まないKOH!!!」
強盗犯はワイルドタイガーが飛び込む前に列車から飛び出し、通り過ぎようとしていた飛行船に乗り移っている。タイガーが気付いて追おうとするが、その前に画面に今シーズン圧倒的な活躍を見せ目下に敵対視されているキングオブヒーロー、スカイハイが移った。
「あ、ちょっと!中継!どうして虎鉄さんを映さない!!そんな空飛ぶKYいつだってテレビに映ってるだろ!!」
画面に押し出されるKOHの姿に悪態を垂れる視聴者はきっとくらいなものだが、そんなことは気にしない。飛行船の監視カメラを膝上の小型パソコンに映し出し、中の様子を確認する。
逃亡した犯人はまだヒーローが追ってきていることに気付いていないらしく操縦士二人に銃を突きつけて脅しているところだった。そこに丁度いい具合にスカイハイが追いつき、犯人に警告を与える。何を言っているのかまでは聞き取れないが、おそらくは『おとなしくしろ』とかその辺りだろう。
もちろん逃亡中の犯人がバカ正直にそれでおとなしくなるわけもない。当然のように犯人はスカイハイに向けて発砲した。空中を自在に移動できるヒーローはその反撃を避けるが、逸れた砲弾はワイルドタイガーに向かい、ハンドレットパワーで跳ね除けられる。
「……ユーリ、これは不可抗力ですよね?」
ワイルドタイガーに跳ね除けられた砲弾ははるか後方の橋に被弾し、見事に大破した。うわ、とは顔を引きつらせ、ヒーロー部門管轄の裁判官である保護者に伺いを立てるが、公正公平な裁判官ユーリ・ペトロフは「判決は法廷にて下される」と容赦のない言葉を返した。
は一瞬ひるみそうになるが、しかし明日から虎鉄の所属はアポロンメディアになるわけで、つまり賠償金の請求元はあのイボになるわけで、と自分を納得させ画面に戻った。
そうこうしている内に状況はスカイハイが操縦士二人を人命救助し200ポイント獲得、さらに暴走した気球が豪華客船にぶつかりそうになりそうなところをブルーローズが海を凍らせるという大技を使い回避、MAX500ポイントを獲得していた。
「おい、ウォッチャー!ワイルドタイガーを映せ」
犯人は気球にてワイルドタイガーに確保されているはずである。ヒーローTVの鉄則は画面に移っての活躍にのみポイントが加算される。折角犯人を捕らえても映らないのではポイントにならないとが焦っていると、ブルーローズのライブステージと化した画面に鋭い銃声が割って入った。
「!タイガーさん!」
の悲鳴と同時に画面が切り替わる。と、硝煙を昇らせる銃口をワイルドタイガーに突きつけている。
「時間は切れているか?」
「怖いこと言うなユーリ!まだ10秒残ってる!」
幸いハンドレットパワーは発動中のため胸に当たった銃弾は貫通どころか数センチも入り込まずに済んでいる。しかし他のヒーローたちと違い極端に開発費の低いワイルドタイガーのスーツは防御力皆無、というか鍋を装備したほうがまだマシ、というくらいの強度であり、ハンドレットパワーが切れれば銃は立派な凶器になる。
は自身の脳内で計算している発動時間を確認しほっと息をついたが、犯人はブルーローズを人質にしようとでもしたか、彼女に向かって猛ダッシュと駆け寄り、当たり構わず銃を乱射させる。
「ちょ、タイガーさん!時間…!!!」
抵抗する犯人を取り押さえようという意図でか、ワイルドタイガーが体の力を集め大きく飛び上がる。そのまま犯人に向かって大きく腕を振り下ろせば相当なダメージを与えることができる、というのはわかるが、しかし、は顔を引きつらせた。
どう計算してもあの距離に飛び上がれば時間切れになる。
『あぁー!!ここで時間切れだ!!ワイルドタイガーの能力は五分間しか持たない!!普通の人間に戻ってしまったタイガー!このままでは危ない!』
ハンドレットパワーで強化された飛翔力で高さが稼がれた分、落下したら「死ぬわこれ」というところまで来ている。その上下は氷の大地である。
は「あぁ!」と驚きながら片手で緊急手術の準備と救急車の手配、さらには虎鉄の血液型の確認と輸血のストック確認をし、事故現場の状況を把握するためにじっと画面を睨み付けた。
「……待て!わたしは聞いてないぞ!!!」
しかし画面で敬愛するワイルドタイガー転落事件が発生することはなく、悲鳴の変わりには運転席のユーリに向かい抗議の声を上げた。
「どういうことだユーリ!あいつのデビューはもっと先じゃなかったのか!!?」
「司法省の認可は今月付けで下りている。いつ活動しても違法にはならない」
テレビモニターでは人目で優れているとわかるヒーロースーツに身を包んだ正体不明のヒーローがワイルドタイガーを受け止め無事着地を決め、さらには銃を乱射し続ける犯人に突進し、見事に捕獲している映像が流れているが、はそんなことはどうでもいい。
手術の手配をキャンセルし、変わりにはアポロンメディアの「機密事項」に当たる情報を引き出した。
画面に映る白と桃色をベースカラーにしたスーツのヒーロー。素早い動きで船上に飛び上がり、スマートに犯人確保を決め、ヒーローにあるまじきことにフェイスカバーを上げて顔面を晒している。その明らかになる甘いマスクに今頃多くの女性が釘付けになっているだろうが、は自分の知らぬところで物事が進められるという一番嫌いな事態に苛立つばかりだ。
今日で今シーズンは終わる。その締め日に現役のヒーローを救出、犯人を確保するなど狙ったような登場には声を上げる。
「あいつはアポロンメディアが来シーズンからデビューさせるはずだったバーナビー・ブルックス・ジュニア!ワイルドタイガーをお姫さま抱っこだなんてわたしだってまだなのに!!!」
悲痛な悲鳴にしっかり巻き込まれたユーリは、とりあえず会場に着いたら真っ先に頭痛薬を飲もうと決め、騒ぐ被保護者を無視して制限速度ギリギリまでアクセルを踏み続けた。
Fin
(2011/10/03 20:00)
|