夜啼鳥


 

 

 


「滅ぼしてやろうか」

かつてリナ・インバースとともに旅した折によく彼女が聞かせた他者を揶揄るような声音ではなく、時折見せる絶対王者として相応しい凍りつく声。他者に対して限りなく侮蔑を含むような、己以外の存在を全て見下す微笑を浮かべ、月の王と呼ばれる魔族が言い放った。傲慢な、だというのにその瞳はまるで慈母の神のような色を湛えている。

言葉を受け取り、合成獣の哀れな姿と成り果てた、自身を残酷な魔剣士と思い込む青年は、月王の言葉の意味を取りかねて、けれどその「滅ぼす」という不穏な言葉に眉を寄せた。冷静沈着、そして頭脳明晰と日々自負する青年は、やはりその頭脳で月王が何を意図しているのかを悟ろうとした。まずはこの場所は名もない小さな村の、安宿である。どういうわけか随分と長い間行動を共にしていた仲間らと別れてすでに数年が経っている。彼は単身己の目的を達成させるための手がかりを探していた。確かにリナ・インバースと共にいればそれこそ伝説級の事件やらなにやらが向こうから土産持参でやってくるのだけれど、それでも数年共に過ごして結局ゼルガディスの目的は達成できなかった。それであるから彼は、ゼルガディス・グレイワースはリナたちと別れ、彼女たちとの旅でその存在を確定することとなった「異世界黙示録」を探し出すという、これまで「なにを」「どう」探してよいのか不明であった己の旅にひとつの道しるべをつけた。いつ終わるやもしれぬ旅であればそれは一人のほうがよいと、それもあった。

そういう彼の、その、そこへ、この高位魔族という言葉でくくるには巨大すぎる存在がひょっこりと虚空から姿を現して、部屋で独り酒を飲んでいる青年に冒頭の言葉を言い放ってきたのである。

月王、とそう魔族に呼ばれるこの、見かけは銀髪をなびかせた長身の女。黒衣を纏い口元には嫌味な笑みを浮かべているのが常であるが、それでもゼルガディスの見る限り、彼も心を許したリナ・インバースには好感(という言葉では足りぬほど)を持っているらしく「リナ殿、リナ殿はまこと良い方であるな」と慕い、己の身の丈よりも小さな人間にあれこれコキ使われることを喜んでいる姿を覚えている。

再会の挨拶も何もあったものではないが、人に在らざる存在に、そしてリナ・インバースが関わらねば唯我独占を地で行く魔族にそのような礼儀を求めるだけ無駄と言うもの。現れたときに多少の驚きを示しただけで、あとは青年も特に思うことはなかった。

さて、「滅ぼす」とは一体なんであろうか。

今のところ彼に敵はいない。いや、彼を憎むものはいないとは断言できないが、少なくとも彼は「敵」と認識していない。

この「魔族たちの王の世界が全て混沌に還ったその先に生まれる世界を作り出す存在」と位置づけられる彼女が自ら「滅ぼしてやろうか」などと言ってくるからには、それ相応の力を持ったものが相手なのだろうと考えるべきだ。しかし半年前に多々あった異世界やら魔王やらその腹心だかを巻き込んだ事件も、その現況となるリナ・インバースと離れた今最早起こりうることもなかろう。

考え込むゼルガディスに暫くの時間を与えてから、は心底愉快そうに目を細めた。

「解らぬか。それとも、自覚すらしておらぬ故か」
「何のことだ。それに俺がお前に頼みごとなどすると思うのか」

言葉ほどに憎しみなどはない。むしろこの女は、認めたくはないがゼルガディスにとっては最後の希望とも言える存在。どれほどの力を持っているのか想像する他ないが、この魔族が少し「その気」になれば、おそらくあっけないほど簡単に、ゼルガディスは求める人間の体に戻ることが出来るのではないか。そんな予感がある。だがはそう頼んだところで「己で探せ」と微笑むに決まっている。だから、全ての可能性が経たれるまでゼルガディスも女に縋ることはしないつもりであった。この魔族は人が絶望した、その時にのみ力を振るうのだ。

「セイルーンを滅ぼしてやろうか」

沈黙するゼルガディスに、いい加減痺れを切らしたというわけではないだろうがが解答を提示する。先ほどの言葉に、ただひとつの名称を加えられただけで、ゼルガディスの脳は急速に冷え切った。

「何が目的だ」

それと同じ位に冷え切る声で問いかけると、が僅かに不思議そうに首をかしげた。それすらも、演技であろう、白々しいと舌打ちし、ゼルガディスは目を細め相手を睨みつける。

「俺を魔族に引き込みたいのか。そういう打算が少し前にあったが、貴様まで繰り出してくるとはな。それとも俺の「願い」に便乗して人間国家最大勢力を潰そうとしているのか」

少し前のことである。自称「謎の神官」が彼の前に姿を現した。ゼルガディスが一方的に嫌い込んでいる魔族は挨拶のように放たれたラ・ティルトに怯む事もなく「人間の体に戻りたいのなら、いっそ魔族になりませんか?魔族なら己の姿など思いのままです。いやぁ、最近人材不足でして」などと腹立たしい笑顔をにっこり浮かべていってきやがった。むろん断ったのだけれど、なるほど確かに己には魔族になる素質があろうなとゼルガディス自身思うときがしばし、いや、かなりある。己の身を焼き尽くしそうになるほどの、毒を含んだ暗い炎が時折くすぶり暴れだしそうになることは自覚していたゆえのこと。そして、以前この月王の言葉が真実であるのなら、魔王の欠片を封印されていた曽祖父の血が、彼の代で強力な魔の力を秘めているらしい。人間であろうと執着するたびに、浅ましいと自嘲してしまうのは、早速自分が魔族に近いと悟っているからであろう。

「心外な、我はただ親切心から申しておるというに……それに他意があろうなと勘繰られるとは……正義が泣くぞ?」

通常の魔族であれば「親切心」「正義」などという言葉を並べただけで胡散臭さと、精神のダメージを受けるらしいが、この女はそれがない。だからと言って真実を話していると思い込んでやる証拠にもならなかった。

だが、だがしかし、ゼルガディスは女の「正義が泣く」という言葉の使い方に、嫌な親しみを覚えた。そして、言うなればディジャヴも襲い掛かってくる。

はははは、はは、と。硬直したゼルガディスを愉快そうにが笑い飛ばした。

「邪魔であろう?そなたの杞憂は全てそれ。何、そなたと我はそれなりに付き合いも長いゆえ、友のために少々力を貸してやることくらいは容易いぞ」
「俺がなぜセイルーンを恨まねばならない。セイルーンには、あの国にはアメリアがいる。あいつがどれだけあの国を大切にしているのか俺は知っている。あいつを大切に思いながら、俺は同時にセイルーンも思ってきた」

に戯言をほざくな、と真を詰めた強い声音で言い返す。事実、彼は聖王都を憎んだことなど一度もない。むしろ感謝をしているくらいだ。あの環境が、彼の愛しくて仕方のない少女を育み、あぁいう性格の、太陽のような笑顔を作ってくれているのだと。それを守るためならば、彼はこの、正体を知れば誰もがひれ伏すであろう存在にさえ挑むことが出来た。愛するということを自覚して、なんと強くもなれることか。(今更気付いていないなどと阿呆なことをほざくつもりは彼にはない。むしろ気付いてさえしまえばあとは只管、開き直れるというもの)

だがしかし、月王は再び声を上げて笑った。何を馬鹿なことをほざいておるのかと、その声と眼差しがあざ笑う。

「憎い、憎いと聞こえて来るわ。愛しいアメリアを解き放たぬ聖王都が。アメリアに心底愛される聖王都が。己を受け入れぬ聖王都が。憎い憎いと、魔の心地よき呻き声が我の神殿まで聞こえてきおるよ」

歌うような流暢さでよどみなく言葉を紡ぐ。

「いっそ無くなればよいのだろう?セイルーンさえなければあれはただの小娘。浚おうが、咎めるものなど誰もおらぬ。また、なくなればあれの心を縛るものもそなたのみ」

ダンッ!と、女が浮かび上がり腰掛けていた木が切り落とされた。魔力を込める暇もなくただ感情のみに繰り出された一撃は精神体で存在するに効果があるわけもなく。そしてそれでも「怖いなぁ」と避ける女。
精霊系最強呪文を唱えたところで蚊ほどの傷が負わせられるわけもなかった。

「はははは、はは、はははは!!!」

辺りではなくて、直接彼の脳内に木霊する女の笑い声。まるで廃れた遊戯の最中にはしゃぎ騒ぐ子供のような声。

(それで守れるのか)(己の本心に蓋をして)(事実が真実であろうはずもなかろうに)(さてもいつまで戯言を信じ込むふりをする)

やがて風が強く吹き、辺りに満ちていた禍々しくも、どこか優しい瘴気は失せた。ただ唖然と、彼はその場で立ちすくむ。

暴かれたなどという怒りは浮かんでこない。かといって理不尽なことを押し付けられた不快感もない。

あるのはただ、夜空に寂しく浮かぶ満月のような、奇妙な孤独感のみであった。

(己を理解など出来るはずも無かったのだ)







スレイヤーズ小説第一弾がなぜかゼルアメ+アル。どっちかっていうとガウリナよりもスキなゼルアメ。
解りにくいけど、コレ、は二人を案じているんです。(え)このままだったらゼルガディスが魔に染まってしまうと感じて、そしてアメリアのために身を引いてしまうと察して、そうならぬようにあえて挑発しているそうです。


5/29/2006 3:11 AM