雪兎

 

 

 


しんしん、深々と落ちてくる雪の塊を眺めつつ、はゆっくりと湯のみを傾けた。四角い座布団にちょこんと収まって、正座をし、背筋を正してにこやかな笑みを浮かべているさまは優雅なものである。
「雪ですね」
客間らしい畳の広い部屋はしっかり床暖房。のすぐ傍に置かれた古風な灰鉢には質のよい墨が火を抱き冷える空気を暖めてくれている。外の廊下に面した障子は開かれたままになっていて、はだからこそに雪見を楽しんでいるのだけれど、だが、寒くはなかった。山崎が入れてくれたお茶も、いれてくれたという事実も、の心を温めてくれる。
「綺麗なものです。けれど、困りましたねぇ」
「ちっとも困ってる風にゃ見えねぇが……?」
ほかほかと、温まった頬を上気させては目の前にどっかり座り込んで己を睨みつけてくる、真選組の鬼隊長。久坂、そりゃあもう当然のように寛いでいるが、ここは真選組屯所、である。
「雪ですよ、土方さん」
「だからなんだってんだ。矢だろうが鉄砲だろうが、それこそ砲弾だろうが怯まず駆け抜けた阿修羅姫ともあろう者が、たかだか五センチ程度の雪で足止めなんて冗談以外のなんだってんだ」
「五センチも積もればお江戸の交通事情は複雑になりますよ?」
なんてこというんですか、と、不謹慎な発言をした土方を咎めるようには眉を顰めて見せる。あからさまな演技に「上等だぁ、交通事情の前にテメェの生命状況を複雑にしてやろうかぁああ!!」と怒鳴りちらした。今にも抜刀しそうな勢いだというのに、さんの表情に変化はない。それどころか、その瞬間、スパァアアン、と、土方との左隣、つまりは奥の部屋の障子が開いて、中から弾丸のように飛び出してきたのは、やっぱり、赤井鈴子だ。
「ひっどーいよぉ!土方くん!百メートル走しただけで次の日に肺炎にかかって寝込むようなさんをこんな真冬の、寒空のしたに放り出すなんて、近藤さんをお妙さんの寝所に放り投げるくらい酷いよ!!―――って、言えってジミーが」
スパァアン、と小気味良く開いた障子の向こう、鈴子の背後にいた山崎が「えぇえええぇぇええ!?」と驚きながら思いっきり、首を振った。
「山崎、てめぇええ!!!」
隣の部屋に飛び込む土方。ぎゃぁああぁあああ、と、上がる悲鳴。スパン、と、静かな音を立てて障子が閉まったかと思うと、少しして、何ごともなかったように土方が一人で出てきた。黒い袖にちょっと赤いものが付いているような気がする。
「寧ろ近藤さんはお喜びになられるかと思いますが」
自分を庇う発言だというのに、はのんびりと突っ込みを入れた。
「まぁまぁ、いいじゃないか、トシ。久坂先生には俺たちも日ごろからお世話になってるわけだし、困ったときはお互い様だろ?」
己がネタにされたというのに、気にすることがないのは鈍感なのか器がデカイのか、近藤は青筋が立ちすぎて血管が切れそうになっている土方の方をぽんぽん叩いて落ち着かせた。
「アンタも何言ってんだ!この女は桂や高杉と繋がってる!そんな女を「雪だから」とかいう理由で置いとけるか!!」
「まぁ、酷い。別に、折角のチャンスですから、今の内に真選組の屯所の中を偵察しておいて、あちこちに爆弾でも仕掛けようかなぁとかなんて、思ってもいないですよ?」
「上等だぁ、コラ……一晩といわず、一生ここで暮らさせてやろうか……」
ゆらり、と、ついに剣を抜いた土方がその剣先をに向けた。
「ふ、副長!!」
慌てて山崎が隣の部屋から飛び込んできて、土方との間に入る。副長相手にクナイは出せないのか、本当に、ただ割って入っただけだ。
「どけ、山崎。堪忍袋の緒が切れた。この女は百害あって一利なし、今の内に殺っとくのが情けってもんだァ」
「ちょ、ちょっと待ってください!ホントに、お願いします!この人の体の弱さは筋金入りなんです!こんなに寒い日に外にいたら死にます!」
「今から殺そうとしてる女の心配をすると思うのか?あ?」
土方、完全に瞳孔開ききってます。体中からは殺意がびしばしとあふれ出て、は呆れたように溜息を吐いた。ひそやかなものであったので、それに気付いたものはおらず、は丁寧に湯のみを置いて、懐から携帯電話を取り出すと、ぽちっと、ボタンを押した。
瞬間、流れるアニソン。
「ぐっ……て、てんめぇ……!!」
面白いくらいに即座に土方の体が反応して、膝を突く。すくっと、立ち上がったは、土方を見下ろしながらこれ以上ないくらい、愉快そうな笑みを浮かべていた。
「さよなら土方さん、こんにちは、トッシーさん」



雪が降ろうが矢が降ろうが、オタク魂はそんなの関係ねぇ、らしい。久しぶりに表に出てこられたことを喜ぶ間もなく、トッシーは限定の美少女フィギアを買いにアニ○イトへ突っ走っていった。電車が止まっているのでどうするんですかかと走り出す背に山崎が問いかけていたが、帰ってきた答えは「そんなの関係ねぇ!」という、何の問題解決も見えない回答だった。
とりあえず、土方がトッシーになってしまったので、暫く副長の仕事は滞るだろうと、山崎と近藤はフォローをするために、部屋をあとにした。残されたのはと鈴子。
「じゃあ、ボクは帰るねぇ」
やっと静かになった部屋の中で、鈴子はぴょん、と、庭に飛び出す。赤い着物が雪の中で蝶々のように鮮やかに流れた。
「お帰りになるんですか?」
は雪と鈴子を交互に見て、首をかしげる。健康体の見本のような鈴子であるし、彼女は病にはかからない。心配することは何もないのだが、折角屯所にいるのだし、とまっていけば愉快だろうと思われる。けれど、そこでははたっと、気付いて、目を伏せた。
「鈴子さん」
「なぁに?」
「先ほどから、目が笑っていらっしゃいませんでしたよ。お気をつけください」
にへらっと、鈴子が笑う。困ったような、顔だ。はしんしんと、今も落ちてくる雪の音を聞きながら、鈴子の掌がぎゅっと、握り締められる音を感じた。
「ねぇ、ちゃん。ここで、酷いことを言ってもいいと思う?」
「悔やがあるのなら、止めておいた方が宜しいかと」
だよねぇ。鈴子の、声だけは明るい響きを持ったものが、震える。は瞼を上げて、庭を見た。もうすでに、鈴子の姿は消えてしまっている。真選組の内部闘争から、暫く経つ。あれから一度も、鈴子は伊東の名を呼んでいない。最初からいなかったように、忘れきって、きれいさっぱりなくなってしまったかのように、振舞う。けれど、雪がだんだんと積もって下にあるものを覆い隠したところで、溶ければ意味のないこと。むしろ、冷気によって腐敗することもない、それを、どうすればいいのか、鈴子自身まだ、迷っているのだろう。
(彼女は、土方さんを憎んでる)
今のにわかるのは、そのくらいなものだ。酷いことを言うと、言った鈴子が何を言おうとしたのか、どうして、へらりと笑って真選組と付き合っているのか、には推測しか出来ず、推測は、口に出してはならぬものだ。
雪の庭を縁側にて眺めて暫くしていると、体が段々冷えてきた。こほり、と、の唇から、喉の引っかいた嗚咽が響いてきて、それで、ドタドタと、廊下から走ってくる音。
さん!!大丈夫ですか!!!?」
「あら、山崎さん」
こほり、と、今度は少々柔らかく息をはいて、大事のないことを何とかアピールしようとしたのだけれど、次の瞬間、はするりと、魔法のような鮮やかさで綿入れに包まれた。中にカイロでも仕込まれているのかホカホカと暖かい。
「ダメじゃないですか、外でて風邪引いたらどうするんです!」
心配してくれるのはとても嬉しいのだけれど、なんだか最近、皆が皆して、過保護になりすぎやしないかと、、自分の病弱さを自覚しているからこその疑問を覚えた。『別に、死ぬことはなかろうに』
頭のおくで、低いしわがれた老人の声が響く。笑い声、のようなもの。ぴくり、と、が眉を顰めれば、山崎が慌てる。
さん!?ほら、言わないこっちゃない!」
慌てて山崎がを部屋の中に引き入れる。すぐに灰鉢の加減を確認して、のほうへ引く。
「ありがとうございます。なんだか、ご迷惑をおかけしてしまって」
山崎に対しては、正直に申し訳ないという気持ちが浮かんでくるから、は嬉しかった。
「何かお手伝いすることがあれば遠慮なくおっしゃってくださいね。夕食の支度とか、」
「いえ!いいです!大丈夫ですから!!さんはお客人なんですから、遠慮なく、寛いでいてください!!」
夕食、という単語が出た瞬間、山崎は冷や汗を流して命一杯、拒絶してくれた。きょとん、と、不思議そうにしながらも、内心は「まぁ」と、白い笑みを浮かべたくなりながら、は微笑む。外では雪が降っている。


 

Next


続きました。あ、あれ?