* この小説には、夢サイト「駄文とNoteとその残骸」の高杉夢ヒロイン、ルカ嬢がゲスト登場します。
パタン、と、障子が閉まる音で目が覚めた。、どんよりと思い脳を何とか起こそうと、興味のないことをあれこれ目まぐるしくも考える。時の情勢・思想の行き来からはては明日の大根の値段まで。
「どうやら、ご迷惑をおかけ致しました」
眠る前より白濁とした瞳を開いて、は薬箱を片付けているルカに声を掛けた。気付いたとは知れなかったか、ルカは驚いたように一度目を見開いて、そして、わなわなと、脣を振るわせる。声も出ぬほど、の感情が鬩ぎ合っているらしい。その、かすかに伸ばされた指先から薬独特の香がした。も薬をよくあつかうが、ルカのものはまた別の香がして、良いものだ。
「、」
ルカは、やっとのことでそれだけを音に出す。震えている。顔は、今にも泣き出しそうだ。気付いたことへの安堵、ではない。状況を知っての憐憫、でもない。彼女のそれは、純粋な、怒りによるもの、らしかった。
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ルカは、天人と地球人の間に生まれる「混血児」が患う病を研究する第一人者として昨今注目を浴びている。混血児に対する偏見や社会的扱いについても声を大にして表舞台に立ち、賛否を受けているのを、TVで見知る者も多いだろう。本人も混血児であるらしく、毛ぶるような黄金の髪に、青空のような美しい色の瞳、肌はまるで陶器のように白い、美しい女性である。
そのルカ、天人の血が濃くなる前は、幼い頃は黒髪に黒い目の、美しい日本女性そのものの色合いの、方だった。「黒死蝶」と呼ばれ、高杉と戦場を駆け回った女傑の一人。とは、顔を合わせて会うこととこそ数度ではあったが、奇兵隊副隊長のルカと、奇兵隊傘下、物資輸送や救援救護を主だった任としていた社僧隊責任者のはそれなりに信頼のあった間柄である。
親しくなったのは、この江戸で再会してから。
数年前、天人の血により、黒髪が段々と黄金に変わり、己の心も天人としての気質に染まり、次第に自我を失う病「鬼喰い」の症状に見舞われたルカは、膨大な知識の記録者である久坂を頼り、姿を現した。
二人は互いの傍に高杉がおらぬことに互いに驚きはしたものの、かの人のことは一切口にせずにただ、微笑みあう、女性としての、先を知る者同士。そして、薬学は久坂、医学はルカとをあわせ、なんとか心まで喰われることは防ぎ、以来、二人はそれなりに交流がある。
「どうして、ルカさんがこちらにいらっしゃるのです?」
己の手を白くなるほどに握り締めて沈黙したルカに、はそっと声を掛けた。部屋の中は十分に暖かい。意識を失いながらも、何度か血を吐いただろうと思うのに、辺りに血の香は一切なく、布団にもしぶき一つない。というのに、ルカの纏う白衣の胸元、袖には器であえて投げつけたのかと思わせるほど、凄惨な量の赤黒いものが付着している。
はぼんやりと、あれが己の血であれば、ルカ以外の誰に触れられる前に燃やしてしまわねばならないと思った。
「鬼喰い」の病に掛かったルカであれば、もはや地球人のかかる病に煩わされることはないが、他のものは人間だ。血液感染してしまう。己が元凶というのが、気に入らぬ。
「あなた、どうするの」
ルカがやっと、口を開く。ぎゅっと、再び掌を握り締め、開き、を繰り返し、そして、真っ直ぐにの瞳を覗き込んだ。
(青い目の、お人形のよう)
はかつて、この女に憧れた。美しい獣のような、ひと。剣を振るい、戦場を駆け、高杉の牙として息を、生きてきた、このひとに憧れた。
体の弱き己ではけしてできぬことを容易くやってのけ、その気質にも合う彼女が、羨ましかった。はルカを羨むたびに、あぁ、己は高杉が好きなのだと実感できた。高杉と己の間に共通するものはただ、共犯者であるという点のみで、そこに憎悪らしいものはほんのりと染められていたが、愛・恋のうんぬんの存在を確定するだけの要素を、はついぞ見つけることが出来なかった。そこに、ルカが現れた。うつくしいひと、つよいひと、かわいらしいひと。ルカはの太陽であった。
その太陽の如き女性が、今は沈んだ顔でを見下ろしている。
「どう、とは?」
「わかっているんでしょう。さん、あなたは」
「ルカさんをお呼びになられたのは、山崎さんですね。ルカさんのこと、山崎さんはご承知ですもの」
皆まで言わせず、は言葉を遮った。ルカの瞳に巡回する色が浮かぶ。
「えぇ……」
けれど肯定し、そして再び、黙る。はゆっくりと息を吐いて、口元をほころばせた。
「酷いことをしたわたしを、助けてくださるなんて、本当に、どうして、山崎さん。おやさしいのでしょう」
は、近藤を殺す気でいた。あと数秒、発作が遅ければは確実に近藤を鬼籍に移していただろうし、それが可能であることは、あの時僅かに上がったの殺気は、山崎も知っているだろうに。
「優しいからって、だけじゃないわ」
笑うをたしなめるように、ルカは静かに告げた。ぴくり、と、の小指が動く。意味の真意を図ろうとする脳を留めて、目を伏せ、顔を上げたときには、再び微笑む。
「それでも、わたしは、まだ選べます」
まだ、という言葉を己であえて使ったが、その言葉は不要であったと、声に出して実感する。言い方は悪いが、山崎と高杉の双方、は、高杉に重きを置ける。己の一切、全てを投げ打つとまではいえぬが、山崎と高杉、という二択の答えは、永劫変わることはないと思う。
ルカがぎゅっと、脣を噛んだ。
「待っていても、晋助は来ないわ」
は目を伏せて、ゆっくりと、頷いた。
□
ルカの出て行った室内は、なんだか少し、温度が下がったように感じる。そのようなはずはない、赤々と燃える炭の暖かさは変わらぬ。は喉を押さえて、目を伏せた。
本当に、助かった。ルカが来て、よかった。
もし他の医者であれば、適切な処置をすることはできなかっただろうし、何よりも、知られてはならぬ、ことを知られることになる。己が死ぬことにより歴史の闇に沈む「秘密」を、暴かれることだけはあってはならぬ。
口を半分開けて呼吸をすると、喉が軽く、震える。小さく音を出して、まだあつかえることを確認した。
「て、ま、り、う、た」
音はすんなりと、出る。音の高さにも不自然さはない。ゆっくりと手を離し、その手を目前に広げる、くっきりと見える、生命線の長さも、何も、変化などない。ほっと、息を吐いた。
「あ、あの」
障子の向こう、廊下から、窺う山崎の声がした。恐らく、帰るルカからが意識を取り戻したことを聞いたのだろう。少し息が弾んでいる。かけてくる足音は聞こえなかったが、彼なら、容易かろう。
(あぁ、わたしはもう山崎さんを忍として見ている)
「ルカを呼んでくださって、ありがとうございます」
内心の己の動揺は表面には一切も見せず、が微笑んで声を掛ければ、躊躇うように沈黙の後、おずおずと、山崎が障子を引いて入ってきた。
「いえ……他に、できることがありませんから……」
山崎の手には粥の添えられたトレイを持っている。山崎は静かに部屋に入り、の枕元、つまりはさきほどまではルカがいた場所に座り込み、正座をする。がふぅ、と、息を吐くと肩を震わせ、瞬きをすると、脣を噛む。
居た堪れなくなって、は口を開いた。
「ルカさんをご覧になって、土方さんが煩かったんじゃありませんか?」
我ながら、会話が苦手である。聞いてどうするわけでもないことを言い、答えは返ってこぬかと思ったが、山崎もいた溜まれぬのか、言葉を返す。
「そんなことないですよ、局長は今トッシーモードっすから。寧ろパツ金萌とか言って箪笥からメイド服出してツインテール要求してました」
次の瞬間ルカの盛大な回し蹴りが決まって、トッシーは押入れの中に引き篭もっているそうだ。襖に耳を近づけると二次の女性の素晴らしさやしとやかさを懇々と説く声が聞こえるらしい。
「まぁ、楽しそう」
コロコロとは音を立てて笑う。山崎は困ったような顔をしながらも自分も笑い、そして、俯く。
「山崎さん?」
が呼べば、山崎は直ぐに顔を上げるのだけれど、その目は、弱々しい。あぁ、これが、己と彼の関係を証明するのだと、は泣きたくなった。そしてその、身勝手な己に憤る。なぜ、なぜ、傷つくのだろう、己の心は。山崎を選べぬ、山崎の大切にしている場所を破壊できる、己が何を、しおらしく嘆くのか。その資格などなく、己に、本来幸福になる資格などないことを思い当たれば、もう、は二度と山崎に会うわけにはいかぬと、気付いた。
「俺には、さんを殺すことはできません」
長い沈黙のあと、やっと、それだけを、山崎は募らせた。は目を見開き、そして、首を振った。
「以前、土方さんがお約束してくださいました。あなたに斬らせることなどないと、わたしを斬るのは、自分だと」
「あなたは局長を殺す気でした」
ずきり、と、知らぬ覚えのない痛みがを襲う。胸を押さえたくて、けれど、そうすればきっと山崎は心配してしまうのだと分かっていたから、耐えた。ずきり、ずきり、と、痛む。
「俺は、真選組が大切です。何よりも、大切なんです。ここを失ったら、俺は俺じゃなくなります。その居場所を、あなたは、壊せる」
思えば、彼と過ごした日々、は刹那の幸福を確かに感じていた。けれど、それは、本当に「現実の幸福」であったのだろうか。そうだ、己には、そういう、気質がある。高杉を見るためにルカというフィルターを必要としたとうに、山崎にも、同じことをしていたら?
「……ッ」
だめ、だ、と、胸のうちに警告音が響いた。それ以上、突き詰めてはならぬこと。知らぬ、方が良いこと、が、ある。は己の喉を押さえ、皮膚に爪を立て、思考を止めた。
山崎と、目が合う。にっこりと、反射的に微笑めば、山崎が、ぎゅっと、目を伏せた。
「俺は、あなたが好きです」
Fin
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