どさり、と落下したのは暖炉の中だった。

「おや、なんだいお前は」

驚いた老女の声。
偶然にも偶然、まだ薪の入れられる前だったから良いものの、軽く燃え死ねるんじゃないかと後々には思った。

「!!ここは!!」

はっとして体を起こす。
暖炉から見える、窓の向こう、雪が吹雪いていた。

ここ、この、この場所は、先ほどのところとはまるで違う!!

どうして、自分はつい、一瞬前まで、マストの上に乗っていた。あの人の首を持って。はっと、は腕にあったはずのイヴの頭がないことに気づいた。混乱し、頭の中がぐるぐると回る。

途中から、記憶がない。

何か、を、自分は赤犬に告げたはずだ。だが、何だったか?

思い出せない。

ただ、赤犬が、どうしてイヴさんを殺したのかを聞いた瞬間、の頭が真っ白になって、それで。

(それで、どうしたのだったっけ?)

「若さの秘訣かい?」

バーン、とサングラスをかけ直してなんだか妙なポーズを取った老女はきれいに無視をして、は混乱気味に叫ぶ。

ここがどこだかわからないが、しかし、だが、戻らなければ。

「イヴさんが!!!イヴさんが・・・!!!!」

慌てふためきただただ、大切なあの人の名を呼ぶしかできないでいるに、老女が眉を寄せた。
どこかぼんやりと、は「見覚えがある人のような?」と思ったが、しかし、すぐには思い出せない。

そんなことよりも、今はイヴさんのことを!!

急ぐ気持ちで老女に掴み寄ると、バタン、と扉が開いた。

「ドクトリーヌ!!今の音は…!!!ぎゃぁああああああにににに、にに、に、人間!!?」
「教えてよ!!どうすればさっきの場所に戻れるの!!!?戻らなきゃ、戻らなきゃ・・・・イヴさんが!!」

はそちらに目を向けることもせず、ただうるさい、邪魔をするな、とだけ思って頭を振った。

イヴさんは首を落とされてしまった。

もう、死んでしまったのか。でも、まだ、もしかしたら、生きているかもしれない。
首だけになったって、もしかしたら、あの人なら死んでいないかもしれない。

そういう期待があった、それで、老女に掴みかかると、ぽん、と、老女の手がの肩を叩く、やけに落ち着き払った声。

「落ち着きな…お前、魔女だね?」
「……え?」
「あんたが何をそんなに慌てているのか知らないが…検討はつく。イスカリオテ、そうかい、あの魔女は、ついに死ぬのかい」

深いため息、それは長い友人の訃報を聞いたようだった。

(この人はイヴさんを知っている!)

はほっと、息を吐いた。

状況はなにもわからぬ、変わらぬのに、なぜだか、老女のため息がを落ち着かせた。
それで、すとん、と、腰が抜ける。座り込んでしまったを老女は見下ろして、入口に顔を向けた。

「ド、ドクトリーヌ…?イスカリオテって…イヴのことか?」
「あぁ。キッチンへいってスープを作っておいで。この娘にやるんだ」
「う、うん…」

子供のような声がした。いったい誰がいるのだろう?がそちらを振り返ったときには、しかしすでに出て行ったあとである。扉が丁寧にしまっている様子を眺めて、はもう一度老女を見上げた。

「イヴさんが、イヴさんが……」
「わかっているよ。そうかい、その時が来たってことだ。さて、お前さんは?」
「…わ、私は。井原。あのひとはって呼んでくれたわ」
「イスカリオテが死ぬって言ったね。自殺かい」
「!!違うわ!イヴさんはそんなことしない!!!海軍の、赤犬って大将と戦って…私が、足手まといだったから…」
「小娘の一人二人いたところでどうこうできるヤツじゃあないよ。そうかい…海軍本部の、大将殿と…そりゃあ、死ぬしかない」
「…どうして?」
「そういう決まりなんだと、随分昔に言っていた。どうっていうこともわからないがね。あの魔女の長い時間を終わらせるのは海軍大将が明確な殺意を持って訪れたときだと、そうなっているそうだ」
「…」

は“少女ヒロイン”とその相手キャラクターだった赤犬の関係を思い出す。
イヴさんとサカズキ。
世界は違えど、そこには二人の何かがあったのだろうか。
今となっては知るすべもないこと。の目からぽろり、と涙が溢れた。大粒の涙である。

悲しい、わけではない。
悲しさ、とは何か違う気がした。

何しろ、イヴのことをはよくよく承知しているわけではない。

会ったばかりだ。
悲しい、と心から思えるほどはやさしみを持ってはいないと、自分を知っていた。

けれど涙が出てくる。
ぼろぼろと、のセーラー服のスカートを濡らす。
ぎゅっと、皺になるほど握りしめていると、老婆の声が続いた。

「それでお前はあの魔女の力を受け継いだと、そういうことだろう?茨の薔薇、ケセドの魔女」
「え?」
「お前の階位さ。なんだい、まだ自覚がないのか。ま、おいおい慣れるさね」

ふぅ、と、溜息一つ。
そこでハタリ、と、は目を見開いた。
相変わらず頭の中は混乱するし、気持ちが悪い。

けれど、あ、れ?

(こ、の人…!!?)

「全く、イスカリオテも妙なことをしたものだよ。何の訓練も受けていない小娘に力を譲るなんてね。よほどお前のことが気に入ったか、力を残さなければならない運命でもあるかだ」
「…あ、あの…!!!」

こちらにはわからぬ会話を独り言のようにする老婆を遮り、は老婆のズボンを引いた。

「うん?なんだい」
「あ、あなた……あなた、ドクター・くれは?ドクトリーヌ?」
「おや、知ってるのかい」
「知ってるも何も……」

それでは、ここはドラム王国なのか。
確かに窓の外を見れば、雪がしんしんと降り……どうりで寒いわけである。
が飛び出した暖炉は炎が入っていなかったから余計に寒い。

心が若干落ち着けば、自然気温などが気になった。
がちっと、歯を鳴らしながら、は眉を寄せる。

(ってことは、私、チョッパー見逃した?)

先ほど聞こえた甲高い子供の声、あれは、まさかチョッパーだったのか。

「……なんてもったいない…」

ぼそり、と心の底から本心で呟けば、ドクトリーヌが怪訝そうな顔をした。

「なんだい?」
「あ、いえ、なんでも。あの、この国はサクラ王国…じゃないですよね?」
「は?なんだいその妙な名前は。どこぞのバカ医者じゃあるまいし。サクラなんてこの冬島には縁がないよ」
「そ、そうですか…」

チョッパーがいるのならまだルフィたちが来る前なはず。だが問題はワポルが統治している時か、どうかということだ。ドクトリーヌのもとにいるのなら、もうヒルルクは死んでいるのだろう。

「この国の名前が知りたいのかい?ふぇっふぇふぇ、まぁ時期に国が滅ぶのも時間の問題だがね、この国の名はドラム。医療大国と呼ばれた国さ」

黙ったに、ドクトリーヌが言葉を続ける。
は揶揄するような言葉の響きに、彼女がこの国を見話していることを感じ取った。ヒルルクの死でドクトリーヌが何を思ったか、そういえば考えたことがなかったが、しかし、彼女にとって、けしてヒルルクは、ただの「ヤブ医者」ではなかっただろう。

そんなことをぼんやりと考え、それでは今はチョッパーがくれはの元で勉強中、黒ひげたちはまだここにきていない、という頃なのか、と結論を出した。

が、すぐには、何か違和感を覚える。


時間、時間、時代、系列。


(ちょっと、待て)


何か自分は思い違いをしていないか?

この世界に来てからは今がルフィたちがバラティエうんぬんの頃だと判断していた。

それはなぜだ?

アーロンの手配書があった。

それに、白ヒゲ海賊団で仲間殺しがあり、エースが不在だった。

……だが、の頭の中で何かが引っかかる。

思い出せ。

最初に、何で時間を確認したのだったか?

「ドクトリーヌ!!」

何かを思い出しかけたの思考を、子供のような甲高い声が遮る。

今、何か、気づきかけた。

しかしの興味は、そんなことより、扉の前におっかなびっくり立っている、小さな生き物に映った。

ふわふわとした毛並。桜色の帽子、そこから飛び出した二本の角。真っ青な鼻。

つぶらな瞳が今は脅えたように震え、を警戒しているが、しかしドクトリーヌに言われたとおりに、その手には湯気の立つスープ皿を持っている。

、危うく叫んで抱き付きそうになった。が、それで怖がられては後々面倒であるし、それになにより、自分の格好を見下ろせば、イヴの血が大量に付いている。あの柔らかな毛を血で濡らすのは気の毒だろうと、そんなことをぼんやり考えた。

「ほら、あったまるからのみな。まぁ、魔女のスープほどじゃあないだろうけどね」

ドクトリーヌがに皿を差し出す。
それを受け取って、は扉の方へ声をかけた。例の「隠れる向きが逆」な格好でこちらを眺めている獣と、目が合う。

「いただきます。ありがとう」
「お、お礼なんて言うんじゃねぇバカヤロー!!」
「あとで抱っこしてもいい?」
「な、なんでだよ!!?なんかする気か!!!?」
「いや…普通に腐女子の夢?」
「わけわかんねぇよ!!」

まぁ、もっともである。そのままダッシュで逃げてしまったチョッパーを見送り、はにこり、と笑ってからスープに口をつけた。

「頂いてて何なんですけど……あの、ドクターくれは。これ、すっごくエグイんですが」
「美味いものだなんて言った覚えはないよ」

そうですね。

は眉を寄せて、香りは普通なのに口に含んだとたん青臭さというか、菊の葉のジュースのような、とてもクセのあるスープを再度口に運ぶ。まずい、とてもまずい。

しかし、飲むたびに、何か体の中が落ち着いてくる。

薬草のたぐいなのだろうか。

薬と思って飲もう、とが覚悟を決めていると、椅子に腰かけたドクトリーヌ、感慨深そうに息を吐く。

「それにしても、ねぇ。あのイスカリオテが死んだ?昨日会ったばかりの友人がそうなった、なんて、中々信じたくはないもんだよ」

はたり、と、は動きを止めた。



 

 




第二章「沈んだ夢」 開始