そうだ、自分が間違っていたのだと、は気づいた。
動きを止めたをドクトリーヌが怪訝そうに見つめてきているが、今はそれに答えている余裕がない。
は脳内であれこれと、イヴとの会話を思い出す。
そう、そうだ。
最初、は間違えていた。すっかり、間違えてしまっていたのだ。
(海賊王が死んで“もうそろそろ20年経つ”とイヴさんは言っていた。それで私は、ルフィたちの物語が海賊王の死後20年後の話だと肯定した。でも、違う)
どうして勘違いしていたのだろう。
海賊王が処刑されたのは、ルフィの旅立ちの22年前ではないか!
ということは、あの時確認した船の上では、ロジャーの処刑から20年後(ルフィ出発2年前)そして白ヒゲ海賊団ではエースがいなかった。ルフィたちがドラムに来る半年前に、黒ひげはドラム王国を襲っている。つまり、ルフィたちがドラムに来る半年以上前にグランドラインの白ヒゲ海賊団の船の上で仲間殺しが起きたと、そういうことだ。
エースが2年も黒ひげを見つけられなかっただろうか?いや、そんなことはないだろう。
はイヴの船、カルミナ・ミラーナ号が「世界で最も早い船」だったことを思い出す。以前、何かの本で読んだ。
高速、早さは「未来」へ行くことができる。
あのイヴ・イヴェンの船が、その時間が、ただまともなもののはずがなかった。あの船事態が、おかしいのだ。が出てきたのもあの船、ただの時間のもののはずもなかった。
が白ヒゲの船にいたときは、おそらく、ロジャー死刑から21年後(ルフィ出発1年前)程度だったのだろう。
そして今、は目の前のドクトリーヌに問いかける。
「ドクター・くれは。海賊王が処刑されたのは、今から何年前ですか?」
沈んだ夢
の口元が、笑みを描いた。予想通り、である。
先ほどまで心を閉めていた重苦しい、鉛のようなものが嘘のように消える。ドクトリーヌの答え、他人の言葉にこれほど感謝したのは初めてかもしれない。
「そうですか、今から、18年前」
ドクトリーヌの言葉を繰り返して、は頷く。突然顔色のよくなったに、ドクトリーヌは額に手を当てて熱の有無を確認してきた。
「ふ、ふふ、私はいたって平常ですよ」
「そうかい。ロジャーが死んで18年だってことが、うれしいのかい?」
「えぇ、そうです。私、それならイヴさんを助けられる」
どういう理屈か知らないが、自分は、は、最後にいた時間から3年前のドラム王国にきてしまっているらしい。
暖炉を通ったせいなのか、場所の移動をしたせいなのか、それはにはわからない。
「イヴさんと昨日会ったんですか?」
「あぁ。あのイスカリオテは人の秘蔵のワインを持っていきおったよ。まぁ、かわりに魔女の薬草を何種類か、苗を貰ったがね」
「ならまだイヴさんは生きているんです。私がイヴさんと会ったのは、今から二年後になるんですから」
ドクトリーヌの顔に困惑の色が浮かんだ。彼女がこのような顔をするのは珍しいのではないだろうか。だがにそれを楽しむ心はなく、目まぐるしく回転する思考のまま、言葉を続けた。
「そう、そうなんですよ。それなら、二年後の、私が現れた場所さえわかれば、そこに行って、それから、どうにかすることができます。あの島に行って買い物に行っている私が海兵に捕まらないようにすればいいし、イヴさんに、海兵が来ていることを知らせれば」
「ちょっと、お待ちよ。お前さん、何を言ってるんだい?二年後に会う?頭でもいかれて、」
「私はいつだって正常です」
は言いきって、ドクトリーヌを見つめた。
この人はイヴさんを知っている。彼女が魔女だということを了解しているし、そして、私が何か変化があったことも、わかっているらしい。の知らないことを知っているだろう。
「教えてください。ドクターくれは。私が魔女になったって、貴方は言いましたね。でもそれは、どういうことなんですか?」
「簡単なことさね。あのイスカリオテ…イヴ・イヴェン、海の魔女、灰の王妃に出来た何もかもを、お前さんができるようになった、とそういうことだ」
言われてはさっと腕を振ってみた。物語の中では、イヴさんと同じ存在である少女ヒロイン、海の魔女はこうして空を飛ぶデッキブラシを出した。だが、腕には何も現れない。
不服そうな顔をするにドクトリーヌが笑う。
「できるようになった、というだだけで、できるわけじゃあないさ」
「空を飛べるようにならないと、イヴさんを助けにいけないんです」
ドラム王国は医療国家だが、航海術はどうだろうか?それに、くれはが船を持っているとも思えない。船、はカルミナ・ミラーナ号を思い出した。あの船は、あのあとどうなってしまうのだろうか。あれほど美しい船、海軍に押収されるのか。イヴさんの死体と一緒に。
表情を暗くしていると、ドクトリーヌがため息を吐いた。
「何がなんだかさっぱりわからないがね。お前さんは、どこからか来て、そして、イヴは死んだといった。だけれど、まだイヴは死んじゃあいなくて、それは二年後だってことかい?」
正しくは三年後なのだが、はその説明を省いた。それでこっくりと頷くとドクトリーヌは困ったように眉を寄せる。
「魔女の言動には慣れてるつもりだったが、あたしの理解を越えてる。だが、魔女の言葉を疑うことほど愚かなことはないね。たとえあんたが、まだ魔女としての全てを持っていないにしてもだ」
「イヴさんを助けるために、私は海を移動できないといけないんです。船での移動よりは、」
「魔女の飛行術の方が役に立つ」
ドクトリーヌが続けて頷いた。えぇ、とは相槌を打って、もう一度腕を振る。
「他に何ができなくたっていいんです。空を飛べれば、イヴさんを赤犬から救って逃げることもできる」
赤犬の能力が空を飛ぶことではなければ別だが、とは心の中で付け足す。ドクトリーヌは空を飛ぶ方法を知っているだろうか?そういう期待を込めて老女を見つめると、ドクトリーヌは首を振った。
「あたしは魔女にはなれなかった。イヴ・イヴェンがそうしようとしたがね。だから直接知ってるわけじゃない」
「そう……」
「魔女のカバンがあればまだ話は別だったんだがね」
残念そうに言うドクトリーヌに、は弾けたように顔を上げた。
「魔女のカバン?それって、イヴさんのカバンのこと?」
「あ、あぁ、そうだよ」
の勢いにドクトリーヌは目を見開いて、それから「持ってるのかい?」と意外そうな顔をした。は体の下に敷いていたカバンを取り出す。潰れてぺしゃんこになってはいるが、間違いなく、港でイヴさんが貸してくれたカバンだった。
ドクトリーヌの目が輝く。懐かしいものを見るかのような眼をし、そしてゆっくりとそのカバンを手に取った。
「昨日来たときは持ってなかった。いや、もう随分と、あたしが魔女にはなれないと決まった時から、見てない。だからもう110年ぶりになるねぇ」
そして大事なものを扱うようにカバンを裏っ返しにしたり、してじっくりと手で触れる。そのまま中に手を入れて何かを呟いたが、には小さすぎて聞き取れなかった。ゆっくりと、緊張した面持ちで手を出したが、そこには何もない。ドクトリーヌは聊か落胆したように見えたが、すぐに、いつもの彼女に戻った。にカバンを返して、優秀な家庭教師のような落ち着いた声で続ける。
「手を入れて、本を、と呟いてごらん。魔女なら誰だって、まずはその本を見るべきだ」
は言われたとおり、手を差し入れた。おそるおそる、噛み付きやしないとわかっているが、おっかなびっくり、手を入れる。それで、ひんやりとした空洞を感じながら、小さな声でと呟いた。そのとたん、指先に何か触れる。
びっくりして目を見開けば、指先に当たったものが、ぱしっと手のひらに当たって、反射的には掴んだ。そのまま手を引っこ抜けば、途端、重さが実感できる。
「あぁ…そうだ。それが、魔女の教本“リリスの日記”だ」
静かなドクトリーヌの声がしたが、は自分の心臓の音がうるさくてそれどころではない。手に、掴んだ。袋の中から、出てきたもの。ドクトリーヌには出せなくて、自分には出せた。これが魔女になった証なの?リリスの日記。その名前は聞いたことがある。少女ヒロインの物語の重要アイテムだ。千年前に死んだ双子の片割れの名前、彼女の記憶が刻まれた日記。全貌が明らかにはなっていなかった。別のヒロイン、詩人ヒロインがリリスの日記の詩篇を扱って戦いをする話はあったが、そのリリスの日記が、今わたしの手にあるの?
信じられない思いで、は息をつめた。
そしてゆっくりとページを開き、眉を寄せる。
「………なんですか?これ」
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