「ねぇ、セイちゃん。生きるってなんだろうねぇ」
TVを観ていたがとうとつにぽつり、とそんな、気安いというには妙に深い疑問を口にしてきた。季節は夏。からっと晴れた日中より幾分マシとはいえ、それでもしかし夏は夜だって十分熱い。は少しだれたような顔で、椅子を反対に座って背もたれを抱え込んでいる。ギコギコとわざと軋ませる音。ソファに座ってTVと向かい合っていた幸村精市は一度そんな妹に視線を向けてからもう一度TVを観る。2人でなんとなしに見ていた夜の特別番組。ようするに24時間TVだ。いや、確か今回は28時間だったっけか、まぁどちらでも変わりはないだろう。
それで、幸村、妹がなぜ唐突に口を開いたのかを考えこのTV、ひょっとして「今回のテーマ?」と返してみた。
「うん。ほら、セイちゃんも生死の境を彷徨ったじゃんさ。だから」
「生死というか、そういう危機的状況ならも一緒だと思うけど…」
24時間TVは毎回毎回なんぞのテーマがあって、なるほど今回この己らの観ているものは「生きる」とか、そういう壮大な、しかし妙に漠然としたものがテーマらしかった。幸村はテレビに顔をむけてはいるものの内容を注視しているわけではない。ただついているから顔を向けて、頭では明日のテニス部の練習内容を考えている。自分の部屋ではなくリビングにいるのはがここにいるからで、そしてがここにいるのも自分がいるからだろう。家族というのはそういうものなんだ、と最近幸村は気付いた。
それで、妹の「素朴な疑問」に兄らしく付き合う。なるほど己は確かに「難病を克服して、リハビリをしている最中」で、この24時間TVで取り上げられる内容に似ている。というか、今も2人の目の前、画面の中ではとても気の毒なことに少年(多分と同じ中学一年生)が病で余命いくばくか、けれど成功率の低い手術にかけて挑戦してみる、という感動的なドキュメンタリーが流れている。
幸村は自身が似た状況であっただけに「気の毒に」と心から思えない自分に気付いた。なるほど同情・憐憫は一種の「自分は違うという安心感、優越感」があってのもの、だなんて見解があるくらい。己はそういうことをもう思えぬらしかった。
それで幸村はが何を己に言わせたいのか判じる間、別に難病だったわけではないにしても、生きるか死ぬかの境を体験したことがあるのはお前も同じではないかと、そう水を向けてみた。
双方の片親の再婚により、と幸村精市は「兄弟」になった。互いに互いの家を継ぐ立場のため苗字はそのままではやはり男のままであるのだけれど、幸村はを「俺の妹」とそう想い、思っている。そのが、が、己と「家族」になる前、氷帝学園に入るよりもっと前、青学で黄色いボールを追いかけるよりずっと前に、それはもう顔を顰めたくなるような日々を送っていたのを知っている。
「僕のは違うよ。僕は生きるとか、死ぬとか、そういうものとは違ってた」
しかしは精市の言葉ににへら、と笑って首を振る。笑うと彼女は猫のようである。は己がが経験してきたのは、たとえばこのテレビの中の少年のような難病、なぜ避けられなかったわからぬ、なぜ起きたかもわからぬ「不幸」ではなくて、己の身から出た所業、ようするに自業自得なものばかりであったから、それは、生きたいと願う力を呼ぶものでもなかったし、あるいは死にたいと願えるほど強いものでもなかったと、そう答える。
「そう。なら、君にとっては生きるって何だい」
「セイちゃん、質問したのは僕だよ」
「まぁいいじゃないか。答えてみて」
言われてがむぅっと考えるように眉を寄せた。学校には通わせてもらっていても殆ど授業を受けてこなかったは頭が悪い。頭が悪いから「考える」ということをご大層にする。むっと真剣な様子を精市は目を細めて眺め、「よく、ほら、食べることは生きること、とか、笑うこと、って言うよね」とただ漠然と「生きる」というものでは答えを出せそうにない妹に助言をする。
するとはなるほどなるほど、と頷いて「僕はよく食べるんだよね。多分部活してる皆の三倍は食べてると思う」と自身を振り返った。
「うん、でも、どうだろう。どうかな、ご飯食べてて「あ、生きてるなぁ」なんて実感はしないよ。というかこの国じゃ飢えるなんてことはそんなないだろうし、ご飯食べて、って難しくない?」
「おいしいものを食べていると幸せを感じたりはしない?」
「しないねぇ。質より量だし」
量を求めるのは飢えているからではないのか、と幸村は思ったが指摘はしなかった。はよく食べる。幸村の後輩である切原赤也も育ち盛りらしくよく食べるけれど(部活帰りや試合後の打ち上げなどで大盛をあっというまに平らげる姿を微笑ましく見ている)赤也の食べる動機を健全とするなら、の「たくさん」食べる理由はきっとほんの少し、後ろ向きなことであろう。(たとえばパクパクと無尽蔵に食べる付ける妙な生き物。体格の大きさと比例しない食欲、必要な食事量はどこか化け物じみた恐怖すら人に与える)幸村が黙っていると、は何か言わねばと気遣ったか、あれこれ考え、ふとリビングに飾ってある幸村が取得した優勝記念のトロフィー(処狭しと並べられた)を見て「あ」と声を上げた。
「やっぱり、真田くんをからかい倒してるときかな。僕はとても自分が生き生きとしていると思うよ」
「ふふ、真田が聞いたら喜びそうだね」
「怒ると思うけど」
「そんなことはないよ、弦一郎はが好きだから、自分が尊い犠牲になってを笑わせられるなら本望だろう」
俺が言うんだから間違いないといえばが今度は声を上げて笑った。弾む、弾む声。それで「っていうかセイちゃん、真田くんのいないところで本人の気持ちを告白しちゃダメだと思うよ」と楽しげに言ってくる。確かにまだ告白もせず秘める想い、なんてのを続けている真田からすれば「お、お前がなぜ言うんだ!!?」と突っ込みが入るだろうが、あの堅物な友人がに懸想している、なんてことは本人も、そして周囲もとっくに気付いていることで、「言わないでいてあげよう」なんて思う期間はとっくに過ぎ(何しろ真田がヘタレで一向に進展させようとしないから!)本人のいないところでネタにされる、というところに来ていた。
ころころとがひとしきり笑うのを眺め、精市は「俺にとってはね」と当初の通り、己に問われた本件についての考えをやっと披露することにする。
「俺にとってはね。やっぱりテニスをするということだ」
言い切れる。病に伏した病院で。もう二度とテニスをできぬだろうと告げられた病室で、己が真っ先に考えたことである。
「テニスをすることだ。それも、ただの打ち合いじゃない。強者強者と戦って、勝つこと。それこそが俺が「生きている」と実感できることだ」
「うん、それでこそ幸村精市だね」
たとえば己とて食事をして「おいしい」と感じ幸福感を覚えることもある。趣味の園芸に勤しみ満足のいく出来栄えであったときは達成感を得る。だがしかし、テニスはそういう「趣味」や「自己満足」の範囲ではない。いや確かに、部活動、一種の「学業の傍らの」と位置づけられる「趣味の範囲の運動」ではあるが、だがしかし、授業を終えてテニスバッグを背負い教室から廊下に出て、そうして校舎からテニスコートを眺める、既に先に打ち合いをしている部員を眺める、途中で真田や柳と合流する、そうして「今日はどれだけやってみようか」と微笑み真田の顔を引き攣らせる、三人で歩く、あの瞬間、強者とコートに並び、相手が己を倒そうと必死になって繰り出す球を打ち返す、相手に取れぬ球を送ったのに必死に打ち返される、あの瞬間。そうして己を出し切って、相手を倒し、しかしぐっと互いに握手を交わす瞬間、あれほど満たされることなどない。
(そうだ、思えば俺はただ「テニスがしたい」というだけではなく「テニスをしているとき」だから生きていると実感するのではなく、そのテニスを取り巻く全てが、部活動から試合、何もかもの「今」この時間が状況が環境が、俺にとってはなによりも変えがたい)
病に伏して恐怖した。もう二度とテニスができぬとその言葉。精市の心は荒れた。あれほどテニスに打ち込んだ己がなぜこの仕打ちと何かを恨んだりもした。だがしかし、それを繋ぎとめてくれたのは弦一郎の鉄拳であり、そしてその「誠意ある暴力」がなぜ己を奮い立たせたのかといえば、そんなことは単純だ。
ぐっと、幸村は手を握り、こちらを見つめるに顔を向ける。
「いや、一寸違うな。俺にとって「生きる」というのは、今の俺にとってはきっと、弦一郎や蓮二たちのいるあの場所で戦えると、そういうことなんだ」
全国大会に間に合わなければ、意味がないと思っていた。つまりはそういうことだ、と幸村は告げ、そして妹に手を伸ばす。
「良いテーマじゃないかな、24時間テレビ。生きるというのは、きっと息を吸うことでできる。でも「生きる」と実感する、理解するのはこうして自分の世界が「どこか」ってことを考えることなんだろうね」
手を伸ばし、の髪に触れる。白と黒のコントラス、色は地味だが極端な色ゆえ結果派手になった頭。その黒い部分に触れ、目を細める。は一瞬びっくりとした顔で、だが小さく吐息のような笑い声を立てると触れてきた幸村の手に自分の手を添える。
「俺はね、。できることならにもそういう場所ができればいいと、そう思うよ」
呟き、こちらの言葉ににへら、と誤魔化す笑顔を浮かべる妹に幸村は俯いた。

(俺は義父さんが、を氷帝から引き離そうとしているのを、知っているんだ)



Fin

(2012/02/23)