どういうわけか、さんは(さん、と呼ぶよりこちらのほうがどうしても落ち着くので心の中ではいつもさんと呼ぶ)俺をからかい倒すことが好きらしい。


 

 


ひよこきねんび

 

 

 




知り合いの道場へ親善試合に行った帰り、目前に見慣れた後姿を発見した。相変わらずふらふらと身体を揺らしてゆっくりゆっくりと歩く、白と黒の対極的な色合いの髪。日吉はカラン、とゲタを鳴らして少し早足にその背中を呼び止める。
さん?」
十二月の初め、コートも着ずに歩道を行くさんは驚いたように振り返った。出会った当初は自分より短かった髪が今は随分伸び、その首筋でさらりと揺れる。
「あ、ヒヨ子」
おや、と小首を傾げるその顔に毎度おなじみ「日吉です」と突っ込みを入れてから日吉はじぃっとを見下ろした。
「珍しいですね、こんなに気温なのに貴方が出歩いているなんて」
「ねぇ君、僕のことを極度の社会不適応者だって誤解してない?」
「いえ、まさか。ただ、極度の出不精で方向音痴である、という正しい認識しかしていません」
日吉がまだ氷帝の寮にいたころ、近くのコンビニにまで行ったはずの彼女が迷子になって携帯で助けを求めに来たのは一度や二度などではない。指摘すればが黙った。機嫌を損ねたのだろうかと顔を覗き込むとムっと頬を膨らませていて、やっぱり不機嫌になっていた。なので日吉は一緒に歩いても手を繋ぐ事はあきらめる。歩き始め、もちろん日吉は男として道路側を歩きたかったのだが、が「右側に人がいるのって嫌」と不機嫌続行の声で言うで移動しかけた足を踏みとどまり、左側を歩くことにする。
「ねぇ、君、今からどこかへ稽古?」
暫くの沈黙。夕方の住宅路は音がなく日吉は、最近読んだ怪談話を思い出していた。薄暗くなった住宅街、曲がり角には赤いコートの女が立っていてマスクをしたまま「私綺麗?」と問うてくるのだ。だがそんな話をにしようものなら顔を引き攣らせて関節技をかけられる。それで日吉がそれでは怪談話以外に何を話せばいいかと考えていると、こちらの胴着姿を改めて眺めたが口を開いた。
「いえ、親善試合が終わったんです」
「勝った?」
「当然でしょう」
テニスならいざ知らず古武術なら同世代のやつらに負ける気はしない。かつての目の前で立海大の真田に宣言したほどである。もちろん今日の試合も快勝だった。
「へぇ、さすが。見てみたかったなぁ」
「ただの交流試合ですから、わざわざ呼ぶほどではありません」
「でも次は呼んでね」
が応援に、と考えて一瞬思考が乱れたが日吉は直ぐに取り直して冷静に首を振る。テニス部に打ち込んでいるためここ最近では大きな試合には出ていない。折角に応援してもらえるのならもっと大きな大会、自分がいかに強いかを(テニスでは勝てないので)この人に見てもらおうと思って日吉はそれなら良い舞台はあるかと記憶を辿る。
「親善試合なのに、ヒヨ子一人なの?」
「えぇ。普段だったら門下生数人と、師範の父が一緒なんですが、今日は対戦道場に残ってそこの師範に教えを受けていました」
父以外の人間から教えを受けることも良い経験になる。テニスにももちろん生かせると告げるとが「君はいつも全力だなぁ」と眩しそうに目を細められた。
「それで、さん、どこへいくつもりだったんですか」
「ここのケーキ屋が一番美味しいってジロちゃんが」
これ地図、と渡された。なるほどこれがあるからまだマシだったのか。納得して地図を見る。☆印が付けられている場所は何度か母に使いに行かされたことがあった。確かに美味いと評判だった。
「案内しましょうか」
迷惑にならない?と見上げられて、そんな心配は似合いませんと答えるとぺしっとジャンプして頭を叩かれた。こういうときだけ本気で飛ぶのはどうなんだろうか。着地しようとする体を受け止めると不機嫌そうに見上げられた。
「寒くありませんか?」
触れた頬はすっかり冷え込んでいる。抱き上げた腰から布一枚にさんのぬくもりが伝わってきた。
「ちょっとね、ヒヨ子こそ寒くないの?」
離してと、暴れる体を地面に下ろす。
「胴着は厚手ですし、マフラーもしていますから。さんこそ、なんでそんな薄着なんです」
「いや、いけるかなぁって」
「勘違いですから。マフラーでもしてろ」
いって首からマフラーをとってに巻きつける。マフラーの巻き方にこだわりがあるほうではないのでぐるぐると遠慮なく、とりあえず第一の目的「防寒」というのを徹底するとの顔が埋まった。文句を言われるかと思ったがは「おおきいねぇ」と顔をうずめたままにこにことしている。
「男物ですから、それにしても、さんは小さいですね」
自分の胸までしかない。いったいどうしてこんなに小さな身体であんなに重いスマッシュを打てるのか。疑問と言うか人体の不思議について改めて考えていると、がマフラーの渦の中から顔を向ける。
「え、ケンカ売ってる?」
「いえ、事実を言ったまでです」
「いいんだよ。ボクは小さいほうが」
「なぜです」
「未だにバス代が小学生料金」
「…バス乗るんですか、長距離移動は遭難のフラグでしかありませんよ、あなたの場合」
というか誤魔化しは犯罪です。いけませんよ、と冷静に突っ込むことも忘れない。氷帝学園はその成り立ちからして裕福な家の生徒が多く、自身も結構な家柄であるくせに妙に金銭の感覚が庶民的だった。いや、十円単位まで切り詰める姿を見てきたので庶民的、というかそれ以下の意識であるのかもしれないが。
そうして2人で並んで歩いて暫く。時折他愛のない話を交えて、それで、目当ての洋菓子店にたどり着いた。は嬉々として扉を押し中に入っていく。こういう姿を見ていると中学一年の少女に見えなくもない。日吉は自然表情が柔らかくなり、自分も店に入った。
「すいません、予約したですが」
「あ、はい。お誕生日ケーキをご予約のさまですね。ただいまお持ちします」
カウンターに行っては店員に話しかける。名乗れば直ぐに話が通ったようで、日吉は「誕生日ケーキ?」と首を傾げた。
さん、誕生日だったんですか?」
俺としたことがチェックしていなかった!と今更ながらに思い出し日吉は焦る。いや、正直性別から偽られているのプロフィールなどどこで入手すればいいのか。氷帝には青学や立海のようにデータ収集を主とする人間がいない。日吉は今日だったのか?と日付を思い出そうとしていると、がころころと笑った。
「いやいや、どうして自分の誕生日ケーキを自分で買うのさ」
「それもそうですね」
「お待たせしましたーっ、お名前は「ヒヨ子ちゃん」でよろしかったですね?」
なんだか聞きなれた単語に思わずを睨み付ける。はなんでもないように視線をそらして店員を見上げた。「ろうそく14本付けてください」と白々と告げた。そうして店員が再度奥に引っ込むのを見届けてから日吉は「忘れていました」と正直に告白する。女子や子供ならともかく十四歳にもなって誕生日を心待ちにするのはどうだろうか。男はそういうのはさっさとと卒業するものではないのか。と、そんな古風なことを考えつつ日吉はまず突っ込まなければならないことがあると思い出した。
「…ヒヨ子ってなんですか、ヒヨ子って…」
「うん「わかぎみ」か「わかちゃん」か「ぴよし」か迷ったんだけどね」
さんわかってますよね?正解がひとつもありませんよ」
かろうじて原型を留めてはいるが、どれも呼ばれたくない愛称だ。
「やっぱりここはボクの愛情を込めようと思って」
にっこりとさんは言う。その顔、可愛らしいといえばこれほど可愛らしいものもない。にべたぼれしている立海大の真田あたりだったらきっと単純にほだされて「そ、そうか。それならば仕方あるまい!」などと喜ぶのだろうが日吉は生憎それほどと短い付き合いではない。
「嫌がらせでしょう」
「えへv」
「かわいく言っても駄目です」
「可愛いと思ってるんだね」
にこにこと嬉しそうな顔で切り返され日吉は黙った。結局のところ日吉だって真田に引けを取らぬほどにべたぼれしているのである。自覚したくはないが自覚させられ、日吉は眉を寄せた。そうして先ほどとは立場が逆に、日吉が不機嫌、がそれを取り成す、という位置関係。そっぽを向いてしまった日吉の袖をついっと引いて、が「ねぇ、若」と声をかけてきた。
「……なんでこんなときだけ名前で呼ぶんです。しかも漢字は一緒ですが、どうして「わか」なんです。器用ですね」
声は不機嫌なまま、だが日吉はきちんとに顔を向けた。すると視線が合って嬉しいといわんばかりにが微笑み、ぽつん、と日吉の手に小さな黒いものを乗せて来る。
「なんですか、これ」
「エリザベスの子供だよ」
日吉の掌に乗せられたのは種だ。小さな黒い、種である。楕円の種。エリザベスといえば、妙な宇宙生物ではなくて、の部屋の出窓を陣取っている白い花を咲かせる植木鉢の名前。とても大切にしていて、日吉は部屋に行くたびにエリザベスの観察日記を読ませられた。
「枯れたんですか」
丹精こめて世話をしていた。日吉は園芸の知識はないががとても長けていることを知っており、さんなら枯らせずずっとそのままにできるんじゃないか、という妄信すらあった。だからいつもいつもの部屋に行けばエリザベスはいるものとも、思っていた。
「一昨日ね。それで、種がこれだけ取れたんだ」
誕生日おめでとう、と言ってくる、その優しい声。なんとなくそれでほだされた気がするが、それでもやっぱりこの人はこういう人なんだと思って日吉は丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。さん」
そしてを駅まで送って、別れ際にケーキを貰って、自宅に帰って母親にケーキを渡すとき「友人からいただきました」「後輩からいただきました」のどちらでもなく「恋人からいただきました」とごくごく自然に言ってしまい、その日の誕生日祝いのメニューの中に赤飯を盛り込まれた。


Fin