注意:この話はアニメオリジナルJr選抜合宿沿いです。

   夢主最強、なんか悲劇のヒロイン要素がある女々しい話です。

   あとサイト未掲載の手塚夢主が「名前変換:友人」として出てきます。

   あと乾×海堂要素があります。

 

   何が出てきてもOKという心の広い方はこのままスクロール。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



「おはよう、ヒヨ子ちゃん」
「日吉です。――おはようございます。さん」

夏休みが始まって早1週間。しかしそれでも氷帝学園テニス部は休息などはない。
帰省してガランとした寮を後にし、は今日も元気よく日吉とともにテニスコートへ向かった。もうすっかりと熱くなり、いい加減日焼け止めでも塗らないと肌が大変なことになると思いながら部室の前にたどり着く。もうすでに誰か来ているのか鍵は開いている。が首を傾げると日吉が肩に食い込んだテニスバックを直し、扉を開けた。

「お前らが一番乗りか」
「跡部部長…」

ソファにふんぞり返って出迎えた跡部に日吉があからさまに眉を寄せる。は不思議そうに首を傾げた。跡部はすでにユニフォームに着替えている。だが、その傍らにはいつもいるはずの樺地がいない。まさか跡部に限って樺地なしで学校に来れるわけはないのでどこかにいるだろうとは思うのだが。

「おらよ、後で詳しく説明をするが、まず読んどけ」

跡部から1枚のプリントを渡され、は目を細めた。夏休みの最初に貰った学校からのプリントよりは上質の紙に印刷された文字を読む。

黒いゴシック体で記された文章の最初には少し他より大きくこう綴られていた。

「『関東地区Jr選抜強化合宿のお知らせ』?」
「あぁ。関東の主力校から選ばれる選抜メンバーだ。氷帝からは俺とお前、それに樺地と忍足、宍戸、鳳が選ばれた。1年生じゃ他にあの青学の越前だけだ。大したもんじゃねぇか」

満足そうに跡部が言葉を引き継いだ。隣に印刷された参加校とメンバーに目を通しては不機嫌そうに言葉を紡ぐ。

「……ジロちゃんやヒヨ子は?それに、向日くんもいない」
「実績がねぇからな」

簡単に告げられては思案するように沈黙する。正直行く気は起きなかった。どうせJr選抜と銘打ってはいてもそれほどの強豪が終結するわけではなさそうだし、何より大所帯で集団生活など義務教育の場だけで充分だ。大体この時期にJr選抜大会をするなんて何を考えているのだろうか。全国大会真っ只中、確かに選手のレベルを上げることはできるだろうが、全くどうせアメリカ側の意向重視とか言っての開催だろう。どこまでも日本という国はおべっかか、こら。

などと日吉たちが選ばれなかった腹いせに政治思想的なことを真面目に考えて見るが結果が変わるわけでもない。はプリントを跡部に返そうと顔を上げる。

「凄いですね、さん」

隣に立っていた日吉がの行動を止めた。驚いて日吉を見上げれば、いつものように無表情に自分を見つめている。
てっきり、悔しがるかと思っていた。下克上が口癖のこの青年なら自分が選ばれないことを悔しがっているだろうと予想していたのだが。日吉は不敵に笑ってからプリントを奪う。

「俺が選ばれなかったっつーのはシャクだが…まぁいい。来年には絶対に選ばれてやる」

一応に悔しがってはいるらしい。しかし、どこまでも前向きで向上心の塊のような日吉の言葉にはうつむいた。断るのはなんだか日吉に悪い気がしたのだ。失礼な感情かと思うが仕方ない。
行けない人がいて、自分はいける側の人。ならそれを断るということは酷く傲慢なように思えるのだ。

「で、どうする?」

一部始終を見守っていた跡部が高圧的に問いかける。笑いを含んだ声には気分を悪くしながらも答えた。そう言われてもはや選択肢など自分にあるはずもない。

「行くよ」

はっきりと答えると隣で日吉が目を伏せたのがわかった。目を細めて今渡してきた跡部を睨み付ける。跡部は面白そうに笑ってソファに体重を預けた。









「あれぇ、じゃん。女テニのカンダじゃんさー」

 1人で一足先に宿泊施設に到着してしまい、暇を持て余していると見慣れた姿を発見した。は汗だくになった体をハンドタオルで軽く拭ってから神田の前に飛び降りる。

「やっほー。元気ぃ?」
「アンタ…なんでいんの」

呆れたように息を吐きながら涼しげにセーラー服を着こなす色素の薄い髪の女子生徒はの前で立ち止まった。自分が着れなかった青学の女子制服が彼女はよく似合っている。問いかけられては首を傾げる。

「何でって、選抜選手に選ばれちゃったからに決まってんじゃんさ」

何もうボケたの?と言外に言うとは肩を竦めた。そんなことは百も承知だといわんばかりの顔をされる。

「氷帝は他に5名参加するはずでしょう。他の…カマ部くんは?」

跡部だから、と言い直させるように人差し指をに当てて、は面白くなさそうに答えた。

「ボクだけランニングしながらこっちに来るよう言われたの」
「何で?」
「罰ゲーム。このあいだ榊先生の車に間違って着地しちゃって」

心が狭いよねぇ、とは呟いて飽きれた様に溜め息を吐いた。テニス部の皆と遊んでいて、ジャンプ力と着地能力の高い向日とどこまで飛べるか競ったのだが、の番で飛び跳ねたときに突風が吹いてバランスを崩してしまっただけなのに。しかも明らかに連帯責任だと思うのに跡部も一緒にいたからだけの所為になってしまうし。全く榊太郎(43)も酷いと思う。

「あ、そういえばさ。はなんでこんなに早いの?っていうか他の青学メンバーは?カオちゃんは?」

きょろきょろと目当ての青年を探すように見渡して首を傾げる。がいるってことは青学の人間も一緒に来てると思ったが、こうしてみる限りバンダナの幼馴染の姿は見られない。

「アタシは今回トレーナとして参加するの。だから、開会式の前にちょっと役員の人たちを打ち合わせをしてたのよ」
「えー。が指導すんの!?」

 あまりの言葉に驚いて声を上げるとが不機嫌そうに目を細めてきた。

「何、その失礼な反応」
「だってだってさ。この合宿ってすんごい個性的過ぎるメンツが勢ぞろいじゃんさ!青学メンバーとか不動峰あたりだったらマシだけど…はっきりいってに氷帝の指導は無理だよぉ。だって跡部くんだよ!?あの跡部くんだよ!?人に命令されたくないから部長と生徒会長になってふんぞり返ってるようなアホベくんだよ!?」

 絶対に自分だったら嫌だ。百歩譲って鳳なら宍戸さえいればなんとでもなるとは思うが。が顔を引きつらせた。

「で、でもまだ跡部班の担当になるって決まったわけじゃないし…」
「班って?」
「後で先生たちから説明があると思うけど、この合宿は28人を3班に分けて個々で合宿練習を行うのよ。アタシはまだ竜崎班の担当としか聞いてないけど…そこにアホベがいなきゃよし!」

ぐっとこぶしを握っては熱弁した。おぉーとは煽る。施設の屋根の上でカラスが鳴いていた。

「でもさぁ。氷帝は6人もいるんだよ?2人ずつに分かれたとしても必ず誰かとは当たるんだよね」

誰が1番言い?と聞いてみるとが沈黙した。

「……マシなのは…樺地とか鳳くんかしら。2年生だし…」

究極の選択でも迫られたかのような表情で呟くが指をさして笑った。だが確かにいい判断んだと思う。

「あら、でも…噂をすれば、あれって氷帝のバスじゃない?」

ほら、とは門を指差した。つられて視線を向ければ確かに、跡部家御用達の高級車大型バージョン(トイレ・キッチン・空調・カラオケ完備)がこちらに向かってきている。あれで来たのはちょっとずるいと思ってしまった。

「うわぁーい。アホベ…じゃなかった。跡部くんっ、とその他愉快な仲間たちぃっ!」

だがやっぱり仲間が来たのはうれしい。は手を振ってバスに向かって走り出す。後ろからもついてきたのがわかった。

「誰が愉快な仲間やねん…全く…」

最初に現れたのは黒髪に丸メガネと一歩間違えれば秋葉系になりそうな関西の美丈夫だ。軽くネクタイを緩めてステップを降りてくる。呆れたように呟き、の前で立ち止まった。

「なんや、てっきり1人で寂しゅう待っとる思っとったんやけど…青学の神田も一緒やったんか」
「久しぶりね。氷帝の天才、忍足くん…だったわよね?ダブルスでうちの桃と英二に負けた」
「自分、キツィわぁ。自覚しとるんやで?これでも」

の言葉に苦笑しながら忍足はひょこひょこ飛び跳ねているの頭に手を置いた。子供扱いすんなぁ、とが抵抗するがニコニコと笑ったまま忍足はに言葉を続ける。

「残念やなぁ。ジロー呼ばれへんで、神田にえらい会いたがっとったで」
「ジローって…あの、やたらテンションの高いボレーヤー?」

は何で?という顔をしていたのだろう忍足がからかうように笑った。

「そらな、自分、ジローに懐かれたんやろ」
「ボクも知ってるっ。この前の青学合宿に練習試合に行ったとき神田が優しくしてくれたって!『女の子に優しくしてもらったの初めて』とかって暫く煩かったよ!」

やっと入れる話題になって嬉しいのかが、はいはーいと手を上げて自己主張しながら答えた。どこでも寝てしまい、それを起こすのはいつも樺地だったので神田が起こしてくれたことは日常の中の非日常のような出来事だったらしい。結構ロマンチック思考なジローはそれで運命を感じたーっ!とか叫んでいた。まぁ、絶対に運命ではないと周囲は思っているが。

「おい、いつまでそこで突っ立ってやがる。さっさと荷物を運び出せ」
「あ、跡部くんだー」
「お前の荷物も運んでやった。多分一番奥に入ってるだろうから出して手元に置いとけよ。開会式の後じゃねぇと指定された部屋に入れねぇらしいからな」
「うわぁ、ありがとうねー。ん?あれ、榊先生は?」

 きょろきょろと辺りを見渡すが榊太郎(43)の姿は見えない。

「お前が破壊したポルシェを修理に出しに寄って行くそうだ」

 じろり、と睨み付けながら言われて明後日の方向に視線を向ける。別にさ、1台くらいいいじゃん。どうせ榊先生(43)はいっぱい高級車持ってるんだし。は大変だねぇ、と人事のように呟いてこれ以上ここにいると跡部からも何か罰ゲームを食らいそうだったので急いで荷物を取りに行くことにした。







開会式を終え、班分け発表の掲示板を見て一瞬だけ喜んだ。自分の名前の上に海堂の名前があったからだ。せっかくの合宿なのに氷帝のメンバーとは全員離れ離れになってしまって早速退屈かと思っていたところにこの名前の発見はにとって雪山でレストランでも見つけたような心境だ。思わず飛び跳ねてしまうほどの感動だ。

「カオちゃんも一緒のグループだっ!やったぁっ」

両手を挙げて叫ぶ。すかさず海堂の姿を確認すると制服姿の海堂がこちらに気づいて近づいてきた。3週間前に行われた青学と氷帝の練習試合以降会っていない幼馴染の姿には破顔する。海堂が立ち止まって柔らかい口調で声をかけた。

…お前と同じ班だな」
「うんっ、カオちゃんと一緒だなんてボクってなんてラッキー?って、あ、これじゃあキヨのパクリか」

満点の笑みを浮かべて海堂に駆け寄るとは海堂に飛びつこうと飛び跳ねた。

「喜ぶのは少し早いな、

しかしその瞬間海堂の身体が目の前からひょいっと消える。同時に聞こえてきた低い声には一気に表情を曇らせた。見て確認するまでもない。このいやみったらしい声は乾のだ。そういえば青学のレギュラーは全員この合宿に参加するらしい。

「乾くん…なんでいんの」

仇を見詰めるように乾を睨み付ければ涼しい顔で乾が掲示板を指差した。海堂の名前の上にばっちりと乾貞治の名前が。

「俺の名前もある」

勝ち誇ったような声に腹が立った。だが海堂の前でキレるほど愚かではない。それこそ敵の思う壺だ。

「……ばかぁぁっ!榊太郎(43)のばかぁあぁ!」

なので悔しいがここは退散することにしたらしい。くるりと踵を返して走り出したが1メートルも行かないくらいで壁らしきものにぶつかる。

「ん?」

受け止められたらしいので衝撃はなかったが、は壁を見上げる。真っ白い糊の利いたシャツと、緑のネクタイ。立海大の制服だ。

か…越前とは別グループになってしまったが、お前と一緒になれたことは喜ぶべきだな」
「あ、真田くん。やっほー」

制服なのに何故か白いテニス帽子を被った真田弦一郎にニヘラ、と笑うと真田は眉を寄せた。相変わらずからかい概のある人だなぁと思いながらは真田にこっそりと耳打ちする。

「ねぇ、柳くんは?」

眉を寄せたまま真田がちらりと後ろに視線をやった。立海大の参謀がたたずんでいる。相変わらず両目を伏せてしまっているが、どうやら本人はちゃんと見えているらしい。2人の視線を受けて柳がこちらにやってきた。

「俺に何か用か?」
「ちょっとそこのドリアン頭追っ払ってよっ」

は真田から離れて柳の背中をぐいぐいと押す。相変わらず海堂と乾が仲良さ気に話し込んでいた。どうせいっつも一緒なんだろうからちょっと離れろよ。

「貞治か…」

面白そうに口の端を吊り上げて柳が2人を見比べた。柳と乾は幼馴染である。しかし小学校3年生のころ柳が親の都合で神奈川に引っ越してしまい、この前の関東大会で数年ぶりの再会を果たしたと聞く。

「近過ぎだ」
「本人たちの自由だろう」

 正論を吐かれて負けじと言葉を続ける。

「ボクはあんなのみたくないっ」
「それは嫉妬というものだぞ、

さらりと言われては柳を面白くなさそうに見上げた。まぁ、柳が協力してくれるとは最初っから思っていなかったが、こう諭されると腹も立たないではないか。

「柳くん、憂ちゃんと一緒になれなくて残念だってね。憂ちゃん榊先生苦手だから、きっとあんまり近づかないよ」

仕返しとばかりにからかってみるが、どうも柳はからかえない。涼しい顔であっさりと言い切られた。

「心配無用だ。練習後にお互いの報告も兼ねて会う約束をしている」

どこもかしこもバカップルだらけか。はやる気なさそうにへぇと呟いて仕方なく真田でもからかいながら部屋に行って、ジャージに着替えてから監督である榊の待つ理事室へ向かうことにした。真田からすれば迷惑この上ないだろうがそんなことはには関係など無い。

「っていうかさ、何で榊先生だけ理事室使っていいの?総監督は竜崎先生でしょ?」

最もな疑問を口にしたが氷帝の生徒がいないので誰も突っ込んでくれなさそうだ。独り言☆と自分で突っ込みを入れていると頭を軽く叩かれた。

「気にしたらあかん」
「忍足くん!」

 突っ込みが入ったことと思いがけない仲間との再会にが笑って忍足を見上げる。すでにジャージに着替えていて、しかしなぜがぐったり疲れたような顔をしている忍足がの両肩に手を置いてため息を吐いた。

「…サっちゃんはえぇな……1人部屋で…」
「何で?ボクは寂しいよ?」

問いかけると忍足がどこか遠い目をした。結構無表情なことが多い忍足がここまで疲れを明らかにするなんて、ひょっとして自分が乗らなかったバスの中では別の罰ゲームでもあったのだろうかと考えてしまう。

「どうしたの?忍足くん」
「……景ちゃんがなぁ…一人部屋にしろ!とか、なら樺地と同室にしろって!…なんでか俺に言うねん。確かに俺がルームメイトなんやけど…もう煩くてかなわんし…それに、俺は樺地以下なんか…?もう、がっくんがおったら絶対俺と同室間違いなしやのに…」

あ、あはは…とは苦笑して忍足に同情する。

「そうだ!じゃあさ、真田くんが変わってあげればいいじゃん?」
「なっ…ちょっと待て!どうしてそこで俺が出てくる!?」

ナイス提案!といわんばかりに忍足が指を鳴らして真田にニコニコと近づく。氷帝の天才ににこやかに近づかれて真田が戸惑いながら後ろに一歩下がった。柳はすでに部屋に入ってしまっている。

「そうやな!なんや、自分跡部とは親しいんやろ?前にどっかの音楽会でおうたって聞いたし、それやったら俺を助けると思って!頼むわ!」
「いーじゃんさぁ。別に真田くんだって跡部くんのこと嫌いじゃないんでしょう?いいじゃん。夜中はお互い(のスタイル)について熱く語りなよ!」
「誤解を生むような発言をするな!第一、忍足とは班が違うではないか!」

二人の猛攻な説得を何とか跳ね除けて真田が反論する。

「っち…真田のくせに正論言いやがんなぁ…」

小声で忍足が舌打ちをする。はからかえたので満足したらしい。まぁ、あきらめなよ!と軽く忍足の肩を叩いて笑う。

「そやなぁ…あんまり酷かったらタロー(43)に言えばえぇやろうし…ほな、俺は花村班の集合場所に行くんで」

あっさりと引き下がって忍足は手を振って去っていった。ひょっとすると、氷帝で1人きりになって寂しがってるかもしれない自分の様子を見に来てくれたのだろうか?

はそのひょうひょうとした関西人の姿を見送って自分の部屋に入った。









「言うまでもない事だが、親善試合と言えど出場する以上は勝て、もしこの中にそのつもりの無いものがいればこの場で帰れ。いつ如何なる時も遊び半分な気持ちでコートに立つことは許さん」

一瞬榊がを見た。言わんとすることに気づいては目を伏せる。だが、遊び半分な気持ちでコートに立ったことだけはない。自分にとってテニスというものは生きるということなのだ。たとえ、そこでどんな目に合おうとも。

「以上だ。全員テニスコートに集まれ。これから試合を始める。お前たちの実力を量るにはそれが一番早い」

最後に言い放って榊は振り返った。それを合図に選手は一礼して部屋を退室していく。は真田の後ろについてひょこひょこと歩いた。いつでもドロップキックがかませるようにだ。

「いきなり試合とは実践的だな」

狙われているとは露知らず、関心したように真田が呟く。隣を歩いている柳はに気づいているようだったがあえて黙認するようでそれに関しては何も言わず会話を続けた。

「だが、最も効率がいいのは確かだ」

立海大データマンの評価にが2人の間から顔を出す。

「柳くんもそう思う?うん、氷帝はいっつもこんな感じで殺伐としてるんだよ。あはは、多分今頃他の班にいる皆は戸惑ってるだろーな」

6名いる氷帝部員のうちで単独になったのは自分だけだが、他の皆のようには他のコーチで慣れぬ練習方法をさせられるよりいくらか自分はマシなのかもしれない。そして事実同時刻に花村班では跡部が花村によって抑圧されていたりするのだが、の知るところではない。

「花村班はコーディネーションを目的としたミーティング、竜崎班は今日一日は自由練習…だそうだ」

 考えていることを読んだわけではないだろうが柳が呟いた。は不思議そうに柳を見上げる。相変わらず両目を閉じた達人がしっかりと障害物(消火器)をよけて歩いている。

「ねぇ、それってどっからキャッチしてるの?」
「企業秘密だな」

 不適に言って柳は口の端を吊り上げた。ふぅん、と頷きながらは2人を追い越して前に出る。しかし出て後悔した。嫌なものを見てしまったよ、悔やんでも1度見てしまった以上仕方ない。なるべく前を見ないように脇目をしながら歩くと進路方向とは別の曲がり角に見慣れた女子を発見した。

「あ、ユーキだ♪」

丁度からかうにはもってこいの人物には走り出す。

「何処へ?」

突然走り出したの背後に柳の静かな声がかかる。は1度振り返って手を振った。

「ちょっとユーキおちょくってくるっ。柳くんたちは先行っちゃってて☆」
「おい、!移動中だぞ!」

素直に頷いてくれた柳とは対照的に真田が怒鳴った。だがはそんなことは取り合わない。

「大丈夫っ。ちゃんと榊先生より先にコートにつくから☆」

不謹慎だ、と眉を寄せる真田を無視しては竜崎班の方へ走り出した。正直なところ、仲良く歩くあの2人を見続けているとキレてしまいそうなのだ。自分に勝機はないと諦めてはいるけれど、だからといって認められるほど心は落ち着いていない。

笑顔を振りまくのにはちょっと疲れた。足音を忍ばせて集団で歩いている竜崎班に近づく。何やら切原が神田と憂でも比べているようだ。まぁ無理もない。そういえば神田は憂のことは一度も会っていないので知らなかったはずだ。教えてあげよう、と神田の背後に忍び寄る。

「黒桂 憂。立海大付属中三年、別名「鉄線花」って呼ばれる男子テニス部のマネージャーさんだよっ」

切原の言葉に呆気に取られて立ち止まった神田の背中に声をかける。びっくりしたように神田が振り返った。はからかうようににっこりと笑う。

「やっほー。っ、聞いてよ!ボクの班さぁ、カオちゃんがいるのに乾くんもいるんだよ!?」
…アンタ練習は?」
「ボクら榊班は今から練習試合なんだよ」

ほら、と窓の外を指差した。コートに移動中の面々が歩いている。

「もちろん憂ちゃんもマネージャー総括としてこの合宿に参加してるんだけど、キミと違ってひとつの班に専属ってわけじゃないから。切原くん寂しいんだよ」
「寂しいって柄…?あれが」

確かに間違ってもそんなふうには見えないだろう。はクスクスと笑った。

「素直じゃないね。切原くん、心配なら心配って言えばいいのにね」

全く本当に不器用だなぁ。立海大選手で器用なのは柳生くんくらいか?ちょっとだけ気の毒に思いながら神田を見上げる。黒桂が一緒にいてあげられない以上、神田が切原に気づいてあげてくれればいいと思った。でも、それはきっと無理なんだろう。神田には神田の考えなきゃいけないことがあって、それに、気付くにはまだまだ切原のことを知らない。

「はぁ?ちょっと、誰が切原を心配なんかしてるっていうの――」

は窓に足を掛けて飛び降りた。榊がコートに向かっているのだ。神田が何か言っていたが最後まで聞いている余裕はない。

2階から落ちるくらいはなんでもないが、着地地点に真田がいた。

「ぐわぁっ!?」
「あ、ごめーん。大丈夫?真田くん」

名誉のために言うが今のはわざとではない。それにどうせ落ちるならいっそ脳天でも狙う。背中を掠めるだけの面白くも無い着地に舌打ちをすると真田の低い声が響いた。

「………」

 げんこつでも落としかねない真田の怒気にはすかさず柳の背後に回った。助けてくれるとは思わないが時間稼ぎだ。榊の革靴の音が響いた。

「不二、佐伯。乾、柳。コートに入れ。これよりダブルスの試合を開始する」

 到着するなり指示を飛ばす榊に真田が動きを止めて柳を見た。乾と組むと指示され柳の表情が僅かに揺れる。は柳を見上げて首を傾げた。だがその表情の変化は一瞬で、ラケットを取り出して柳はコートに向かってしまった。

 4人がコートに入り終わると、審判が審判台に座り、佐伯のサーブで試合が始まる。榊はコート内のベンチに座ってその様子をチェックするようだ。残りの選手はフェンス越しに観戦する。は今は真田に近づかないほうがいいと察知してルドルフの観月の隣に落ち着いた。

「観月くんはどっちが優勢だと思う?」

 突然声をかけられても驚く様子もなく観月はさらりと答える。観月とは試合以外は以前一度だけ街で会ったというだけの付き合いだ。癖なのか髪を弄りながら評論家のような口調だった。

「そうですねぇ。コンビネーションで言えば過去に優勝経験をしたこともある乾くんたちのペアですが…それだけでは終わらないのが不二周助という男です」
「うん、同感かな。個人的には柳くんを応援したいけど、乾くんいらないしね」
「……そこは私情では?」

 眉を潜めて呟く観月の突っ込みにはニコニコと笑い返した。コートでは隙をついたかのような佐伯と不二の攻撃をあっさりと柳が返して点を取っていた。が面白そうに笑う。

「いきなり因縁ペアをぶつけてくるなんてねぇ」
「不二くんと佐伯くんはライバル同士…榊監督のことだ、当然知ってて組ませているんでしょうね。いい加減に見えて見るところはしっかりと見ている人ですよ。あの監督は」

うん?とは首を傾げる。榊先生のどのへんがいい加減に見えるのだろうか?まぁ観月が言うのだから何か前例でもあるのだろう。納得させてはコートに視線を戻した。

実力で言えば不二、柳、佐伯、乾の順番だろう。だけどコンビネーションとデータで柳と乾のペアは上手くその実力差を補っている。

まぁ、実際のところデータが無ければ乾はテニスができないのでデータを入れた順位でいえば乾が一番強いのかもしれないが。

「あ、ロブだ」

軽い音が響いた。不二がストロークを誤ったのだ。しかし柳はそれをボレーで軽く返しただけだった。再び佐伯がロブを上げる。だが乾もボレーで返した。

「なぜあのイージーボールをスマッシュしない?」

不思議そうに真田が呟く。は真田の隣に立って真田を見上げた。人差し指を立てて笑って答える。

「だってスマッシュしたら不二くんの羆落としの餌食になるでしょ」

 羆落しは返せない。だったら少し強烈なストロークで返させてポイントを狙う方が持久戦を得意とする二人には合っているのだろう。の言葉に真田が頷いた。

コートでは乾がボレーで返した打球を佐伯がポーチに出た2人を抜けるように中心を狙ってストロークを打っていた。だが、二人は反応せずにそれを見送る。

「そのボールは入らない」
「あぁ。ボール1個分ってところか」

2人のデータマンが呟く。事実ボールはコートのラインを調度ボール1つ分入らなかった。

は眉を寄せて首を傾げる。データテニス…嫌なテニスだとやられたほうは心底思うのだが、まぁあれがあの2人のテニスなのだろう。

コートでは佐伯が柳を観察するように集中的に見詰めていた。獲物を狙う鷹のような鋭い目にが説明を観月に求める。

「佐伯くんはずば抜けた動体視力と観察眼で相手の筋肉の動きを読み、次の動作に構えるのが得意でしたね」

観月が呟く。そういえばそれで六角対青学の試合、菊丸を苦戦させたと以前アリスに聞いたことがあった。なるほど、跡部のインサイトのようなものかと思いながらは真田を見上げる。

「一応聞くけど…柳くんって弱点あるの?」
「我が立海大付属に死角はない」

きっぱりと答えられては沈黙する。まぁ確かにあの柳に弱点があるとは思えないが、こうもあっさりと肯定するとはさすが真田だ。

 佐伯が柳に抜かれて戸惑っていた。どうやら弱点は見つからなかったらしい。これでゲームカウントは4―5と乾たちがリードということになる。これで決着がつくかと思ったが、どうやら最初の観月の言葉のとおり、不二はそれでは終わらせてくれなかった。

「んふっ、さすがですね。天才不二周助。ボクが認めたライバルだけのことがあります」

結局あの試合は7―5と不二たちが勝った。
オーストラリアンフォーメーションを用いた不二の奇襲と奇策で最終的に実力の総合力が出たというわけだ。










すぐに第2試合でもあるのかと思えば、昼食の時間になったらしいので一時練習を中断して食堂へ向かった。

「お昼ご飯豪華だねぇ」

 うん、と満足そうに頷いてはてんこもりになったトレーを机に置いた。
青学とルドルフ、佐伯たちはひとまとまりになって食べるらしいが立海大の2人はテーブルひとつ挟んで孤立していた。わざとだろうがはあえてそちらのテーブルに着く。

「完全な栄養管理がされている…ところで、。本気でそれを完食するのか」

 明らかに通常の3倍はある量の食事を前にしているを見詰めて真田が眉を寄せた。

「あー。やっぱり足りないかなぁ。でもやっぱ少なめにしないと皆の分なくなっちゃうよねぇ」

 はぁ…と遣る瀬無さそうにが頬に手を当てて答える。ちなみにの1日の消費カロリーは5,000と成人女性の軽く2倍はある。

「……と、ところで。先ほどの試合だったが…」
「あ、あぁそうだな…。相手が青学の不二とはいえ、蓮二、我が立海大は常勝が義務だぞ」
「わかっている。すまないな、弦一郎」

 立海大の2強はあえてには突っ込まず2人で会話を進めることにしたらしい。
何やら真剣に先ほどの試合を検討している真田と柳を見守りながらは大量の食事に取り掛かっていた。
ちなみにメニューは蕎麦と焼肉定食とサラダ饂飩というある意味肉と野菜と穀類はばっちりなセットである。

「ねぇ、ねぇ。お昼のあとも試合するんだよね?」

しかしさすがに会話に入れなくて寂しくなったらしく、頃合を見計らって2人に話しかけた。

「あぁ…だが人数的にダブルスはあと一試合だろう。あとはシングルス一組だな…」

柳はあくまでのすでに半分の量がなくなっている皿には目を向けないようにして冷静に答えた。

「シングルスかぁ…やっぱ真田くんはシングルスがいい?」
「榊監督の指示に従うつもりだが…そうだな。シングルスでお前と戦いたい」

 真田が好戦的にに告げた。

「あはは、あ。おかわりしてきていいのかなぁ」

は一瞬だけ、表情を崩したがそれは本当に瞬間的だった。次には笑ってはぐらかすようにキッチンの方へ視線を向ける。だがもうキッチンに人はいなかった。おかわりはできないらしい。は残念そうに席に座りなおして呟く。

「うーん、でも、まぁ。こんなもんだよね」
「……」
「何も言うな、弦一郎」

生物の神秘でも見るかのように硬直してしまった真田の肩を叩いて柳が食後のお茶を啜った。
胃の大きさと質量が明らかに計算が合わないが、そんなことを気にいていたら柳の恋人である黒桂などあんな細腕でジャッカルを投げ飛ばしているのだ。

それを考えると小さなが真田や自分の数倍の食事をしていることなど…考えなければいいだけのこと。









「第二試合、海堂・不二ペア。観月・ペア。コートに入れ」

ベンチに着いた榊太郎(43)の言葉に観月が意外そうに眉を寄せた。どうやら彼の予測では後輩である裕太と組まされると踏んでいたのだが。

「まさか貴方と組むことになろうとは…」

思わず呟くとテニスバックからラケットを取り出していたがすまなさそうに頭を下げる。足引っ張ったらごめん、とでも言うような仕草だったが、正直なところ観月はこの対戦負ける要素はなかった。

敵になったとはいえ裕太のプレイは知り尽くしているし、海堂のデータも収集済みである。

くんはサーブ&ボレヤーでしたね?では最初は前衛をお任せします。フォーメーションはスネイク対策として奇襲ダブルポーチで行きましょう」
「裕太くんのライジングはどうするの?」
「んふっ。彼のライジングはライジングで返す故にどうしても軌道の低い、ネットぎりぎりのショットになってしまいますから。その点はご心配なく」

不敵に笑う観月にも頷いた。
試合は観ていて気持ちのいいテニスであった。結局のところお互いに弱点を知り尽くしていることには代わりはない。だがそこで観月のデータと海堂の粘り、裕太の気迫との実力が拮抗した。

「ブーメランスネイクの出る確率は100%です」

観月が小さく呟いた。その瞬間、が素早くブーメランスネイクの起動に辿り着き、鋭い軌道をものともせず、はブーメランスネイクを見事にラケットに当てた。そしてそのボールは先ほどの海堂のブーメランスネイクと全く同じ軌道で相手コートへ向かう。だが、それは相手コートへ届くと同時に速度を落とし、ネットの少し前に落ちた。

「宣戦死告…相手の打った軌道とそっくりそのまま返し、必ずネットの前に弾ませる」

呟いては自分のサーブの番になったので二つのボールを受け取り、後衛に下がった。試合が始まる前はあんなに楽しそうに輝いていた顔が、もう曇っている。

一時間後、6−4で決着のついた試合に観月が息を吐く。彼としてはもっと失点を抑えたかったのだがやはり自分が手塩に掛けて育てた裕太と、それに青学の次世代を担う一角の海堂は一筋縄ではいかないらしい。
最初の4ゲームはあっという間に取れたのだが、後半は海堂の粘りが執拗に絡んできて中々点を取れずにラリーが続いていしまっていた。

次世代が育っているということは、3年としてそれは喜ぶことなのかもしれないと思考を切り替えてパートナーとなった少年に視線を向けると、は俯いていた。

「不服ですか?まぁ、即席ペアでここまでできたのです。まずまずの結果といえるでしょう。この合宿でもっと実力をつければ貴方のレベルアップは保障しますよ」
「…うん、そうだよね…」

励ますように告げるとが小さく笑った。よほど完封できなかったのが悔しかったのかと観月が哀れに思っているとは一瞬で満点の笑顔を浮かべて見せた。

「ありがと!観月くん!キミと組んだおかげで楽しかったよ!」

にっこりと笑っては観月とも握手をする。なるべく榊の方を見ないようにしてはコートから飛び出すと真田と柳のいる場所に掛け戻った。

真田は次に試合をするように呼ばれていて入れ違いに反対側からコートへ入ってしまっていた。

「ただいまっ」

は柳の隣に飛んで立つと柳が一度を見て試合の功績を労ってくれた。
軽くお礼を言っては真田と河村のいるコートに視線を向ける。

「うーん…柳くんどう見る?」
「弦一郎の勝利の確立…100%だ」

考えるまでもないが、一応の確立を出してくれた柳にも頷いてみせる。河村の勝機といえば波動球の連打くらいだがこの選抜選手を選ぶ合宿でそんな無謀なことができるわけもない。

「榊監督は何か考えがあって当てたんだと思うけど…」

いくらなんでも実力に差がありすぎるのではないだろうか。ベンチに座る榊太郎(43)を見詰めた。

「闘争心を燃え上がらせるためかもしれんな」

ふと柳が呟く。

「最初の監督の言葉によれば、勝とうとしない人間は必要ない。青学の河村が弦一郎相手でも萎縮せず、そして諦めずに試合に臨めるかを見てるのではないか?」

その言葉にもう一度コートを見詰めれば、試合前はあんなに萎縮してしまっていた河村が今では真田を相手に一歩も怯まない、いつもの河村らしい豪快で、それでいて気分のいいテニスをしていた。は目を細めてその試合に見入る。羨ましい、と本当にそう思った。

「今日の練習試合は以上で終了だ」

結局試合の結果は6−0と真田の圧勝で終わった。だがしかし、河村は最後まで勝とうとしていた。執念でボールに追いつき、真田は結局ポイントこそ取られなかったが風林火山の山を出したのだ。全ての対戦カードが終わり、一同がコートの脇に集合する。

「夕食後会議室で本日のミーティングを行う…だが、その前にひとつ…!」

 名前を呼ばれては顔を上げる。お互い無表情に見詰めあい、榊が言葉を続ける。

「お前は居残って用具の片付け後、施設の周りを5週以上走るように」

突然の単独指示に周囲に疑問の色が走ったが榊は取り合わなかった。

「以上、解散!」













急いで夕食を済ませて会議室へ向かった。ミーティングは今日の練習試合で榊太郎(43)の見つけた各自への課題の論評。そして明日からの練習メニューの説明など総合的な内容だった。疲れでうとうとする人間が三人ほどいたが、何とか最後まで無事一人の居眠りも出さずにミーティングは終了した。



会議室を出て暫く、一人で歩いているの背中に海堂が声をかけた。

「あ、カオちゃん。今日はお疲れ様」

 海堂のほうから話しかけてくれるのは初めてでは笑顔で振り返った。一応周囲に乾がいないかどうかを確認してしまうあたりそろそろ寂しくなってくる。海堂は俯いたまま何も言い出さなかった。何か悪い話だろうかと不安になっていると、海堂がやっと切り出す。

「…なんで今日、監督に居残りさせられたんだ?」

 なんだ、話ってそれか。は内心がっかりしてしまったがそれを海堂には知らせなかった。

「うん。ボクが悪いんだよ」

 明るく笑って見せると海堂が眉を寄せる。

「…理由は…俺には言えないか?」
「だって、言ったらカオちゃん怒るもん」

それ以上は一緒にいれなかった。走り出しては唇を噛む。正直、つまらなくなってきた。この合宿に参加すること自体すでに飽きてきたのだが、どうもここは面白くない。海堂はすっかり乾を信頼しきってしまってるし。こんな思いをするのなら合宿になど参加しなければよかった。

部屋の前にたどり着いて鍵を開けようとポケットを漁る。だが見当たらなかった。

そういえば片づけを終えて、一度荷物を置き急いで食堂に向かったので慌てて鍵を持って出るのを忘れたような気がする。

「ど、どうしよう」

え?今日は厄日?と独り言を呟いていると隣の部屋が空いた。会議室であったばかりの柳だ。どこかへ出かけるらしい。

「柳くん、出かけるの?」

 問いかけてそう言えば今晩ロビーで黒桂と会う約束をしていたのだと思い出す。いいなぁ、合宿に着てまでラブラブかよ、と心の中で突っ込んだ。

「あぁ。―――鍵を持たずにオートロックが掛かったのか」

柳はを見下ろして苦笑した。

「正解―。え、それもデータで?」
「見ればわかる」

なんだか自分がものすごく馬鹿に見えた。

「丁度今からフロントロビーへ行くところだったんだ。少し時間は掛かるが、帰りにスペアを貰ってこよう」
「いいの?あ、でもそれまで時間暇だし、やっぱり自分で行くよ」
「いや、折角だ。弦一郎が中にいるので今日のことを話してみるといい」

それは自分がとりに行くのが折角なのか、それとも真田と話し合うのが折角なのかどちらかわからなかったが、柳のことだから後者かもしれない。

「……それは観察の結果で?」
が不安定になっている確率は九六.三%だ。弦一郎ならいいアドバイスをくれるだろう」

ふわり、と頭に手を置かれた。は目を見開いて長身の青年を見上げる。両目を伏せた柳は絶対に千里眼でも持っているに違いない。

「ありがと、柳くん」

ぎこちなく礼を言っては俯いた。

「柳くんはさ、今日のボクの試合どうだった?」

ふと、は柳に問いかけてみる。データマンとして黒桂の信頼も厚い柳なら、ひょっとしたら言わなくても自分の中の釘に気づいてくれるかもしれない。

「悪くない動きだったと思うが…だか、相手の動きを読みきれていないな。パートナーの観月に支えられていた点もいなめない」

柳は思案するようにしてから言葉を紡ぐ。は表情を曇らせた。

「…うん、そうだね」

頷いて柳から視線をそらすと、それを落ち込んだと思ったのか柳が言葉を続けた。

「だが、それでもお前の実力は賞賛に値する。この合宿でより向上するだろう。自信を持て」
「……ありがとう、柳くん」

褒められたのに、どこか空虚な気分だった。は柳を見送ってから五0四号室のドアに手を掛けてゆっくりと開く。構造は自分の部屋と一緒だが、荷物がこちらは一人分多いので少し狭く見えた。

「蓮二…何か忘れ物か?」

ベッドに腰掛けてストリングのたるみを調節している真田が背中越しに問いかけた。一瞬新しいいたずらが思いついたのだが、さすがに今は真田で遊ぶ余裕もない。

「……ってことでちょっとお世話になります」
「…!?」

なのでごく普通に驚かせるだけにすると、やっぱり驚いて真田が振り返った。

「いや、鍵忘れちゃって。柳くんが帰りに取ってきてくれるって言うからそれまでここで待ってようと」

一応理由の説明をすると沈黙が続いた。明らかに何も仕掛けてこないを真田は不審がっているがはあくまで静かに、部屋の隅っこで柳のらしいテニス雑誌を捲ってみる。

「……、お前の今日の試合だが…どういうつもりだ」

気まずそうに言い出された内容に、は少しだけ安心する。少なくとも、真田はちゃんと見ていてくれたらしい。向かい合って真田を見上げると、予想以上に真剣な顔をした真田が眉間に皴を寄せていた。

「実力はお前のほうが確実に上だった。いくらなれぬ相手とのダブルスとはいえ、四ゲームも落とす内容だったとは到底思えん」

言外に油断していたのかと問われて目を伏せる。伝わらないものだ。いや、隠そうとしているのだから当然だが。

「油断していたわけじゃないよ」
「では、わざと手を抜いたというのか」

たたみ掛けられて静かに首を振ることしかできなかった。期待するだけ愚かなんだ。解って、貰える筈がないのに。安心した自分が酷く滑稽だった。黙ったを叱るように真田は言葉を続ける。そんなことを言われても意味などないのに、と思いながらもは耳を傾ける。

。お前の実力が高いことは俺自身も認めている。だが、その上に胡坐をかいていては今以上の向上は…」
「君は、どうなの」

しかし、最後まで聞く気は起きなかった。遮るように言葉を紡ぐ。見上げた真田が眉を潜めた。

「どういう意味だ?」
「この合宿、本当に意味のあるものだって思う?こんな合宿で、成長できると思ってるの?…弱い選手はこれで成長できるかもしれないけど、だからってすぐさまキミに匹敵する強さが得られるわけじゃないじゃないか」

この選抜合宿はあくまでJr選抜に相応しいメンバーを決めるためのもの。練習メニューも試合ばかりして結局のところ現在持っている実力を測るだけに過ぎない。部活でやっているような練習ではないのだから、極端に能力が向上するということもないだろう。つまり、最初から望みのある人間など限られているということだ。

「キミや跡部くんが選抜に選ばれる可能性は高いけど…河村センパイや裕太くん、観月くんが本当に選ばれるって思ってる?」

問いかけると真田が息を呑んだのがわかった。しかしそれでもそれを肯定することは指導者でもある真田にはできないらしい。何とか反論しようと言葉を紡ぐ。

「…っ、だが最初から諦めているものに勝機などはない!」
「キミだって、その不満を抱えてるんでしょ。なのに…どうしてボクを責めるのさ!」
「お前が相手を見縊ったテニスをしているからだ!」
「じゃあどうしろって言うのさ!事実、ここにはボクの相手になるような選手はいないんだよ!キミだって…ボクより弱いじゃないか!!!」

の叫びに真田が言葉に詰まった。一度、は真田と鉄橋の下にある古びたコートで対戦したことがある。その瞬間、は全ての試合がつまらなくなったと言っても間違いではない。高校テニス界で最強と言われている真田は、まったく相手にならなかったのだ。

「自分より強いものお求めるからこそ闘争心は沸く。でも、上に相手がいなくなったらどうするのさ」

溢れてくる不安をは抑えることなく紡ぎだす。

「試合はきらいだ…勝ち負けしかない。強くなれば強くなるほど…どんどんつまらなくなってく…楽しむために、手を抜いて相手を接戦するしかないんだ…」

監督は、氷帝メンバーを自分しか班に入れなかった。氷帝部員なら、どこのコーチについても立派に成長できるって、そう信じてるのだろう。だが、自分だけ班に入れたのは他のコーチは自分のコンプレックスを知らないから、目に見える結果と実力だけを見て、下手をすれば、何も変わらないままを選抜メンバーに入れてしまうからだろう。今日の試合にしても榊監督はと海堂をわざと対戦させた。と海堂の関係を知りながら、倒させて闘争心でも芽生えさせようとしたのか。

「ボクは相手を叩きのめすテニスはしたくない。楽しんでこそ、テニスじゃないの?」

パシンッ、と乾いた音が室内に響いた。は突然視界が反転したことに驚く。床に顔が直撃しかけて、自分が真田に顔をぶたれたのだと理解した。さすがは見えないスイングをする男だ。この自分が相手に殴られるまでわからなかったなんて、とどこか冷静な頭でそう思った。真田の怒鳴り声が耳を突く。

「甘ったれたことを抜かすな!ならば何故選抜選手としてこの合宿に臨んだ!?やる気の無いものは帰れ!」

本当に、そうだ。は身体を起こして軽く頬に手を沿えた。何か言おうと口を開きかけると、入り口から柳の驚いた声がそれを遮った。

「弦一郎!!」

見れば帰ってきた柳が驚いてこちらに駆け寄ってきていた。黒桂と話は終わったのだろうか。そんなことを考えながらは柳を見上げる。そのの赤くなった頬を見て柳が悲痛そうに眉を寄せた。

「何があったのかは知らないが…に手を上げるとは何を考えている?は立海大の部員ではないのだぞ?」
 真田に鋭い視線を飛ばし、柳は静かに問いかける。だが真田はを見下ろしたまま怒気を含んだ声で言葉を紡いだ。

「…俺は謝罪などせん。テニスに対しての誤った姿勢は例えがじょ、」
「柳くん、鍵」

この二人に自分の正体が知られていることには気づいていたが、それを面と向かって口に出されるのは嫌では柳の服を引っ張った。

「あぁ…」

鍵を受け取ってのろのろと立ち上がる。以外に身体にダメージが来ているようだ。さすがは殴りなれている立海大副部長。関心しながら部屋を出て、自分の部屋の鍵を開ける。

「お休みなさい」

誰となしに呟いて、はベッドに沈み込んだ。考えなければならないことは多い。だが、今は眠りたかった。周りの人間にはいつまでも馬鹿みたいに明るく振舞っていたが、この女の身体には一試合こなした後に10キロ近く走るのは辛かった。シャワーを浴びないと汚いとは思ったのだがどうせ男の密集地帯。恋する乙女でもあるまいしそんなことに気を使っている余裕もなかった。

「………帰りたいな…」

うつ伏せにベッドに横たわって小さく呟く。どうして、監督は自分を選抜メンバーに入れたのだろう。ただ一年生を入れるという意地をあの人が張るわけがない。何か考えがあって入れたのだろうとは思うが、今日居残りをさせられたことを思い出すと、早速自分の判断に頭を悩ませているのかもしれない。うとうととまどろんでいるとベッドサイドに置いた携帯が振動した。一緒に流れた着信音は電話に設定した音だったのでだるかったが手を伸ばす。ディスプレイには『ヒヨ子(日吉若)』の文字が。沈んでいた気分が一気に上昇するのを感じて自分って結構現金だなぁとあきれる。

「はいはーい?ヒヨ子?」
『もしもし?さん?』

元気よく出ると日吉の声が聞こえた。携帯電話なのだから当然だが、日吉は滅多に電話を使わないし、もあまり電話派ではないのでこうして電話をするのは本当に珍しかった。

『今部屋ですか?』
「そうだよ。えっとね、榊監督の計らいで一人部屋になったんだ」
『安心しました。練習メニューはどうですか』
「あ!それがさー。すごいんだよ。二九人いるでしょ?それを三班分けて合宿するんだよ」

は簡単に合宿の制度を説明してみる。日吉は静かに聞いていたが、氷帝の部員はが榊班に1人しかいないと聞くと心配そうに声を潜めた。

さんは一人なんですか?他に…榊班は誰がいるんです』
「カオちゃんもいるよ」

答えると日吉が沈黙した。やばかったかなぁ?と思いながら言葉を続ける。

「でも乾くんもいるからぜんぜん喋らないかな。不二くんとか河村センパイもいるけど、やっぱり喋らないねぇ」

 大丈夫ですか?と言われて安心させるようには答える。

「うん。真田くんがいるんだよ。さっきね、殴られたんだ。あはは、すっごい手加減なし。ボクがテニスをなめてるって。怒られちゃった」
『自業自得ですね』

あっさりと言われては笑う。そういえば何度もこの話題で日吉と喧嘩をしてきたのだった。はベッドに腰をかけて目を伏せる。

「ねぇ、ヒヨ子」
『なんですか』
「どうすれば、テニスにやる気がもてるのかな」
『それを俺に聞きますか…相変わらず残酷な人ですね』
「怒る?」
『いえ。もう慣れました』
「榊先生にも怒られたんだよ。言葉には出さなかったけど、そんなプレイをするなって」
『反省していますか』

問いかけられて少し沈黙する。居残るように言われたときに感じたのは、とくにはなかった気もするが。こうして考えてみると、やっぱり自分は悲しんでいたのだろう。

「悲しくなったよ」

答えてベッドに横たわる。天井を見上げて言葉を続けた。

「テニスが好きで好きでしょうがないのに、それでも…こんなプレイしかできないなんて」

ダメだよねぇ、と言うと日吉が少し沈黙して答えた。

『――――……貴方だけの責任ではないのでしょうね。貴方の実力に届く選手がいないことも、問題なのでしょう』
「優しいね、ヒヨ子」
『…腹は立ちますよ』

あ、ごめんと言うと違う、と返された。は首を傾げる。

『そこに、俺がいないってことに対してです。そこにいないという時点で、俺は貴方の立っている場所を見上げることもできてないってことだ』

静かな言葉に、は目を腕で覆う。電話越しなので相手に見られることはないのだが、それでも隠したかった。

「………キミのようになれたらよかったのに」

呟くと日吉が少しだけ笑った気がした。下克上だよ、と相手の台詞を取る。

「いつも上を見て、強さを求めてる。――どうすれば、そんな風になれるのかな…」
『―――……帰って、来ますか?氷帝に』

視界が滲んできた。優しすぎる言葉に、答えが出せない。沈黙していると電話の向こうで日吉がすまなそうに続けた。

『すいません。不謹慎でしたね。対等に競える相手がいなくとも氷帝にいるよりは楽しめるんでしょう』
「………最低だね、ボクは」
『はい』
「……それでもテニスが好きなんだ」

小さく呟いて自分の豆のできた手を見詰めた。練習が好きだ。相手を叩きのめすのはどうしても好きになれないけれど、皆と一緒になって汗を流して、そして成長していくのが大好きだ。

『……知っています』
「監督の意向がわからないから、まだ辞める決心はつかないよ」
『俺の希望を聞いてくれますか?』

なに?と聞くと電話越しに日吉が笑った。

『貴方に選抜チームに入ってもらいたいです。楽しいですよ、きっと』

そう答えた日吉は少しだけ年上らしく感じられた。は電話を切って枕元に置く。あんなに荒んでいた気分をたった数分の電話が落ち着かせるなんて、やっぱり日吉はすごいと思った。



fin