テニスコートのフェンスの後ろ。校舎へ続く外階段の踊り場では不思議そうに首を傾げた。最近はさすがにちょっと暑くなってきたので出没スポットとして知られていたレギュラー部室の上ではなく、この木陰のある踊り場に移動しているのだったがどうもここは都合が悪い。ちゃんとコートの練習風景は伺えるけれど、声がよく聞こえないのだ。

「あれ、誰だろ」

コートの脇に張り付いて、何やら弁当箱らしき物体を振り回している他校の女子生徒。振り回して中身大丈夫なんだろうか、なんてことはまぁ考えないほう煌で。長い髪を背中まで伸ばし、軽やかな身のこなしからどこかのマネージャーなのだろうが偵察にしては堂々としすぎているし、何よりもカメラやメモを取っている様子もない。

「跡部さんのファンだそうですよ」
「あ、ヒヨ子」
「日吉です」

下を見ると汗をタオルで拭いている日吉がいた。休憩時間になったらしい。は傍らに置いた鞄から凍らせたペットボトルを取り出して日吉に渡した。受け取って日吉は礼を言うと、軽く助走を付けての隣に飛び上がる。そのまますぐ隣に腰掛けるかと思いきや、日吉はわざわざ風下に回って、少し距離を開いて腰を下ろした。は面白そうに笑う。真夏の練習。汗でジャージがびっしょりと張り付いていた。別に汗臭さなど今更気になるこちらではないのに思春期だなぁ、と年下のが笑う。日吉の行動を笑ったとばれると機嫌を損ねるので、は「跡部のファン」という言葉に反応したような素振りで首を傾げた。

「へぇ、物好きな」
「同感です」

跡部が格好良くない、とは思わないが部活にいて実体を知っていると日吉はどうしたって一般女子が抱く「跡部さま!」のイメージがわからない。ねぇ本当にいいのあれで、と以前「こ、これ跡部様に渡して欲しいの!」とクラスメートにラブレターを渡されたとき真剣にしてしまったほどだ。いや、別に跡部が格好悪いとか性格悪いとかは思わないが。

「財力、実力、プライド、容姿、頭脳、人望なんでも持ってて本当すごいんだけどね。でも跡部くんだから」
「えぇ、そこまで秀でていてもあの人は跡部さんなんですよね」

いろんなオプションも、「跡部景吾である」ということがもうなんか台無しだ。などと当人が知ったら怒るだろうことを平気で言って、はおや、と首を傾げた。

「あ、でも珍しい。跡部くんが追っ払わない」

女子生徒相手でも練習の邪魔であるとなれば容赦せず一蹴にする跡部が珍しく邪険にしていない。休憩している跡部にドリンクを差し出しているその女子は随分と手馴れており、まぁ本当正体隠す気あるのかと突っ込みたいが、まぁそれはさておいて、その様子に一瞬は日吉を振り返った。隣にいる日吉はの渡したドリンクを飲んでいる。

「なんですか」

見詰められていることに気付いて日吉は眉を寄せる。何か入れたのかこれ、と素早く察してくるあたり互いに付き合いが長くなったものだ。だが今日は何も入れておらず、はぎこちなく視線をはずして呟いた。

「いや、ボクもあの子と同じことしてるなって」

跡部ほどではないが日吉だって人気がある。次期部長候補であるし、鳳のような博愛主義、ではないから「私だけが日吉君の特別になるの!」と射止めようとする女子は多々。ワカサマだ何だと呼ばれて追っかけまわされている日吉をは何度か屋上から眺め「青春だね!」とからかったことがある。別にそういう行為自体に何かを思うことはないが、自分も同じことをしたくはなかった。だが、こうやってしていることがかぶっているということは、つまり。

「え。ってことはボクってキミのファンなの?」
「何言ってやがる…お前俺の彼女だろ」

心底呆れたというように日吉はため息を吐く。さらり、ととんでもない発言を返してきたが、しかし顔が赤い。一瞬びっくり、と目を丸くしていたはその赤くなった首元を見てにこにこと笑い、身を乗り出してそっぽを向いた日吉の顔を覗き込む。自分の言った言葉に照れてそっぽを向く、その素振り。なんてこんなに可愛いんだろうと本当に疑問だ。

「ねぇ、ヒヨ子」
「なんですかっ!」
「あの子、気をつけた方がいいよ」

からかい続けてもいいが、今は他に話題もある。ちらり、とはコートに視線を投げた。こちらのその急に真面目な顔に日吉は訝しげに眉を寄せたものの、同じように視線を投げる。

「一番厄介なんだよね。あぁいうのってさ、知識もあって、ポイントを押さえてる。容姿も悪くないし、器量もいいから偵察者として申し分ないね」

もちろん跡部は気付いているだろう。そういえば先ほどからフォームが少々おかしかった。きっとその分では忍足たちも勘付いている。優秀なプレイヤーの集まる氷帝学園、そこでレギュラーなんてやっていれば偵察偵察とひっきりなしの日々。今更女の色香で惑わされるような可愛げのある人間ではなかろう。
だが日吉は今まで正レギュラーではなかったので、こういったことに勘が冴えなくて当然だ。だから、少し心配になってしまっていたは唸るように呟く。

「全国行きが決まったとたんにこれか。どうやら僕もいつまでものんびりしてる場合じゃないかもね」
「何をするんです?」
「露払いのマネージャー」

げほっ、と日吉が咽た。

「え、何その反応」
「いえ…貴方が小まめに甲斐甲斐しく働く姿が想像できなくて」

面倒くさがりで女だというのに自分の服装にさえ執着心を持たないが、他人のためにせこせこ動くなんて考えられない。かろうじて想像できたのはベンチに座り、下っ端の一年生をあごで使っている姿くらいだ。と日吉が真剣に言うもので、さすがには顔を引き攣らせた。先ほど「俺の彼女」となんともまぁ嬉しい発言をしてくれたのに同じ口でなんてこというんだ、と憤慨したい。

「貴方の普段の生活を見ているので当然でしょう」
「でも僕、以外に尽くすことは得意なんだよ」

ほら、と日吉に渡したペットボトルを指差した。下半分だけ凍らせて、あとは普通のドリンクを注いだそれは程よく冷えていて、そして凍らせたはずなのに濃い味はしなかった。

「……意外ですね」

つまりは、薄い液体を凍らせて、少し濃い液体を注いだのだろう。ということは、このスポーツ飲料水は粉を配合して作られたということになる。

「寒いことを言います」
「何?」
「愛ですか」
「だって、ボクはキミが好きなんだから、そのためにすることは面倒じゃないんだよ」

殴られる覚悟はありますよ、と顔に書いてある日吉の問い。は別に不機嫌になるネタでも冤罪でもないのであっさりと頷くと、今度は首だけではなく耳まで真っ赤にした日吉が照れ隠しにか「さん、暑さでやられたんですか」と全く持って失礼なことを言ってきた。



Fin