階段を上りきると、真っ白いシーツの舞う屋上に出た。息を切らして、それでも手を伸ばすようにして、空に焦がれる。ゆっくりと目を閉じて、そのまま倒れこもうとしたら、その前に頭上から何かが振ってきた。潰れる音。コンクリートが接近して、このまま激突したら、云々を悩む前に死んでしまう、とそう思って足に力を入れた。小さな音。「え」とひとの声。聞いたことがあるような気がして、でもそれは錯覚だと知っていた。

「いたい」
「それは、安全マットにされかけた俺のセリフだと思わないか」

背負った少女を丁寧に床に下して、ため息を吐く。夕日にキラキラと光る白髪はつむじから丁度半分までの、真っ白なシャツとスカート姿の少女。小さな口が「ははは」と軽く笑って、木霊した声に身震いした。

「僕がスカートはいててもあんまり驚かないんだね、立海大の柳くんは」
「お前が男子ではないことは、筋肉のつき具合で判る」

少女、氷帝学園「男子」テニス部所属のは肩をすくめた。「っていうか立海大の人って心眼でも持ってるのかな?殆ど見破られてる気がする」とぶつくさと不平のように言う。そうして一度はひらり、とスカートを翻し、柳の頬に手を伸ばしてくる。

「なんだ?」
「いや、なんか、泣いてるのかと」

一気に階段を駆け上がったので動悸は激しくなっているが涙腺は弱っていない。柳は眉を寄せ「気のせいだ」とだけ返すと、納得いかぬらしいが「嘘はよくないよ」と不思議そうに首を傾げる。

「戸籍に対して盛大な嘘をついているお前に言われるとは」
「厳しいね!でもこれは僕がついた嘘じゃないから!」

不可抗力!と言って笑う、その顔を見た途端、なぜだか柳はぐらり、と緊張の糸が緩んだ。

(手を伸ばそうと思えばできた)
(勝算は、確立は高かった。確信もしていた。データは充分に集まっていたんだ)

唐突に柳はの肩口に額を押し付けて、とめどなく溢れ出る言葉をせき止めることを放棄した。目を閉じたまま、瞼の裏に焼きついた二つの光景を思い浮かべる。

この病院で、幸村の、自身の所属する部活の部長の病室で、先ほど見た光景。柳蓮二は恋をしていた。テニス部のマネージャー。よくある話、ではある。日々笑顔で己らのサポートをしてくれる女子マネージャーに、柳蓮二は恋をした。当人冷静に、「あぁ俺は彼女が好きなんだ」とそう早期に悟って、そうして芽生えた恋をデータ化し、実らせるためのあれこれをきちんと考えてきた。

彼女が部長である幸村に想いを寄せていることも、気付いていた。部長不在の部活内を、真田とは違った面から鼓舞し守ってくれていた。そんな彼女に惹かれた。

(まだ彼女に自覚はなかったから、その前なら、勝てた)

彼女は自身が幸村に恋をしているという自覚がなかった。だからその彼女の感情を「部長への憧れ、信頼、尊敬である」と刷り込むことは、正直なところ柳には容易いことで、そして彼女の素直すぎる性格がそれを確実なものとしていた。

だがしかし、柳は今日まで。今日、先ほど、ほんの数分前、病室で彼女が手術を受けるという幸村に「今言わないと、あたし、後悔するわ」と勇気を振り絞り、思いを伝えているその光景を見るまで、何もしなかった。

「彼女の幸村への思いに遠慮していたんじゃない。俺に勇気がなかった、それだけなんだ」

呟き、そのままずるずるとしゃがみ込む。は柳の身体を支えることはとうに諦めていて、一緒になって床にへたり込んだ。それでもぎゅっと柳の肩を掴んではくれている。その手が離れれば自分はこのまま崩れて行ってしまのではないかとそんな非科学的なことを柳は思った。

「突然遭遇して失恋と企んでた黒い計画をカミングアウトされた僕の立場はさておいて、柳くん、どうせ10分後にはいつも通りの顔して病室に戻るんだろうから9分くらい泣いてもいいと思うよ」

胸なら貸すよ!と言うの肩口に顔を埋めて、柳は「平均的な女子中学一年生以下の胸囲だが大丈夫なのか」と言葉を返した。




Fin

不器用な柳くんが書きたかっただけです。