器用だとばかり思っていたのに、彼は案外不器用だと知った。
いろんなことを知っているのに、結局それを生かしきれていないらしい。ということは、結局のところは宝の持ち腐れって言うんだろう。などと結構失礼なことを考えながら、その綺麗に整った顔を眺める。
そのままマジックで落書きでもしてやろうかと一瞬、ふと思ったけれど。それはさすがにかわいそうだ。同情以外の何物でもないが、まぁおかげで楽しみは減った。
「いい加減寝たフリはやめようよ」
「プリ」
バレとったんか、と眼を閉じていた詐欺師が起き上がる。その奇妙な擬音はなんなのか、未だにわからないけど、それを言うならボク自身のことだって、よくわからないんだから、他人なんて理解できるはずがない。
「お前さんが、キスしてくれんのを待っとったぜよ」
からかうように笑う、白髪の青年はどこまでも、仮面を被ったように本心を見せない。不器用だな、と思う。
穏やかに流れていく波の音も遠く
「仁王くんはさ、結局のところ優しいんだよね」
ポテトチップスを一枚掴んで口元に運びながらが言う。どこをどう誤解すれば「ペテン師」などと呼ばれ「つかみどころがない」とされている男を、優しい、などと言えるのか。相変わらずその理解などできない思考回路に、もはや赤也は着いていく気もなかった。へぇー、と無関心に頷いて寸法間違いをたった今に指摘されたパネルを作り直す。
合同学園際などという、意味のわからない企画を立案した氷帝の生徒会長のおかげで立海大テニス部は今日も大忙しだ。いや、立海大だけではないのだろうけれど。その忙しい最中、きっと誰よりも忙しいのだろうと思われる実行委員の一員であるこの、普段は男子生徒として学校に在学している少女は、ものすごく暇そうにスナック菓子を食っている。
いや、実際暇ではないのだろうということは赤也にも分かっていた。が手放さない鞄の中には氷帝の模擬店二つに関する大量の資料と、学園祭を運営する上で必要な重要書類、それに、好奇心で首を突っ込んでいる立海大の模擬店、甘味処で扱う材料や道具の資料、多忙という言葉で表しては優しすぎるほどに、忙しいはずだ。
そういえばこうして赤也と話をするのだって、思い出せば何日ぶりなのか。(それでもの不思議なところは、久しぶりに会ったということを気づかせないことだ)
「その菓子、どーしたんだ?」
「あぁ、これ。真田くんにもらったの」
ごん、と鈍い音がした。赤也は思いっきり、打ち間違えをしたのだ。幸いなことに、あたったのは指ではなくて、地面の石だったが、おかげで折角作りかけていたパネルが割れてしまった。しかしそんな衝撃よりも、赤也は今の口から漏れたありえない言葉にショックを受けている。
「は?」
「だから、真田くんがくれたの。お菓子」
「……お前、途中過程ハショってねぇか?」
そうであってくれ、と赤也は祈った。いや、真田副部長がこの天真爛漫なに対して好意を抱いているなどということはテニス部レギュラーの常識だ。
別に、に何か与えて好感度を上げるのを図ったとしても不思議ではない。まぁ、ちょっと真田にしては上出来だ、とは思うが。しかし、が食べているのはまさに、いまどきのお菓子である。あの真田が、買う姿が想像できない、というかしたくない。
は面倒な説明を、自分の個人的な話題の場合のみにかなり省略するという癖があるから、今回も肝心の部分が省略されているのだろう。その部分を聞かないと、どうも消化不良を起こしそうだ。
「ハショってないよー。景品で使うお菓子の参考で買いに行って、多く買った分くれたんだよ」
「十分ハショってんじゃねぇか。っつーか、じゃあ俺にもよこせよ」
「追い剥ぎだ」
けたけた、とは笑った。そしてポケットから箱菓子を取り出して(いくつもらったんだか)赤也に差し出す。
「じゃあこれあげるね。キットカット」
「あー、なんか懐かしい」
「受験生のお供なんだってさ」
「一応聞くけど、「きっと勝つ」か…?」
さぁ?と首をかしげて、はポケトチップの袋を潰した。完食したらしい。
「受験のお供なんか貰ってもなぁ…うちはエスカレーター式じゃねぇか」
大学までしっかりとついている我が母校、ありがたいね、と冗談めかして言えばが「私立はいいよね!」と乗ってきた。だがお互い中学受験はしっかりしている身、ようするに去年苦労するか二年後に苦労するか、というだけのことだとわかっている。
「それで、仁王先輩がなんだって?」
「うん、優しいなぁって」
「だからなんで」
その理由を説明してくれって言ってんだ、といえばがにへら、と笑った。笑うだけで答える気がないのがよくわかる。理由を言わないのなら最初から水を向けてくるんじゃねぇと思いながら、しかし切原は苛立ちはしなかった。
というのは妙な生き物だ。妙な「男」ではないし「妙な女」というのは一寸違う。「妙な女」と自分が思えば、それはなんだかを「自分の周りにはいなかったタイプの女だ」と「女」として意識しているゆえの評しかたのようになるので、それは違うのだ。とにかくは妙な生き物だ。まず中学一年になってまだ半年も経っていないのに青春学園から氷帝学園に転入したという経歴を持ち、さらにはお得意の端折る言葉を借りれば「いろいろあって」立海大の部長の妹になったりと忙しい。
そのと切原は、妙に互いに一緒にいて「居心地がいい」と感じることがある。長年の友人のように、互いに無言でも違和感がない。窮屈に感じない、そういう、親しみではなくて居心地の良さがあった。
で、あればこうしてこの要領を得ないぽつりぽつり、とした会話。互いに感じるこの居心地のよさゆえの「他愛ない話」「他人に聞かせるようなことじゃないけど、お互いならまぁいいだろう」とそういう延長線上のことであろうか。
「僕さ、仁王くんがいつ僕に告白してくるんだろ〜っていっつもドキドキなんだよね」
「……お前さ、いや、なんでもねぇ」
「なぁに?切原くん」
あれこれ真面目に考えていた赤也の思考をの明るい声と、妙な言葉が区切ってくれる。切原は今自分がなんか妙なことを聞いた気がするのだが聞き間違いであってくれないか、と顔を引き攣らせたくなった。
「いや、お前、真田副部長だけじゃ飽き足らず仁王先輩にまでちょっかいかける気かよ。っつか、何だその自意識過剰」
「え、だって仁王くん僕のこと好きでしょ?」
当然のことのようにが言う。とりあえず切原は絶句した。
少女漫画の主人公でもあるまいに、は確かに好意を持たれることが多い。その容姿、というか外見の性別のため女子から告白、というのが多いようだが、なぜか「男です!男子生徒です!」と振舞っているに、そんなネタとは無縁だと思っていた立海大の化石、じゃなかった真田副部長が懸想してると気付いたとき切原はまぁ大笑いしたが、なぜか本当に理解に苦しむことに、確かに仁王先輩も同様であるらしかった。
「ついでに言うと多分柳生くんもね。そうだと思うんだ」
「……お前さ、そこは普通気付かないフリとかすんじゃねぇの?」
というか少なくとも切原の信じる「女子像」はそうだ。器量が良くて誰からも好かれていつの間にか多くの男から思いを寄せられている、けれど本人は気付かず無自覚に周囲を翻弄、とそれこそが「もてる女子!」であると思ってきたのだが、なぜ目の前にいる、実際三人の男子生徒に想いを寄せられているらしい人物は堂々としてしまっているのだろう。
「はは、そんな少女漫画じゃあるまいし。自分のことなんとなく好きなんだろーなー、なんて勘は普通働くものさ。ま、僕の場合は男の子の気持ちもわかるから猶更だとは想うけど」
とりあえず切原はは女としては疑問の残りまくる生き物であるので、やはり自分の「女子像」はそのまま美しく保存しておこうと決め、額を押さえる。そんな切原をは面白そうに眺め、言葉を続けた。
「仁王くんは僕のこと好きなのに柳生くんに遠慮して踏み込んでこないんだよね。でも時々どうしようもなくなって近づきそうになって、その度に自分を自戒してる。そういうのを眺めると、僕は本当、仁王くんって優しいなぁって思うんだよ」
「お前性格悪いよな、いや、知ってたけどよ」
笑う、笑うの顔。切原は自分も結構な性格をしているが、まだまだには遠く及ばぬ、と改めて思った。というか、もしが「女」であるのなら、多分自分はこうして黙って話を聞かず、一発くらいぶん殴ったかもしれないともぼんやり思う。
つまり、つまるところは、なんともまぁ酷いことに、仁王が柳生と自身の「友情」を優先し、への思慕に蓋をしている、その姿を目を細めて眺めているのだ。その上で「色濃いじゃなくて友を取るなんて素敵だ」と「好意を抱く」ことをする。なんともまぁ、酷いことをしているのか。
一方的な思慕であるから耐えられてる今、が自分に向いてる、なんて気付いてしまったら仁王の負担はどれほどになるのか。それをはにこにこと眺めている。全く女なら殴っていた。なぜ「女と思える相手ではないから殴らない」のかといえば、それは簡単だ。何もはサディスティックな思考から仁王を試している、のではない。男同士の硬い友情、硬い絆、それをただ見ていたいだけなのだ。自分のような生き物が茶々を入れても綻びず傷もつかぬ、はっきりとした互いの関係。おそらくは男女のどっちつかずにいるが焦がれる最もは、そういった関係であるのかもしれない。
そう、なんとなしに、やはりわかってしまう切原赤也、とりあえず一度眉を寄せて、それほど力をこめずにぺしん、との頭を引っ叩いた。
Fin
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