オハラ、冬のオペラ






重厚な作りの扉は重々しいワリにはあっさりとその口を開く。早速後戻りは出来ぬと、息を止めて扉を押し開いた。オハラから戻る一隻の船、どうやら集った幾人かの中将の一角の船であろうと装備で知れるもの。かつてロジャーを追い回してくれて楽しかったあのカープのような愉快な作りはしていてくれぬ。そのことがいっそう、に緊張感を持たせた。海軍の中で、カープのような兵は稀であると、懇意にしていた白い髭の海賊からいつぞやか教えられていた。眠り続けた数百年で、は随分と世間のことに疎くなっている。目覚めて四百年も暫く眠るような心持でいたためか、未だに知ることと言えば海で一人で自由に生きるにはどうするかという、最低限のこと。それでも、困りはせぬのだが、追われる身として知らねばならぬこともあろう。その情報を、ロジャーもエドワードも快く提示してくれてきた。懐かしい、と、もはや帰らぬかの人を思い出し、は感慨に耽る。
丁度、二年ほど前であるか。あの、眩しい太陽のような男がとある町にて処されてしまったのは。思い出せば遠き日のように思えて、はたして己の生きた時間で感じれば瞬くほどの近い日だという。あぁ、あの時に逃がした赤髪はどうしているのだろう。供に来いと手を伸ばしてくれたあの少年は、これから先死なずに続いてくれるのか。グランドラインが良く似合う少年であった。しかし、船長も、船もないあの状況で再び少年がグランドラインに戻れるという保障はない。
そういう己とて、先日海列車を作ると豪語する船大工の手を借りた「箒」がなければ海を行き来することも難しい。船、船、船は良い。

入り込んだ部屋は、神経質なほどに整理整頓された、執務室である。の目当ては、一体先のオハラで何事が起きたのかというその点。新聞やらで知れる情報はろくなものはない。それはいつの世も同じこと。最も信憑性のある情報は、危険とは思うが海軍本部に問うのが良い。世界政府に潜入するより、まだマシであると、にはそういう計算がある。

執務室の机の上に、まさか書類が無造作に置かれているわけもなく、むしろこの部屋の主の性格か、きっちりと、何もなかったかのように綺麗になっている部屋で、何か見つけて、その後何事もないように再びちり一つ残らぬ状態にするのは難しいことだ。
けれどもは慎重に、探る。

オハラ、オハラ、オハラで何かが起きたらしい。グランドラインにいた、トムの箒が完成すると同時に向かったのは、古くより歴史の本文の研究をしているという疑惑のある地。なぜ思い立ったのかと言えば、当然だ。ロジャーが捕らえられ、処された。ロジャーは歴史の本文により殺された。政府も本腰になって何か仕掛けてくるだろうと、そういう予感がにはしたのだ。そろそろ、見せしめが必要であると、誰かが考えるのは、歴史の流れである。
その第一候補はオハラだと、さすがのも気付いていた。で、あるから、見届けに来たのだ。

間に合っても手出しをするつもりはなかったが、やはり、は間に合わず、焼け野原となったオハラに辿り着き、さて、どうするかと、考え込むばかり。そこへ丁度引き上げていく海軍の船が見えたものだから、忍び込んだ。言葉にすれば、あっさりとしたものである。

「何者だ」

気づいた時には、の立っていた場所が砕けていた。

「っ……」

息をつく暇もない。繰り出された蹴りを回避して、は部屋の外に飛び出そうとするのだが、その前に退路に机が投げ込まれ、止められた。

振り返れば、フードに帽子というどう考えてもマトモに見えぬ格好の将校が立っている。殺意も敵意も感じられないが、友好的な感じはまったく持って、ない。

それでも、カープの気さくさを知っているからか、多少くだけた声音で男に話しかけて見た。

「紛れ込んだただの迷子かもしれないのに、いきなりの攻撃は酷いな」

一応、忍び込むために海兵の衣装でも盗んで纏うかと考えたのだが、どう考えても不自然になると思い諦めていた。そのお陰か、の今の服装は、一見すればただの村娘に見えなくもない。

「ここは海軍本部の船、厳重な警備を掻い潜っての侵入者は並の者ではない」

茶化して逃げ延びようかと探るに、男は至極最もな言葉を投げ、を黙らせた。そして、低い声で続ける。

「悪は、可能性から根絶やしにする」

言うが早く、男の足がカマイタチを引き起こすほどの脚力で動き、に向かって刃の如き一閃が襲い掛かる。

「う、わ」

咄嗟に下に屈んで避けて、そのままは魔法を使い天井を破る。デッキブラシで上まで上がり、男を見下ろす。

「え、何、化け物じゃないの?」

己を差し置いて平然と罵り、はデッキブラシを構えた。ぐるん、と、先で弧を描いて図式をなぞる、電撃があたりに弾けた。

「その力……女、お前は……」

フードと帽子に隠れた奥の瞳が、驚愕に見開かれたような気がした。男は僅かに巡回するように停止し、ゴキッ、と、腕を鳴らす。先ほどは感じられなかった殺意、敵意が男の身に孕んでいくのがわかった。

「そうか、お前が、世界の敵、パンドラ・

確認の意味すら込められていない声が、呟かれる。さすがは海軍本部の中将ともあれば、パンドラの存在を当然のように承知しているのか。は逃げ出せる道を探しながら、男と距離を取る。

「だったら、なんだっていうんだ」

本気で、戦わなければならぬとは悟った。この男、この、海兵、容赦というものがない類の生き物だ。己も、容赦をして敵う相手ではない。そのことが、の心に焦燥を生み出した。そういえば、己はこれまで追われては着たけれど、何ものかと真剣に命のやり取りをしたことはない。

の繰り出した氷の矢が海兵の腕を貫く、しかし、彼は怯む様子もない。

「終わりだ」

伸ばされた海兵の掌が、の細い首を掴んだ。絞め殺すほどの握力で喉を押さえつけられ、口から呪文も漏れぬ魔法はうまく発動せぬ。指で力なく書いた陣が、最後の悪あがきとばかりに、茨の縄となって海兵の腕に巻きついた。

「世界の罪人、パンドラ=。お前をエニエス・ロビーへ連行する」

男の掌に熱が集まってくるのを、掴まれた肌の上から感じた。この、力は。本能で己の危機を察知し、は身をよじる。しかし、がっしりと反対の手で抱きこまれては逃げ延びることもできそうにない。

「…ぅ……あぁっ!」

喉に焼け付くような痛みを感じて、は背を仰け反らせて吐息を漏らした。肉の焼ける臭いが鼻腔を突く。予期せぬ痛みに目尻に涙が浮かんだ。はらり、と、左目から零れ落ちた涙が頬を伝いきる前に、どさり、と、の体は些か乱暴に床の上に落とされる。

「な、にを……した?」

ぅ、と小さく喘ぎながら、己の首下を抑えて、見下ろす海兵に問うた。じりじりと、皮膚を刺す痛みが痺れのように広がる。まるで毒のように、そこからじんわりと体中に何か、得体の知れぬ「何か」が染み込んでいくのがぼんやりとだけわかった。

「お前の体に、私の印を刻み込んだ。今後一切、私が死ぬまでその印は消えん」

悪魔の実の能力、ではない。の記憶する限り、その力は確か。

「……冬の刻印……」

そう、呼ばれるものだ。確か、今から数年前に、政府にいる科学者が蘇らせた、古代の力のひとつ。しかし扱えるものがいるとは思いもよらぬ。扱うには、かなりの才と、本人の、想像を絶する「犠牲」が必要とされるものだ。

は震える指先で己の首筋をなぞり、そこに何かの紋が刻み込まれているのが確認できた。この印は、探知機のようなもの。そして、刻んだ者を殺せぬ呪い。印のある限り、一切の力は封じられると聞く。ぎりっと、奥歯を噛んだ。



Fin