魔術師が嗤う





「魔術師、だって?」

ひょいっと顔を覗かせた女はいつの間にか船の中。不法侵入・敵襲だなんて騒ぎごとは何一つなく。己の顔を見て見ても死相だなんだの心当たりもなかった、ホーキンス。顔を上て見る。真っ暗闇の中、月夜、うつくしい女がさめざめとした容貌を僅かに失望に染めて立つ。見覚えはない、けれど、どこかで会ったような気がしたのは事実だ。それで、バジル・ホーキンス、顔を向けたまま丁寧に頭を下げた。紳士であるというよりは、承知している、この女の正体。

「お初にお目にかかる。海の魔女」

「っは」

掠れた、喉にひっかかった声で女は笑い、当たり前のようにホーキンスの向かいの椅子に腰掛ける。先の後悔で手に入れた、殺人鬼の死刑囚が愛用した椅子である。座る十三人を呪い殺したという一品に、優雅で典雅な物腰の女がゆっくり腰掛けた。椅子の軋みが悲鳴のよう、聞こえたがホーキンスは押し黙る。手に入れた直後、手ごろな通行人を縛って座らせた。十四人目となったから、彼女が死ねば十五人目。しかし、その前に彼自身が座り、藁人形が一つ消えた。

「ふぅん、いい椅子じゃあないか。良いものを持ってるんだね」

ぎこりぎこっと、軋む椅子。しかしそれ以上は、ない。当然、当然のように女は笑い、口元を押さえる。

「罪状が増えるよ、お前、このおれを殺しかけた。いいのか、まぁ、今も十分犯罪者。これ以上どうなったって、知らないね」

椅子の正体などとうに知れていたらしい。それでも、己は死なぬと承知していたのか、それとも戯れか。ホーキンスの知るところではない。しかしながら、己も悪魔の実を口にした身、彼女のことを、思う心があって、しまう。

「何を聞きたい」

問う、魔術師の声は低く、海の魔女を笑わせた。そっと椅子から立ち上がり魔女は穏やかな顔で彼を見上げる。蜂蜜色の髪、月明かりに照らされれば月の雫のようにひかる。そのさまをうつくしいと、神がかっているのだと、彼も思わず溜息を吐き、だからこそにこの生き物が、人間ではないのだと分かる。

海の魔女は目を伏せて、そして、息を吐いた。

「魔術師と呼ばれるルーキーがいるって、そう聴いたから来た。でもなんだ、違った」

「周囲のつけた呼び名だ。知るところではないが、」

そんな些細な噂で檻を飛び出すほどにさびしいのかと、ホーキンス、問うた。途端に部屋が凍りつく。どんな能力だと喚く無知な者はここにはいない。魔術師は腕を組んで、俯いた女の次の行動を待った。

話に聞いた限りでは、極端な快楽主義者。しかし今はただ置いて行かれた迷子のようだとぼんやり思う。幼い子。あわれな、少女だと、悪魔が囁く。手をとってやれと、その顔に笑顔を浮かべてやれと、囁く悪魔は、こっけいなほどに必死に、甘い声を出している。



なぐさめてやれと、呻く。



手を伸ばして、その金色の髪に触れれば女がびくり、と震えた。

「お前は、本当に生き残りの類じゃ、ないんだね?」

すがるようなその声。少なくとも、この数百年は出されていないのではないかと、そう何となしに思う、声。ホーキンスはなんと答えればいいのかわからず。ただ、その女の目の端にたまった水の塊が、溢れて頬を流れなければいいと、そのさまを見たらきっと自分はどうにかなってしまうのだろうと、そういう予感だけははっきりとしていた。





















「それで、これを貰ってきたんだよ」

ひょいっと、が機嫌よく差し出したのは藁人形。しかもただ素人の作るような素っ気無いものではなく、中々愛嬌があるのだとは嗤う。

「藁人形に愛嬌が必要なのかどうかは知らないが、只管縁起は悪そうだな。捨ててこい」

向かった机から顔を上げることもなく、素っ気無く切り捨ててサカズキは再び書類に取り掛かる。目下海軍が追いかけている「魔術師」を目の前にして当然のようにが逃がしたことなど、彼にはどうでもいいこと。悪は、が捕らえるべきことではない。この女は、ここに存在することこそが、理由であり、義務なのだ。それは、その所業を行うべきは己であると、承知の上。

サカズキは、あとでをここまでつれてきた黄猿ととりあえずを締め上げてホーキンスの能力の無効化を図らせようかと、そういうことを考えているらしい海軍将校数名をどうしてくれようかと、そういうことを考えた。

「かわいらしいじゃないか。お前、そう思わない?」

「生憎俺は呪術の類に興味はない」

きっぱり、否定しておかなければ時々かなりのKYになるこの女、何かとんでもない勘違いをして翌日あたりマンドレークでも取り寄せかねない。サカズキに、詰まらなさそうな顔をしたが、それでもふふん、と鼻歌交じりに、人形をあれこれと、いじる。

ただの藁で出来た人形、ではないらしい。作ったのが誰であれ、サカズキも感心するほど、確かによく出来ている人形だ。白い布の服まで来ている。どこで手に入れたのか知らないが、小さな海兵の帽子まで被る、その姿。

「・・・・・・・・おい、

「うん?」

じっと、サカズキは顔をあげて人形を凝視した。

「犬の耳のついている藁人形か」

「だな」

「帽子とフード、それに四角いハンカチを、それはマントに見たたているのかね」

「よく出来てるだろう」

白々しく答える、ぼきっと、サカズキの手の羽ペンが折れた。どこかで見たことのある、人形の姿格好。生憎この執務室に鏡はないが、今朝部屋を出るときに身なりを確認して、見た姿。

「・・・・・」

無言で席を立ち、サカズキはから人形を奪う。燃やしてしまおうと蝋燭に近づけると、が「焼身自殺か」と不吉なことを口走る。

「機嫌がよかったのは、これが理由か?」

「ふん、馬鹿か。折角占いの得意な魔術師殿に会ったんだ。こいうらないとやらをやってもらって、その結果の機嫌のよさだよ」

まぁ、お前の呪いの人形というのも気分はいいけれど、と、なんの弁解にもなっていないことを平然という。とりあえず、あとで殴り飛ばして縛りあげてやると心に近い、に人形を押し付ける。

「解け」

ただ一言の、真摯な言葉。は珍しくサカズキに微笑んではっきりと「え、いやだ」と言った。







次の日ルッチがパンドラの機嫌伺に司法の最上階を訪れれば、そこにはずたぼろになったがパンドラの眠る身体にしっかりと、サカズキそっくりの藁人形を抱かせていたとか。





Fin





・おもしろくもない笑い話ですね。