エニエスに滞在する時の楽な単衣ではなくて、箒に跨り海をかけるに適した旅姿。腰には粗末な杖を指し、丈夫な布で拵えたズボンと、シャツ。金の腕輪に珊瑚の耳飾など適度にちりばめた装飾品、きらきらと太陽のように光る髪の、。悠然と佇み、そして言い放つ。

「あぁ、君がガレーラの新しい職人か。はじめまして、おれはアイスバーグの腐れ縁、と言うのだよ。見知ってくれ」

にこやかな笑み、初対面のの猫かぶりっぷりはアイスバーグのよく知るところであるから、これが最も自然なもの。なるほどさすがは伊達に歳食ってないと、本人知ったらマヂ切れされそうなことを考える、カク。

「……」

対峙するのは黒髪にシルクハットの、青年。
定められたセリフ、何か、口を開こうとしたとうだが、僅かに躊躇い、眉を寄せる。耐え忍ぶように一度眼を伏せて、にやにやと彼を見つめるを恨みがましそうに睨んで、そしてぎゅっと、拳を握りなにを決断したか、この、馬鹿。当然のように片膝を付いた。

「そのように他人行儀な言葉、あなたと過ごした全ての時間をなかったもののように扱うのはおやめいただきたい、パンドラ」

恭しくその白い手をとってそうのたまいやがったよこの男。

「ギャハハハハ!!!やっぱりやりやがった!」
「はい、ルッチは失格なのだぁ〜!!チュパパパパ!」
「まぁ予想はできとったがな」

おい、とが突っ込む前に二人の練習を見守っていたギャラリーが盛大に笑った。

















潜入前夜
























「ルッチ、これ練習だから。というか、練習の段階でこれってどうなんだ?おい、スパンダム長官。人選ミスっているのではないか」

ソファにどっかり座って、紅茶を差し出すルッチに礼を言いながらも呆れる気持ちは静まらない。向かいに腰掛けたこの場の責任者、司法の塔を滑る男にそういえば、スパンダム、仮面に半分隠された顔を歪ませて溜息を吐く。

全く、いや、もう、なんだというのだ。確かに誰もが「無理だ」と言った此度の人選。しかしこの「問題」にさえ眼を瞑れば適任者。捨ててしまうには惜しすぎる。そういう、采配。この自分が長年狙い続けてきた一件、最高のエージェントを送り込んで一つのミスもないようにと計らいたいのだ、あぁ、この、女の存在さえなければ!

「おい、ルッチ!お前いい加減真面目にやれよな!何回目だと思ってんだ!!」
「……」
「無視か!?俺は偉いんだよな!!?」

の世話は甲斐甲斐しく焼くのに、あれ、直接の上司だよね俺、と疑問をちらり浮かべるスパンダムは完全無視する、ロブ・ルッチ。

「と、とにかく、今日が最後なんだから、お前、どうにかしろよ!!」

席を立って、あとは完全他人任せというすがすがしい投げっぷり。スパンダムはそそくさと部屋を後にしてしまう。ぱたん、と扉が閉まって残された二人。はカップを傾けて紅茶を飲み、ルッチは反応を待つことにした。

彼としても、このまま己が無能の謗りを受けるのは、嫌だ。
誰が自分をどのように判断しても別段気にかけることはないが、この人、パンドラにそのように思われるのは、嫌なのだ。

「それで、どうする?ルッチ」
「自分でもわかっていますよ、だからこうして練習させていただいたんでしょう」
「効果はなかったがな」
「えぇ、申し訳ありません」

しかしルッチは、妥協をしたくない。それが全ての「問題」なのだ。明日からはじまる潜入作戦。五年の歳月を使って挑めといわれた大作戦。周囲の情報必要知識、全てが全て、身に付けた。しかし、ただ一つ、どうしても飲み込めぬ。

「あなたがウォーターセブンに近付かなければ何の問題もないのでは?」

たった一つ、ウォーターセブンに潜入するにあたって、精算しなければならない、との関係。何もなかった、初対面、でなければならない。五年の間。全て、一切、これまでのルッチ・の間のもの、何もかもを消し去ってしまわなければならない。当然。海を彷徨うパンドラ・。顔は広いが問題が多い、上に僅かでも警戒、疑われるような要素を持っていてはならない。

焦がれるを忘れろと、そのようなことをするくらいならルッチ、死んだ方がはるかにマシだ。

結局練習してみても、どんなに自分に暗示をかけて見ても、に白々しく初対面の挨拶をされるのは嫌なのだ。
ウォーターセブンはにとって大切な場所らしく、半年に一度、一ヶ月間滞在するそうだ。つまり一年に二ヶ月は確実にルッチはと「一般人」らしいお付き合いが出来ると、そういうことでもあるのだが、あくまで「船大工のロブ・ルッチ」としての対面など、ストレスがたまって仕方がない。

なんとか出発までに克服しなければと、一応のプロ意識そのように取り計らおうとしたのだけれど、結局、あぁ、ダメだったというわけだ。

「なんでおれが政府のために楽しいバカンスを諦めなければならないんだ。邪魔しないだけありがたいと思え」

ルッチがどれだけ困ろうと、は平然と当たり前のようにガレーラを訪れるのだろう。それが、歯痒い。この人の、何よりも変えがたいものの中にまだ己は入り込めていない。口に出さないが、はルッチとアイスバーグの天秤、明らかに後者が思いと、そういう、ことだ。

「協力はしていただけないので?」
「っは」

は鼻で笑い飛ばして足を組みかえる。

「馬鹿を言うな。昔のことを引っ張り出すつもりはないが、おれはトムやフラムがスパンダムにハメられたことを許す気はない。原因がたかだか船の設計図だということも気に入らなかったが、それを手に入れるためにお前やかわいいカリファたちがかり出されるのも、気に入らないのだよ」

お前なら、その期間にどれほどのことを出来るのか、と、はルッチをとても、買ってくれているらしい。の唇から賞賛の言葉を受けると、ルッチは素直に光栄と思えた。他の、どんな人間が己を賛辞しようとも、これほどの幸福感は得られぬ。

「プルトン、あんなもの、作ってどうするのだか。今で十分政府も海軍もおっかないのにな」

ぼそりと呟くの眼は、ルッチの届かぬ世界を見ている。どこかへ行ってしまいそうになる彼女を引き冷たくて、ルッチはしようのないことを聞いた。

「パンドラ、あなたは長官がお嫌いですか」
「随分子供っぽい聞き方をするんだね、ルッチ」

予想通りは笑って、その眼にルッチを移してくれる。

「スパンダムは好きだよ。あの子は面白いと思う。だからこそ、自分の首を絞めているのを教えてやりたいが、まぁ、それも、時の流れだ」

些細なことだ、と、そのように笑う。の中でのスパンダムの位置。それでも、ルッチは己よりも重いのだと知っている。なぜ、あんな男よりも己のほうがよほど彼女の役に立つ、というのに。腹立たしく思った、が、それを出すようなヘマはせぬ。

「大将赤犬には、なんと?」
「邪魔をするなとは言われている」

なんだかんだと言いながらも、結局彼女の行動の根底を支配するのはあの男か。ルッチはわかりきったことに悋気を起こす己を幼いと自覚するだけに、かろうじて押さえ込み、の手からティカップを柔らかい手つきで奪い、その手に己の手を重ねる。

「何か私に望まれることは?」

しかし、しかし、実際彼女の大切なアイスバーグをどうこうできるのは己だけ。長官が指揮を取ろうと、赤犬が決定権を持とうと、なんであろうと、直接触れることが出来るのは、自分だけだ。

自尊心を満足させるためだけではなく、優越感、そしてたとえ世界がどう思おうが、彼女の望みをかなえようと、そういう、使命感。帯びて言えば、がゆっくりと目を伏せて、息を吐いた。

「ルッチ。お前は、優秀だと信じているよ」
「光栄です。あなたの信頼が、俺の全てですから」
「今回の潜入任務、お前じゃなければおれはアイスバーグの側に付いていた」

物騒なことを言う。しかし彼女なら平然とやるだろう。赤犬が何を言ってこようが、彼女はやる。しかし、ルッチがその任務についてくれるから、躊躇ったのだと、そういう、こと、その、真意はなんだ。

「彼は、おれの友人だ。傷つけるな、ルッチ」

CP9は、非協力的な市民に対して「特権」を振るうことが出来る。しかし、それはあくまで最終手段だ。殺しを行うことだけが全てではない。は、ルッチならば特権を使わずに任務を終えることが出来ると、そう、信じている。CP9に任された時点で、アイスバーグの死亡率は跳ね上がっている。だからこそ、CP9で最も任務達成率が高く、最も、「特権」を使う可能性のあるルッチを、は信じた。

あぁ、なんと幸福なことであろう。

くらくらと、あまりの幸福に眩暈を覚え意識が遠のきかける。これ以上の名誉などない。彼女の、パンドラの信頼、願いをこの身に受ける。この、至福。

「あなたの望みを、無碍にはしません」

静かに眼を伏せて、誓うその姿、従順な騎士のようでありながら、盲目に母の言いつけを守ろうとする幼子のように、には思えた。




Fin