鬱蒼と生い茂る深い深い森の中。(というよりは海岸に近い林ではあるのだけれど日光があまり当たらぬくらいに木々が生えているから、森と言って差し支えはないのかもしれない)赤髪海賊団は昨日、グランドライン特有のハリケーンをやり過ごしこの無人島に停泊していた。

嵐が去れば晴天、すっきりとした空は見上げていれば気分がいい。さて、久しぶりの島であるからゆっくりしようと言い出したのは船長だった。そうなればいつもどおりの宴会騒ぎ。

さぁ、それらは全て昨夜のこと。
例によって例のごとく、お頭どのは二日酔いでつぶれて今は、なるべく安静にしていようと幹部連中が集まる陽だまりから少し離れた。森の中。ハンモックに横たわって気持ち悪そうに唸っている、というのが現在の状況である。

副船長ベン・ベックマンは船長の昼食を持って、森の中へ入っていく。別段副船長自らするようなことでもない、と言えば確かにないのだが、今日はいつも船長に食事を運ぶ見習いの申し出を断り、ベンが席を立った。

「そんなに具合が悪いのか」と心配する仲間に、事情を知る古参のラッキー・ルゥやヤソップがなんでもない、ベンのお節介、世話好き根性だ!と大声で笑い、彼らを賑やかな食事の場に引き込む。ベンも軽く手を上げて軽口を古参の連中に叩いてから、船長の具合に対する彼らの質問を流した。

本日の昼食はカレーだ。

うちの船長、ただでさえ子供じみたところがあるが、その味覚も幼いところがある。甘口しか普通に食べられず、辛口を作ろうものならぶーぶーと文句を垂れ(結局口にするのだが)牛乳が必要になる。

カレーといえば海軍のイメージ。海賊が好むなどと、と初めて知ったときはそんな偏見を持つ物も(いや、小さなことだが)ないわけではない。ラム酒が海の男の必須アイテムなら海軍はカレーと、そういう偏見じみた考えがこの海には確かにあった。

しかしお頭は「それでもカレーに罪はねぇ!!」とか時々よくわからないことを叫んでいる。

とりあえずベン、そのカレーライスとスプーンそれにラム酒の瓶を持ってお頭のいる木を目指す。こつん、と、そこまで近づいて、ベンは異変に気付く。

船長は、ハンモックで眠っている、というよりも、魘されていた。

長い付き合いであるから、ベンの気配で飛び起きることはない。というよりも、気配で起きられないからこそ、魘されているのだろう。額にびっしりと汗をかき、苦しげに唸っている。眉間によった皺に、いつもよりも伸び放題にされた無精ひげ。右手で、今はもうない左腕をかきむしるようにしている。

だがそれは、朝の光景とかわらない。

時々、この半年、時々、そういうことがあるから、ベンは慣れているといえば慣れていた。だがしかし、今はいつもとは、少し違っていたのだ。

「……うちの頭に何の用だ」
「頭、そう。ふふ、ふふふ、きみ、シャンクスの仲間なの」

異変、異変はただ一つ。悪夢と激痛に魘される赤髪のシャンクスの、その傍らに、老婆が一人たたずんでいた。顔は見えない。だが、もともとは白かっただろう、今は汚れて色の悪くなったショールを被り、ところどころ擦り切れた長いスカートを引きずっている。まるでおとぎ話に出てくる魔女のような風体。こちらに小さな背中を向けたまま老婆が低く笑い呟くがその声は老婆とは言い難く、ベンは一瞬なぜ顔を見てもいないのにこの生き物を『老婆』などと思ったのか、その違和感に気付く。

声は故意に低く押し殺されているものの、まだ少女独特のかん高さを残している、そういう声であり、そうしてじぃっと伺うベンを、その『老婆』が振り返った。

「ここで一人きりでいたから、ついに一人ぼっちになったのかと思っていたよ。そうかい、きみはこの子の仲間なのかい」

振り返り、『老婆』がゆっくりとフードの奥に隠れがちになった瞳をベンに向けた。その、瞳の青さ、確認してベンは僅かに目を見開き、そしてぽろっと、咥えていたタバコを落とした。

「……アンタ、魔女か?」
「おや、わたしを知って?」

愉快そうにころころと『老婆』が喉を震わせる。ベンは驚く心を一瞬で抑え込み、手放さぬ銃を構えた。

「この海で、アンタを知らない方がおかしい」

言い切りベンは正確に魔女の眉間に狙いを定める。噂によれば魔女は「不死である」と聞くが、この世に不死などありはしないというのがベンの持論。そしてその道理に従えば頭を潰して生きていられる生き物はない。

凶弾がいつ放たれるかも知れぬのに、太古の穢れを知らぬ荒々しい海のような鮮やかな瞳の魔女、緩やかに目を伏せて息を吐く。そしてゆっくりと開いてから、真っ直ぐにベンを見つめる。魔女の目を見つめてはならない、という古い話を思い出した。ベンは咄嗟に視点を逸らす。と、魔女が鼻を鳴らした。

ベンは内心なぜシャンクスを一人にしたのかと自身を罵る。この無人島。確かに人の気配はまるでしなかった。危険はないと、そう判断したし、その上いくら心身が弱っていても赤髪のシャンクス、並みの生き物にどうこうされる可愛げなんぞないと、そう思っていた。

だが、このグランドライン何が起こるか予測不可能なのだ。その原点、この海を生きて随分たつベン・ベックマン、随分と久方ぶりに思い出した。

銃弾を放てば魔女はここから消えるだろうか。無事に当たる、とは慢心しない。海賊連中の間では「嘆きの魔女」とそう呼ばれているこの生き物。その力の不気味さ、得体の知れなさは海賊をしていれば嫌でも耳に挟むもの。だが目にしたことはない。目にしていなければその得体の知れなさは恐怖にもなる。ベンは油断せぬように目を細め、そして、体勢を崩した。

眼を覚ましたお頭が、完全にベンに集中していた魔女を後ろから羽交い絞めにしていた。





 

 


呪われた島と赤い髪、海賊と魔女


 

 

 





「夢なら覚めるな、現実なら、寝るな…俺…!!!」

うっすらと眼を開けたお頭の第一声にベンはずるっと、頬杖をついていた手を崩した。相変わらず汗をかき、苦しそうな顔をしてはいる。だがしかし、え、何その、久しく聞いてないかなり真剣で必死な声。

後ろから羽交い絞めにされた途端、魔女は驚き声を上げ、それはもうものの見事にシャンクスの顎に頭突きを食らわせた。しかし顎にぐわぁあんと当たったはずなのに怯む様子もない赤髪のシャンクス。

とりあえずベンは魔女に敵意はないと判断するしかない。ここで敵意、あるいは何ぞする気があるのならとうにしていよう。演技、とも一瞬考えられたが、魔女の態度にはそういう嘘くささがないのだ。

そういうわけでハンモックの下に置いていた小さな椅子に腰掛け頬杖を突いて見守ることにしたのだが、しかし、何だこの、展開は。

「いやぁああ!!!ひげが…!!ひげが当たって気持ち悪い!!あとオッサン臭する!!!お酒臭い!!!ついでに汗臭い!!!」

折角頭突きしたのだが、それで放すシャンクスではない。相変わらず後ろから抱きすくめられ、その頬を摺り寄せられている魔女が、半分泣きの入った声で本気で嫌がっている。

シャンクスはその真剣に嫌がる少女を懐かしそうに「あぁ、この容赦ねぇセリフ、夢にしちゃ上出来すぎる…!!!」とか何とかほざいている。

だから、なんだこの状況。

ベン・ベックマン、自分の頭脳・IQが人より高いことは認めている。傲りでもなんでもなく、太陽が昇るように当然の事実だ。それゆえ、冷静に状況判断することは得手であると思っていた。

しかし、なんだこの状況。

ごそごそと、ベンは懐から新しいタバコを取り出して火をつけると、落ち着くためにゆっくりと肺まで煙を送り込んで、吐いた。

「ちょっとそこの君!!!何ゆっくりくつろいでるの!!!?か弱い美少女が酔っ払ったオッサンにからまれてるんだから助けなよ!!!」

幼すぎるというわけではないが、海に出るには未だ「娘さん」と言われるほどの年頃に見える少女、だが魔女だ。その魔女が必死に海賊に助けを求めてきている。で、その腰にはずるずるとハンモックからずり落ちた四皇の一人で自分の所属する海賊団の船長をしているいい年したオッサンがしがみ付いている。

導き出される答えは何だ。

ベンは真剣に考え、そして、ふらっと、立ち上がった。助けてくれるのか、と期待する魔女をスルーして切り株の上に置いていたカレーライスの隣、ラム酒の瓶を手に取り、蓋を開けると、そのまま、寝ぼけている酔っ払い、真っ赤な髪のいい年したオッサンにドバドバとかけた。

「今すぐ眼を覚ましてどういう状況なのか俺に説明してくれないかお頭」

一応、仮にも、船長なのだが、ベン、普段とっても冷静沈着で頼もしいナイスミドル。さすがにこの、奇妙極まりない状況についていけなくなったらしい。ドスの聞いた声、ノンブレスで言い切った。

うわっ、と、魔女が顔を引き攣らせる。しかし、酒を頭からかけられてもお頭、相変わらず猫のようにごろごろと機嫌よく喉を鳴らして魔女にしがみ付いている。

蹴り飛ばせばいいか、とそんな物騒な思考にすらなりかけたが、しかし、やっと、その次にシャンクスがはっと気付いたように目を見開いた。

これでまともな会話ができる、とそうベンが息を吐いたのも、所詮儚い話。

「ずっと考えてたんだ!!!!俺ァ、お前になんて詫びをすりゃァいいか・・・!ずっと、考えてたんだ!!!!」

ぴたり、と魔女、の身体が止まった。何か感づいて、というよりも、何まだこの酔っ払い寝ぼけた発言を続けるのか、という顔である。それにはベンも激しく同意した。二人がシャンクスの赤い頭を蹴り飛ばす前に、素早く、の肩をつかんでぐるん、と自分に向かい合わせたシャンクスの、肩を掴んだまま、真っ直ぐに、のたまった。

「責任取る方法は一つしかねぇ…!!!おれがお前を嫁に貰う!!!!」

次の瞬間、ベンはライフルの腹で、そして魔女は取り出したデッキブラシで、大海賊の頭を殴打した。

お頭だろうがなんだろうが関係ない。お花見のシーズンにも言われていることではないか。酔っ払いへの対応に部署や肩書きは関係ない、と。殴り飛ばし、ズザアアァアアーっと、数メートル吹き飛んだお頭を眺め、ベンはすがすがしい顔をした。先ほどまでの知恵熱もこれですっきりだ。

見れば魔女も引き離せて安心したか、一仕事終えたように満足そうな顔をしている。ふぅ、と額の汗でも拭うような仕草をした魔女。冷静に考えると、今自分の船の頭が魔女に危害を加えられたということになるのだが、あれだ。今のは、立派な正当防衛だろう。ベンは加えたタバコを指で掴み、疲れたようにため息を吐いた。

だから、何なんだこの状況。



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「…!!!痛てぇ…!?っつーことは夢じゃねェのか!!?この状況!!!!」

俺は夢であって欲しい、とベンは心の底から思いつつ、鼻血を押えてなんか妙なことを口走る己の船長を眺めた。殺す気で殴ったわけではないにしても、正気に戻れ!!!という願いは込めた一撃。それでも聊か、戻すには手加減しすぎたのだろうか。

赤髪のシャンクス、二日酔いと、一晩の不衛生がにじみ出たぼろぼろの格好で呆然とこちらに顔を向けてくる。そして、己の船の副船長と、本来この場にいるはずのない魔女の姿をゆっくりと確認して、口を開く。

「ベン!!!聞いてくれ!!そいつを嫁に貰うことにした!!!」

うわ、言い切った。
物凄くいい笑顔で言い切った。

耳栓どこだったか。

何だこの、宝が大量に詰まった箱を見つけたってこんな笑顔浮かべないだろうほどのものは。ぐっと親指を立てるシャンクスに、ベンは顔を引き攣らせて魔女に顔を向ける。

小柄ではある。しかしベンの腰ほどの背はある娘。未だしっかりとフードで頭を覆っているが、その髪は赤いと聞いている。青い瞳。そこそこの海賊であれば誰だって知っている。海を彷徨う魔女の話。嘆く声は海を荒らし、その純粋たる悪意が人を狂わせると、そういう生き物。

海賊の常識としても、また、シャンクスの長年の友人としても、ベン・ベックマンは魔女のことを知っていた。

「ふ、ふふふ、寝言は寝て言うものさ。まだ寝ぼけておいでかい。赤髪殿」

殴り足らないか、と魔女が再びデッキブラシを構えた。笑顔だが額に青筋が浮かんでいる。ベンは、魔女を止めるべきか、それとも一緒にお頭を殴るべきかと一瞬考え、そしてぽん、と魔女の肩を叩いてみる。

「お頭のだったが、カレーがある。食べるか、魔女」
「カレーって、食べ物の?」
「あぁ。うちの昼メシは、今日はカレーなんでな」
「でも辛いんだろ?」

魔女はやや顔を顰めて子供のような顔をする。その表情がなんだかおかしくベンは不覚にも一瞬笑ってしまった。

「いや、生憎だがお頭の所為でうちは常に甘口だ」

おや、と魔女は面白そうにシャンクスを一瞥する。

「バ、バカ!!別に、あれだぞ!!?辛口が食えねェわけじゃねェ!!!」
「牛乳があればな」

ベンは冷静に突っ込みを入れる。それに魔女が、ころころと喉を震わせた。お頭はまるで少年か何かのように顔を赤くして、八つ当たり気味に、拾った小石をベンに投げてくる。それを受け止めて投げ返すと、ベンはシャンクスも声をかけた。

「その間にアンタは俺に状況説明だ。なんだって魔女がここにいるのかはグランドライン七不思議ってことで解決してもいいが、なんだって、アンタが魔女を嫁に発言するのかくらい、教えてくれよ」

通訳すると、魔女が他のことに気を取られている隙に状況把握して、戦闘準備なりなんなりさせろ、ということである。それがわからぬお頭ではなかろうに、シャンクス、胡坐をかいたままあっけらかん、と口を開く。

「だって俺、十年くらい前にのこと強姦しちまったんだよ。責任とって結婚するのは当然だろ?」




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正座しろ!!!!と、とりあえず大声が聞こえたのではびっくりと眼を開き、自分が食べてもいいということになったカレーから視線を外して、少し離れた場所にいるおっさん二人に顔を向けた。

赤髪海賊団の船長と、副船長がそこにはいる。大海賊がこんなところで何をしているのか、とは改めて首を傾げてみた。こちらはちょっとした事情でこの島に長く滞在している身。しかし、昨夜から妙なバカ騒ぎが聞こえてイラっときていた。それで、どこのバカが騒いでいるのだと様子を伺ったところ、懐かしいシャンクスの顔を発見して驚いたものである。

は出来る限りシャンクスとは顔を合わせたくはなかったので特に名乗り出ることもせず彼らが去っていくのを待とう、と思っていた。しかし翌朝になっても、一年経っても彼らがこの島から出ていかぬことを知ってもいた。

現時点でその「状況」をシャンクスやあの副船長どのが承知しているのかはまだ確認していないが、この島はちょっとばかり問題がある。

入ることは容易いが、どう船を動かしても、櫂で来いでも脱出不可能という素敵島。グランドラインにはそういう不思議島は珍しくないが、この島は特に「異常」であった。

それはどうでもいいとして、それでも、はシャンクスならなんとかするかも知れぬと考えた。難攻不落脱出不可能のこの島であるけれど、あの子ならなんとかするかもしれない。だから自分の現在の隠れ家に潜み、少し待った。

それでも出て行かないもので(気づいていないだけかもしれないが)も、シャンクスに少し懐かしさを覚えていたから、彼が眠っている間に顔に「肉」とか書くくらいは接近しようと、そうして近づいて、何やら悪夢に魘されているではないかと、思わず眉を寄せてしまった。

(どこぞの海で腕を失ったと、そう聞いていたけれど)

赤髪の、昔懐かしい海賊。が記憶している頃と変わらぬ色の髪はそのままだけれど、昔はあった左腕がない。失ったと、そう風のうわさで聞いた覚えはあるが仔細は知らぬ。この魔女の耳に入っていないということは、当人が「なぜ」とその詳細を誰にも吹聴していないからだ。

そういえば、半年ほど前に「魔女の恩赦」が誰ぞに譲渡された気配はぼんやり感じていた。近づいて、さらに気付くのだけれど、昔はトレードマークだった麦藁帽子が、今、ないではないか。

それでは、聊か興味を覚える。

シャンクスは、かつてが「船長」と呼んだロジャーのところの、海賊見習いをしていた少年だ。ある日突然、レイリーが「二人をつける」と言ってきた。二人、というのはシャンクスのほかにもう一人の海賊見習いがいたからだ。はそれを承諾して、最初、二人に甲板掃除をさせたりなんだりと適当にあしらってきたのだけれど、どうこうしているうちに。

「いや、それはどうでもよろしい」

ぶるっと、は身を震わせて思考を遮った。ここから先の記憶、思い出すべきではない。ずっとずっと仕舞ってきた。分厚い思い蓋をしてずっとしまってきた記憶。掘り返す気はにはない。

さて、目線の先には、今の時代の海に恐れられる大海賊が、己の船の副船長に正座させられて説教を受けている。ベン・ベックマンの名は覚えがある。その弾丸が面白いのだと話していたのは誰だったか。顔を見たことはなかったから当初はわからなかったけれど、なるほど、彼がシャンクスの親友なのかと頷く。

カレーを口に運びながら、は説教されているシャンクスを眺めた。時折ちらりちらりとシャンクスがこちらに視線をやり、己と目が合うと気まずそうに逸らす。一瞬その鼻のあたりが赤くなるので、は無性に苛立った。



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