「俺の船に来ねェか」

カレーを平らげひょいっと腕を振って出した紅茶で一息ついていると、副船長と話を終えたらしいシャンクスがそう切り出してきた。もう寝ぼけ眼ではないし、意識もはっきりとしているだろう。寝言というのは起きていても言えるものなのかとは感心してしまう。

しかし、先ほどのバカ発言はさておいて、此度は「申し出」という形であったので答えぬのも礼儀に反する。礼儀に反する振る舞いをはけしてしない。

僅かに考えるように沈黙し、シャンクスの傍ら、無言でこちらを見ている副船長を見上げた。何を考えているのかわからぬ顔。それでも思慮深さは窺える。二人の間でどのようなやり取りがあったのか、それはあまり興味がないといえば興味がない。海賊なんぞやっているのなら魔女に手を出すことの無意味さを承知だろう。こちらをじぃっと見つめる副船長殿。その目は「全てお頭の決定に従う」と信頼のある仲間の色を宿していて、しかしこの魔女を受け入れる気は欠片もないとそうわかるもの。

その敵意に満ちた目がどうもには心地よい。うっすらと目を細めて、さてこれに承諾すればベン・ベックマンやその他の「シャンクスの仲間」はどう自身の心に折り合いをつけるのかと意地の悪いことを考えた。たとえ気の合う仲間であっても、芯からシャンクスを信用し敬愛していても、それでも魔女を仲間に引き入れようなどとはけして受け入れられぬ奇行である。

酷い扱いは受けぬだろうし、シャンクスは「仲間」が己を害するのを許すとは思わない。

「まるで興味がないよ」

だが「是」と答えるつもりは、最初からにはなかった。きっぱりと切り捨てて踵を返そうとするのだが、その足が動く前にシャンクスが再度口を開く。

「そこをなんとか」

もっと他に言い方はないのか。
真面目なのかふざけているのかわからぬ言い方、は一瞬額を抑えてからシャンクスを見上げる。昔と同じ意志の強い瞳、けれど己を見つめ返すその時ばかりは若干のためらいがある。苛立つ心を理性で押さえ、は努めて冷静な声を出した。

「バカをお言いでないよ。赤髪、このぼくが海賊船になんて乗るものか」
「なら一人でこんなところにいるのか?」

ぴくりと、分厚いショールに隠れた小指が動く。なるほど、どういうやり取りがあったか知らぬが、先ほどの「嫁」発言はさておいて、シャンクスのその「申し出」は義務感なのか。それなら今の己の態度は勘違いした恥ずべき姿であるとは素直に認めた。

この島は無人島。何もない寂しい場所。

そこに己がいるのがシャンクスにはたまらない、とそういうことだ。

ということは、やはりまだシャンクスやその仲間たちはこの島の異常さを承知ではないのか。

グランドラインの無人島。魔女とはいえこういう寂しい場所に長くいるのは宜しくないだろうと、仲間になれ、というのではなく次の島、あるいは気に入る場所があるまで乗っていてくれ、とそういう控えめな言い分である。

全く、この己を気遣う。昔からそういう子だ。意思が強いのに妙なところで遠慮する。強引に奪う、ということを中々せぬところがあった。懐かしいと思いつつ、は目を伏せて首を降る。

「生憎とわたしはここが気に入っていてね。それよりも赤髪殿、船長の身ならこんなところで魔女を口説いていないて仲間を案じておやり」
「仲間のことは信頼してるし信用もしてる。心配なんてする必要がねェさ」
「そう、けれどこの島は呪われているんだよ」

知らぬのなら黙っておくのが魔女の悪意。しかしは今のこのシャンクスが己を「心配した」という事実をほんの少し感謝した。その礼の意味で教えてやろうと、そういう心。

「呪われてる?」

言えば、副船長が目を見開いた。何を言い出すのか、と、こちらの言い分を驚く仕草。信じる信じないは自由だ。はとりあわず、ひょいっと指を降ってデッキブラシを取り出した。

「一度入れば船では出られない。ここはそういう場所さ。さぁ、どうするのか面白おかしく眺めさせておくれ、赤髪殿」

詳しい説明を求めようとするベンを遮り、はそのままデッキブラシに跨って飛び上がる。去る女を引き止める、という無礼はせぬシャンクス。そして言われた言葉を即座に「可能性」とは受け入れてくれているらしい。理解のあるその目を真っ直ぐに見つめ返し、は嫌な気持ちになった。

その瞳の中に相変わらず自分の姿があるではないか。





++





遠ざかる魔女の姿を見送って、ベンはタバコに火を付ける。こうして動いているところを見てあの少女が魔女である、という実感が段々と薄れてきた。いや、物言いは確かに禍々しく、態度も傲慢・尊大な女そのものであるしデッキブラシ、掃除用具にまたがって空を飛ばれた日には魔女以外の何物でもない。

だがしかし、どうも魔女のその言動、常々酒に酔ったシャンクスに「がな」と昔の話を聞いていたもので、魔女が通常無意識に他人の意識に「これが己の姿である」と植えつけようとしているのではないかと、そう思えたゆえに定まらないのかもしれない。

とりあえず去ったと息を吐けば、急にくるりと身を回したシャンクスが姿勢を正して歩き出す。

「シャンクス?」
「海岸へ戻るぞ、ベン。の言葉を確かめる」

こうしてしっかりとしている姿は見事大海賊の頭である。先ほどの魔女の言葉か。ベンは頭の中に思い返し顔を顰めた。呪い、呪い。そんなものの存在。

「御伽噺の類と思うか?」

告げたのが魔女であるから、尚更そのように思える、とベンは頷いた。

呪いの類を本気で信じていれば海賊なんぞ出来ない。いや、悪魔の実のはびこるグランドラインに生きていればあるいは呪いというのは実在するのではないかと思わぬわけでもないけれど、あれにしたって、もしかすると己らの知らぬ何かしらの技術の結晶である、というだけかもしれぬ。

いや、そのように思えば先ほどの魔女の「呪われた島」というのも、信憑性があるのではないかと思いなおした。

魔女は「呪い」と童話のような単語を使うが、しかし、その実、悪魔の実のように、己らの知らぬ何かしらの手段が使われて島から脱出できぬ、ということではないか。

なるほどとベンは即座に判じた。冷静な男であるという自負は失わぬ。それよりも、シャンクが素早くそう判断したことにベンは居心地の悪さを感じた。自分が魔女を疑った、ということではない。ありえぬ単語も、魔女の口からであればあっさり信じる、という、シャンクスの魔女への絶対的な信頼を感じたからだ。そして魔女の方も、おかしな物言いをしたとてシャンクスが信じるということを判っていたようではないか。

「昔の」「仲間」「だった」と、ベンはシャンクスから「魔女」のことをそのように聞いている。自分以外の古参もそうだろう。だが本当にそれだけか?

この二人には、ベンがこれまで話に聞いた以上の何かがあるのではないかと、そう思えてくる。

しかしシャンクスは「魔女を強姦した」というとんでもない事情はあっさり口に出すのに、その前の話はせぬのだ。人の耳にぎょっとすることよりも話したくないことこそがあの魔女とシャンクスの間にある「しこり」なのではないか、そんなことを思いながら、ベンはシャンクスの背を追った。

そうして仲間たちのもとへ戻り、シャンクスは素早く出港準備を命じた。一瞬前までバカ騒ぎをしていた連中でも有事には素早く対応する。すぐに出港準備が整い、シャンクスとベンはやや緊張した面持ちで水平線を眺めた。

そして一時間しても、船は島の周辺海域から出ることができなかった。

「なるほど、こりゃ、魔女の島か。面白くなってきたじゃねぇか」

焦りの浮かぶ周囲をぐるりと見渡してから、赤髪のシャンクスがやけに好戦的な顔をしてじぃっと海のある一点を眺めて呟いた。



++



日も暮れて真っ暗になった真夜中。は近くで聞こえる騒音にパチリと目を覚ました。一瞬自分がどこにいるのか、思い出せぬような、そんな錯覚。だがそういう感傷に沈んでいる暇もない。

ひっきりなしに騒がしい音々が外から聞こえてくるではないか!

「………〜〜〜〜!!」

さて、現在が棲家として使っているのは小高い丘の上。巨大な樹の中に空洞を作り魔女の小部屋をあつらえた。快適無敵、何があっても野宿だけはするものかと、その辺魔女の矜持なのかただの我侭なのか、有力なのは後者だがまぁそれはよかろうて。そういうわけでがその快適な寝所で静かに眠っていると、その騒音。

ベッドから跳ね起き、天蓋を乱暴に跳ね除けては寝巻き姿のまま外に飛び出した。

そして絶句する。

「よぉ、。一緒にどうだ?」

眠る前は静かな、それはもう心地の良い緑が広がるのみだった丘。もう少し暖かくなったらナタネの花を咲かせようか、それともしろつめ草が良かろうかと、そんなことを考えていた場所が、現在、海賊たちによって、それはもう見事な野営地と化していた。

「………」

丘の上に上手い事バランスを取ってキャンプファイアーが設置され、周囲をぐるぐると酒に酔った海賊たちが回っている。どこの樹を切り倒したのか知らないが丸太の簡単な椅子やら寄りかかる場所やらがあちこちに出来ていて銘々勝手に寛いでいるその光景。の眠っていた大きな樹の前には、シャンクスとベンなど数人が陣取り上座のようになっている。

唖然とするの姿に気付き、白いシャツにズボン姿、黒いマントを肩にかけたシャンクスが振り返って、気軽に声をかけてくる。こちらが現れたことを驚く様子もない。

は顔を引き攣らせるが、しかし、いや、ここで感情を爆発させてどうする、と自分に言い聞かせた。

「いつから人の眠りを邪魔する礼儀知らずになったのさ」

だが嫌味の一つでも言わねば気が済まぬ。が、言ってから寝巻き姿で人前に出ていることに気付き、は顔を赤くした。彼らは別段気にしないだろうとは判っている。こちらの顔が赤くなったのも炎でわからぬはずだし、とは落ち着いてシャンクスを見下ろした。

「これでも遠慮して静かにしてるんだぜ?」
「どの辺が」
「お前が許可してくれりゃ、うちの宴の標準を見せてやれるんだが」

これで大人しめというのなら、本気になって騒いだら自分はもう寝ることは不可能だろう。そうなれば参加するしかない。許可してくれれば、と下手に申してはいるが、結局のところは脅迫紛いではないのか。はあの見習い小僧が立派な海賊になった結果を褒めてやるべきなのかと悩んでしまい、溜息を吐く。

そうして一瞬気を緩めると、ぐいっと、シャンクスが腕を掴んだ。

「まぁ、座れって」
「っ」

掴まれた腕をは反射的に払う。もっとこう、次にシャンクスが動いたら丁寧に反応しようと頭の隅では思っていたはずだ。昼は殴り飛ばしたが、あれはカウントしていない。何かこう、シャンクスが次ぎに自分に触れてきたら、酷いことをせぬようにしようと、そう思っていたのだが。

に乱暴に腕を振り払われ、シャンクスは一瞬目を見開いた。だがすぐに「それが当然」というような顔をする。

待て、と、は言いそうになった。だがこちらが何か言えば余計にややこしくなる。は振り払った腕から視線を外し、掴まれた自分の手首を摩る。痛くはなかった。シャンクスは素早く掴んだにもかかわらず、ガラスにでも触れるような慎重な仕草だった。掴まれたというより、触れられたという程度にしか力も込められていない。

(神経が苛立つ)

シャンクスと再会してから、の心は苛立つ炎が胸の内に湧き上がって仕方ない。当り散らさぬようにこちらは必死になっている。

だというのにシャンクスはこちらへの気遣いがないのか?

気まずい雰囲気が二人の間に流れた。それが伝染したのか、宴の音がぴたり、と止んだ。船長と、見慣れぬ少女。その組み合わせはなんだろうかといぶかしむものやすぐに「魔女」と見当付けてことの成り行きを見守る者など様々だ。

このままの沈黙は居心地が悪くてしょうがない。だがは自分から口を開いても状況は変わらぬと判っていた。どうせ自分は、人を不快にさせる言葉しか吐けぬ。それであるから、ついは他の見知った顔を探した。

昼に見た副船長と目が合う。「助けてくれ」とこちらが頼むのは癪なもの。それで一瞥だけに留めれば、副船長が溜息一つ、パン、と手を叩いて、それで周囲がこれ以上の沈黙はお頭に申し訳がないのだとそう判断して再び騒ぎ出す。ほっと、は息を吐いた。

この宴会の雰囲気。寝所でやられれば迷惑以外の何物でもないが、しかし、こういう騒々しさをは好んでいた。こういう騒がしさはいい。それを自分の振る舞いで台無しにしてしまうことほどつらい物はない。

そうしてその騒音のなかにとシャンクスは取り残された。立ったままもう一度寝所に戻ることもできずにいると、シャンクスがぽつり、と口を開いた。

「何か飲むか」

一瞬、シャンクスが副船長のほうを見た気がしたが、すぐにこちらに顔を向ける。先ほどのことは何もなかったような顔をする。もそのように扱って、「一杯だけだよ」と念を押しシャンクスの隣に腰掛けた。野暮ったい簡易的な丸太椅子だが座り心地は悪くない。

「自分で椅子を出すかと思った」
「出せないわけじゃないけれど、わたし一人だけちゃんとしたのに座っていたら無礼になるでしょう」

無礼はしないと言えばシャンクスが「そうだったな」と呟く。そういう、懐かしいものを思い出してほんの少しつらそうな顔になるのは、どういうわけだ。

ひょいっと、シャンクスは自分の足元にあった樽からビールを注ぎ、こちらに渡してくる。アルコールは摂取せぬようにしているが、出された以上口をつけねばならない。は一度スン、とにおいを嗅いで眉を寄せた。

「おいしいの?これ」
「良い酒なんだがな。嫌いだったか」
「飲んだことない」
「じゃあ一杯やってみてくれ。うまいんだぜ」

試してくれ、とそう言ってシャンクスが笑った。この子の笑う顔が好きだった、とは思い出し、そのまま恐る恐る口を付ける。炭酸が入っているのかじゅっと口内を刺激する感触に戸惑いつつ、ごくん、と飲み干した。

「どうだ?いけるか?」
「よくわからない。ロジャーもレイリーもお酒が好きだったけど、わたしは飲んだことないし。これがおいしいの?変わっているよ」

喉に残る後味には顔を顰めた。苦いというか、辛いというか、なんとも表現しがたい。どちらかといえばは甘党で、甘ったるいものならどれほどでもいけるが、これは、あまり好みではないかもしれない。

ぐいっとシャンクスにカップを押し付けて返す。

「好きなら君がお飲み。おいしくいただける人が飲んだ方がいいだろう?」

一杯は付き合う、とは言ったけれど、これは飲めそうにない。なんだってこんなものがおいしいのかとは首をかしげ、シャンクスがカラカラと笑った。

「そうか、ダメかぁ。美味いんだけどな」
「約束だから君がそれを飲み終えるまではここにいるよ。さっさと飲み干しておしまいよ」

唇に残るビールの味には顔を顰め、ぺろり、と唇を舐めた。部屋に戻ったら水でも飲もう。でなければこの味は消えそうにない。

シャンクスの傍には酒樽がいくつか転がっていた。まぁ昔から飲む量の多い子だ。この一杯などすぐになくなるだろうと、そう見当付けていると、シャンクスがカップを持ち上げ、やけに神妙な顔で言う。

「じゃあじっくり味わって飲まないとならないな」
「いつからそんなに悪知恵の働くようになったのさ。昔は素直だったのにねぇ」
「十年経てば多少は頭を使うことも覚える」

ふぅん、とは適当に相槌を打ちながら、その言い方にどきりとした。自分にとって十年などあまり昔のようには思えていない。しかし、この十年でシャンクスは色々あったに違いない。見習い、駆け出しだった海賊少年が今は押しも押されぬ大海賊だ。

なぜだか急に、は居心地が悪くなった。昔のようにはいかないと、そう突きつけられたような気がする。それのどこがわるいのか、は自分でまだわからない。なのにシャンクスは、まだこちらが自覚していない何かもすでに悟り、それでそんなことを言っているのではないかと、そんな、被害妄想じみたことを思った。

「?どうした?寒いのか?」

やはり考えすぎだろう。顔を伏せたをシャンクスが案じるように声をかけてくる。

「寝てるところに騒いで悪かった。これで勘弁してくれ」

何も答えられずにいるにシャンクスはカップを床に置き、片手でマントを外してこちらの肩にかけてくる。シャンクスの体温が残るマントが体を多い、は眉を寄せた。

「そこは変わらないんだね」
「ん?」
「君は昔からこういうところでの気は利く子だったもの。そういうところは変わってないから、安心したよ」

マントの前を手で押さえながらはシャンクスを見上げる。その黒い目に自分が写っているのを自覚し、同じように自分の眼にはシャンクスが映っているのだろうと判った。その意味をは忘れはしない。魔女にとって「目を合わせる」ということがどういうことか。今でもそれは変わらぬと、自分自身に言い聞かせつつ、それでもやはり、シャンクスの手を取る気がないことには安心し、その事実にすがるしかない己を嫌悪する。

「気の利くやつは傍で宴なんか開かねェさ。お前が起きてくるだろうってわかってたんだ」

そのままお互い、さして居心地の悪くない沈黙が続くかと思えば、シャンクスがばつの悪い声で呟いた。悪戯を、正直に告白する。レイリーの本が見たくてこっそり部屋に入ったこと、バギーと取っ組み合いの喧嘩になって、自分が多く殴りすぎてしまったこと、そういうことを、こっそりこっそり、物置の中で手当てしてやるたびに告白してきた。

そういう正直なところが好きだった。悪意など欠片もないのだから、どうして怒ることができようか。は何も言わず、それでかえってシャンクスがばつの悪い思いをすると判って、ついうっかりと、笑ってしまった。

「おれの反応見て遊んでないか?」
「ふふ、そうだねぇ。君は可愛いから」
「……」

腕を伸ばしてはぽん、とシャンクスの頭を撫でる。姿は随分と変わってしまった。それでもやはり、こうして見ればやはり、自分にとってシャンクスは子供のように見えるのだ。撫でてやろうと手を動かし、そのままシャンクスはじっとしている。子ども扱いするな、と昔は怒っていた姿が懐かしい。

「わたし、忠告したよね。どうしてこんなところで騒いでいるの?出る方法を考えていなければならないのに。それとも信じてない?」

は再び、シャンクスを見上げる。この島のこと、理解できていないとは思わない。

「お前がおれに嘘を付くとは思ってないさ。太陽が出ている間中、出ようといろいろ試したが、どれもダメだった。全員で話し合った結果、脱出は不可能だっていう答えになった」
「それで?」
「なら宴会を開くしかないだろう」

いや、なぜそうなるのか。

こてっ、とは体を傾け突っ込みを入れる。しかし、それを「当然」という顔をしているシャンクスにはあまり意味はなかった。

「ねぇ、出られないんだよ?」
「あぁ、わかってる」
「まずいよね?だってずっとこの島にいることになるんだよ?」
「食料と水は確保できる島だから当分のことは心配ないさ」
「ずっといていいの?海賊辞めて永住するの?」
「まさか。いずれ出るさ。必ずな」

だから、出られないんだって、と再度は言おうとして止めた。バギーがしょっちゅう言っていたではないか。赤髪は妙なところで前向きなのだ、と。自分やバギーのようなタイプの人間がそれにまともに付き合おうとすると、たぶん胃がやられる。

は肩を竦めて、腕を振る。ひょいっと、自分のお茶を用意して口をつけた。キャンプファイヤーの前では海賊たちが、何がそんなに楽しいのかわからないが騒いでいる。周りの人間も楽しそうだ。時折シャンクスが声をかけられ、機嫌よさそうに返事をする。

赤髪海賊団。その船員たちに船長の間には確かな信頼関係があるようだった。こちらが魔女であるとわかっていて、誰もシャンクスを案じていない。そしてシャンクスがこうして気安く相手をしているのだからと、誰もに注意を払っていない。

昼間にはシャンクスの仲間たちは己を受け入れぬだろうと予想したが、これは素直に己が謝罪しなければならない。

彼らは、シャンクスの「仲間」たちはこの魔女に予測できる程度の「絆」など持っていないということだ。

「まるでこのわたしがただの小娘のような扱いだ」
「ぞんざいに扱ってるつもりはないんだが、」
「そういう意味じゃないよ。機嫌は、悪くない」

確かに、この自分がその辺の木で出来た椅子に座らされ、口に合わぬ飲み物を勧められ、そして完全放置である。シャンクスが相手をしていなければ自分はここで一人きり、そういう状況をは自覚していた。しかし不快ではない。むしろ機嫌は良い方だがそれを言えばシャンクスが調子付く気がして言わずに置いた。

「けれどわたしを魔女と扱い丁寧に頼み込めば、ここから出る手段を教えるかもしれない。それが魔女というもの。きみはそれを知っている。それなのにどうしてそうはしないのかな」
「教える気があるならお前はもう教えてくれてるだろうからな」

それもそうだ、とは頷いた。シャンクスとは再会したくなかった。力になってやるつもりもない。そうすると関わり合いができる。結ばれた糸はそう簡単には解けない。シャンクスならなんとかできるかもしれないという期待もあったが、ここで困って困って赤髪海賊団が全滅しようと、それはには関係ないことだ。シャンクスもわかっている。これがバギーであればは丁寧にこの島からの脱出方法を説明し、そして協力さえしただろう。

「相変わらず、きみはわたしを頼らないね」
「そりゃ、お前もな。ベンに助けを求めただろ。おれだってよかったのに」

先ほどのことか、とは思い出し首を傾げる。やはりシャンクスが副船長を見たのは気のせいではなかったらしい。しかしその言い方が拗ねているようで、は笑う。

「偶然目が合ったからさ」
「おれはいつだって、お前を助けたいと思ってる」
「シャンクス」

これまでの穏やかな空気を一瞬で凍らせるような声をは出した。折角空気が馴染んだのに、なぜこの子はいつも、何もかもを壊すことを言い出すのだ。咎めるように目じりを吊り上げても、しかしシャンクスはばつの悪い顔はしなかった。昔はがこういう声を出すと、途端叱られた子供のようにうなだれたものだ。だというのに、今はただ、真っ直ぐにこちらを見つめている。

逃げなければ、とは思った。なぜ長居したのかと自分を責める。立ち上がり、そそくさと樹の中へ戻ろうとする、その腕をつかまれ、今度は振り払うことも出来ぬ強い力で引かれ、そして樹に体を押し付けられる。は体を打ちつけた痛みで一瞬怯んだ。その隙にぐいっと、シャンクスがの顎に手をかけて顔を近づけた。

「可愛い子供、信頼できる船長、気の合う友人。そんなのはごめんだ。おれは、お前の男になりたい」

低く、低く、物置の中で懺悔されたときと同じ態度で、10年ぶりに会う男は囁いた。




++++




「あんたらしくないな」

殴られた箇所を冷やせというのか濡れたタオルを差し出しながらベン・ベックマンが容赦なくのたまう。シャンクスは肩を竦め、なんとか体を起こした。

いやはや、女に頬を殴られるなど久しぶりだ。基本的に女に殴られるのは男の甲斐性だと信じているシャンクス、しかしに殴られるのはさすがに堪える。

「見てたんなら助け舟を出してくれてもよかったんじゃないのか?」
「お頭にか?それともあの魔女に?女を口説くときはゆっくりと時間をかけて、が信条のあんたがあぁも急いで口説き落とそうとしてるんじゃ。邪魔しちゃ悪いと思ってな」

まぁ実際口を挟まれても結果は変わらなかっただろう。タオルを受け取り頬にあててシャンクスは苦笑する。

「追いかけなくていいのか?」

ベンはちらり、と魔女の隠れ家に目をやった。はこちらを殴り飛ばしさっさと樹の中に戻って行ってしまった。魔女の隠れ家だ。入口がどこぞにあるなんぞ親切な構造はしておらずシャンクスは追いかけることができない。

「そこまでしたら本気で嫌われる」

たとえ入口があってもシャンクスは追いかけることはしなかっただろう。彼女には常に礼儀正しくありたいと思っていて、結局できずにいる。それでもシャンクスは最後の最後「逃げる女性を追いかけて、その内面にまで踏み込む」ということを侵したことはない。

にとって部屋ってのは最後の領域だ。それをおれがずかずか入り込んだら、記憶を消されても文句は言えねぇさ」
「それほど大事なら泣かせない方がいいんじゃないか」
「泣いてたのか?」

飽きれるように言われ、シャンクスはぎょっと目を開く。

「気づかなかったのか」
「顔は見てた。それに最後まで見送った。泣いてたか?」

今さら見てもわからぬがシャンクスはきょろきょろと樹を伺う。泣いてたか?いや、気づかなかった。そういう顔になればすぐに気付いた。だがベンが嘘を言うとは思えない。

問えばベン・ベックマン、こちらを奇妙なものでも見るかのようなそんな顔で眺める。

「なんだ?」
「本気であんたらしくないな。シャンクス」




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