「それでもやっぱりさァ、君たちは僕がいないと困るんだろう?」
傲慢尊大は魔女のたしなみ。列強苛烈強大な向かい合う道理性、鏡台のようなこの状況を前にしてオズ・は些かの脅えも困惑も含まぬ堂々とした声で言いきって、腰かけた繊細な細工の美しい木椅子をキシリと軽く軋ませる。
場所はマリージョアの聖域。五人の老い先短い老人どもが安楽椅子に腰かけて世界の情勢流れとやらを深刻な顔で話し合うこの場所において若さのエネルギーで溢れる娘の存在は異質であるといえるのにまるでそんな違和感を醸し出すこともなくはこの場所に当然の顔で納まっている。
フリルやレースがたっぷりと使われごてごてとした帽子に服装は一目で「魔女」であると知れるもの。おとぎ話に出てくる声のしわがれた老婆とは違うが世に「魔女」と言われて人が思い浮かべる格好のパロディと言える範囲内のその姿、世に名高き「悪意の」「海の」「薔薇の」魔女と様々な名で呼ばれた生き物のなれの果て。今はこの老人どもに「生かされる」「飼われる」「使いっぱしりにされる」みっともない人生を頂く賞金稼ぎはそんな自身の弱き立場を自覚した顔でさらりと言葉を続けて見せた。
「1年で50人の賞金首を捕えてくる。僕は1年前にそう君たちに誓わされたね、いや、もちろん強制力なんてなかったさ。君たちはただただ提案しただけ。そうしなければ僕の命を保障しないとは言ったけど、どうするかを決めたのはこの僕さ。だからもちろんこれは僕のルール違反でしかないんだけどね」
「この1年で50人を捕えることはできなかった。今現在あるこの事実をこれ以上どう扱えというつもりだ?」
「いや、確かに魔女は50人分の賞金首は上げてきた。だがうち10人は5000万ベリー以上であるべきだという約束を果たせなかった」
「いや、5000万以上の首は2つあったがな」
が長ったらしく多少のいやみを加えてつらつら言うとその言葉を老人の一人が引き取り続け、そしてそれにさらに一人、一人が付け足した。押し黙っているのは唯一白い着物を着た老人のみである。水音の涼しいその場所、マイナスイオンたっぷりなんだろうねぇこの場所は、などと昔は悠長に味わったもの。それをはゆっくり思い出しながらキョトンと小首を傾げて見せた。
「まぁその二人を殺せたのは偶然なんだけどね」
平たく言えばは「失敗」したのだ。自身に課せられたノルマを達成できなかった。それであれば死あるのみとそう突きつけられている。だがそれが絶対的ではない、あるいは強制的ではないとそれをは「確認」してみたかったのだ。
1年前、再び世に現れた薔薇の魔女たるこの己。色々あって魔女としての力の全ては失ってしまったけれど、それでも世に魔女は必要で、そしてこの老人どもはその役を己に押し付けた。かつてと変わらぬようにふるまえとそうあれと言われてその難しさを本人がよく知っている。は拒めぬ理由があった。だからこうして生きている。そして彼らはそれ以外にに「悪の首を」と所望した。そもそもそれがにはこの1年、理解できるようで理解できなかった。己が薔薇の魔女として君臨する、それがこの連中にとっては都合合わせのために必要なこと。それはいい。それは別段構わない。だがなぜ、どうして己に賞金稼ぎ、などというマネをさせるのか。それがどうもわからなかった。己が「無力化」していることはとうに悟っているはず。賞金稼ぎなんぞしていたら命を落とす、その可能性もわかっているはず。それでも彼らはなぜ、己にこんなことをさせるのだろう。
「さて、何が言いたい?悪意の薔薇の魔女」
押し黙るこの場の6人。誰が口を開いてもとんでもないことになりそうな緊迫感の中、それではと口を開く度胸を見せたのは先ほどから一言も口を利かず黙していたはずのスキンヘッドの老人だ。手にもった刀の力の禍々しさ。はスカートの中で足を組みかえてからサングラスを軽く持ち上げて位置を直す。
「言いたいんじゃない。僕は聞きたいだけさ。そもそも君たちがこの僕に賞金稼ぎなんてさせる理由はなんだい?僕でなくとも君たちの手のひらには強者強者が尽きないはず。倒して欲しい賞金首がいるのならそれこそ七武海や大将たちに言えばいい。彼らはそのためのもののはずだし、何より50人、うち10人は、なんて面倒くさい、君たちのこの指示は効率が悪いね」
彼らは己を「薔薇の魔女」とそう扱っている。世に禍をもたらす魔女。人を破滅に導く女。夜を引く女と、まぁそんな面倒なことはいいとして、この五人の老人どもは、己が無力な娘であることを承知で「賞金稼ぎ」をさせ「薔薇の魔女」としている。
(そうだ、そもそもそこがおかしい)
到来己がもとのままの「薔薇の魔女」であるのなら50人の賞金首を、なんていうのは温過ぎる指示だ。(もちろん一年前の何の力もなかった己に賞金稼ぎをしろなんていう要求は赤ん坊にフランス料理をコースで作れ、と言ってるのと同じだけの無謀さがあったが)5000万以上の首を取るのもさほど難しいことではなかっただろうし、そうなれば世の、この海の勢力バランスはひっちゃかめっちゃかになったのではないだろうか。
「そうなると、この「指示」はそもそも達成できないことが前提であるように思えるんだよね」
「言い訳か」
「半分はね。それに、君たちはなんだかんだと僕がいないと困るんだろう?何か企んでいるというスタンスを貫いたら都合がいいんじゃないのかい?」
この一年でそれなりの化かし合いは覚えたつもり。それで容赦なく切り捨てようとする老人の言葉に負けじと言い放つ。するとピシャリと老人らの顔から表情が消えた。反応では確信する。この己にかかわる何もかもが茶番なのだろう。フリルのたっぷり仕込まれた袖口の中の手をぎゅっと握りしめ、表面上は魔女らしい笑みを浮かべてこの世の正義の調教者たちを見つめた。
(必ずこの死にぞこないどもをこの場所から引き摺り下ろしてやる)
バッドエンドの為になんてやってられません
大理石の回廊を歩きながらはどっと疲労が襲ってくるのを感じた。あの老人どもとの謁見は神経をすり減らす。いくら表面上は傲慢尊大に振る舞っていようとは自身の脆弱さを自覚していた。虚勢を張っているにすぎぬ。彼らもそれを気づいているだろうか?いや、可能性としてはそれほど高くない。彼らは今現在が先代のとは違い無力な小娘であると理解していても、それでも彼らはオズ・を100%無力・無害とは信じていないらしいのだ。
彼らが何を企み考えて己に賞金稼ぎなんてことをさせているのか、それは今の所(結局今日も)には分からない。だが彼らが盲信してはくれぬ「オズ・は魔女ではない」という事実を持って、100%の安全を確保するために鎖につないでいる、というのもあるにはあるのかもしれない。
その思い違いに、今現在は縋っている。彼らが己を無力な小娘と侮らぬ軽んじはせぬから、は傲慢に振る舞い魔女の顔をして彼らと渡り合える。周囲が己を魔女だと思い込み突きつけてくることは鎖になってこの体を重くしている、それは事実だ。だががこの世界で強者強者とやりあうために唯一持っているカードでもあるのだ。
精神に感じた疲労感から汗が額からほほを伝う。暑さ?いや違う。体は今にもガタガタと震えだして崩れてしまいそうだった。これが正しい反応なのだとは受け入れる。何の力もない無力な小娘が世界の最高権力を前にして感じる恐怖だ。五人の、死地など数えるほど馬鹿らしいほどに超えてきて世界の悪意と戦い、かたくなな「正義」を貫き通した人生の老人ども。対峙するだけで呼吸は止まりそうなほど、顔を伏していなければ今すぐ逃げ出したくなるほどだった。
彼らの面前から逃れたとてまだ油断はできぬ。ここはマリージョア、お偉方の巣窟で、こんなところでぐったりとへたり込んでいようものなら何があるかわかりゃしない。それであるからは剣の上を歩くような心持で一歩一歩を踏みしめて、なんとか前へ前へと進んでいる。あれか。魔女から足を貰った人魚姫は歩くたびに剣の上を歩く激痛があったとかそんな話があるのだけれど彼女はこういう痛みだったのか。いや、まぁ実際のところには痛みはないわけで、一緒にしては人魚姫に悪かろうとそう思えば気もちょっとだけ楽になりそうだ。
「…た、大将どの…?え、なぁに、あの連中やることが早すぎやしないかい?」
五老星のいる聖域から離れて数分後、港へ向かう長い廊下を歩いているとその向いから見慣れた姿がやってきて、思わずは目を見開いた。すぐに相手もこちらに気づく首を傾げる。
「おどれか。どうした、こんなところで会うたァ珍しいのう」
コツコツと軍靴を規則正しく響かせて進むその威風堂々とした姿。濃いダークレッドのスーツで屈強な体を包み肩からはけしてずり落ちることのない正義のコート。目深に被ったMARINEの帽子が憎らしいほどよく似合う、大将赤犬サカズキの登場だ。
現金なものではサカズキの姿を確認し声を聞いた途端、心身ともにの疲労が吹き飛んだ。
「うん、珍しいっていうか初めてじゃないかな?まぁ、僕みたいな賞金稼ぎがここにいるのは妙だよね、って、それはそうなんだけど、君はなぁに?お仕事?」
サカズキに会えたことは喜ばしいが、しかし、一寸警戒をすることも忘れない。が何より恐れるのは五老星が赤犬に「魔女を殺せ」とそう下すこと。ノルマ達成ができなかった自分、ちょっと連中にはっぱをかけてしまったから自棄になった彼らが早々に赤犬を呼んだのだろうか。可能性としては低いものの状況が状況なだけには驚いて、そして立ち止まりこちらに向かってくる赤犬を見上げる。
「僕はあの老人たちに呼ばれていろいろ楽しい話をしてきてね」
「わしは所要で近くまで来たからのう。挨拶に寄っただけじゃァ」
なるほど偶然か。今後どうかはさておきはとりあえずほっとした。その様子にサカズキが僅かに眉間の皺を深くするので慌てて表情を取り繕う。
「僕はてっきりクザンくんがまたどこかへ行ってしまって君がその報告にでも来たのかと思ってしまったよ」
「あのバカは相変わらずじゃが…一人か?」
こちらの妙な勘違いには気付いているだろうに指摘することはない。大将としての分をわきまえている態度には妙な苛立ちを覚えるがそれにはやはりこちらも触れない。それで問われた言葉を考える。一人、というのは「供はいないのか」ということだろう。
「マリアちゃんなら水の都の宿で待ってるよ。せっかくだからブラウン卿に挨拶していけばって言ったんだけど「息子が娘になってたらいくらあのオヤジでも泡吹いてブッ倒れる」ってさ」
一応がマリージョアに来るにはまず水の都から出ている海列車でエニエスまで行き、そこから船で3時間ほどかけ、という手段だ。水馬に乗れば早いが政府の玄関に馬で乗り付ける、などという目立ったことはしたくない。だから途中エニエスまで行くからマリアも生家であるブラウン家に顔を出せばどうかと提案したけれど、マーカー・ブラウン卿の第一子、なんだかんだと貴族の青年であった、今は階段下の使用人、それもいろいろあって親からもらった男の体を手放したセシル・ブラウンことマリアちゃんは苦笑交じりにそう答えた。思い出しては顔を顰める。こうなると選んだのはマリア本人だ。だが選ぶしかない状況に追い込んだ自覚はある。だからそれを「気の毒に」と思うのは彼への侮辱とわかっていて、それでもは時折、マリアが何もかも一切合財捨てて元の生活に戻れればいいのにとそんなことを考えてしまうのだ。
「近く、少し時間を作れるか」
深く考え込み沈んだ顔をしているを赤犬が一寸考えるように見下ろしてからそんな言葉をかけてきた。
「うん?」
「前に約束したじゃろう。少し街を歩くか、っちゅうな」
「そういえばしたけど…」
あれはもう何か月も前のことだ。思い出しては困惑する。いや、もしかしてこれはデートのお誘いなのだろうか?いや、この大将どのにそのつもりがなくとも二人で街を歩く、なんていうのはデートのカテゴリーに入れて何ら問題がないはず。
が知るのは頂上決戦後に破壊されたマリージョアの港町。それがこの一年で随分と復興してきた。そちらの都合さえよければ案内してやろうとそう続けて説明を加えた赤犬の言葉には「これはデートだね!」と心の中でガッツポーズをした。
++++
「マリアちゃん!!僕、大将殿とデートすることになっちゃったんだよ!」
水の都で取っている宿屋に到着するなりは部屋に飛び込んで丁度昼寝をしていたマリアのベッドに力の限りダイブした。
げふっ、と蛙を潰したような気味の良い音のあと、の体の下からくぐもった声が響く。
「し、知るかクソドーロレス。そのまま浮かれ死んぢまえ……」
「ねぇマリアちゃん!!!どうしよう僕明日は何着てけばいいかな!!?」
長年の付き合い、は自身に向けられているはずの暴言などさらりと流して下敷きにしたレディスメイドを引き起こした。昼寝中、完全油断していただけにマリアの喰らったダメージは深刻なものだがそれをが顧みるわけもない。マリアはげほげほと何度か咽つつも呼吸を整えて、ベッドの上で胡坐をかく。外に出る予定もなかったためか珍しくマリアは男性の装い。ラフなシャツに半ズボンというまさに部屋着だったが元々背がすらりと高く細身のマリアにはそういう気取らぬ格好がよく似合う。しかし「世界で一番格好いいのはサカズキ!」と言い切るにはマリアのそんな格好良さはどうでもよかった。
「デート前日に衣服で悩むとかどこの未成年だよテメェ。二千歳をめでたく越えた化物が今更恥じらいとか見せんじゃねぇし、気色悪いんだよ」
「やっぱり大将どのは明日私服になるのかな?でも僕、先代の頃から大将殿の私服ってそんな覚えないんだけど、付き合うなら無難に着物?この体で着物とか似合うのかな?ねぇマリアちゃんどう思う?」
嫌味の通じる相手ではない。マリアはこちらの罵倒なんぞ耳に入れぬ態度のに顔を引き攣らせ、自分のベッドにいつまでも乗っかられているのは気に食わないのでげしりと足蹴にして落とした。一応はミストレス・コルヴィナス。正統なるコルヴィナス公。マリアはその女主人に仕えるレディスメイドであるけれど二人の関係はそんな主従の枠に収まりきるものでもない。ぞんざいに扱えるときは十分ぞんざいに扱ってもちろんも苦情を言う気はないのだ。
ベッドから蹴り落とされては柔らかな絨毯の上で器用にくるんと体を捩ると、そのままベッドに背を付けてマリアを見上げる。
「ねぇ、どうしようマリアちゃん。僕何を着ていけばいいかな?」
「いつも通りの格好でいいじゃねぇか。好きなんだろ?その格好」
ごてごてとした、ひと目で「魔女」とわかる装い。コルセットにレース、フリルたっぷりな、はっきり言ってまるで機動性に長けていないその衣装。マリアは彼女のレディスメイドとして日々染みも皺もひとつもない状態をキープし、似たような系統の服をそろえておく義務があるので面倒この上ない。先代の頃からこういったコルセット基準の格好をしていたので「趣味なんだろ」という今更な確認もこめて聞くと、は嫌そうに顔を顰めた。
「僕にコスプレ趣味はないよ!マリアちゃんじゃあるまいし!」
「俺だってねぇよ。っつーかコスプレじみてるっつー自覚あったんだな、お前」
まぁ「魔女の格好」といえば納得もするが、知らない人間からすればコスプレ以外の何者でもない格好だ。自覚があったことにマリアは珍しく感動しつつ、なんだかもう面倒くさくなったので自分なりの助言をしてみた。
「ジャージでいいじゃん。ジャージで。似合うって絶対、お前なら何でも素敵に着こなせるって」
「ふふ、ありがとう。お礼に今度ディエスの前でマリアちゃんの格好を芋ジャージにしてあげるよ」
投げやりに言ったマリアのあんまりな言葉に、がその愛らしい顔を輝かせてぐっと、立てた親指を下ろした。
そしてカァン、とどこからともなくコングが鳴って(幻聴)毎度の事ながら、マリアとのつかみ合いの喧嘩が始まった。
++++
「えぇかクザン、今日は余計な仕事を増やしやがったらそのダラけた顔を骨の髄までとかしちゃるけぇの」
「え、なにお前に忠告されんのはいつものことだけど、今日は普段以上に気合入ってね?」
マリージョアから戻るなりわざわざクザンの執務室に足を運び、そう釘をさしてきた同僚どの。そのすんごいマジな気迫を今更恐れはしないけれど、あれ?サカズキって明日非番じゃなかったっけか?今日このあと残業やらがあっても問題ないはずだ(=だから自分はだらけてもOKという認識)とそういう情報だけはよく覚えているのでクザンは頭の中で思い出し首を傾げる。
仕事人間のサカズキが休暇を重要視するとは思えない。非番であっても本部に顔を出しあれこれ仕事をするし、休暇だからと海兵たちの訓練指導に当てたりする男ではないか。不思議に思っているとサカズキが妙な咳払いをしてそれ以上の質問を許さぬように踵を返した。怪しいと言えばこれほどあからさまなものもない。嘘を付こうと思えば海賊相手だって平然とだましとおせる男のこの妙に隙のある態度。クザンはぴんとひらめくものがあってニヤニヤと分厚い唇を歪める。
「ひょっとしてドロ子ちゃんとデート?」
からかいをたっぷり含んだ言葉で言った自分にも非はあるが、ぶんっ、と容赦なくサカズキがクザンの頭に肘を当てようとしてきたので「照れ隠し!?物騒だよお前!!」と非難の声を上げて回避する。避けるとサカズキが舌打ちをした。だが暴れてはクザンの執務室がめちゃくちゃになり余計な仕事が増えることはわかっているので一撃のみでおとなしくなる。
クザンは自分が必死に避けた拍子に一寸散らばった書類を集めつつサカズキを見上げた。
「へぇー、いいじゃないの。お前が誘った…わけねぇか。ドロ子ちゃんが精一杯の勇気を出してお前さんを誘ったのかねぇ。可愛いじゃないの」
「青キジ、サカズキさんをからかわないでください。サカズキさんは復興したマリンフォードを案内すると親切心から申し出られただけです」
と、クザンがからかえば一応同席していたリコリスが(サカズキの秘書なのだから海軍本部内では常に傍にいるよう彼女は心がけているらしい。立派だね!)上官への侮辱は許さないとばかりに美しい眦を吊り上げて弁解をする。いや、弁解というか、リコリス、それはまるでサカズキへのフォローになっていないんだよ、と誰か教えてやってほしい。
「あらそう、リコリスちゃん、ありがとうね。へぇー、お前が誘ったの。デートじゃん、それ」
生憎、リコリスがサカズキを庇って補足した事実とやらはクザンには「デート誘ったの、サカズキが!」という疑惑の肯定にしかならない。あ、と自分の失言に気づいたリコリスが気まずそうな顔をする。サカズキはため息を吐きはしたが「余計なことを言うな」とリコリスを咎めはしなかった。そのため息がリコリスには悲しかったのだろう。ぎゅっと悔しげに唇をかみ締め、ことの元凶はお前だといわんばかりにクザンを睨んでくる。当然クザンは毎度のことなのでスルーした。
「で、お前マジでただその辺連れ回す気じゃねぇだろうな。まさかドロ子ちゃん相手にンなことしねぇよな?いくらお前でもさ」
「?何が悪い?」
クザンの関心は明日行われるサカズキとの初デート☆一色で、サカズキの傍に引っ付いてはなれないリコリスをいびり倒すのはいつでもできる。(外道)
なのでとりあえずは一番「あったら俺あんまりのお前の甲斐性なさに泣くよ?」という可能性を上げてみると、きょとん、という音が似合いそうなほど、心底まじめに不思議そうに、サカズキが首を傾げた。
「いや、だってお前…デートっしょ?」
「復興した街を案内するのが目的じゃけぇ、連れ回して何が悪い」
いや、ただ「デートで街を連れ歩く」というのなら問題はない。それは初々しい若者カップルがやりそうなものだ。まぁサカズキもも、じゃなかったもとんでもない年齢だということはさておいて、二人の恋愛値、というか、対…いや、まぁ、なんだが、相手のサカズキの恋愛偏差値の低さを考えるとクザンは顔を引きつらせずにはいられない。
通常デートで連れ歩く、というのなら相手の気に入った店に入ったり、適度にお茶をしたり、あるいは海の見える公園でのんびりしたりと本当、初々しいバカップルやりそうなのほほんデートコースになる。
だがサカズキだ。
大事なことなので二度言うが、だがサカズキなのだ。
(こいつ、まじでドロ子ちゃんをただ連れ歩くんだろうな…)
相手の歩幅に合わせるなんてこともまずしない。お前が俺について来いタイプの男だ。いや、そりゃサカズキだってきちんとした女性とそういうデートというか、お出かけであればそれなりにエスコートできるだろうが、相手がというか、が相手だとダメなのだ。
あちこちを連れ回し、休息すら与えず復興した街を隅々まで見せることを目的として、それはそれでの性格を考えると喜ぶには喜ぶだろう。体力のある子ではないはずだから、すぐ歩き疲れるだろうにそれでも黙ってサカズキの背中をひょこひょこついていって、サカズキが振り返ればにこりと嬉しそうに笑うに違いない。
二代目になってから何かとややこしい二人だ。長時間一緒にいられると、それだけでは喜ぶのだろう。それはわかる。わかっている。だがちょっと待て。ちょっと待ってくれ。デートってそれでいいのか?とそうクザンは突っ込みたい。
「だぁ〜〜〜、もう、この堅物!しゃーねぇから協力してやるよ!」
「頼んどらんが」
「俺がいつかを誘おうと思って調べてたデートスポット教えてやる!!」
「おどれ殴り飛ばされてぇか。なぜ執務机から雑誌が大量に出てくる」
殴るという理由はを誘おうとたくらんでいたからか、それとも仕事目的の机に常備品のように雑誌が入っていたからか、判断に迷うところだがそんなことは今はどうでもいいとクザンは切り捨てて、大量に取り出した雑誌をバンバンバンッとあれこれ(付箋を貼っていたページを開いて)たたきつけるように机の上に広げた。
「今人気のデートスポットや定番観光地!戦争後もがんばって開いてるお店のあれこれ!!ドロ子ちゃんは若い女の子なんだからあれこれ考えて楽しませてやれよな!」
「定休日への赤線入れや、人気の品書きまでしっかり細かくメモ書きしちょるたぁ…おどれなぜ仕事にここまで熱を入れてできねぇんじゃァ」
眉を寄せながらもとりあえず雑誌を一冊手にとって目を落としたサカズキはきちんとクザンが付箋を張り色の目立つペンであれこれ書き込みをしているのを眺め心底呆れたようでため息を吐いた。
なるほど対相手に目星がつけられていただけあってあれの好みそうなところがピックアップされているとページを捲っては頷くが、一通り読み終えて雑誌をクザンにつき返す。
「これはおどれがあれを伴って行け」
「え、いいの?」
「わしにゃ合わん」
一瞬クザンはサカズキからまさかの「いつかとデートOKの許可」が貰えたことを驚いたが、この言い回しがなんとなく気になった。
「…って、ちょっと待てよ。サカズキ、それって明日の話?」
「仕事なら半分こっちで引き受けてやる。夕暮れにはあれを帰せよ」
「いやいやいや、なんでそうなった?待てって、なんでそうなんの?」
「あれもたまにゃ休息が必要じゃろうと思うた。わしが傍におりゃあ危険もねぇじゃろうから気も休まるじゃろうと考えて誘ったが、わしよりおどれが適任じゃろう」
腐れ縁でサカズキはクザンが女性を楽しませることにかけては天才的だと知っている。自分が一緒にいるよりあれも楽しめるだろうと、に関係するなら仕事くら引き受けてやるから気にするな、とそこまで言われてクザンは額を押さえた。
ちょっとシリアスモードにするなら、これがとの「違い」というやつなんだろうか。
以前のサカズキなら、以前の、に対するこの同僚ならこんなばかげたことを言いはしなかった。「わしがおりゃああれはそれで十分じゃろう」と堂々と言ったに違いない。というか、自分以外を視界に入れる必要性がわからないとまで言うような独占欲というかなんと言うか、心の狭い男だった。今となってはいい意味で。
それが今は「自分のしょうに合わない」からと、と出かけることを放棄し、あげくそれを己に譲った。
いや、クザンは、別に行ってもいい。というか、あれこれとややこしいが、それでもやっぱりクザンはとを「同じ」だと感じる部分もあって、あれこれという葛藤はさておいて、と出かけられるのなら「え、マジでいいの?」と真顔で確認するほどテンションもあがる。
だが明日、確実にはブチ切れるだろう。
は「サカズキと」出かけたいのだ。今頃顔を赤くしてベッドに顔でもうずめて明日のことを想像しているんじゃないか、そんな微笑ましい姿が容易く想像できる。そういうの前に明日自分が姿を現して「サカズキにご指名されちゃって〜」とでも言おうものなら、確実にリリス召喚フラグになる。
というか、根っこを掴めばサカズキだってそのくらいわかっているんじゃないのか。クザンは正直なところ、がサカズキに懸想していることをサカズキも気づいているとそう感じていた。だから余計にややこしくなっているのだが、それはさておき、そう気づいているサカズキが、なぜこの状況で自分に明日のデートの相手役を押し付けようというのか。
(……考えたら腹立ってきたわ、俺)
あー。とクザンは間の抜けた声を上げつつ、自分の脳みそが見つけ出した「可能性」にぐわっと腹の底から怒りが沸いてくるのを自覚した。
(あー、もう、マジで嫌んなるわ。ほんと、お前ってどんだけ臆病なんだよ)
声に出せば殴られるし当人は自覚していることだろうから言うのは嫌がらせ以外の何ものでもなくなる。だからクザンは喉の奥に言葉を押し込んで片手で顔を覆った。
サカズキは未だにを愛しているだろうが、に対しては恋すらしていない。それが結局のところの現実であり、現状だ。だが表面的にはサカズキはをにそうしたような扱いをすることがあり、それを「惚れているように見える」と錯覚させられることもある。だが違う。いや、言ってしまえばこの状況をサカズキが徹底して貫いているのかもしれない。サカズキはを傍におきたがりながらも、懐に入れようとはしないのだ。入れればに、彼の言葉で言うところの「惚れて」しまうのかもしれない。それをサカズキは疎んでいるのだ。
だから必要以上に近づかない。の安息のために必要があれば傍に置くようにするが、しかし心を近づけようとはしない。したくないのだ。だから代役が立てられるのならと今回のようにあっさり引き離そうとする。
への義理立てなのか、それとも自身の中で未だに≠の答えが見つけ出せぬゆえなのか、それはクザンにはわからない。もっと複雑なのかもしれない。だが今確実に言えることは、サカズキはをとてもとても大切に考えていて見守りつつ、それでも抱き寄せることができないとそういうことだ。(を見守るその理由をサカズキはへの負い目からくるのかと、そう、未だに葛藤しているのかもしれない。それは罪悪感であってそこから愛に発展させることはできないとストイックに思っているのかもしれない。そこはクザンにはわからないことだ)
「あ〜……よし、よーくわかった」
「そうか。なら明日は、」
「いいか?俺がしたいのは明日お前らのデバガメすることでとのデートじゃねぇんだよ!」
「……おい、おどれ、何を堂々と宣言しちょる」
「とにかくお前は明日はと楽しくデートしてこい!!こんなこと言う日がくるとは思ってもいなかったけど!!明日の海軍本部の業務は一切心配すんな!俺が責任を持ってやってやる!!っていうか明日という日を逃したら俺はもう一生ダラけきるって自信があるわ!!」
今さっき「明日デバガメする」と言って置いてなんだが、クザンは本気だった。もうあれだ。たぶん自分はこういうポジションなんだろうと諦めもある。ぐっとサカズキの両肩を掴んでまっすぐに瞳を覗き込むと、こちらのあまりの生真面目さにやや気おされたのかサカズキが顔を引き、少し考えるようなそぶりを見せた後「なんかよう知らんが」と前置きをしてから頷いた。
++++
「ねぇマリアちゃん、変じゃない?ねぇこの格好変じゃない?可愛い?僕可愛い?」
「俺がマヂ天使!超可愛い!と思うのはドレーク少将のうっかり☆どじっ子要素であって、いい年したババァがピンクのスカート履いて足出してる姿をかわいいとは思えねぇよ」
鏡の前に立ってくるり、と回転しふわふわとしたスカートを膨らませたが不安げに尋ねる傍らで、髪のセット道具を片付けながらマリアは容赦なく切り捨てた。
装いは裾に細かな刺繍の施されたピンクのワンピースだ。足は踵の低めのサンダルでアンクレットは金の鎖に真珠があしらわれている。当然日々マリアによって足のつま先まで丁寧に手入れがされているの爪は両足と両手に薄い白のグラデーションで爪化粧が施されていた。普段下ろされている緩やかなウェーブのかかった髪は細かく編みこまれ右耳の下でひとつに束ねられている。これに白い帽子を被れば避暑地で夏を過ごすどこぞの令嬢と名乗っても問題がないだろう姿だ。いや、まぁ、は事実貴族なのだが、まぁそれはさておいて。
「僕の髪ってどうしてこんなに濃い色なんだろ!ラズベリー色って言えば可愛いけど、ようするにハデなドピンクだよね。濃い色でもマリアちゃんみたいにブラウンとか落ち着いた色だったら大将どのの隣に立っても変じゃないのになぁ。背だってリリシャーロのときは大きかったのに、これじゃあ並んでも不釣合いだよ。先代ほど低くはないってだけマシかもだけどさ」
人に意見を聞いておいてやはり重要視はしていない。鏡の前で何度も姿を確認しては顔を顰める。マリアの名誉の為に言うが朝から時間を掛けてセットした姿だ。かわいらしくないわけもないが、マリアは死んでもをかわいらしいなどとは言いたくない。それで一蹴にしていると、頬を膨らませながらもやっと納得したのかが「手伝ってくれてありがとう」と素直に礼を述べてくる。
「じゃあ僕、そろそろ出ないとだから。日が沈んだら帰ってくるねー」
「あ、おい。これ置いてく気かよ」
トン、と踵を鳴らして出かけようとする、花飾りのついた籠バックをひょいっと肩に引っ掛けていくのだが、その背にマリアは待ったを掛けた。
「え?なぁに?ハンカチなら持ったよ」
「丸腰で出歩くなっていつも言ってんだろ」
マリアが差し出すのはが愛用しているリリスの剣である。白い剣は宝飾も施されており見る目を楽しませてくれるが、はっきり言ってデートに持っていくものではない。仕事道具の登場には嫌そうに顔を顰めた。
「だってそれ、可愛くないんだもの。服に合わない」
「言っとくけどなぁ、丸腰でデートに出かけるってのは赤犬と合流する前にその辺で三下に襲われて着飾った格好が台無しになるっつーフラグなんだよ。わかってんのか?」
ここは水の都でガレーラ本社の付近であるからある程度の安全も保障されているが、しかし賞金稼ぎとしてあれこれやって海賊連中から恨みを買うことの多い、丸腰で出かけるなど無謀極まりない。魔女であった頃ならさておいて、今のにそんな不思議能力がないことはマリアもよく知っている。というか、普通なら彼女のレディスメイドであるマリアがこのデートにも付き添うべきなのだが、あいにくマリアはバカッポーどもにあてられたくない。(軽い職務放棄)
とりあえず忠告をするとが不満そうに頬を膨らませてぷいっと顔を逸らす。
「大丈夫だよ!街中の賑やかな所を通ってくし、それに行くのはマリンフォードなんだから危ないことなんて何にもないんだよ!」
言って、呆れるマリアを背には部屋を飛び出した。
そうして十五分後、ものの見事にかつて壊滅させた海賊団の残党のお礼参りを受け、せっかく着飾った格好を台無しにするのである。
++++
「マリアちゃんのばか!!物騒なこと言うから本当にフラグ立っちゃったじゃないか!」
言ってもしようのないことだが、は何かで発散しないとやっていられないとばかりに、バタバタ走って逃げながら脳内で「ほれみたことか」とほくそ笑んでいる友人を罵った。場所は移り変わって水の都の裏路地。にぎやかな場所を選んで歩いていただったが、デート=ならずものに絡まれるフラグというのはどうしたって逃れられないディステニーだったらしい。ぐいっと乱暴に腕を掴まれて物陰に引きずり込まれたかと思うと、額に青筋、敵意、殺意に満ちたおっかない海賊くずれにからまれた。「あの時はよくも」「てめぇの顔を忘れた日はねぇ」「うちの船長をやりやがって」「丸腰で出歩くなんて余裕じゃねぇか」などと御決まりな台詞を頂き、身動き取れぬ間に殴られ蹴られた。
「待て!待ちやがれ!!!このアマ!」
いろいろ恨みを募らせたようで連中はを痛めつけることを重視しすぐには殺しにかからなかった。それが幸いし、なんとか隙をついて逃げ出したは(連中が人ごみでもかまわず襲ってくる気なので一般人を巻き込む騒動にならぬように)裏路地を走り逃げ回っているという現在。もちろん闇雲に逃げ回っているわけではない。先代と同じくこの水の都の地形はも熟知している。ヤガラを使わず逃げ続け最短でケルピーの停めてある堀に向かえるルートを確認した。できれば一度マリアのもとに戻って身支度を整えたいが、待ち合わせの時間まで余裕がない。(身支度に時間をかけすぎた)ケルピーの足で行けばなんとか間に合うだろう、というところだ。走り続けながらは海賊たちを振り返った。
「待てって言われて待つのはMだけだよ!せっかく綺麗にしたのに台無しにしてくれて…!!あとで絶対地獄を見せるからね!」
「なら逃げるな!今見せてみろよ!!!!」
「今はちょっと都合が悪いんだよ!出直してくれれば見せてあげるって言ってるんだよ!!」
そんなシリアスにはちょっとなれぬがこれも立派な命のやりとりに変わらぬ状況。は勢いよく水路を飛び越え、同じように男たちも飛び越えてきた。が飛び越えられる幅なら運動神経のいい、というか体力勝負な海賊くずれたちにこなせぬわけもない。
あぁ!とは嘆いた。髪の毛はぼさぼさしているし殴られたときに倒れて服はドロだらけだ!きっと爪化粧は剥げているだろうし自分の血反吐と胃液で顔がぐちゃぐちゃになっているだろうとは鏡を見ずともわかることだ!
いや、自業自得というのはわかっている。彼らに恨まれることをした自分が悪いし、こういう生業になっているのに丸腰でほいほい歩き回った自分に責任がある。そういうことはわかっている、がしかし。
「っ…!!」
思考に沈んだため速度が落ちたのか?は靡く長い髪を後ろから掴まれてそのまま引き寄せられた。
「ちょろちょろ逃げ回りやがって…!!!」
ずるりと乱暴に地面に押し付けられ背中を打つ。痛みで顔を顰め目を開くと小汚い身なりの男たちが殺気たっぷりにこちらを見下ろしている。即座に立ち上がろうとするが予測済みで上から男の一人が圧し掛かり身動きが取れなくなる。先程隙をついて逃げ出したことを考慮してのマウントポジションというやつなのか。先日マリアと喧嘩をしたときにしかけられた体勢だがあれには敵意はなかった。は自分を見下ろす男たちを睨みつけたが、その目が「生意気な!」とカンに触ったらしい男の一人に殴られた。身動きの取れない女性を殴るなんてどういう悪党だ。嫌味のひとつでも言って気分を晴らしたかったが、殴られた衝撃でごりっと歯が折れた。気管支に入るといやだったので嫌味を吐くより歯を吐いて、目を細める。
抵抗しようにも筋力の差が開きすぎていて、普段であればは仕込んだ毒や暗器の類でなんとかやりあうのだけれど本日は丸腰だ。剣の一本でもあれば違うかといえばそうでもない。剣の腕はそこそこあると自負している。だがが剣を使う一番の理由はそのリリスの剣の重さと丈夫さ。重さで相手に致命傷を負わせる。丈夫さでその身を守る盾にする。つまりはリリスの剣を使わねば、ただ相手の剣やナイフを奪うだけでは「なんとなく悪あがき」にしかならない。
さてどうしようかとは冷静に状況を見た。男らの目的は己に報復することで、報復とは報いを受けさせることが目的。今も命を奪っては来ない。代わりに殴り続けられたこちらの顔は晴れ上がり片目はつぶれているが、まぁ、殺されるよりはマシだろう。
(こういうとき、お姫さまなら王子さま。魔女なら騎士が助けてくれる)
まぁわかりきっていることだが、こういう「ならず者に絡まれました」というフラグには同時に「助けが入る」フラグというものがある。の持論、というか先代からの持論によればお姫さまには王子様がいるわけで、たとえばノア・アグリの危機には必ずトラファルガー・ローが駆けつける。はディエス・ドレークに救われたとそういうお決まりがあった。しかし残念ながら己は魔女の役を押し付けられた、魔女でも姫君でもない生き物だ。ということはこの場で助けは入らず、待っているだけ無駄というもの。状況的に赤犬が水の都にまで来て颯爽と現れ敵をバッタバタ、なんてのもありえない。
(頭を冷やせって、ことかなぁ)
つまりはそういうことなんだろうか。状況が己を戒める。浮かれていた。えぇ、浮かれていましたとも、とは認めた。サカズキがデートに誘ってくれた。いや、当人にデートのつもりがなくとも一緒に時間を過ごす気があると示してくれた。舞い上がってしまった。それで「女の子」でいようと武器やらなにやらを拒絶した。「可愛い女の子」として赤犬の前に現れたいのだと、剣も毒ももちたくないとそう否定したから、まぁ、こうなったということだ。
つまりは、そういうことなのだろう。
「身の程を知れ」と世界にいわれているんだと、被害妄想じみた考えに取り憑かれるが、まぁあながち間違ってはいない。
と、頭ではこのように冷静に考え事をしている最中、は絶叫を上げていた。殴られるだけではなく、海賊くずれたちはの腕を折り、爪を剥がし、ナイフを突き立ててその刃をまわす、というあらん限りの拷問をしていた。当然の体が耐えられるわけもなく、喉からは悲鳴が上がり続け、目からはぼろぼろと涙が溢れ出す。いい加減うるさいと思ったか、あるいは叫ぶことで痛みを紛らわせようとしていると判断されたか、男の一人がの口に汚れきった布を丸めて突っ込んでくる。口の中に広がる嫌な臭いに吐き気を催すが口を塞がれては吐いたところで自分の喉を苦しめるだけだろう。
ゴォオン、と正午を知らせる鐘の音が響いた。水の都の名物スポットから大きく大きく響く音には失望する。サカズキとの約束は12時だった。時間になってしまった。間に合わなかった。律儀な彼であるから自分が着くまで待っていてくれているだろう。それはわかっている。だがは「時間に間に合わなかった」ということにショックを受けた。姿がぼろぼろになったって間に合いさえすれば幾分かマシに思えたがこうなってはもうどうしようもない。
このままドタキャンがいいんだろうなと、は今後のことを考える。サカズキに心配をかけるのは申し訳ないのだが、思えば遅刻してぼろぼろの風体で行けばサカズキはいらないことを考える。こちらがどうして無防備に剣も持たずに出かけようとしたのか考えてしまう。それで「自分が誘ったからか」と答えを見つけて、気に病むだろう。はもう自分のことで何一つサカズキに悔やませたくなかった。
(まぁ、浮ついちゃダメって、いい勉強になったよ)
あと自分には王子さまフラグが立たないってことも!と心底まじめに心に刻むことにしてはそろそろ疲れてきたらしい上にまたがる男の股間を力いっぱい蹴り上げた。
「……ッ、この!!」
人体急所のとてもわかりやすい部分である。怯み体勢を崩した男を足で蹴ってどかし、そのままピョン、と起き上がる。すぐに男たちがを捕まえようと腕を伸ばしてくるが殴られながら逃走ルートはシュミレーション済みである。
頭の中で夜の女王が「助けてやろうか」と親切顔で申してくるけれど、は「うるさいバカ」とだけ言って、ひらりと身を翻し水路に向かって身を投げた。
正午の放水が始まり勢いよく流れる水の勢いに体が軋む。千年沈んだ懐かしい海水の感覚には意識を沈ませた。
++++
ざわり、と周囲の気配が変わったのでサカズキは伏していた瞼を上げた。約束の時間はとうに過ぎているがが故意に時間に遅れるとは思わず、連絡を取ろうにも彼女との通信手段はないため只管待ち合わせの場所でを待っていた。気付けば時計の針は随分と傾いていたもので、同じくらいに日も傾いている。サカズキはマリンフォードの港町の馴染みの茶屋に腰掛けていた。亭主が何度か茶のお替りを注ぎに来てそのたびに言葉を交わしたが長時間の居座りに嫌な顔も見せずただ他愛もない話をしたのみであった。道行く人を眺めながらを待ち続けていたが、人ごみのなかに彼女の姿を探す己が気に入らず目を伏していたのだ。
待つ最中何度も「なぜ誘った」のか考えた。気まぐれといえば気まぐれだ。いつもロクに眠れないだろうあの娘を不憫に思った。己が彼女に何をしたのか知っている。それゆえに罪滅ぼしという意味もあったのだろうと冷静に受け止めている。のことに関しては、いや、のことに関してはサカズキは篤実であろうと心がけていた。
クザンに押し付けようとしていたと、思い返せばそれもあった。自分のような生真面目な男があちこち連れまわすより、なるほどクザンに任せたほうがいいかもしれぬとうわべで思い、結局は押し付けていたのかもしれない。
妙な心持だった。を案じてはいる。あの娘が安全な場所でいられるよう。幸福でいられるよう願っているのに、己はその手助けを進んでしようとはしない。実際のところ上に控える権力者を考慮すれば己に出来ることというのは限られているのだが、しかしチラリと考えていくつか手が思い浮かばないわけでもないのだ。だが未だにサカズキはそれを実行しようとはせず、ただを「怪我をするな」と言葉で言い、時折姿を見せればその時だけの庇護を与えているのが現状である。
そしてこうして、クザンの主張を借りるなら逢引に誘ったという今。サカズキはとの距離を測りかねている己を自覚した。
「……なんぞあったか」
「ふふ、ごめんね。遅くなってしまったよ」
瞼を持ち上げれば晴れた顔をすまなそうに歪め、それでも声ばかりは明るい調子で笑うと目が合った。嵐にでも遭遇したのかと思うほど汚れた格好だが、それよりもサカズキはあちこちに彼女が怪我をしていることのほうが気になった。それで腕を伸ばして引き寄せるとその怪我の具合を確かめる。
顔、肩、腕、指先、腹、足と負傷していないところを探すほうが難しい。とくに腹の傷が酷い。肉がえぐられているのか止血のために巻かれた布がドス黒く変色していた。の身にはいつもある毒の仕込みや巨大な剣がない。気付いてサカズキは顔を顰めた。「なぜ」「何が」あったのかすぐに気付く。
「おどれ、」
「ごめんね。僕、今日は会わないほうがいいんだってわかったんだけど、こうして君が辛そうな顔するってわかってたんだけど、でも、ごめん、大将どの、僕ね、君をもう待たせたくないんだ。折角君が「一緒にいよう」って言ってくれた今日をね、諦めたくなかったんだよ」
サカズキが言おうとした言葉を遮って、引き寄せられたは今にも泣き出しそうな、自分がみっともなくて仕方ないと羞恥に染まった顔をしながら懺悔の様に言葉を連ねる。晴れ具合を確かめようと頬に添えられていたサカズキの大きな手に自分の小さな手を重ねてくる。(その指先の爪は折れ剥がれているのだけれど)
「こうなるってわかってた。はっきりしたフラグだしね。でも僕はね、それでも君に会いたかった。だからこうなったのは自業自得でしかないんだけど、身勝手でごめん、わがままでごめん」
いつも謝るのは彼女の方だった。サカズキは自分が彼女に「何を」したのかわかっている。彼女のサカズキに「何を」されたのかわかっている。知っている。それでもは謝る。こうなるとわかっていた、など嘘だろう。は平然と嘘をつく女だった。だが言わせているのは誰だとサカズキはに触れていないほうの手を握り締め、唇をかみ締める。
「謝るな。おどれが悪いわけじゃ、ねぇじゃろう」
「そうかな」
「わしが言うんじゃ、決まっちょる」
言えばが笑った。歯の欠けた、腫れ上がったどうしようもない顔だが確かにが笑った。笑うと彼女は花のようである。サカズキは体から怒りや不安がフッと消えたことを感じ、一瞬うろたえた。何を、と自身の変化に戸惑い(この己が!)だが目の前の、どう見ても軽傷ではない若い娘の姿を見、一度目伏せる。
「……」
一瞬沈黙した後、サカズキはの体を抱き上げる。今すぐ医療施設に駆け込みたいが既にが最低限の処置をしているのだろう。死ぬ気はない彼女であるのでその体のことは己が関与することではない。
「それで」
「なぁに?」
己はこれからも「その瞬間」を守ることはできないだろう。彼女の頭上に振り下ろされる剣を受けることはできない。気付くのはいつだってが「傷つけられた後」だ。それをよくわかっている。だが。だが今日、こうしては自分の前に現れた。この娘にとっては屈辱だろう身なりを整えぬまま己の前に現れることはどれほどの覚悟がいったか、さらにはそういう姿をさらすことでこちらが「何があったか」気付くことを嫌がってきたはずだ。だが今日は、今回はは逃げなかった。その事実をサカズキは受け取った。
「おどれを泣かした屑はどこにいる」
言えばが一瞬きょとん、という幼い顔になった。間の抜けた面であったのでサカズキはくっと声を押し殺して笑い、言葉を続ける。
「なんじゃァ、おどれ。このわしが、目の前で怪我をしたおどれを見てその犯人を放っておくと思ちょったんかい」
「いや、君って今日は非番なんでしょう?」
「海兵に休日なんぞねぇ」
きっぱり言い切れば「えぇー!?」とが微妙そうな顔をした。サカズキはいつまでもを立たせて置く気はなかったのでひょいっと抱き上げその顔を覗き込む。
「わしが屑を葬るんが不満か」
「いや、別に、僕に怪我をさせた連中は賞金かかってないから君が捕まえちゃっても僕のノルマには影響ないんだけどね?でもそうじゃなくて、折角君とデートなのに海賊拿捕ってなんかあれだよねぇ?」
一応本日の目的は「街を歩く」であった。だがのこの怪我では無理だろう。そうとサカズキが言えばが頬を膨らませた。その頭をぽんとたたくと瑠璃の目がほんの少し揺れる。
「君との記念すべき初デートが海賊拿捕だなんて、なんかもう、ある意味「らしい」から文句も言えないよ」
「ならえぇわい。それに常々おどれにゃ効率のいい屑の捕え方を教えちゃろう思うとった」
「そんなのあるの?今後のために聞いておこうかなぁ」
へぇとが興味を引かれたように声を弾ませる。そんな話題でいいのかと誰か突っ込みを入れてほしいが生憎茶屋の店主にそういう才能はないし、歩きながらサカズキも「聞いておけ」と熱心にあれこれ訓練兵時代からこれまでで己の培ってきた対海賊の知識を疲労していく。
サカズキは、そういえばにはこうして己の昔の経験を語ったことがあったのだろうかと考え、思い出せぬ消された記憶、今はもう考えることではないと目の前のの瞳を見つめ返した。
(「っつーかあいつら何往来で堂々とイチャついてんの?!折角俺が用意したデートプランやら話題やら一切シカトかよあいつ!!!海賊血祭りに上げる話題でOKなの!?ドロ子ちゃん!!!?」)
(「クザンさん!いい加減仕事に戻ってください!!何が悲しくて私がサカズキさんと魔女のデートなんて見張らないとならないんです!!!」)
※以上、物陰から大将と秘書官二人。
Fin
(2011/08/10 19:46)
最後のところだけ解説:
いつも平行線だった二人ですが、今回その「お決まりの展開」をさんが崩します。ぼろぼろになりながらもサカズキさんの前に現れて「一緒にいたい」とそう自己主張。たぶん今日を逃したらまた平行線上なんだとわかっていたので無理やりです。そういう自分勝手さをこれまでさんはしてこなかったのでサカズキさんも違和感に気付きます。
後半の台詞も「遅刻したこと」「怪我をしたこと」に関して話しているわけじゃないんですが、なんか解説が面倒ですね。
二部子の組長を好き、という感情はさんからの引継ぎ→それって本物?という葛藤があったりもするのですが当人それほど気にしてません。しかし組長がさんと向き合えないのは「彼女はではない」「だがである」という葛藤があったので、表面的バカッポーだったりしてもお互い決定的なことはできなかった、というこれまでです。だから「身勝手でごめん」という台詞になるんですね。
あとはまぁ、前半部分で政府トップと腹の探りあいして魔女として振舞おうとしているにもかかわらず、デートに誘われたくらいで浮かれて剣を手放す二部子の浅はかさを書きたかっただけといえばそれまでです。
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