注意書き

先に謝っておきます。この話、ちょっとグロい描写があります。

普段そんなこと気にせずUPしてるのに今回に限ってはあるってことは、正直道徳的にどうなのこれ、というタイプだということです。

まぁ、ようはカニバリズム。










戦争終結、というのは嫌な後味をよく残した。思えば白猟のスモーカー准将、これまで「大戦」に参加したことはない。討伐、海戦など数々の戦場には身を置いた。上官受けの良いタイプではないと自覚しているだけに無茶な場所へ嫌がらせ、あるいは見せしめのために送られること多々、しかし今回のような「大戦」は経験していなかった。

それもそのはず、ここ最近世界はおおむね「平穏」に部類されている頃合いだった。大海賊時代が始まり22年。それでも世界は「平穏」の域を出ぬ扱い。ロジャーの死後始まったこの時代も、それでもロジャーの生きた頃の海に比べれば海賊の質が違うと、今を「平穏」と定めた連中の判断。それであるから大規模な殺し合いは早々起こるものではなく、起きたとしても大佐止まり一海兵であり札付きのスモーカーが招集されるような展開には、ならないのだ。

昨今で言うのならアラバスタの戦争は近頃久しくない規模の争いであったが、あれにスモーカーは直接関与はせずに終わった。それであるのに頂いた勲章のくだらなさ、などと改めて思いながら、スモーカーは崩れた海軍本部の修復作業に目を向ける。

正義の砦、人の心のよりどころ、などと様々な意味合いの込められ本部要塞は白ひげという一人の海賊、いや、化け物によって崩壊した。崩された物は今以上の堅城に作り上げねばならぬとそういう意思なのか急ピッチで、かつ丁寧に作業が行われている。本来己もその作業の、指示を出す側に加わらねばならぬ立場にあるのだが、しかし、スモーカーは暇を持て余していた。

「あぁ、スモーカーさん!ここにいたんですか!」
「どこに話しかけてんだ、たしぎ」
「え!?あ、すいません!!」

バタバタと騒がしい足音がしたと思えば、いつも通りのボケをかまして己の副官がやってくる。そばの大工に話しかける、というのはどういうボケだ。いい加減メガネをかけることを日常にしろと、何度言っただろうかと、思い出して額を抑える。

「あの、すいません!スモーカーさん!ここで女の子を見ませんでしたか?」
「……寝ぼけてんのか?ここにガキがいるわけねぇだろ」

戦争勃発前にマリンフォードの住民はシャボンディ諸島に避難させられている。そしてまだ戦争が終結して間もなく、町には死体があふれているような状況では住民を呼び戻せるわけもない。

呆れて言えばたしぎが「そ、それはそうなんですけど」と眉を寄せる。

「あ、あの……でも、その、バスカヴィル卿が…」

スモーカーはあからさまに顔を顰めた。

たしぎ、たしぎ、己の副官。配属された当初はこんなお嬢さんが海でやっていけるものかとそう駆るんじたものだが、少し付き合えば骨があることがすぐにわかる昨今珍しい生真面目な海兵。狂乱する正義に染まるようでまるで染まりきらず、独自の正義を模索しているその、好ましい海兵の口から、明らかにふさわしからぬ人物の名が出た。

これがたしぎ以外の口から出た言葉ならこうも不快にはならなかったろうが、スモーカーは素直に苛立ち、そして咥えた葉巻を地面に投げ捨てる。

「例のお貴族さまか。なんだって?」
「あ…はい。あの、さっきお会いして、それで黒い髪の女の子を探していると、見当たらないので、探してほしいと頼まれたんです」
「態々テメェに頼まねぇでもアーサー卿ともなれば自由に動かせる人間がいるだろ」

戦争が終わるなり素早くやってきた、枢機顧問のアーサー・バスカヴィル。油断ならぬ人物で「敵にも味方にもしたくないと」そう言ったのはスモーカーの同期の男だ。

悪の貴族とも呼ばれる男。ある意味海賊よりもタチが悪い。そういう男がなぜだってたしぎのようなトロイ女に声をかける。

スモーカーはあの貴族がたしぎに声をかけた、関わった、というそのことに随分と神経が立っていた。

たしぎ当人、それを悟れるほど他人の心に敏いわけではない。しかし長い付き合いでスモーカーが「不快に思っている」ということは見当付いたよう。むっと眦を上げる。

「女の子ですよ!?バスカヴィル卿が連れてきているような人間に追い掛け回されたら怖いと思うのが普通じゃないですか」
「そうなのか?」
「そうです!だからきっと私に声をかけられたんです。今は女性も少ないですから…黒髪の女の子らしいんですけど、本当に見てませんか?」

まぁ確かに、黒服の男たちに追いかけられたら子供は恐ろしいだろうと思う。頷きつつ記憶をたどるが、目の端にもそういう子供を見た覚えはない。

「いや、見てねぇな」
「そうですか…私、湾岸の方を探してきます。もし、あそこに行ってしまっていたら…」

たしぎの顔が曇る。あそこはまだ死体が多くある場所だ。特に湾岸は酷い。海兵の死体、海賊の死体、そういうものが石か何かのように転がっている。そこに幼い子供がひょこひょこ紛れ込むようなことがあれば、それこそことである。

「俺が行く」
「え?」
「テメェじゃその辺につまずいて海に落ちるのがオチだろうよ」
「そんなことありませんよ!」
「どこに話しかけてんだ」
「あぁ!?すいません!すいません!!」

すくっとスモーカーは立ち上がり、新たな葉巻に火をつける。一瞬同期の、今はもう海軍にいない男の言葉が頭を過った。『なんだスモーカー。お前も、そういう風に他人を甘やかすことがあるんだな』嫌味や、そういう意図はない。ただ意外だ、とそういうように言われた言葉を思い出す。

うるせぇ、と、そう小さくスモーカーは記憶の男を罵った。しかしそれを己に向けられたと思ったか、たしぎが「すいません!」とまた大声で謝罪してくる。

スモーカーは舌打ちし、そしてこれ以上たしぎのとろそうな顔を見て苛立つのが面倒になって、それで、湾岸の方へ足を向けた。








 

 

 

 


それは煉獄の炎に似ていた

 

 

 

 









「おい、お嬢さん。こんなところで何してんだ」

声をかければ、その黒髪の子供。まだいとけない十代前半の幼い背の、その子供がゆっくりと振り返る。と言って顔は見えない。その細い首から上は髪以外を覆う包帯に隠されている。赤がしみ込んだその布の端が防波堤に吹き付ける風にはたはたと不気味なほど軽い音を立てる。そういう様子を数秒眺めやっと声を出したスモーカーは、そこで己が手のひらを握りしめていたことに気付いた。

「あなた、誰?」
「おれァ海軍本部のモンだ。アーサー卿が探してるそうだ。戻らねぇのか、お嬢さん」

振り返るその少女。声は、どこかで聞いたようなそんな覚えのある声だった。しかし「誰」というはっきりとしたものはない。気のせいだとそう思うことにしてスモーカーは葉巻を消す。子供の前で吸う気はないと、その態度。気づいたらしい少女が包帯に隠れがちになった目を細めた。青い青い目だ。海のように青い瞳である。妙な違和感のある色だ。

「これは懐かしい景色に似ていた。だからつい、来ちゃった。あたし、こういうところの方が落ち着くって変?」
「景色?」

一歩スモーカーは子供に近づく。防波堤の上にすらりと立つ少女。その足元には、海に浮かぶ無数の死体。

「……こっちに来い」
「どうして、」
「ガキが見るもんじゃねぇ」

聊か乱暴に、ぐいっと、スモーカーは少女の腕を掴んだ。それで、湾内の何もかもが見えぬ場所に来てから、スモーカーはそれでもまだ危ういと思うように少女の前に立ち、その視界を遮った。

「今見たことは忘れろ」
「どうして」
「ガキが見ていいものじゃねぇんだよ」

先ほどと似たようなやり取りをし、スモーカーは語尾を荒げる。なんだって今この海軍本部に子供がいるんだ。関係者らしいアーサー卿は何を考えている。こんなものを子供に見せるものではない。スモーカーは、信じられないだろうが子供好きだ。できる限りきれいなものを、などという腐った思考はしていないが、しかし、こういう場合、死体の山を子供に見せるのは、それを黙認したたずむことは、彼の「正義」が許さぬ。

言い続ければ子供が「へんなの」とそう納得いかなさそうに呟く。しかし抵抗する気はないのか素直にスモーカーの影に隠れ、顔を見上げてくる。

「言ったのに。あたし、懐かしい景色に似てるって。ねぇ、あたし、あぁいうのは見慣れてるんだよ?」
「…お前、どこから来たんだ、お嬢さん」

ここ最近これほど大規模な戦争は起きていない。それなのに「見慣れている」とそういう子供。どこかの難民、孤児なのか。しかしそれならアーサー卿と関わる意味もわからぬ。いや、確かに、悪の貴族たるアーサー卿の関係者、ともすればこの少女も悪の貴族の末席か。それであれば死体の山なんぞ帝王学の一つで眼前に突きつけられる日々だろうかとそのようなことが浮かばぬわけでもないけれど、しかし、この少女には貴族らしさがない。

どこぞの農村にひっそりいるような、そんな、様子しかない。

「ふふ、どこかな。さぁ、どこだろうね。あたし、どこから来たんだろ。でもあった。たくさん、あぁいう、動かない生き物だったものはたくさんあった。ねぇ、海兵さん、あれらは土葬?それとも火葬?いっそ放置して鮫にでも食わせるの?」

見上げてくる瞳は青。だがどこか作り物めいた色合いだ。元同期で今は敵の男が、以前海軍海兵時代に預かっていたという子供を思い出す。青い目に赤い瞳の子供だった。ローグタウンで麦わらといたときはどういうめぐり合わせだと訝った。そしてこの戦争時には当然のようにドンキホーテ・ドフラミンゴの傍らにいた、妙な子供。その子供の目も青かった。だが、目の前の子どもの目は、あの少女のものに「似た」しかし、人工物に思える。

「あたし、土葬がいいなぁ。火葬は嫌。使えなくなっちゃうし」

スモーカーが沈黙しても少女は構わず続ける。弾む声、幼い子供がクリスマスの贈り物をどう扱おうかと算段付けている、そんな声音。

「……腹、減ってねぇか」
「なんで?」
「ついてこい。飯くれぇ奢ってやる」
「…ナンパ?」
「違う」
「アーサーのところには帰らないよ。まだね。連れて行こうたってそうは、」
「帰りたくねぇんなら別にいい。だがいつまでもここいん、ガキがいるもんじゃねぇ。ついて来いつってんだよ」

ぐいっと、スモーカーは少女の腕を引いた。掴んだとたん少女が顔を上げる。何ぞ言いたげな、しかし何も相応しい言葉が見当たらぬのか、結局黙り、そして足を動かしてくる。それでいいと、そうスモーカーは頷き、そしてわしゃわしゃと少女の黒髪を掻き撫でた。すると少女、包帯が落ちぬように手で押さえ、迷惑そうな顔をする。

「あたし、子供じゃないよ」
「そうかよ」
「そうだよ。レディなの。ちゃんと扱ってよ、海兵さん」
「スモーカーだ。あんたは?お嬢さん」
「スモーカー…ふぅん?」

口の中で呟いて一瞬少女が沈黙した。自分の名前くらい言えるだろう。しかしスモーカーがとんでもないことを聞いた、とそういう顔をする。

「なんだ、言いたくねぇのか」

アーサー卿にでも言い含められているのか。知らない人に名前を教えるな、と。確かにこの少女がどこぞの貴族の娘なら名乗れば親が知れ、そして身代金目的で誘拐、なんてこともあり得るだろう。海兵相手に警戒心を出されるのは心外とも思う。しかしそうして身を守るすべを子供ながら承知していなければならないのが貴族の娘なのかもしれない。

「あたし、お貴族さまじゃない」

黙するスモーカーを見上げて数秒、少女が首を振った。スモーカーの思考を読んだ、というわけではなかろうが、何か、切羽詰まったような顔で、何かを告白するような、そんなそぶり。

「違うの、違う。あたし、本当は瞳はとび色、それに顔だって、」

ぐいっと少女の手がスモーカーのジャケットを強く掴む。その瞳に燃えるような感情の炎は、しかし、唐突に消え去った。

「なんでもない」

何か、耐えきれぬ不安が少女の中には確かにあった。それがスモーカーのほんの一言で、些細な言動でせきを切って溢れ出し、ついにスモーカーに何かの「告白」をしてしまいそうになった、そんな一瞬。けれども少女は即座に己というものを取り戻したか、あるいは正気、または狂気を見出したのか、押し黙り、そしてぐいっと、スモーカーから身を放す。

「アーサーの所へ帰る。送りはいらないから」

短く言い、そして少女が走り出していく。それを追う理由が見当たらず、スモーカーはその背を見送り、そして懐から葉巻を取りだし火をつけた。

つい先日まで殺し合いのあったその地面を、子供が走りかけている。その奇妙な現実が、妙に意識に残った。






+++







ゆっくりとハウスメイドの手で包帯が外されていく。目を伏せたままその感触をは感じていた。実際に巻いていたのは2,3日程度のはず。けれどももう随分と長いこと、彼女はその布が己の顔を覆い隠してきたような、そんな気がしていた。

「美しい。完璧ですね」

吐息と共に称賛の声が背後からかかった。振り返らずともわかっている。が腰掛けた鏡台の背後に控え、今か今かとこのときを待ち望んでいたアーサー・バスカヴィル卿のもの。は目を開く、その決意をするのに少しの時間がかかった。

目の前にどんなものがあるのか。それはもう何べんも説明されていること。何をためらうのかと、そのようにアーサーに言われてはならない。しかし、瞼が重く鉛のように感じられ、持ち上げるのに勇気が求められた。

「素晴らしい。まさに完璧です。、さぁ、よく目を開けてごらんなさい」
「えぇ、わかってるわ。アーサー」

いつまでも目を伏せたままのに優しくアーサーが語りかける。上機嫌そのものだ。これほどこの老紳士が「ご機嫌」という様子をあらわにすることがには信じられない。紳士というものは感情を表に出さぬものと、そのように考え、そうして何十年も生きてきただろう男が、今はまるで春のお祭りでも来たかのように浮かれている。

ゆっくりと、は目を開いた。広がる景色は三面鏡に移された絢爛豪華な部屋。調度品の細部数々まで最高級の物が用意され、そして鏡台の上には飾りきれぬほどの宝飾品が惜しげもなく置かれている。

それらのものを前にするのは、鏡に映るのは、あどけない一人の少女。

「美しい。えぇ、まさに、欲した通りです。誰にも踏み荒らされぬ新雪のように白い肌。穏やかに咲き誇る薔薇色の頬。大きな瞳の長い睫毛は赤く、頬に陰陽をはっきりとさせ、ふっくらとした真紅の唇は口付けるためにあるようです」

鏡に映るその姿。それらを手放しで褒め称えるアーサー・バスカヴィル。ゆっくりと鏡台のに近づき、やおら、老紳士は跪いた。

ハイスメイド、さらには控えていたランドスチュワードが息を飲むのがわかった。

この数日、はこの老人が何者かであるのかの説明と教育を受けている。いや、この老人のことだけではない。閉鎖的な、孤立した集落で暮らしていたにすぎぬが知らぬ世界のこと、起こりうる出来事を、この短い期間に教わった。そうして飲み込まされた事実からすれば、この男、アーサー・バスカヴィル卿が誰かに「跪く」など、まずありえぬこと。

しかし行った当人はそれが当然であるような態度。思わず体を強張らせたを怯えさせぬよう気遣いを見せながら、そっとその手を取り、甲に唇を落とす。

(違う!)

そう、は叫びたかった。喉まで出かかった悲鳴を、しかし彼女は必死に堪える。熱の籠った目でじっと、アーサーが見つめる己の顔。その瞳に映る顔。美しいと言えば、これほど美しい顔もない。幼い顔にある「愛らしさ」とさらには圧倒的な「美しさ」その持ち主がアーサーの剃刀のように鋭い瞳に映り困惑の表情を浮かべている。

それは己だ。

だが!アーサーが見ているのは、ではない!

それを彼女は理解していた。そして叫びたかった。はっきりと、こうしてはっきりと、彼女は自分がどうなったのか、どうなっていくのかを自覚した。

己の顔は、以前のものとはまるで違う。死した父母の面影が欠片もなく、今は、悪夢のように美しい顔になり、そしてアーサー卿はその顔に膝をつく。

「アーサー…?」
「あなたに逆らうのはこれが最後。もう二度と、あなたを苦しめは致しません」

ぽつり、と、老紳士が呟いた。に聞かせるための言葉ではない。視線を下げ、懺悔をするように頭を下げるその様子。

彼はに誰かの面影を見出した。そして、その熱が「似ている!」という枠を超え束の間彼にとっての真実とした。そうして、耐えきれぬ感情からの小さな懺悔。世に「悪の貴族」と恐れられる男にしては弱すぎる声音で紡がれた。

「さて。それでは身支度をさせましょう。その装いは、彼女には相応しくありません」

聞いてしまったことをはっきりとは自覚させぬ方がいいと、そうは判断した。感情を知られることを「恥」とするこの老紳士が、今のこの振る舞いを受け入れられるとは思わない。そうしてしばらく沈黙していれば、唐突にアーサーが顔を上げ立ち上がった。

パン、と手を叩き、まるで何事もなかったようだ。

に例の服を。仕立て上がりは確認しましたが、実際纏わせて手直しをするように。この後コルテス卿にお目通りしていただくのですから、よくよく気を付けてくださいね」

きびきびと、アーサーはハウスメイドに指示を出す。そして壁に控えていたランドスチュアードに出迎えの準備と確認をさせ、そうして部屋を出て行く。

残されたはほっと息を吐き、鏡に映った己の顔を、今度はじっくりと見つめた。

「……あたしじゃないわ」

小さく、かすれる声で呟く。この声だって、到来己の声ではない。の声は低かった。あまりきれいな声とは言えぬが、しかし、生前父は「お前の声は森の中にいてもよく響く。低く低く、けれどいい音をしている」とそう言ってくれた。今は、薔薇色の唇から零れる声は鈴の音のよう。

何もかもが、こうして変えられていく。

「……本当に、よく似ていらっしゃいますわ」

自分で覚悟をしたはずなのに、それでも現実を目の当たりにしては「なぜ!」と問わずにはいられなかった。けれど大声を出すのはよくない。そういう耐える姿に気付いたのか、アーサーがいる場ではけして口を開かぬハウスメイドが慰めるような声音で語りかける。

「……知ってるの?」

振り返れば、に着せる衣装を広げつつ、ハウスメイドが頷いた。

「はい。旦那さまが仰る「あの方」は、よくお屋敷にご滞在されました。私は直接のお世話をしたことはありませんが、お見かけしたことはございます。とても美しい方でした」
「……どんな人だったか、聞いてもいい?」

あの日得た「招待状」により、多少は知っているし、そのあとアーサーに教えられて人物像も把握している。けれど、そういう「関係者」ではない人間から、はたして彼女がどういう生き物だったのか、それを聞いてみたいと思った。

ハウスメイドは、しかしの問いに顔を伏せる。

「いいえ。いいえ、お嬢さま。申し上げることはできません」
「どうして?アーサーに怒られるの?へいきよ、言わないもの」
「いいえ、お嬢さま。そうではないんです。お嬢さまと同じく、私も頂いてしまったのです」

何を、とはメイドは言わなかった。けれどそっと、そのエプロンのポケットから出された、薔薇の刻印の刻まれた手紙には、も見覚えがあった。





+++




が生まれ育ったのは、グランドラインにある貧しい島の、さびれた集落だった。村、と言ってもよいのかもしれぬ。けれど店はなく、はお金というものが存在していることも知らなかった。

その村では、2年前、唐突に飢饉が起きた。何も、何一つ、食べるものが採れなくなった。

川や海から魚が、森から獣たちが消えた。土は作物を実らせなくなり、そうして、恐ろしい飢餓が集落を襲った。

水は手に入る。けれど、口に入れて噛み込めるものが何一つない。木の皮を剥いで煮詰めた、木がなくなれば屋根を剥いだ。けれど、そうして半年、一年、ゆっくりゆっくりと、集落は滅んだ。

グラウンドラインは行き来するだけでも命がけ。一生のうちで、他の島に行かぬ者の方が多い。の集落では、誰も外の世界というものを知らなかった。彼らにとって、その集落と山、海だけが全て。

その世界が、ゆるゆると眠りにつくように、死に絶えた。

けれど、は最後の最後まで生き残った。両親が、特に母が、賢かったのかもしれない。土をとかし煮詰めて、味は悪いがただの草を噛むよりは栄養もあろうと、そう扱った。己らが食べるものをすべてに与えた。

『かんにんな、かんにんしとくれ』
『ゆるしとくれな。かわいそうにな、こんな場所で生まれたばっかりにな』

餓える、餓える、ひもくて泣くをあやしながら両親は言った。今思えば、両親は外の世界。ここ以外の場所を知っていたのかもしれない。だから『こんな場所で生まれなければ』と、他の可能性を、羨み、悔やんだのかもしれない。

けれどその時のは何のことかはわからずに、ただ、親が差し出す妙な味のするものを一心不乱に口にしていた。

体力がなくなり、幼い彼女は最初に動けなくなった。両親は、それでも大人だ。子供より食わずとも動けていた。動けなくなった、か細い声を発するだけの娘を見下ろし嘆き苦しんだ。母は泣き叫び、必死に必死に、に「死なないでおくれ」とそう頼んだ。母の頼みごと。できれば叶えたかった。けれどに何ができようか。ただ段々と重くなり薄らいでいく意識。父と母の声が聞こえなくなって、そして、気づいたときには父と母が、暖かなスープを差し出してきた。

『食べておくれ。食べて、おくれよ』
『死なないでくれ。大事な我が子。可愛い娘。お前が生まれてきたときの、喜びを今でも覚えている。お前を失う悲しみを、覚えたくはないんだよ』

そう言って、父母が差し出す薄い味のスープ。けれど肉が入っていた。肉は固く噛み込むのに時間がかかるが、それでも肉だった。塩と葉で味付けされているだけのもの。けれど暖かく、ごくごくと、いつものように、一心不乱には食べつくした。おいしい、と思うものではない。けれど、両親が、どうにかして苦心してくれたことは幼い頭にもわかって、それで「とうちゃん、かあちゃん、おいしい。おら、しなねぇだ」とそう、言った。両親は顔をぐちゃぐちゃにして喜んだ。抱きしめ、そしてが命を繋ごうとしていることを喜んだ。

そうして、と両親は生き延びた。足は重く動かなくなったは、父が外に食料を探しに行くのを手伝えぬ。けれど母が「お前はまだ治っていないのだから」とそう優しく言い、父を手伝う代わりに母の手伝いをすればいいとそうしてくれた。

は母から肉のさばき方と骨の扱い方、それに包丁のとぎ方を教わった。母が娘に教えるには早すぎるものだったが、けれど母は『家の中のことで教えられることは限られているから』とそう笑うだけだった。だからも、そういうものだと、そう思った。

ネタ晴らしをしてしまえば、簡単な話。

両親は死した村人の肉を娘に与えていたのだ。

その時、もうそれより前から、村に食料は尽きていた。森に獣もいない。村人は、ほとんど死に絶えていた。生き残ったのはの家族と、僅かな人だけ。

両親が生き残ったのは、幼いわが子が気がかりゆえの精神力ゆえだろう。この子を死なせられない。だから己らも死ねない。そう思い、意志の強さだけで空腹を耐え抜いた。しかし狂気が、ひっそりと、降り立ったのだろうか。

食べるものがなかった。
ないから、いや、本当はあるんだと、そう、気づいた。

村人たちの死体。痩せ細った体だが食べられる場所がないわけでもない。

人間の死体と、獣の死体。どちらも同じ肉ではないかと、そんな、悪意が忍び込んだのだろうか。

両親は娘を死なせぬために死体を漁り、そして月日がたち死体が腐れば、生き残った村人を手にかけた。そうすれば腐っていない肉が手に入る。

それは狂気だったのだろうか。

そうして、は生かされた。

けれど、死体も尽きてくる。そうなると、両親はに全てを告白した。その時は「告白」という形ではなかったように思える。両親、すでに罪悪の概念はない。殺人を「罪悪」だとは、思っていないようだった。むしろその殺人を、死体漁りを「生きていくうえに必要な知識」と、そう教え込んだ。

にそれらを託し、そして、両親は最後の肉を作り上げた。

つまりは、互いを殺し、子供に差し出す。

それは、それは、それは、そもそも、彼らが罪悪感を覚えずにいたのは、それは、そういう末路を決めていたからだろうか。罪の意識はない。持たない。なぜなら己らも死ねばただの肉と扱われると、そう、「平等だ」と意識にあったからやもしれぬ。

死する両親。それらを目の当たりにして、は絶叫した。なぜ、どうして、なんで。なぜ、そのような「異常性」を「道理」と最後の最後で押し付けるというのなら、なぜ両親は己に「道徳」と教え込んだのだ。なぜ毎回に出される肉を「獣の肉」と、そう偽って差し出したのか。

叫び、叫び、泣き叫び、そうして泣き疲れて、数日すれば腹も減る。何もせねば死ねる。両親のもとへ行けると、そのような思考がちらりと、の脳内を占めた。しかし、それは選べぬ。そうはできぬ。彼女は、両親を罪深い者にはできなかった。両親は、彼らが悉く使用した他人の肉のように扱われなければ、彼らは罪人となろう。はそうはできなかった。

だから、死する両親に包丁を突き立てて、肉を、肉を抉り出し、生のまま口の中に押し込んだ。強烈な拒絶感、吐き気が遅い、何度も何度も吐き出しそうになる。その度に口元を抑え、必死に喉を上下させる。舌の上にある感触、鼻を通り抜ける生々しさ、それらすべてを、は受け入れた。拒絶、拒絶を許しはしない。受け入れ、それこそまさに己の血肉とした。

そうして、は一人きりになり、それでも生き残った。








+++++








差し出された白い手紙。薔薇の刻印の押されたその「招待状」を見つめ、はメイドを見上げる。

「あなたも魔女候補なの?それならライバルだね」

あの日、が受け取った手紙と同じもの。と言って何か書かれているのではない。あくまでただの形。受け取った瞬間、理解する「魔女」という存在。そして始まる魔女の闘争。そのルールを知る。

朝起きれば、の枕元に置いてあった。白い紙。血に汚れた指先で掴み、は「魔女」を知った。

恵まれぬ女、理不尽な環境にいる女、無力な女。そういう「悲運」な生き物が此度の魔女たちの舞踏会に招待される。競い合い、戦い、勝利者は薔薇の魔女という至上の存在となる。薔薇の玉座。先代魔女の得ていた人脈や、ため込んだ財産だけではない。知識、経験、何もかもを得る。その巨大な力があれば、無力な女は、世界への有害者となる。

は受け取った。その途端に世界を知った。なぜ両親が、この村が、こんな目に合わねばならぬのか。なぜ富めるものと貧しいものがいるのか。そういう理不尽さを知った。知らねばただ己の運命としただろう。けれど魔女の招待状は「恵まれた者」をに教えてしまった。

だからは、数日前にアーサー・バスカヴィルが島に立ち寄りその凄惨さに顔を顰めているその場に姿を現した。貴族の男性と一目でわかる。そうして己を魔女の闘争の舞台に引き上げろと、そう告げた。

だから今、はここにいる。

アーサー卿は彼女を「利用」すると正直に宣言し、そしてそのために、の顔や声を変えた。

先代魔女と酷似させる。そうすれば、先代魔女の愛した男を揺さぶれると、それが彼女に協力する条件だった。

「ここで始めるの?あたし、魔女の決闘ってしたことないんだよね」
「私もありません。そして、私は経験することはないでしょう。お嬢さま、私は招待状を頂いても、受け入れてはいないのです」

警戒するようにメイドを見つめていただったが、彼女は静かに頭を下げ、そして招待状を再びポケットにしまい込む。

「私は自分が薔薇の魔女になろう、とは思いません」
「今の状況で満足してるってこと?」
「…いいえ、それは、どうでしょう」
「アーサーの屋敷勤めならお給料よさそうだけど」

えぇ、と、それには頷いた。しかしこのハウスメイド、もともと病弱な弟がいるのだという。父は酒飲みで家では暴力を振るう。母はそんな父に愛想を尽かし、子供を置いて逃げてしまった。残された彼女は弟と父を養うためにこうしてメイドをしているのだという。

けれど給料の大半は父の酒代に消えゆく。酔った父は暴力を振るう。弟を守りたい。けれど住み込みでのお仕事をしないとお金が足りない。酒代が足りなくなれば父は借金をする。返せぬだけ溜まれば己や弟が人買いの手に渡る。

「それなら、弟さんのためにも闘争に参加するべきじゃないの?魔女の知識があれば薬くらい…」
「いいえ、弟の病気のことは、解決しました」

メイドは言う。本当に、本当に偶然のこと。たまたま、ある日、滞在していた魔女がメイドの身の上を聞いたらしい。そうして人づてに「これを使えば?」と渡された薬。魔女の薬。半信半疑で弟に飲ませてみれば、歩けなかった弟が歩きだし、そして活発に動けるようになった。

「あの時の感激は忘れません。お嬢さま、きっとあの方は気まぐれだったのでしょう。偶然耳にはさんだだけの貧しい身の子供のためにあっさりと高価な薬を下げ渡された。それは傲慢な振る舞いに入るのかもしれません。けれどお嬢さま。私はあの時、確かに救われたのです」

そう言って、メイドはを見つめる。彼女もその瞳に移しているのおは、ではなく、あの魔女の姿なのだろう。そうして一度目を伏せてから、メイドはに近づき、仕立てられたばかりのドレスをあてがう。

「良くお似合いです。お着替えをお手伝いさせてくださいませ」

言われた通り、は椅子から立ち上がる。慣れた手つきでメイドがドレスを着せていく。そうして仕事をしながらも、メイドは話を続けた。

「弟は港で漁師の見習いを始めました。それでもお互い、父を見捨てられはしない。だから必ず家に帰ってお給料を渡して、そして殴られる。そういう日々は変わりません。父からすれば足の不自由な息子が回復したことより、酒代を稼ぐ手が増えたと、そういうだけなのでしょうが」

しかし、その日々に納得はしていないと、そう言う。
弟は本当は船乗りになりたいのだと、メイドは語る。海に出て、広い広い海を旅するのが弟の夢。けれど父を見捨てられぬ、いや、そうではない、父を見捨てられぬ姉がいる。だから彼女を一人残して己だけが海には出られないと、そういう、病弱だった弟はいつのまにか男になって、姉を守ることを理解していた。

それが、メイドには辛いのだという。けれど父を見捨てられない。そういう性分。でもその自分の性分が弟の未来を邪魔している。か弱い女の無力な身の上を、その立場を彼女は呪った。その声が、魔女の招待状を引き寄せたのだろう。

「じゃあどうして、参加しないなんて言うのよ!変じゃない。戦って勝ち取れば、魔女になれる。魔女は海に慕われる。弟が海に出るのに役に立てるじゃないの!」

なぜ「戦わぬ」とそういうのか。は辛抱ならず声を上げた。そこまで状況が揃っている。手を伸ばせば、手に入れられる可能性があるのだ。それなのに、なぜ。そう問えば、メイドはお仕着せをする手を一度止め、を見つめた。

「あの方を、さまを裏切って?弟の命を救ってくださったあの方から魔女の称号、愛した男性を奪って?いいえ、お嬢さま。私にはそのようなことはできません」
「どうして!たとえ過去そうだったとしても、今欲しい幸せがあるんでしょう…?あたしなら躊躇わない。あたしの不幸や悲劇を受け入れたりしない」

そのためなら親から持った顔も、声も、何もかも捨てたっていい。

寂しさは確かにあった。戸惑いも、はっきりとあった。己が己でなくなる不安。恐怖がを襲っていた。目を開き己の変わった顔を見るのが恐ろしかった。けれど、けれど、このメイドの言葉を受けて、彼女は確信する。己は敗北者にはならない。悲劇不運を受け入れる、それを運命だとはしたくない。

両親がその体を差し出してまで生かしてくれた命、それにより得たチャンスを、己はけして無駄にはしない!

「私は、私たちは生まれを選べませんでした。けれどお嬢さま、初めて私は選ぶことができるんです。魔女の闘争に参加するか、否か。それまでただ強制的に選ぶだけだった人生。初めて自分の意志で選ぶことのできる、それだけで、私には十分でした」








++++++







支度が済み、メイドは静かに辞していく。は部屋に一人取り残された。海軍本部貴賓のための館。その一室はもともと質素だったはずなのに「あなたが使用するのですあから」とアーサーによって豪勢にされた。一つ一つの家具は手作りでセンスが良いもの。無造作に置かれる大振りのダイヤモンドを手に取っては顔を顰めた。

この場所に今自分がいられて、そして衣食住にまるで困らず、優遇されているのは己が魔女の戦争の参加者であるからだ。

戦わない、それはでは負け犬ではないか。

悲運な人生を、良しとはしていないはず。それなのに魔女への恩義のためにチャンスを棒に振る。そのことがには信じられない。

けれど、けれど、なぜか彼女の言葉が耳に残った。

己らは「選ぶ」ことができると、そう、彼女は言った。参加するか、しないか。ただそれだけ。けれど、それは、悲運な人生に無条件で参加させられた己らにとっては、特別な響きがあった。

「おい、お嬢さん」

考え込むの耳にコンコン、と外から壁を叩く小さな音。はっとして顔を上げれば人の気配がした。

先ほど港で遭遇した海兵の声だ。

「な、何…?何してるの…?」
「様子を見に来た。子供に酷ぇモンを見せちまったから気になったんでな」

言って声の主、海兵は「入り込める隙間はあるか」とそう問うてくる。

「ここはアーサーが使っている場所だよ?いくら海兵だって、忍び込んだら、」
「俺は俺のやりたいようにやる」

壁の向こうから不遜な声が聞こえる。は「傲慢な!」と笑って言い、しかしはたり、と我に返る。

己は、この顔を見られたくはない。そういう心が沸いた。スモーカーと先ほど名乗った海兵。確か、白猟のスモーカー。自然系の能力者だ。魔女と知り合いか、それはわからない。けれど自然系の能力者は魔女に焦がれるのだと、そういう話を聞いた。この顔を見て、あの海兵の態度が変わるかもしれない。それをは疎んだ。

先ほどあの湾頭で、スモーカーは己の頭を撫でてくれた。子供のように、扱った。そうしてくれた人が己の顔を見て、己への認識を改める。それが、どういうわけかいやだった。

「あたし、大丈夫だよ。平気だから、もう行って。アーサーに見つかったら大変だよ」
「ちっとも大丈夫だって声にゃ聞こえねぇがな。お嬢さんよ」

壁越しに声が伝わる。煙の能力者、その気になればこの部屋への侵入はさほど難しくはないのだろう。けれどが「来てほしくはない」とそういう気配を出していることに気付いてその場にとどまっている。

「お嬢さん、あんたの声は泣きそうじゃねぇか。貴族の連中の考えることは俺にはわからねぇが、今のこの状況が本意じゃねぇってなら」

本意じゃない。声には出さずは頷いた。

この状況は、望んではいない。けれど、魔女の闘争に身を置けば不幸な女から脱出できるのだ。だから、戦う、そう、は自身に言い聞かせた。

けれどその代わりに、己は個性を失う。

ではなくなる。アーサーが求める魔女になり、振る舞いや言動の何もかもがごっそりと作り変えられてしまう。自身では一生不幸な女のまま。だから、別の物に変わらなければ幸福にはなれない。そう、突きつけられているのだ。

もうあんなみじめな思いはしたくない。不幸な人生は嫌だ。
戦って、戦って得られるのなら、そのためなら、自分自身だって捨てて構わないと、そう、は選ぶのだ。

「海軍に来ねぇか」
「……は?」
「あの光景を見ても泣き出さなかった。見慣れてるなんてガキがあっさり言えるもんじゃねぇ。貴族の屋敷にこうしているってことは、いろいろあんだろうよ」

唐突に切り出された言葉にが戸惑っていると、ぽつり、ぽつりとスモーカーが続ける。

「待ってよ、なんで、急にあたしにそんなこと言ってくれるの?それって親切心?そういうキャラなの?」

困惑したまま、それでもは問いかける。できすぎたおとぎ話じゃあるまいし、唐突にお誘いを頂く、そういう展開は信じられない。スモーカーという人柄をよく知るわけではないけれど、このぶっきらぼうな言動はどう聞いたって「親切心に溢れてますから!」というタイプではないと思う。

出会ってばだ一日も立たぬ、己を海軍に誘い込む。その意図がわからぬ。

「そう簡単に振り払えるもんじゃねぇんだろ?貴族のしらがみってのは」

スモーカーはを貴族の令嬢。何か本意ではない人生を強制されていると、そのように受け取っているらしい。

「貴族の影響力は、海軍じゃそんなに及ばねぇはずだ。あんたを今、囲む壁も、海軍の中までは追ってこれねぇ」
「いや、だからなんで親切心?」
「そういう選択肢もあるって話だ。別に、俺が引き取るとかそういう話じゃねぇ」

きっぱり言い切る。なるほど一瞬はこれが世に名高い夢要素になるのかと、そういうことを考えてしまったが、現実、そんなに甘くない。

スモーカーが言うには、貴族の娘なんていろいろ面倒なこともあるのだろう。それならできることは知れている、ならいっそ、自分を取り巻くその世界を変えちまえばいいんじゃないかと、そういう「提案」をしている。

湾頭で見かけたその背中が、幼い子供の何ぞ不穏な姿に見えたのだと、そうも言う。

悪にも正義にも染まる子供。このご時世、どちらに転ぶのか、本当にそれはタイミングだろうと、そう海兵の長いスモーカーは言う。

「多少なりとこうして関わっちまったんだ。俺だって「どうだ?」と誘いをかけるくらいのお節介はする」

声をかける理由など、その程度だ。自分が海兵として戦った場所で、自分が作るのに加担した死体を眺める子供出会ったんだ。声をかける理由は、それだけでいいと、そうスモーカーは言う。

「選ぶのはアンタだ。俺には貴族のしらがみってのはわからねぇが、あんたはわかってるんだろ」

スモーカーには、その子供の背中がひどく理不尽なもののように感じられたらしい。そこにその場に立って、その光景を眺めて怯えぬ子供。どのように扱われてきたのか。少なくとも、子供が見ていい光景ではないものを受け入れていた。その事実がスモーカーには、酷く苛立たしいものと映った。

だが彼女は今の場所にとどまり続けていてばそれが「当然」になるのだと、そうわかる。ならば、多少なりとも世界を変えれば、その未来はないのではないか。そう、手前勝手にスモーカーは考えた。

「自由が欲しいなら、そこから出ろよ、お嬢さん」

壁越しにそう、吐かれる言葉。は沈黙し、この向こうにいる、とわかるその場所に手のひらを当てた。

選べるの、だろうか。
己は魔女の戦いに参加するしかないと、そう思っていた。その資格を得たからこそ、あの島から出ることができたのだと、そう思った。

しかし、あのハウスメイドは「選択する機会を与えてくださった」とそう、受け取っている。

その通りなのだろうか。己は魔女の戦争に参加するからここに来ることができたのではないのか。あのメイドの言葉を「真実」とするのなら、己はここで「魔女になるか」「海兵になるか」それを選べる。そういうことになる。

スモーカーは、海軍に来る道があると、そういう。

「……あたし、山育ちだから目がすごくいいの」

ゆっくりと時間をおいて、ぽつり、とは口を開いた。

「そりゃいい。海上じゃ先に船や島を発見できるかどうかで状況が変わる」
「それに肉も上手にさばけるわ」
「従属のコックって手もあるな、それなら」

壁の向こうでスモーカーが座り込んでいるのがわかった。壁に背を預けて、葉巻でも吸っているのだろうか。屋敷に侵入しているというのにそのふてぶてしさが目に浮かぶよう。思わず小さく笑いをもらせばスモーカーが訝んだ。

「なんだ?」
「不思議、スモーカーと話しているとあたし、何にだってなれる気がする」

そういう道があると、そう、沢山出てくるではないか。選べるのか。己は不運な女の人生が嫌で厭でたまらなかった。なぜ自分がこんな目に合うのか。その理不尽さを圧倒的な力でねじ伏せることのできる魔女の地位。

しかし、スモーカーは、が魔女になる可能性がある、などと知らぬのに、それでも「変えることはできる」とそう言う。

魔女になることだけが、救われる道だと、勝利する道だと思っていた。

けれど違うと。そういう道だけではないと、考えればありとあらゆる道があるのだと、そう、スモーカーは教えてくれる。

「あたし、」

何か答えようと、そう口を開きかける。しかし、そしてスモーカーは第三者がこの場所に近づいている事を気配で感じ取った。

「また来る。いつまでいるんだ?」

素早く立ち上がり、スモーカーが問う。それを壁越しに感じながらは首を振った。

「わからない。でも、もう来ないで」
「……そうか」

その返答をスモーカーは「貴族として生きる」と受け入れたように感じたのだろう。沈黙し短く答える、それを早計だとは素早く否定した。

「あたし、今度は自分からあなたのところに行く。そうしたら、あたし、きちんと名前を言って、そうして、あなたに自分が何になりたいのか、それをお話しするわ」

そうしようと、勇気が沸いた。
顔を元に戻せるのかそれはまだわからないが、しかし、今この場でこの顔のまま名乗るのはには許せなかった。元の顔、今のこの顔からすれば美というものとはかけ離れた野暮ったい顔だが、それに戻り、そうして、スモーカーに会いに行こう。そう思えた。

まだ何を選ぶつもりかは決めていない。

けれど、けれど、は「あたしはあたしのままで幸せになれる」とそう、励まされた。

「必ず、必ず会いに行く。絶対、ねぇ、スモーカー、待っていてね」

壁に手をつき額を押し付け、は念を押す。壁の向こうで短く「あぁ」とそう、頷いてくれた。







+++









「ヤーヤーヤ、ようお似合いどすぇ、はん。愛らしいっちゅう言葉程度じゃ現しきれんわぁ」
「ありがとう、コルテス」

スモーカーの気配が消えて数秒後、軽いノックの音とともに現れたのは仮面の貴族コルテス・コルヴィナス卿。象牙のように白い仮面を付け、口元をあらわにして笑みを引く。いやに芝居かかった仕草だが表情を知らせることができぬのなら聊かオーバーなリアクションになるのも無理からぬことか。

絹の衣を纏い一目でわかる高貴な身の上。この館にお忍びで滞在しているのだけれど、こんなに派手な男の存在が感知されぬ、海軍本部の海兵の目は節穴ぞろいなのだろうか?

スモーカーは無事に出られるだろうか、そのことを心配しつつ、は壁から離れコルテスを迎えた。

「そのべべはよう似合っとりますなァ。あの方と瓜二つや」

アーサーと同じ言葉を尽くして絶賛するコルテス卿。それを受けながらの心は警戒心をはっきりと湧き上がらせていた。

この数日、アーサーとコルテスを見てきたにはわかる。世に恐ろしい悪の貴族と称されているアーサー・バスカヴィル。此度の魔女の闘争に関与しを「」に仕立てようとしているその腹黒さと執念深さ。コルテス卿は常にそのアーサーとセットのイメージがある。だから二人は共犯者なのだとも取れる。けれどコルテスは、の整形や言動の化に関与の一切をしていない。それどころか、今こうして己を「良く似ている」と絶賛する、その言動は完璧なのに、それなのに、魔女の素質のあるは肌で感じ取っていた。

明らかに、確かな、確実な、はっきりとした嫌悪感がコルテス・コルヴィナスから伝ってくる。

「そういやぁ、あの海兵。どないです」

にこにこという雰囲気のままコルテスが問う。なんのことかわからぬとが言葉にせず首を傾げてみせると、コルテスは「いやいや」と大げさに手を振った。

「ヤー、記憶に残らへんどしたか。それとも故意にとぼけとりますのんか。ヤーヤー、どちらにしてもかぁいらしいなァ?」

この男、何を仕掛けたいのだとは警戒し黙した。その反応を「お利口さんやね」と称賛してから、ふわり、とコルテスの手がの頭を撫でる。

「あの海兵、あの男。えぇ男やろう?自然系の能力者、できれば同じ古代種がえろうおすけど、そないおりまへんし、まぁ、それにあの男と同期ちゅうんがよろし」

は鏡に映る己をまっすぐに見つめ返した。それ以上の反応を出さぬよう自身を律する。スモーカーのことだ、とはすぐに分かった。あれは、偶然の出会いではないのか。

「魔女が恋をした話は、もうアーサーはんから聞いとりますやろか」
「もちろん。それがあたしのターゲット、大将赤犬でしょう」

おとぎ話の二人のように思えた。憎み合う理由のある二人が惹かれあい、長い時間を経て互いを理解し認め合った。そうして迎えた結末は、どこか物語じみている。死体の山に囲まれてきたには信じられぬ夢のような話。しかし語り手は「けれどどこまでも生々しい。これは現実に起きたこと」とそう言い含めた。

「そう。確かに魔女は赤犬を愛しましたなァ。せやけど、違う。その前に、恋をした相手がいはります」
「?」
「当人ら気づいとらず、それは恋というには幼いもの。けれど、確かに恋だった」

この男は何が言いたいのだろう。
そんなことはないはずだ。は愛を知ればその途端にパンドラへの封印が解ける。それが止まった時間を動かし、世界の破滅へ導くと、そうされていたはず。それでも長きにわたりその封印が説かれていなかった、それはが誰も愛しはしなかった事実になる。親愛は除くらしいが、恋とは異性に向けられるもの。コルテスの言うとおりそのような事実があったのなら、赤犬と愛し合い解けた、という事実はどうなるのか。

「かつてこの海軍本部に、ディエス・ドレークっちゅう海兵がおったんよ」
「それは、知っています。魔女の世話係。胃薬好きな」

唐突に出された名前。その名も覚えがある。

魔女の世話係。今は造反し海賊に身をやつしているという「堕ちた海軍将校」赤旗・X・ドレークというその人。

頷けばコルテスが満足そうに目を細める。

「うちはなァ、。思うんどす。はんはきっと、ドレークはんに恋をしていた。当人気付かぬ幼い恋。父親に憧れるような、そんな、男女の生々しさとは無縁の恋。それであるから夜の女王の範囲外やったやろうけど。どんな時でも自分を振り返り、助けてくれる。見守り、慈しみ、頭を撫でてくれはるドレークはん。恐ろしい海軍本部の強者強者の中で裏表がなく、思慮深く、己の身を顧みず魔女を見ていてくれたただ一人の、男。きっと、魔女はドレークに恋をしていた」

ゆっくりと、静かに語る。その時を見たわけではないだろうに、コルテスが「思い出す」ように語るそれには感情があった。芸人じみた言動をするのに、この男にもある意味感情というものは読み込みにくい。しかし今は、懐かしいその光景を「あれは好ましいものだった」とそう思い出しているように見える。

「……それがあの海兵と何の関わりが?」

なぜかは嫌な予感がして仕方なかった。
己は、己は、スモーカーと約束をした。必ず会いに行くと。その時は、己は何かを選んでいる。魔女にならずとも幸福になれると、教えてくれたあの人に、どんな選択を持って行けるのだろうかと、それを考えることは楽しいはずだ。

しかし、しかし、そういう余韻に浸る間もなく現れたコルテス・コルヴィナス。その存在が、ゆっくりと、しかし確実に、の背筋を凍らせる。

「スモーカーはんは、まぁ海兵やろ?それにドレークはんの同期や。似とるところもある。それに海軍本部の妙な正義に染まりきらん。まぁ、造反はせぇへんやろうが、似とるんやろうね。そういうお人に、アーサーはんご推薦のはんが接触した。なぁ、どないしました?」

あぁ、なんてことだ。

は気づいた。気づいてしまった。

そうして、顔から血の気が引く。それを愉快げに見下ろすコルテス・コルヴィナス。睨み飛ばすだけの気力が、にはなかった。

己はの、あの魔女の足跡を辿らされている。

これから赤犬へ挑むことになる己。ただ顔を似せただけでは「」と他人に錯覚させることは難しい。あれほど心を繋ぎ合った赤犬と魔女であればなおさら、あっさりと見破られるだろう。

状況がひとに左右する。

魔女が使うわざでもある。そういう状況に追い込む、作る、それこそが魔女のたしなみ。

仕組まれた。仕掛けられたのだ。

は赤犬と愛し合う前に、それより前に、淡い恋心を抱いた。己を助けるknightの手、それらを受け取り、当然のようにし、はきっと、ドレークに恋をした。

その軌跡をたどり、同じ状況にもっていかされている。

確かに己は、あのスモーカーという海兵に、ある種の思慕を抱いた。何も知らぬ人。己がどれほど罪深い行いをしてきたか、そしてこれから行うのか、それらを知らぬ。己をただの子供として扱い、頭を撫でたあの人。

あの人に、憧れを抱いた。

その気持ちは、魔女も同じだったのだろう。何も知らぬ、けれど正義の製造場所に近い人。その人が己をただの子供として庇護しようとしてくれる、この、暖かさ。

もちろん、ハウスメイドやスモーカーがくれた「選択」というものは、予想外のことだろう。しかし、スモーカーを「巻き込もうとしている」というその状況がはっきりとわかった。

魔女の、魔女の、問題に巻き込まれ、ディエス・ドレークがどうなったか。は知っている。

それと同じことを、スモーカーに?

ただドレークと、が恋をした相手と同期だったからというだけで、スモーカーは選ばれたのか。そんな、そんな手前勝手な理由で、今後一切、彼を破滅へ導けというのか。

「…………」

ぎゅっと、は唇をかみしめる。

そんなこと、そんなこと己はけして認めない。

あの人が提示してくれた可能性はどれもこれもきらきらとしていた。確かに、魔女になり縦横無尽にふるまえはしないだろう。けれど、海兵になってスモーカーの傍らに、あるいは従属になって手伝えると、それらの未来は光り輝いて見えた。

だが、この「状況」が、たとえが魔女にならぬ道を選んだとしても、「魔女に関わったもの」とそういう状況ができたことを、どのみちスモーカーは巻き込まれるのだと、それを教えた。

「……どうして、それを教えたの?」
「気づかん方がえぇのんか?」

疑問がある。

なぜコルテスはそれを己に「知らせ」た?

いや、そもそも、己がスモーカーと出会ったのは偶然だったはず。いや、違う、違う。たどれば、そうだ。己はアーサーに外を散歩してくるかと出された。そしてそれを何食わぬ顔でアーサーは「女の子がいなくなってしまった。探してほしい」とそう、頼んだのだ。スモーカーに直接、ではないかもしれない。

だが彼にゆかりのある人物に頼み、そうして「偶然」スモーカーとを引き合わせたのだとしたら?

激しい嫌悪感がの胸を絞める。

あのハウスメイド、これを知っていたのではないか。

魔女を、を知る彼女は。ドレークとのことも事前に知っていたはずだ。彼女は、魔女になるということがどういうことか。反則的な力や地位を手に入れる、その代償が何なのか、それを、知っていたのではないのか。

魔女は、他人を破滅させる。そうと望まずとも、己の運命にずるずると引きずり込む。

だからドレークは、に造反する日を告げはしなかった。破滅へ共に飲み込まれることは彼の人生の本意ではないと、そう判断して、ドレークは、ドレークという人間は、を、おそらく彼自身相当に情を持ったを「捨て」た。

己は魔女の戦いへの招待状を得た。己は薔薇の魔女の座をかけて争う魔女になれる。その資格も、そして到来世紀の魔女しか持ち合わせぬ童話の要素も、己はその半生ゆえにすでに掴みかけている。他の女どもに負けるべく要素はない。

アーサー卿は満足げに己の完成を待っている。スモーカーとの時間も、己が魔女になるため、いや、死した先代の魔女に近づくために仕組まれたことであるのか。そのためにスモーカーは選ばれて、そして、ドレークが味わった以上の地獄を、魔女の業より呼び出されるのか。

「どないしました?はん、顔色があきまへんぇ?」

コルテスが知らせること、それはアーサーには本意ではないだろうし、予想外のはず。アーサーにとってコルテスは「共犯者」だとそう、その扱いから見てわかる。けれどは知っていた。この男は、この、仮面の貴族は、アーサー卿が赤犬へと仕掛けたリコリス・ボルジアという毒姫を用いてある資格を得ている。指先がの唇に触れた。愛しいひとに触れるようにそっと労りを持って移動する指は暖かく、手袋をはめられていないため丁寧に手入れされた爪が見えた。

この男は誰も彼をも、何もかもをも裏切って、裏切り尽くす生き物だ。己に触れるその指先は、いずれ血に塗れるのだろう。

「あたしが邪魔なのね。それなら殺せばいいのに」
「とんでもない。魔女に手ぇ出すなんてそないなことはできまへん」
「あらそう。もうしてるのにね」

まっすぐには仮面の貴族を見つめる。

この仮面を付けることがこの貴族の義務と、そうされている。しかしそれだけではない。この仮面の下にはどれほどの秘密が隠されているのか。暴き立てる気はもちろんないけれど、そうやって皆々が仮面を被り本性というものを隠しきる。

「アーサーに伝えて。今夜、あたしは魔女の決闘をする」

魔女のルールを思い出す。
けしてしてはならぬこと、報復を受ける第一の決まりごと。それを頭の中に思い浮かべる。

(誰にも、スモーカーを利用させたりなんかしない)









Fin




 

(2011/01/25 19:19)


彼女がどうなったかは、本編で語られていますが、実際こんなやり取りの後の行動、という裏設定でした。