繰り出された一撃をひらりと華麗に回避!というのは今の自分にはできない。真横に水平、こちらに近づく剣を手首に仕込んだ鉄板で受け、みっともなく身体がぶれた。細い二本足は強い力に踏ん張ることが難しい。ぐらりと不安定になって、そのまま正面からの正拳を受ける。げほっと喉から胃液が湧き上がり、目を見開いた。腹を抱えてうずくまりたいが、相手はそんな優しさなんぞ持ってない。海賊なんだから当然。慈愛と慈悲なんてものは聖職者か世に母と呼ばれる人のスキルだ。海賊、海の屑の連中の専売特許は「卑怯」「極悪」「理不尽さ」と決まってる。いや、最後のは魔女だって持ってるか、とは血の混じった唾液をぺっと地面に吐き捨てた。あぁ行儀の悪い!

「なんだァおい、こんな弱っちぃガキが賞金稼ぎ?」
「大人の世界に足を突っ込むにゃまだ早いぜ、お嬢ちゃん」
「悪いこたァ言わねェ、怪我しないうちにさっさと帰んな、うちのお頭はおっかねぇぞ?」

あっさり膝を付いたを相手の海賊が嘲笑う。たった数回のやりとりでこちらの実力を知られる。そこそこ腕のある海賊。グランドラインの入口付近に位置するこの島。それでもグランドラインに来て暫くやっていける、ということは、その辺の海でのさばる海賊より腕があるということだ。
の調べでは一味の内の船長が2000万程度の賞金首。能力者ではない。20人程度の海賊団をまとめる船の長。を殴ったのはその海賊団の下っ端に過ぎない。

ぐいっと乱暴に髪を掴まれ吊り上げられた。痛みに顔を引き攣らせ、悔しげに呻く。無礼者、とは思わない。今回のこの海賊団は「親切」な方だ。無謀な子供が挑んできたから大けがをさせる前に下っ端連中で軽くお仕置きをして追い返そうと、そういう姿勢。好ましいと言える。けれどその親切は無知ゆえのことだった。グランドラインの入口、そして賞金額が対して高額ではない、ということはこの偉大なる航路の「常識」を知らぬ。その海に巣食う魔女を知らぬ。だから、ごてごてと魔女そのものの装いで着飾ったを見ても警戒しない。ただの子どものお転婆と笑う心を持てている。これがグランドライン後半、ひらひらとしたスカートにコルセット、胸に薔薇を飾った赤い髪の少女を、名の知られた海賊連中が目にしたものなら即座に息の根を止めようとしてくる。つまりはそういうことなのだ。

の顔が痛みで歪んだので、髪を掴んだ男がぱっと手を放す。

「あぁ、嫌だよなぁ。このガキ、俺の妹と変わらねぇぜ。こういうガキを甚振るのはいくらなんでも気がすすまねぇんだ」
「な、力の差はわかっただろ。お嬢さん、お頭に見つかる前に帰ぇんなよ」

立てぬこちらの腕を取って立たせる。殺そうとした相手に気遣われる。はそれが今の自分の実力なのだと理解していた。かつては自分がそうだったのに、今は逆転している。この連中は気がいいのだろう。普段であればしくじって酷い折檻を受け半死半生で海に投げ出されることが多い。それでもこうして、ただ少し痛めつけただけで解放してくれた。だからここは大人しく船から離れるべきだろう。宿に戻って手当をするべきだろう。けれどそうはできない。できないから、は落ちた自分の剣を掴み上げて、再び構えた。

「……おいおい、もう、本当いい加減にしとけよ」

きつく相手を睨む。退治する海賊3人が困った顔をした。先ほどの言葉に嘘はなく、彼らは本心から「子供を殺す」のを拒否したい。わかっている。だからは剣を構え、踏み込んだ。腕力は敵わない。の、いや、正確にはリリシャーロの剣は大きく振れば振り回されるけれど、しかし相手を重さで切り潰すことができる。呆れ半分でこちらの一撃を受ける海賊の剣を重さで叩き追って、は仕込んだ先の細い鉄の棒で相手の片目を潰した。上がる絶叫。やっとこちらを警戒し、傷つけられた仲間の名を二人が呼んだ。痛みを間際らそうと男が口汚くを罵る。びりびりと男三人の殺気がこちらに向けられる。親切な一面を持ちはしたが、やはり海賊。仲間を傷つけた者は子供だろうと容赦しない、殺されたって文句はないな、とそれでもきちんと確認はとって、再びへ切りかかった。その顔にぱっと取り出した小瓶の中身をぶちまける。薔薇の毒と錆を調合した粉だ。怯み乱暴に腕が振るわれ、は壁に背中を打ち付けた。かはっと喉がなり、蹲りたくなるがそんなことをしている暇はない。痛む背中をそのままに根性だけで立ち上がり、目や顔を抑えている男たちの間をすり抜けてこの船唯一の賞金首を目指す。
男たちの怒鳴り声で騒ぎが気づかれた。甲板中に海賊が集まってくる。既に「戦闘か?」と疑いを持ったようで手に獲物をきちんと用意しているあたり海賊だと褒めてやりたい。いや、今の自分はそんな傲慢上目線に思えるほどのものではない。は重い剣を引きずって、手配書で見た覚えのある顔に近づいた。

「君が船長、×××の××だね?」
「あぁ、そうだ。なんだガキが俺の首を狙いにきたのかよ」

接近しても何の動揺もない。冷たい目で一瞥したのち、賞金首の船長は腰の剣を抜いての一撃を受け止めた。ぴしりと亀裂すら入らぬその剣、鈍らではないんだねと余裕を見せるための軽口をたたいてからはちらりと周囲を見渡す。完全に包囲されてる。わっと襲い掛かってくる前に、は努めて声を低くして相手の船長に申し出をする。

「僕は賞金稼ぎのオズ・。君と一騎打ちをしたい」

帽子を取って丁寧にあいさつをすれば船長殿の眉がぴくん、と跳ねた。こちらを探るような目つきで眺める。こちらの力量を把握しようとの手足を凝視し、そして首を捻った。

「海にゃ時々てんで弱そうで、化け物みてぇなヤツもいる。だがテメェはただのガキだ。一騎打ちの意味、分かってんのか」
「どちらがどちらとその勝負、僕はその手の戦いなら負けたことがないんだ」
「だから今ここにいる、そりゃあ道理だ。だが無謀なお嬢さん、相手か格上かどうかの判断もつかねぇのか」

最後の言葉には脅しが込められていた。低い声と共に殺気がびりっとの肌を刺す。一瞬震えた体を抑え込み、は一度目を伏せた。

(傲慢尊大に、それが魔女のたしなみ)

「ふ、ふふふ、この海は何もかもが見かけ通りじゃァないんだよ。この船の人間全員がそれを骨身に沁みて知っているはず。平和そのものののどかな天気があっという間に見知った顔を飲み込んで無残にする。油断して仲間の命を失ってもいいのかい、船長どの」
「……何が言いたい」

男の声の響きが変わった。このグランドラインに入るにあたって、あるいは入った後、この船は何ぞあったろう。そうして仲間の命をいくつか失っている。その「予測」はにも立てられた。仲間を守れなかった船長、また同じ失敗をしていいのか、とそう唆す魔女の声。はゆっくりと周囲を見渡してもったいぶったように沈黙してから先ほど己が目を潰した海賊、残りの二人を指で刺す。既に船医が駈けつけており治療をされているが中々に窮地になっていた。

「目から入った毒はわりとすぐ脳にいくんだよね」

、自分の弱さはよくよく自覚している。それでも海を彷徨うことを止めることはできないのだから、なんとかかんとかやっていける手段を作らねばならない。それで今の所目につけているのが毒の使用。問答無用なの体だって毒薬は効いた。どれほど海の強者であろうと体内に入り込む毒物をどうすることは難しかろう。だからはあえて目立つ大剣を用い、服に仕込んだ毒の数々で相手の命を奪う。元々自然界の弱い生き物だって毒で非力な己の身を守っているのだ。はこの手段を卑怯だと思うつもりはない。

「船医!状況は!」

船長殿、素早く事態を把握した。の毒によって三人の仲間が瀕死の状態。解毒方法がわからないと船医が力なく首を振った。その間にも三人は(それぞれ進行速度は若干異なるものの)体を痙攣させ口から泡を吹いている。顔色が綺麗な紫になった仲間を見て、船長の目つきが変わった。

「解毒剤を今持ってんだな?」
「持ってるよ」
「おれが一騎打ちを受けたら今すぐ渡すんだな?」
「へぇ、君は頭がいいねぇ」

ぱちぱちとはからかう様に手を叩く。一騎打ちの決着後(つまりはが船長によって殺されれば船長はの遺体から解毒剤を漁って入手する)ではなく今すぐ仲間を助けるために言葉を選ぶ。が買っても負けても薬は手に入れられる。薬の値段を「一騎打ちを受け入れる」というものに勝手に決定してくる。なるほど賢いやりかただ。しかしは海賊の命と自分の命を対等に扱う気はない。

「一騎打ちをしてと僕は提案しただけさ。解毒剤を今すぐ渡して欲しければ君の命をここで僕に差し出しなよ」

は「薬の値段はお前の命」とそう突きつける。一騎打ちはが「船長の命が欲しい」という意思表示にすぎず、手に入れるための手段としては「解毒剤」を掲げた。船長が解毒剤を手に入れるためには「命を差し出す」という選択肢しか選べぬよう言葉を運ぶ。

「船長……!!」

クルーたちがざわめく。解毒剤を持っている以上誰もに今すぐ掴みかかることができずにいる。船長は黙った。じっとこちらを睨みつけ、しかし一分一秒でも無駄に過ごせば仲間の命に係わるもの。慎重に慎重に、思考し、そして口を開いた。

「なら話は簡単だ、てめぇを殺して薬を奪う」
『期待などするな、誰も助けになどこない』

男の宣言と同時に、の耳にセンゴクの言葉が蘇った。覚えている。はっきりと。としてセンゴクの前に姿を現した。この道を行くと告げ、センゴクの義姉の長い眠りを解いた己の背に、センゴクは言った。

(そんなの、わかってる)

ぎゅっと掌を握り締めて胸に当て、は海賊船長にころころと笑いかけた。

「ま、そうくるよねぇ。海賊なんだしー」

獲物を構えこちらに向かってくる海賊船長。その一撃はひらりと躱すことができた。別段己が素早いのではなくて相手に隙がありすぎる。にはこの船長の葛藤が良くわかった。このような理不尽な提案をしてきたを意地の元に「殺して」やりたい気持ち。自分の大切な船の仲間の命を奪うかもしれない「敵」である己を憎む気持ち。けれどここで船長が「俺が殺す。殺して奪う」とその選択肢を選んだことによって、時間がかかる。結果、たとえこの場でを殺すことができても、それでも仲間は解毒が間に合わず死ぬかもしれない。自分が命を差し出しさえすれば、仲間は助かる。でもそれは選べないから戦いを選んだ。その結果、仲間が死ぬ可能性があるというこの現実。

「船長ッ!!!!」

躊躇う船長。今すぐ考えを改めて解毒剤を入手するべきか、その迷いがの目にはあからさま丸裸、その隙をついては船長の首に重々しい剣の刃を振り下ろした。






+++++






「少し、控えた方がいい。死ぬことになるぞ」

きちん、と包帯を巻き追えて古くからの馴染みであるクロッカスがため息交じりに苦言を呈してきた。は一瞬左手の小指を動かすが、しかしすぐに、見当はずれなことを言われて困惑したという、その白々しい表情を老医師に向ける。

「なぁに、クロッカス、妙なことをお言いだね。僕は死にやしないのにー」

語尾を伸ばす。白々と子供のような言動。青い目をきょとんとさせ小首を傾げればクロッカスは一寸黙り、そしてやはりため息を吐いた。

「今日のはね、そんな手ごわくなかったよ。2000万ベリー程度だものねぇ、この僕を相手にするにはちょっと役不足だとそうは思わないかい」

ころころと喉を震わせて笑う。昔ロジャーの船であった魔女の顔とは少し違う。けれどその面影はあるからクロッカスは何も言わない。何か言うことがあるとすれば、その「大したことない」相手の首を取るのになぜ右腕をざっくりと斬られているのか、あちこちに銃弾を受けているのか、クロッカスとラブーンの暮らすこの岬に、まるで倒れ込むようにがやってきたのか。そういうことを突っ込むだろう。けれどこの老人は何も言わない。だからにっこりと笑ったまま、治療を施された腕を見る。

「クロッカスくんの包帯の巻き方が好きだよ。きつ過ぎないし緩過ぎない、動かしても簡単には解けないから好き」
「……新しい血止め薬に包帯、それに頼まれてた薬がいくつかその袋の中に詰めておいた。お前の性格を考慮したうえで最低でも一週間は安静にしろというのが医者としての言葉だが、聞いてはくれんのだろうな」
「ありがとう。包帯とか調合する元とかの材料は僕でも手に入れられるけど、君が作ってくれた物の方が効果がありそうだからね」

後者には触れずは丁寧にお礼を言い、部屋の隅の台に置かれた皮袋に視線をやった。

「そろそろちゃんと代金を受け取ってもらいたいな。君はいつも、僕に材料の調達はさせるけど、お礼の料金は受け取ってくれないんだもの」

魔女の叡智の一つである薬草関係の知識はから失われている。だから毒を使った戦闘スタイルにしようと思ったとき、は「どういう薬が効くのか」とそれすらわからなかった。だから記憶にある限り信頼できる医者、それでいて余計なことを言ってこない気心の知れたクロッカスを訪ねた。

の昔馴染みはを「」とそう認識し、そして怪我の手当てと、強力な毒の調合を引き受けてくれている。必要な材料などはが島に来る前に調達してクロッカスに渡すから手間以外のものがかかっているわけではない。しかし「お礼」ということではある程度のお金を差し出し続けているのに、クロッカスは受け取ってくれたことがない。

「元海賊だから海賊の命を売ったお金は受け取れないの?」

いい加減観念して受け取ってほしい。こちらの気分も軽くなる。それでは自分の都合を押し付けるために少々意地の悪いことを言ってみる。

「ここでの生活はラブーンを看るか、あとは入口からやってくる海賊どもの相手をするくらいしかやることもないんでな。暇つぶしにやっているだけだ」

しかし相手はクロッカス、こちらの挑発に乗ることもなくさらりと躱し、キッチンから湯気の立つマグカップを持ってきてに差し出した。カップの中身を確認するまでもなく臭いですぐにいつもの「クロッカスお手製☆薬草スープ」であるとわかり、の顔が引きつる。

「う、わぁお。ねぇ、これ飲まなきゃダメ?」
「飲ませるために持ってきたんだ。第一、麻酔をしたから今は痛みが引いているが、直に冷めて傷が熱を出す。これを飲んで少し横になってろ」
「……君の特製スープって本当にまずいんだよねぇ」
「良薬口に苦しと昔から言うだろう」

観念しろと言われは唸った。いったいどんなものを煮込んでるのか、どろどろとしていてそれでいて緑にちょっぴり紫が混じったこのスープ。いや、液状化はしているがスープのあのさらさらとした特徴はない。シチューやなんかの水分をできるだけ飛ばしてドロのようになった妙なものを想像して欲しい。味はとことん酷い。えぐいと有名な菊の葉のジュースの方がこれより100倍もましに感じる。

カップを受け取り顔に近づけてみると、その強烈な臭いに涙が出てきた。

「よく昔、シャンクスとバギーがこれのお世話になってたけど、僕、本当、味覚がなかったあの頃でさえこのスープには近づきたくなかったよ」

あぁああ、と肩を落とす。けれど飲まないとクロッカスが怒るのだ。怒られたって別にどうということもないのだが、しかし、クロッカスやレイリー、昔馴染みに「怒られる」とほんの少し凹む。おまけに彼らは「君を心配しているから怒るんだ」とたちの悪いことを言う。だからは唸って嫌がっても最終的にはごくごくと飲み干すのだ。

「……うわぁ、まずい」

しっかりワンカップ分飲み切って口元を抑える。昔は味覚がなく臭いさえ我慢すればよかったのに、このリリスの体(多少改ざん済み)ではしっかり味覚まで感じられ、本当もう、何だこの拷問。こんなにクソまずいものをよくシャンクスは文句も言わず飲んでいたと記憶にある赤毛の坊やを見直す。

「栄養価は高いんだぞ。お前はまともにメシを食ってないからできれば毎日飲んだ方がいいくらいだ」
「ご飯を食べるのってどうも慣れなくてねぇ、でもこれを毎日飲まなきゃいけないなら頑張ろうかとは思うよ」
「なら頑張ってくれ」

冗談交じりに言ったのに生真面目に返される。は困ったように笑って、視線を下げた。

「食べるのも寝るのも苦手なんだ。いろいろ考えちゃってねぇ」
「メシを食う時も寝る時も大抵は何も考えないもんだ」

ぽん、と大きな手が頭の上に置かれた。大きな皺だらけの手。銛を握るその手は人や鯨の命を助けているのに、はクロッカスに人の命を奪う毒を作らせている。

(本当、お金を受け取ってくれれば僕の気分は晴れるのに)

金を払うから、毒を作る。そういう、クロッカスの「本意」ではなく「そういう状況になっている」と、そういう事実がは欲しかった。クロッカスは己の共犯者ではない。だから、自分が勝手にお金を置いて行って、それをクロッカスがなんだかんだと使用してくれれば、それではクロッカスから距離を置ける。それなのに、クロッカスはそうしない。「暇つぶし」だと、そしてそうするのはが「」だからだと、親しい昔馴染みの身を守るために必要な毒だというのならいくらでも提供しようと、協力しようと、その姿勢を崩さない。

(嫌に、なる)

はクロッカスの診療室を出て見晴らしの悪い、日陰になった場所に寝転がる。ここなら襲われる心配もないし、日陰、影、暗い場所、夜に近しい場所ならいざとなればリリスを呼べる。眠るときは細心の注意を払わねばならぬから眠る気はなかったけれど、怪我の度合いから見て、確かに横になっていなければならぬだろう。

横たわり、木々の隙間から見える空を見上げる。真っ青な空に白い雲。グランドラインの摩訶不思議な気候でも、それでも空は何も変わらない。同じ青をしていて、白い雲を浮かべている。この雲がどこから流れて来たのか、考えるのも楽しく、あれこれと様々な形をしている雲から動物やマークを連想して遊んだ。

「はーと、うさぎ、なんかわかんない」

途切れ途切れに見える空の雲をぽつりぽつりと勝手に決めつけて行きながら、頭の中では首を飛ばした賞金首の船長の、その船のその後のことを思い出している。

が隙をついて船長の首を切り落とした。一瞬何が起きたのか、船員たちはすぐには把握できず。沈黙、沈黙、ごろん、ごろごろと転がる音がその無音の中に響いた。は海賊たちが我に返る前に落ちた首を引っ掴んで、駆け出す。その途端連中もはっとして、うめき声をあげた。「船長!」「船長!」と、嘘だと、この状況はウソなんだと、必死に否定し叫ぶ声、こちらを追いかけてくる声、あれこれと可能な限りの声を張り上げて連中が一同まるで差もなくを憎んだ。

その船には約束の「解毒剤」を投げつけて、そしてすたこらさっさと逃げようと、そうした。けれどそんな素早く華麗に!なんてことは簡単にはできない。船に背を向けたを容赦なく海賊の銃口が狙い撃ち、頭を直撃、なんてことはかろうじて免れたけれど、結局腹や腕、肩と合計4発は喰らった。撃たれて速度の遅いを海賊たちはあっという間に追いかけ追いついて、掴みかかって殴り倒した。「よくも、よくも船長を!」と憎しみ泣き叫ぶ声が耳に残っている。

けれどその悲痛な叫びより、殴られた痛みの方がには印象的で、思い出してぶるっと体を震わせた。

は、今現在「オズ・」と言う名前で賞金稼ぎなんてやっている。なぜ賞金稼ぎになったのか、まぁそれはいろいろあったからなのだが、世界政府との取り決めがこの根底にはある。

『一年で50人の海賊の首を取れ。内10人は5000万ベリー以上の首でなければならない』とそう決めやがった5人の老人ども。へいへいと頷く素直さなどそもそもにはなかったのに、けれど、けれどもはその「契約」にサインをしなければならない事情があった。

「一年間、365日で50人ってことは、一週間に一人は捕まえないといけないんだよねぇ」

ため息を吐く。賞金稼ぎはひと月、あるいは半年以上かかってやっと一人の賞金首を倒すというのが多い。それは、ロロノア・ゾロやら二丁拳銃のダディ・マスターソンやら実力のある賞金稼ぎなら犯罪者の多い町に行って手頃な賞金首を倒すことができよう。けれど普通は、ひと月に一人というのでもかなり難しいものだ。

(彼らは皆、僕を憎んでいるだろうね)

今日殺した賞金首の船長殿、その仲間、結局解毒が間に合わず3人は死んだだろうし、は逃げるために何人かに毒を浴びさせたからもう少し増えてたかもしれない。残された仲間がどれほど「正体不明の少女」を憎み恨んでいるのか、想像するとぞっとする。けれどその体の震えを覚えは資格は自分にはない。

(僕は他人の命で自分の命を買ってるんだよねぇ)

つまり、つまりはそういうことだ。

政府はが「約束」を守らなければ殺すと言った。だからは政府に「殺されない」ために海賊の首をせっせと集める。

(殺されたくないんだよ、僕はね)

酷いことをしていると、わかっている。そんなことは、わかってる。

憎しみを買っていく。慕う船長を殺されたクルーは己を恨み、憎み、いつか殺しに来るだろう。人を殺す時は憎まれる覚悟を持たねばならぬ。復讐される自覚を持たねばならぬ。相手の命人生何もかも背負う覚悟を持って剣を振らねばならぬ。それが、の記憶にあるの想い。けれどにはそんな覚悟はなかった。憎まれたくない。殺意を向けられたくない。でも殺す。中途半端な覚悟と信念で、みっともなくあさましい。見苦しい醜態でこの海を生きる。

(そうだ、僕は殺されることが怖い)

もちろんこのまま賞金稼ぎなんて続けていれば、いつか海賊に殺されるかもしれない。けれど、海賊相手のこの賞金稼ぎ、命を落とし「かける」がいつも生き残れる可能性はある。そのために毒を仕込み、あれこれと準備準備を重ねる。生き残るためならどんな手段でも使う。だから、賞金稼ぎをして命を落とす、その未来は絶対にないとそうは確信していた。

けれど世界政府との取り決めをが破れば、連中は「確実」に己を殺すだろう。自分は「確実」に死ぬ。それがわかっている。

この身になって初めて、は「世界政府」というものの大きさを実感した。この世界に君臨する巨大な権力。圧倒的な支配力。根付いて根付いてしまっているから、逆らうことの難しさ。ドラゴンが革命軍、なんて御大層な組織を作らねば倒せぬと判断したのがわかる。

逆らえば自分はあっという間に殺されるだろう。

(僕は、殺されたくない)

それだけを強く思う。死にたくない、殺されたくない。だから足掻く。政府の言いなりだとわかっていても、それでもきちんと決まりを守る。

己を殺すのに政府は軍艦を差し向ける必要などないのだ。ただ一人に「魔女を殺せ」と命じればいい。たったそれだけでいい。

頭の中に何度も何度も蘇らせるの最後の記憶。

辛そうに、苦しそうに、眉間に皺を寄せて唇を噛み締めて、この世の全ての正義を背負う覚悟をしたその目。何もかもがどうしようもなくて、もうそうするしかなくて、大将は魔女を殺さなければならくなって、それで。覚悟を決めたサカズキはこれまで葬ってきた他の罪人たちと何の不公平さもなく同じように魔女をそのマグマで持って葬った。

あの時の顔を、覚えている。

ぎゅっと強く目を閉じてからは飛び起きた。寝ている時間などない。こうしている間にも時間は過ぎていく。政府と約束をして半年、まだ10人もは賞金首を倒せていない。グランドラインの入口ではそれほど海賊がいないこともある。だが先に進めば今以上の強さを持つ海賊がいる。仲間が大勢いる海賊団がいる。一つの船に都合よく3,4人くらいは賞金首が乗っていてば楽だが、それはつまり政府・海軍が「金を払ってまで始末したいレベルの海賊」手ごわい人間を複数相手にするというだけのことだ。

「でも、寝てなんていられない」

一先ず次はジャヤに行こう。あそこにはうるさい海賊、賞金首が多く居る。金額はそこそこしか期待できないし、今のこの身で行っても首を飛ばせる者は限られているとわかっている。それでもは次の進路をジャヤに決めた。

痛む体、ずきずきとして、もういい加減休みたいと訴える体の悲鳴を無視して双子岬に止めてある水馬にまたがった。








瞳を閉じれば、浮かんでくる君の顔

 

 

 

(もう二度と、あんな顔をさせない)
僕は大丈夫、僕は「魔女」でなんだってできるんだから君は何も心配しないで。

 

 

 

 

 





(2011/06/09)

短い話。
二部子さん視点。頂上決戦からまだ半年。この時の二部子さんの実力はたしぎちゃんより弱い。