グランドラインに位置するその小さな島。観光名所というわけではないけれど、それなりの規模の街があり、それなりの宿屋も構えられていた。そのうちの一つの民宿、一階が大衆食堂で二階が宿というありきたりな作りの宿泊場に・コルヴィナスは滞在していた。予定では三日間の滞在のはずが二日目に体調を崩し、結局一週間の滞在となってしまった。

は一週間世話になった部屋のベッドに腰掛けて長い髪を指で梳く。規格よりも少々大柄なを宿屋の主人は気遣って大きめの部屋を用意してくれた。これで料金が通常通りでいいというのだからありがたい。ベッドの向かいにある大きな鏡をちらり、と眺めては眼を細める。

鏡には大きな男が一人映っていた。肌は白く、聊か不健康とさえ言えるほど。唇も血色悪く、宿屋の女将が寝込んだを心配してあれこれ世話を焼いたのも元々の顔色の悪さを意識してのことかもしれない。髪は女のように長く軽くウェーブがかかっている。くせっ毛で、これは父親譲りなのだとは聞いていた。できれば母のような真っ直ぐな髪が良かったと、無造作に一つに束ねながらはいつも思う。目を凝らせば青見かかった黒髪に、瞳は燃えるような赤。鮮やかというよりはどこか煉獄めいている。は自分のそういう目の色が好きではなかった。黒縁の分厚いめがねを耳にかけ、パチン、と金具を止める。そうして目を開いて再び鏡を見れば、ベッドから立ち上がった長身の男が、ぼんやりとした目で自分を見ている。顔は細面、眉はやや太いのに意志の強さが欠片も感じられないと自分自身で判っていた。いつだって、・コルヴィナスという男は自信がないのだ。鏡の中の自分を見て、は溜息を吐着たくなる自分をなんとか抑えた。お前はどうしてそうなんだ、と自分にうんざりとする。、お前は偉大な魔女の息子であるというのに、どうしていつもそんなにおどおどしているんだ。言いながら、自分で自分が情けなくなって、結局はため息を吐くのだ。だがしかし、今日の憂鬱そうな顔には普段以上の理由もあった。

(今朝もいやな夢を見た)

この島に思いもかけず滞在するハメになったのは、二日目の朝に見た夢が原因だ。ずっと昔、もう随分と昔に自分が住んでいた島のことをは時々夢に見る。夢に見るだけならいいのだけれど、時折その夢はの今を浸食してくる。

(真っ暗い森の中で、暫く育った。鬱蒼と木々が生い茂り凡々とした月も見えない真っ暗森。森の中には魔女がいる)

ぎゅっと掌を握り閉めて、は首を降った。そのことを考えたってどうにもなるはずもない。床に置いたトランクを持ち上げて、は階段を下りた。

「あぁ、さん。もう具合はよろしいんですか?」

タンタン、とには幅の狭い階段をゆっくりと下りていけば下の階で帳簿をつけている女将が顔を向けてきた。白髪頭に三角巾、色あせた藍染のエプロン姿のきびきびとした老女で、顔の皺を取り除けば若い頃はさぞ美しかったと容易く想像できる人。この一週間で聞いた話によれば、どうもどうやら海軍本部に親類がいるらしい。海賊相手にも一歩も引かぬ豪胆なところもある人で、は彼女がこの島にきた海賊たちに啖呵を切る姿を何度か目にしていた。

問われた言葉に返事をしようと口を開くが、出たのはか細い声のみ。それで伝わるわけでもないので、こくん、とは頷くしぐさを見せる。老女はにこり、と眼を細めて笑った。

「そりゃあ、よかった。あんた体は大きいのにちぃっとも飯を食べないんだから心配だったんだよ」
「おいおい母さん、お客さんにそんな口を利いちゃならねぇだろうに。すいませんね、さん」

帳場をつけながら老婆が言う、そのあっけらかんとした言い回し。別段は気にはならなかったけれど、沈黙しているその様子をどう取ったか奥から宿屋の主人が出てきて慌てて頭を下げる。豪胆な女将と違い小柄で聊かへりくだったところのある亭主。それでもにこにことした顔に愛嬌がある。毛の薄い頭をぺしん、と叩いて見せる。元々は幇間をしていたというこの店主と厳しそうな女将がどのような縁で夫婦になったのかとほんの少しは気になったけれど、人の噂話は耳にしても自分からどうと問うことがどうも苦手だ。それで、気にしていない、と言うように首を降るしかできない。

が首を降れば、店主はとたんニカッと不揃いな歯を見せて笑う。

「あい、すいませんね。さん。あんたは無口だけとやさしくていい人だ。お荷物をお持ちということはもう立たれるんで?いやいや、まだ顔色もお悪いでしょう。もう一晩泊まっていかれたっていいんですよ。こりゃあっしのおせっかいですからね。宿代はいただきませんよ」
「ほら、あんただってそんな押し付けして迷惑かもしれないだろうに。すまいないねぇ、さん。うちの人ったら息子がいないもんだから、あんたを妙に気に入ってあれこれ世話を焼きたいんだよ」
「そういうかあちゃんだって世話を焼いてるじゃないか」

あれこれ、とはまだ階段を降り切っていないというに夫婦二人が言い合う。困ってしまった眉を寄せる。そうそう、元々は具合が悪くなっても元々の予定は三日間だけだからと宿を出ようとした。それを、の容態に気付いた女将が慌てて止めて、あれよあれよという間には二人の厄介になってしまったのだ。見ればあまり流行った宿でもない。それなのに宿代は随分と融通を利かせてもらっている。親切心、というのもを基本的には信じぬようにと母に教え込まれてきたが、厄介なことにこの老夫婦のそれは正真正銘の親切心。老人のおせっかい、といわれるものである。

そうこう思い出している間にも夫婦に話は続いている。しまいには折角が元気になったのだから今日は街の料理屋に出かけて鰻を食べようと、そういう話になっている。

「い、や……その、おれ…は」

このままこうしていれば日が暮れる。老夫婦は止めないといつまでも二人であれやこれやと話をするのだ。はおろおろっと、大きな体を震わせながら、喉の奥から掠れるような声を出す。蚊のなく方が幾分マシ、というような小声。おっかなびっくり声を出すたびに、母は嫌そうな顔をした。『言いたいことがあるのなら、はっきりと腹から声を出していいなさい』そういつもぴしゃり、と言った。けれどこの老夫婦、どんなに互いが大声で話していても、の声は良く聞こえるのか、とたんピタリ、と言い合いを止める。

「うん?どうしたんだい、さん。やっぱり男の人だもの。鰻より牛の方がいいよねぇ」
「いやいや、やっぱり精をつけなきゃァなんねぇでしょう。なぁさん。かあちゃんは放っておいて二人で一杯引っ掛けるっつー手もありまやすぜ」
「……おれ、は……」

ぼそぼそっと、は呟く。

「遠慮しないでいいんですよ。うちの人ったらこれでも小金を持ってるんだから、宿屋は半分娯楽みたいなもの。腹いっぱい食わせてもらってくださいよ」
「そうそうあっしは道楽息子、って、かあちゃんそりゃぁねぇよ。あぁでもさんみたいな若い人は酒やなんかじゃなくてもっと洒落たもんがいいですかね」
「……いや…そうじゃ、ない……」

老夫婦、の言葉はきちんと聞いてくれるのだが、なんというか、聞いても会話にならないで二人でずるずる進んでしまう。は困ってしまって小首を傾げ、そうして黙ってしまうと女将が気付いたのか、隣の亭主の頭をパシン、と叩く。

「そうだ。あんた、さんはリンゴが好きなんだよ。確かロクスケのところの八百屋で今年の真っ赤なリンゴが売られてたろう。病み上がりにはこうさっぱりしたものがいいんだから、ちょっとひとっ走り行ってきて頂戴よ」
「あぁ、そういえばさん。普段ちぃっとも食わねェのにかあちゃんが作った林檎のジャムだけはたっぷりパンに塗って食ってたっけな!」
「…いや、……できればそう、大声で……言うな…」

他に人がいないとはいえ、大男が林檎好き、などというのは気恥ずかしい。が顔を赤くすれば、老婆がぽん、と手を叩く。

「ほら!リンゴの話をしたから顔色も良くなった!とおちゃんほらほらぼさっとしてないで!さっさと買ってきて頂戴よ!」

違うんですが、と言おうとしてやはりは声が出なかった。掠れるような息が喉から出た、と思ったときにはもう遅く「がってんだ!」と言うように素早く店主が表に出て、そうして残されたは階段の上でぽつん、と、片手を伸ばしかけた体勢。女将が振り返ってにっこりと笑った。

「今日は林檎を使ってパイを焼きますよ。本当はね、たまにはあたしもお菓子を焼きたいんだけどうちのひとったらそんな甘ったるいものは女の食べるものだって言って聞かないんです。でもさんはきっと気に入ってくれますよね」

このまま無言で出て行くのもありにはありだ、と正直なところは思っていたのだけれど、老婆のその言葉にぴたり、と体の動きを止めて、生真面目な顔つきになってしまう。

「……林檎の…」
「えぇ、アップルパイ。この時期の林檎は特別甘くておいしいんですよ。食べてくださるでしょう?」

じぃっとは老婆のきらきらとした目を見つめ、そうして、こくん、と素直に頷いた。





+++





「あらいやだ。もうこんな時間になって。それにしたってうちの人はどこをほっつき歩いてるんだか」

そういうわけで、結局はトランクを再び部屋に戻し、主人が戻るまで女将の手伝いをすることになった。女将はお茶の相手をしてくれるだけでいいと言うのだが、ここまで世話になって何もせぬわけにいかぬもの。そういう恩を受けたらできるだけすぐに返せ、というのは母にしっかり教えられていること、そう言って老婆に手伝う心を伝えれば、老婆はにこり、と笑ってくれた。それで、宿の天井の掃除やらなにやら、老人二人では難儀するだろうというところを手伝った。薪割りをすれば女将は関心したように「あんたは筋がいいねぇ」と褒めてくれる。それがにはなんだかこそばゆく、耳を赤くしてそっぽを向いた。そうすると老婆が笑う。そのころころとした笑い声が母に似ていて、少し懐かしく思った。そうこうしているうちに日が高くなって、気付けば昼時。はっと女将が気付いて声を上げたのが十二時半の頃だった。

手伝って汗をかいたから、とは女将に麦茶を振るわまれ、丸太の上に腰掛けて汗を拭いながらコップを手に握る。そういう女将の言葉に顔をあげ、同じように首をかしげた。

「……遠い…のか、その……八百屋」

ひとっ走りしてくる、と前置いたのでそう遠い距離ではないとは思っていた。しかしこんなに時間がかかるわけもない。女将は聊か不安そうな顔をして「一つ先だからそんな離れちゃいないよ」と返す。

「いや、でももしかしたらあの人は油売ってのかもしれないね。八百屋の店主とは幼馴染で、あたしが嫁いできた頃からしょっちゅう店を開けて二人で遊びほうけてたんだ。さん、心配はいらないよ」

が眉を寄せてじぃっと店の入り口を見るもので、女将は慌てて手を振った。気軽そうにするその様子に、しかし、女将はどこか不安そうだ。

この島は小さいながらも宿場がいくつもあるもので、グランドラインを渡る海賊にとっては丁度いい「休息場」だ。海賊の往来などしょっちゅうで、持て成す側がいなければしようもないからとそれほど島民に迷惑はかからぬが、しかし、それでも海賊が相手。これまで何もない、というわけでもなかったのだろう。は女将が海賊相手に啖呵を切る姿を見てきたが、それにしたって相手の海賊たちが運よく聞き分けよかったということの方が大きいと判断できる。そうではない、たちの悪い連中にひっかかればどうなるか。

老婆の顔に浮かぶのはグランドラインに生きる「一般市民」が必ず抱く不安感。どれほど笑顔の日々であれ、グランドラインを生きる人々はけして忘れはせぬものだ。海賊被害による悲劇。普段平穏、一般に過ぎる彼らにとって本来縁があってはならぬもの。けれどもグランドラインに居る限り、それは常に隣り合わせであるもの。はその老女の顔をじぃっと見つめた。

「……女将……」
「あぁ、嫌だ。あたしったらつい辛気臭くなっちゃって。大丈夫ですよ、あの人ったら小心者のとんでもない小物だから人を怒らせるようなことなんてまずしない。危なくなったら尻をまくって逃げるんだから、あたしは何にも心配してませんよ」
「褒めて…いるのか…?それ、は……」

あまり好評価とはいえぬ単語のオンパレードだったのだが、とは首をかしげる。しかしそういう女将の目は温かく、悪口と言うのではないのだろう。の母も口は悪かった。「お前は生まれてきてはいけなかったの。その血は呪われているのだからけして外に出てはいけませんよ。出来る限り人と関わらず顔を隠して生きなさい」とそう母はいつも言い聞かせた。あまり言葉をくれる人ではなかったが、それだけは何度も何度も言い聞かせる。殴られたことはないが、そういう乱暴な言葉がにはいつも痛く、何度も何度も森の中の大きな木の中で泣いた。けれどもそうしてが迷子になるたびに、雨が降ると母は必ず迎えに来てくれた。小さな傘をさして面倒くさそうにしながらも森の中を歩いて長いスカートを泥だらけにして、「バカな子。手を煩わせるんじゃぁない」とそういいながら、の手を掴んだ。ぶつくさと、やはり帰り道では母から何かしら酷い言葉を吐かれるのだけれど、よりも小さなその母、その手はしっかりと自分の手を握っていてくれた。もちろん優しさではないとわかっている。幼いころはそれが母の優しさであると妄信していた。けれども違う。母が己を何度も迎えに来てくれたのは、ただそうして己が外に出ることのないようにと、ただの義務感からだった。しかし、それであっても、いや、そうだからこそ、は口の悪い女性、を表面から判じはしない。今もその、女将は口ではずさんなことを言いながら、その手が、エプロンを握り締める手がカタカタと震えている。

カタン、とは立ち上がった。

さん?」
「……おれ、…が…迎えに、行く…」
「いえいえ!そんな。さんがわざわざ行くことなんてないんですよ」
「……店主には…世話に、なった………あなたにも…」

すくっと立ち上がればは老婆よりもずっと背が高い。見下ろす形になって、そうして見上げた老婆が眩しそうに眼を細める。は太陽が背になっているので眩しくはない。けれどこうして老婆を見下ろしてみれば、不安そうに瞳を揺らしているのがよくわかった。はそっと老女の手を取って、かつて母がそうしてくれておのれが安心感を覚えたのを思い出しながら、ゆっくりと老婆の手に自分の額を近づける。背が大きなは腰を随分屈めなければならないが、それでもゆっくりとしたその動作。静かに、静かに呟いた。

「…おれは……女性の、願いを叶えたい…んだ…」




+++




ジュエリー・ボニーは街を歩いていた。当然のようにその手には自分の掌よりも大きなピザに片腕に抱えられないほどのパンやら菓子やら飲みかけのジュースやらがある。道行く人々は一見は愛らしい娘のそのような姿に目を見開き、しかしすぐに彼女が何者であるのか合点が言ってひそひそと囁きあう。それらの視線視線、噂話を横目にしながら、とにかくジュエリー・ボニーは街道を堂々と歩いていた。この島はそこそこの規模の町があって、宿も充実している。海賊被害はあまりないようでボニーが海賊旗を堂々と掲げた船を停泊させても駐在する海兵がぞろぞろとやってくる、ということもなかった。街を歩けばそれなりの賞金首は目にするが、どいつもこいつも大人しいものである。この島以降は暫く有人島がない。それならここで命一杯くつろいでおくのが海賊のたしなみというもので、荒らそうとするのは邪道である、と海賊のマナーだろう。ボニーは海賊の乱暴な行いを好むわけではなかったが、そういう暗黙のルール、というものは気に入っていた。

ひょっこりひょこひょこと街を歩く。今日は一緒に歩くクルーはいない。ボニーが一人で出歩くのをクルーは全員心配する。嫁入り前の娘じゃあるまいし!億超えの札付き娘の何を心配するんだか!とボニーは声を上げて笑うのだけれど、いつもそうしてボニーと笑ってくれるクルーは、しかし、そういうときばかりは妙にまじめ腐った顔をする。「危ないですよ、船長」「ボニー船長」「一人じゃだめですよ」そう口々に言って案じる。それをわずらわしいわけではないのだけれど、しかし、今日という日は妙にボニーは一人で歩いてみたかった。両手に抱えきれないほどの食料はすでに半分。いつもなら自分の食べる分をクルーが持っていてくれる。ボニーが大食いするのをクルーは笑って眺める。そうしてボニーが美味そうに食うものだから、とみんながみんな、よく食べる。だからボニーも楽しくなった。けれど、今日は一人きりだ。

街の中を歩いていると、あれやこれやと誘惑がある。色とりどりの宝飾品には目もくれず、ただ屋台や出店の焼き鳥やら何やらがひっきりなしにボニーを誘う。そのたびにボニーは目を輝かせてあれあこれやと買い求め、結局腕の中の食料が半分になるたびに、結局元通り抱えきれぬほど、のものになっていく。

その中で、買った焼きりんごがあんまりにも美味いものだから、これはクルーにも食わせてやらねば船長失格!とそうボニーは思った。それで、先ほど買った焼きりんごの店はどこだったか、とくるりと身を翻した途端。

ボニーの振り返った先、つい先ほど自分が焼き林檎を買い求めた店が吹き飛んだ。

「…はァ!?」

いや、吹き飛んだという表現は大下げだ。ようく目を凝らしてみれば、あまり柄のよろしくない連中が三人ほど立っていて、それで出店を盛大に蹴り飛ばしたというだけのこと。しかしそれでも往来の人の目を惹くには十分で、振り返ったボニーだけではなく丁度通りかかった人々が一瞬ぎょっとして立ち止まった。

なんだ、どうした、と口々に言いながら店の前に人が集まる。ボニーもついつい高みの見物、野次馬根性が出てきてしまい、ひょいひょいっと、人の垣根を避けるように覗き込む。

「おうおう!見世物じゃねぇんだ!!!散りやがれ!」

無遠慮で粗野な声が当たりに響く。どうやら店をひっくり返した連中の一人。いかにも海賊ですという風貌の大男が声を張り上げ、辺りを睨み飛ばす。

「なんだ、ケンカか?」
「いやいやロクスケんとこのリンゴに虫が食ってたって因縁だよ」
「それで短気を起こしたのか?」
「一時間ほどずぅっと店の中で話し込んでたらしいよ、それでもあのロクスケの性格だろう?」
「あぁ、よく一時間も持ったなァ」

なんだつまらない海賊のいいがかりか、とそうボニーは判断して興味を失いかけたのだけれど、そういうボニーと同じように街の人々が言うのだ。は?と再びボニーは首を傾げる。見るからに乱暴そうな海賊が見せの中で店主と言い争っているというのに街の人間たちは誰も慌てた様子がなく、むしろなんだかのんびりと「あの海賊、一時間もよく話ができたよな」と関心しているようである。

海賊が言いがかり、などという何のひねりもない展開にボニーはあきれていたのだが、しかし、月並みな海賊はさておいて、町の人々の反応は少々変わっている。それでどうなるのか、と眺めていると、やいのやいとと言う外野がわずらわしいのか海賊たちが周囲を睨みつける。

「おい!見世物じゃねぇっつってんだろ!!失せろ!!!」

やっていることも三流なら台詞も三流である。なんの面白みもない。ボニーはぽりぽりと油で揚げた芋を口に運びながら、それでも海賊のすごみは一般人には恐ろしいのではないか、と、そう眺めた。もちろん己にはこんなただ叫ぶだけののうがき垂れる男の勢いなんぞ足蹴にしてやるだけの類のもので、どうということもない。それで周囲の反応を待っていると、怒鳴られた島民の一人が額に青筋浮かべて怒鳴り返した。

「んだとコラ!!人さまの街で騒いでおいて…!!何の面白みもねぇ騒ぎ起こしてる分際で!客を選ぶたァどういう了見でい!!!」

いや、怒鳴るところはそこなのか。と、ボニーはずるっと、体勢を崩しかけた。しかし突っ込みたくなったのは己だけで、他の島民たちは「そうだそうだ!!」と言い返している。

「往来で騒いどいて見るなだァ!!?んなもん無理に決まってんだろうが!見られたくなきゃ月のねぇ晩にでもこっそり襲撃かけな!!!」
「そうだそうだ!こっちとら娯楽の少ねぇド田舎で商売してんだ!乱闘騒ぎの一つくれぇ楽しんで何が悪い!!」

ボニーはこの状況でクルーを連れてこなかったことを激しく後悔した。なんだここの連中のこの潔いほどの開き直りっぷりは。やいのやいの、と口々に言い返し、しまいには地面に落ちている小石を拾って海賊連中に投げている。たくましいというよりは、どんだけ常日頃から娯楽に飢えているんだ、と突っ込みたくなるほどの熱意である。

「な、ん、だと!!こら…!!てめぇら…!!!!俺たちを誰だと思ってんだ…!!!」
「知るか!こっちとらグランドラインで生きてる島民舐めんなよ!」

ゴズッ、とそれはもう鈍い音がした。島民たちに向かって店内に背を向けた男の背後から聞こえた音だ。

「ロクスケ!!!いいトコばっかり持っていきやがって!」
「おいおい!もうちょっと怒鳴らせてからにしろよ!!あっけなく終わらせて!」

片手にかなづちを持って、ひょっこり表れたのはねじり鉢巻にはっぴ姿の老人。ひょこひょこと足元はおぼつかないが手元だけは妙にしっかりとしたその老人、口にはキセルを咥え飄々とした態度で自分が後ろから殴り倒した海賊を踏みつける。

「てやんでェ、このバカがうちのリンゴに虫が食ってるなんざぁ言うからよ。うちがどういう方法でリンゴを作ってるか、てめぇの赤ん坊より大事に育ててるんだって説教してやったらこれよ」

いや、一時間もその説教を聞いてくれたということはこいつら実はいい連中なんじゃなかろうか、とボニーは本当、突っ込みたい。リーダー格がやられたからか、他二人の海賊は只管顔を引きつらせている。まぁ、そうだろう。まさか平和ボケしてそうな街の中でまさか、こんなあっけない手段と人間相手にこういう結果になるなどと、まさか予想もつかなかったに違いない。いや、というか、予想できた人間がいたらボニーはあってみたい。

(っつーか、ここの連中は海賊をなんだと思ってんだ?)

素直に聞いてみたいが、一応ボニーも海賊だ。というか、もしかして街を歩いているときに感じた視線は賞金首云々近づかないほうがいい、ということではなくて、億超えの賞金首なのだからどう騒ぎを起こさせようか、とそういう検討中の目線+噂話だったのだろうか。

(なんだこの島…)

ボニーは無性に、今すぐこの島を出向した方がいいんじゃないか、とそう危機感を覚えた。だがしかし、生憎この島のログがたまるには二週間かかる。

「ふ、ふざけんな…!!!俺たちは泣く子も黙る××海賊団だ!一般人なんぞに舐められてたまるか!!」
「あ、復活した」
「ロクスケ〜お前力弱くなったんじゃないのか?」
「頭蓋骨粉砕する勢いでやれよなァ〜」

はやし立ててどうする。
危機感ないのか、ここの連中は。

起き上がって復活した海賊リーダー格に、しかし島民連中は怯むどころかその態度。

さすがにフルフル、と海賊たちが身体を震わせている。こういう連中は自分たちの怒声や勢いで一般人を脅すことを殆どなのだろう、とそうボニーは判断する。大声を出して怯えさせる、などというのは典型的な小物だが有効的な手段ともいえるもの。しかしこうも効かぬ一般人、というのは面白い。ボニーはついに一枚になったピザを口に咥え、どちらが死のうとそれは興味ないけれど、観ているのは良いとそう思って観戦をつづけることにした。

海賊の一人が気を取り直して、ロクスケ、と呼ばれた林檎売り店主に殴りかかる。ロクスケはそれをひらり、と交わしてから下駄で相手の急所を蹴り飛ばした。

「うぐっ…!!!」
「この外道!!!男ならそこは狙うんじゃねぇ!!!」
「海賊相手に外道とそしられる覚えはねぇよ!!」

無残に沈む仲間を見て海賊が吼える。その言葉をロクスケは一蹴にしてひょいっと、キセルをひっくり返し中の火を殴りかかってきた男の顔に当てた。熱い、と一瞬怯めばその隙に、店の中か小柄な男が火鉢を抱えて飛び出してきて、リーダー格の男の足元にひっくり返す。

「あ、熱ぃっ!!!!!!!」

鬼かお前ら。

というかこいつらマジで一般人か、とボニーは突っ込みたい。そりゃ、海賊相手になら何をしたって罪にはならないからこの連中のしていることは「正当防衛」になるわけで、おそらくそういう流れにするために元々店主はしかけた、と、そういうような気もする。悪質なのはどちらがどちらか、とそう考えかけてボニーは面倒くさいので止めた。そんなことを考えていると、ふっ、とボニーの真横を何かが通り過ぎた。

銃弾だ、と気付いたのはボニーの付近の島民が突然うめき声を上げて倒れたからだ。

「おいこら、随分と舐めたマネしてくれたじゃねぇか。たかが一般人が海賊相手に娯楽なんざ、身の程知らずにも程があんじゃねぇのか?あ?」
「船長!!!」

ドン、ドン、と鈍い銃声が響く。それと同時に、これまで散々騒いでいた島民たちが一気に静かになった。

ボニーが振り返ってみれば、そこには手配書で見覚えのある顔が一つ、こちらに銃を二つ向けて立っていた。狙いは正確にロクスケという店主の眉間、それにカラになった火鉢を抱えている老人の心臓に向けられている。しぃん、と辺りが静まり返る。

「かわいい部下の戻りが遅ぇんで様子を見にきたら、さすがグランドラインの街だ。おっかねぇ連中がおれのかわいい大事な部下に酷ェことしてやがる」

ダン、と再び銃声がした。店主は即座に真横に飛んだが、その反応は予想済みというように銃口が動く。そうして次に銃声が響けば、店主が腹から血を流して店先に転がった。うめくその様子に、島民たちの間に悲鳴が上がる。

「ロクスケ!!」
「てめぇ、よくもロクスケを!!」

しかし逃げるものはおらず、撃たれた店主を庇うように囲みあう。力自慢らしい何人かが前に出て鍬を構える。先ほどまでのお遊び全とした様子はない。その態度に一瞬ボニーは妙な違和感を覚える。連中自分たちが散々遊んだのにこういう結末をわからなかったわけでもないだろう。しかし妙に焦っているのだ。自業自得じゃないかとそういえばそれまでのこと。それなのにこの様子。なんだ?と聊か興味を引かれ、その隙がどん、と、移動する島民とぶつかり、ボニーの手から食べかけの最後のピザが落ちた。

「……」

三秒ルールが適応される、というのがボニーの一瞬の思考。しかし、次の瞬間島民の足が無残にピザを踏みつけた。

「……ま、待ちやがれ!!!!この大バカ助!!!!!!!!!」

青い空に、ジュエリー・ボニーの怒声が響いた。

「な、なんだ!!?」

突然叫びだした、見かけばかりは愛らしい娘さん。鮮やかな色の髪に豊かな体。いかにも観光人としていたもので誰も注意を向けていなかったその人物が唐突な彷徨。ぎょっと、海賊船長+島民たちが目を見開き、ボニーに注目する。

「……うちの…うちの、最後の……!!!!!」
「え!?何だ!!?おい、ありゃ億超えの“大食らい”じゃねぇのか!!!?」

海賊船長はそこでやっとボニーの存在に気付いたのか、自身より懸賞金の高い海賊に驚く。ざっ、と銃をボニーに構えなおし、困惑しきった顔をする。まぁ、それも無理からぬこと。一応海賊のいちゃもんが道理になるのならボニーの中では最後のピザ(最後の一口、最後の一つ、というのはそれだけで普段のものより魅力が増すものだ!)が無残になったことで十分叫ぶに値する理由になるのだが、それはあくまでボニー基準である。

なぜここに大食らいジュエリー・ボニーがいるのかという疑問に、さらに加えて何で怒っているのかわからぬという疑問、合わさってぐるぐると混乱する海賊船長なんど尻目に、ボニーは同じように困惑している島民一人の胸倉を乱暴に掴んだ。

「うちのピザ落としやがってどう落とし前つけてくれんだ!!!!」
「は…!?ピザ!?ピザって何のことだ!!?」
「とぼけるんじゃねェ!うちが…うちが最後の一口をどれだけ楽しみにしてたか…!」

いや、誰もあなたのピザへの執着なんて知りません。

勇気のある者がいれば突っ込みを入れたのだが、まず海賊船長は問題の妙な女が億超えのルーキーであるからうかつに手を出せぬという警戒心ゆえ、島民連中はまるで状況がわからず困惑中、という状況、さらには海賊船長が動かぬので下手に動いては刺激しかねぬという危機感。

きっとある意味三竦み☆となったこの状況。いや、まぁ違うんだが、生憎突っ込みを入れる者はいないという状態で、眦を吊り上げるジュエリー・ボニー。

一触即発、という事態になって三秒後。

「…とりあえず………女の、子が……暴れるのは……よくないと、思う……」

ふわり、と頭上から羽のような柔らかな動作で降りてきた長身の男が、ボニーの腰を抱いて片手を掴み引き寄せた。




Fin



(2010/08/31 00:19)