騒がしい、と思って眉を寄せた・コルヴィナス。目的の八百屋というのはそれほど離れてはいなかったけれど、なるほど宿屋の中庭にいたままでは聞こえぬだろうという程度の騒動、で(最初は)あったらしい。今現在は八百屋の店先になんだかんだと人が集まり、妙に緊張している様子。それをはきょとん、と眺めて、そうして背の高いことを利用し一体何が起きているのかと人の頭の上から覗き見ようとそう図った。
どうも、どうやら宿屋の店主、それに八百屋のロクスケという男が危機らしい。は馴染みの長筒は持ち歩いていなかったが、宿屋の店主が海賊に殺されるようなことになれば女将が悲しむとそう思った。それで、ぐいぐいっと乱暴に前に進み人垣を押し越えて店の前まで出ようとした。しかし、いくら体ばかりは大きくとも・コルビナス、存在感がない男。人に気付かれずぐいっと前に出ようとしても、暖簾を腕押すほど無意味なこと。一向に前に進めず眉を寄せて数分。
、ちょっと諦めたくなってきた。(ヘタレ)
しかしここで諦めて帰っては老婆が悲しむ。女性を悲しませるのは、やはりよくないと、気弱ながら思うは意を決して、人垣から離れ向かいの屋根の上によじ登った。中々間抜けな発想だが、下から入れない以上しかたな。それで、飛び込む先、つまりは店の前を確認しようと高い位置から見上げて、ぴくん、とはそのやや太目の眉を跳ねさせる。
「待ちやがれ!この大バカ助!!!」
店先から僅かに離れた、その人垣の中。とん、と一歩前に踏み出した人の頭。緑の帽子に明るい色の髪がきらきらとした、声からして女性。長い髪を揺らして勇ましく前に飛び出す。もしや正義の味方なのかと、そうが首を傾げて女性を見守っていると、しかし女性、近くにいる一般人らしい男の胸倉を掴み、なにやら怒鳴り散らしているではないか。
言っている言葉の意味やら正当性は、ちょっとにはわからなかったが、しかし、叫ぶその女性の長い髪、煌く撫子色に目を奪われた。
男の胸倉を掴んだときに帽子が脱げ落ち、反射的には飛び出した。
初めまして、敵です
耳元でぼそぼそっと聞こえた声に、ジュエリー・ボニーは生理的嫌悪がこみ上げ、そしてまた長い逃亡生活も相まって条件反射のように、そのまま自分の背後に回った男に肘鉄を食らわせた。
「っ……い、たい…」
げぼっ、と、それはもう見事にボニーの肘が入った。長身の男なのか、ボニーが狙ったのは鳩尾だったが、感触は腹部だ。しかし引き締まった筋肉にそれほどのダメージは与えられなかったように思える。呻く男の腕が僅かに怯んだことを確認し、ボニーはそのまま掴まれた手を逆に掴み返して男を老人、あるいは少年にでもしてしまおうと能力を振るおうとした。
「……帽子が、落ちてた」
だがボニーが悪魔の能力を発動する前に、素早く男がボニーから離れて、その足元に落下していた帽子を拾い上げる。ボニーが愛用する若緑の、ふさふさとした帽子である。拾ってから軽く手で土を払い、どういうつもりかと眉を寄せるボニーに近づいて小首を傾げて見せた。
「……被らないほうが、きれいな髪が見えるのに……もったいない、と…思う」
「…はァ?!イキナリ表れてなんだっつーんだよ!ウチの邪魔するな!」
「花は……きっと白が似合う……きみの髪は明るい色だから、山百合がいい…」
「ウチの話を聞け!!!」
顔をこちらに向けてはいるが、視線は合わせぬその男。聞き取るのが難しいほどぼそぼそとした小さな声、大柄な体に合わぬ気弱さが全体的ににじみ出ている。ボニーはいらいらとこめかみを震わせ、男を怒鳴りつける。そうこうしている間に己のピザを台無しにした一般人は遠ざかっていく。こうなればこの男に八つ当たりをしてもいいだろう。全く理不尽ではない!とそうボニーが結論を出そうとした途端、ついっと、その謎の男がボニーの背後に顔を向けた。
「……女将さんが……帰りが遅いと、心配…してた」
「さん!態々迎えにきてくださったんで?!ご迷惑をおかけして申し訳ない。あっしはこの通り無事ですよ。かあちゃんにもそうと伝えてください」
答えたのは先ほどの騒動で海賊相手に火鉢をひっくり返した男である。小柄な男、禿げ上がった頭をぺしりと叩き謎の男、というらしい人物に愛想笑いを向ける。しかし、ボニーはその顔が若干緊張に強張っているのを見逃さぬ。今この場、ボニーは恐怖を感じるようなことはないが、海賊船長が部下の報復にきたという状況、それに加えて己は億を超える賞金首。飛び出してきた理由はわからずとも警戒されるだろうということはボニーにもわかっている。さすがにこれまで引かぬ周囲も人が減った。小柄な男はと交流があるのだろう。この場に関わらせぬようにと案じてそのような強がりを言っている。
「億越えの、大喰らいジュエリー・ボニーだな。こんなところでお前みたいな大物に遭遇するとは思ってもいなかったぜ」
「煩ぇ。うちは腹ごなしに来てんだよ。邪魔すんな」
この状況どうなるのか、と、そうボニーが眼を細めていると、黙っていた海賊船長が口元に皮肉めいた笑みを浮かべて首を傾ける。獲物は剣、手配書で見た記憶のある顔。ボニーは争う気はなかったし、侮られる気もなかった。それでふん、と鼻を鳴らせば海賊船長が「気の強い女だ」とそう声を上げて笑う。笑うと卑しさが滲み出るのは海賊の特徴か。そうさめざめ思い、ボニーはいつ相手が攻撃をしかけてきても対処できるように警戒はした。
「そう邪険にすんなよ。ジュエリー・ボニー。同じ海賊同士、ちょっと酒でも飲みながら話をしようじゃねぇか。お前みてぇな小娘が、一体何をすりゃァ億の値がつくのか前から興味があったんだ」
もちろん奢りだ、とそう提案すればこちらが飛びつくとでも思っているのだろうか。
ボニーは長い髪を揺らし、腕を組んで男を睨みつけた。
「ウチの首がてめェより高ェのは、ただたんにてめぇがウチより弱ェからじゃねーのか?」
「グランドラインにいるんだ。相手の力量もわからねぇで海賊の船長張れると思うなよ、小娘が」
「山百合もいいし……鬼百合も捨てがたい……いっそ、ヨメイヨシノのほうがいいだろうか…?」
一触即発、グランドラインを渡る海賊船長同士の戦い、とそのような緊迫した空気が張り詰める中、二人の船長の会話に何の違和感もなく、しかしまるで的外れなセリフを引っさげ、が参加してきた。
「……さん…あんた…空気読めないのかい…」
ぼそり、と例の小柄な男が呟くがは「?」と不思議そうに首をかしげるばかりである。
「…空気は見えない…読めるはずがない……だろ…?」
「いや…そういう意味じゃなくて、さん、相手は海賊で、しかもそっちの女は億越えの…」
「……女性を「女」なんて乱暴に言うのは…よくない…」
小柄な男を嗜めるようには眉を寄せるが、そういう話ではないだろうと、思わず海賊船長とボニーも突っ込んでしまった。
「おい、さっきからなんだにーちゃん。知らねェのか。この小娘はこんななりして億越えの賞金首、極悪非道の海賊船長、大喰らいジュエリー・ボニーってんだぜ」
この男、足りないのか?とでもいうように海賊船長が眉を寄せて言えば、は恐怖に顔を引き攣らせるどころか、春のお祭りでも来たようにパァアアと顔を輝かせた。
「ジュエリー・ボニー…きれいな名前だ……名前が知れて、おれは嬉しい」
「いや、ちょっとは驚けよ、にーちゃん」
「…?たくさん食べる女性は……すてきだと…思う」
「よーし、だれかそのバカ助を抑えてろよ。ウチが蹴り殺してやる」
まるで緊張感のないセリフを、ぼそぼそっと続けるに、いい加減ボニーも苛立った。この男、小さな、まるで蚊が鳴くほうがまだマシだ!というほど小さな声で喋るのに、その声は妙に耳に拾えてしまうし、言葉を理解しようと脳が気合を入れる。
その為が小さな声で話している間は周囲が静まり返り、その言葉をじっくりと聞いてから「ロクなこと言ってねぇ!!!」と疲労が襲うのだ。
ふるふると肩を震わせて聞き、そしてボニーが決意を表明すると同じく苛立ったらしい海賊船長が「おれにもやらせろ」と剣を構えた。
海賊二人の本気の殺意に周囲がざわめく。
「さん…!!!逃げてくれ!!あんたは関係ないんだ!」
変わった雰囲気に素早く気付き、小柄な男が叫ぶが、しかしボニーも海賊船長も逃がす気はない。ボニーが後方を、海賊船長が前方を塞ぐように立つと、二人を交互に眺めてからが不思議そうに首を傾げた。
「……白い花が、嫌なのか…?」
似合うのに、とまだその沸いた発言をやめる気はないらしい。いらっと、ボニーは顔を引き攣らせ、男の背を蹴り飛ばした。
「……弱っ…!!!?」
大男だ。それにどこか油断ならぬ雰囲気のある妙な男。それであるからこちらの蹴りくらいは避けられるかと思いきや、これ以上ない、というくらい見事に決まった。
ずべしっ、と大男の体が地面に落ちる。そのまま海賊船長が男の長い髪を掴み顔を持ち上げて、顎を蹴り飛ばした。
「……おい、なんだこの見掛け倒しは」
「フツーこういうときはウチらを返り討ちにするくらい強ぇモンだろうが!」
「……殴り合い……得意じゃ、ないんだ……」
げほっ、とが咽べば血が地面に飛び散った。蹲るような体勢のままは口を拭い、黒縁眼鏡を掛けなおす。
別に強者を期待していたわけではないが、ボニーは毒気を抜かれた。こういう場面で口を挟んでくる、ということはそこそこの実力者であるというのがお決まりではないのか。それであるのにこの男のみっともない有様。
殴り合いが得意ではないというが、弱すぎるだろ。これでは。
呆れて息を吐くと、座り込んだ体勢のままがこちらを見上げてきてにこりと笑った。
「…何笑ってんだよ」
「怒った顔より、そっちのほうがいい……でも、笑顔はもっといいと、おもう…」
「もう一回蹴り飛ばされてぇのか」
この男、笑うと妙に人懐っこい顔になる。そのことにボニーは妙な居心地の悪さを覚え、脅しをかけるように呟く。だがもう本気でどうこうしようという気が失せた。溜め息交じりの言葉、もそれがわかっているのか「いたいのはいやだ」といいながら警戒せぬ、と、次の瞬間、の頭が地面に叩きつけられた。
「…!!!おい!!!」
「何だ?お前のかわりにやってやっただけだろ。ジュエリー・ボニー。さっさとこの男を殺してメシでも食おうぜ」
地面がめり込み、ミシッとボニーのところにまで骨の軋む音がした。海賊船長に頭をつかまれ地面に押さえつけられたは、その顔を歪めている。
ボニーが睨みつければ、海賊船長は何を睨むのかわからぬというように片方の眉を跳ねさせた。
それも当然、は海賊二人の前に姿を現して、逃げなかった。法に守られる一般市民。法を守らぬ海賊。逃げねば害されるのは道理である。ボニーは吊り上げた眦をそのままにすることが海賊として「ありえない」ことであるとわかっていた。海賊が人助けなんぞするわけがない。己のピザを弁償させられなかったのは痛いが、ここで己がこの海賊を相手にあんなバカ助を助けてやる義理などどこにあるのか。
「……ウチはてめェなんかとメシに行かねぇっつってんだろ」
「つれなくするなよ。女船長一人で船を引っ張ってくのは大変だろ?色々話も聞いてやるって言ってんだぜ?」
隙があればすぐにでもこの身の程知らずを老人にしてやれたのだが、こちらが能力を発動させる隙を与えない。こういうときにクルーがいれば、こちらをサポートしてくれるのに。ボニーは自分の能力を気に入っていたが、一人では分が悪い能力であることをわかっていた。唇を噛み、ここから立ち去る道を探そうと周囲を探る。だが、いつの間にか目の前の海賊の仲間らしい海賊連中が集まっていて、ボニーの仲間が気付き駆けつけぬ限り、明らかにこちらが不利だった。
ぎりっと、奥歯を噛む。ヒールが砂利を踏み小さく鳴る音さえ聞き逃さぬように周囲が反応した。
「……いやがる、女性に、無理やりの…エスコートは…だめだと、思う」
蚊の鳴くほどもない小さな声、ぼそっとした声がボニーの耳に響いた直後、ドンッ、と大きな銃声が一度して、海賊船長、ならびに周囲の海賊が崩れ落ちた。
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「いやー!!助かった!!ありがとう、ありがとう、さん!まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった!ありがとう!」
はげかかった頭をランプの明りでてかてかと輝かせ、宿屋の主人は軽快に笑った。その隣では主人の妻が「全く、人に心配ばかりさせてこの人は!」と亭主の脇腹を肘で押している。
所変わって、が滞在している宿屋。は長いすに腰掛、先ほどまで女将に怪我の手当てをしてもらっていた。終わってひと段落、というところで主人がそう安心したように笑ったものだから、女将もつい緊張の糸をほぐしたのだろう。
亭主の無事な帰宅にほっとした様子を見せつつも、そう憎まれ口を叩く女将。それを眺めながらは眼を細め、女将に撒いてもらった頭の包帯の位置を確認している。
「…つーか、お前強いんじゃねーか。なんでウチの蹴りを避けなかったんだよ」
先ほどとはまるで違う穏やかというか、和やかな雰囲気。なぜ自分がここにいるのかと突っ込みどころはあるのだが、とりあえずボニーはそう問いかけた。
先ほどの騒動。店先であわやがそのまま海賊の手にかかり、という状況は誰の目にも明らかだった。というのに、この男。丸腰だったはずが、いつのまにか海賊船長の腰に差した銃を奪い、どういう仕掛けか一発の銃声のみで「敵」と判断した海賊全てを撃沈した。
確認したところ、誰もかれもが銃弾で射抜かれていた。同じ場所、だが致命傷には至らず、まるで麻酔銃でも撃たれたように意識を失っていただけの状態。この男は全ての海賊が沈んだことを確認してから立ち上がり、ぱんぱんと土を払うと、再び落ちてしまった帽子を拾い上げてボニーの頭に被せてきた。
『緑も、似合う』
やはりそう、沸いたことは言ってきたが。
「……避けられないから」
「はァ!?」
「………銃とか…弓は、得意だ…でも、動くのは…得意じゃ、ない」
椅子に腰掛けたままなので、ボニーのほうが今は目線が高い。それで腰に手を当てて説教でもするように顔を覗き込もうとすれば、は顔を逸らした。その耳が微かに赤いが、ボニーはそんなことはどうでもいい。
「オマケに倒した海賊、全員さっさと殺さねェで留置所に入れるなんて甘いんだよ!てめェは!」
が全ての海賊を倒した後、「連れいてけば賞金がもらえる」と、八百屋の主人が出てきて言うものだから「すきにしろ」とそう短く言って、あっさり自分が関わることをやめた。ボニーほどではないが、海賊船長の賞金は、一般市民からすれば大金だろうに、それをあっさりやってしまったということがボニーには信じられない。
この男、この島の人間ではないのはその立ち振る舞いや着ている物から判断できる。海賊、でもないだろう。それなら賞金稼ぎか何かか。なのに倒した海賊をあっさり他人にやるとはどういうことだ。
「……?なんで、怒ってる……?きみの…笑った顔が見たいのに」
「〜〜!!黙れこの変態!!!」
「……変態じゃ、ない…それは…いい歳して幼女にちょっかいかけて自覚ない傲慢ドSな海兵のことだ」
「今お前後半普通に喋ってねぇか!!!?おい!!妙にスラスラ言ったな!!?」
なぜか変態疑惑についてはぴしっと背筋を伸ばしてはっきり答えやがったに、ボニーはその内容を把握するまえに突っ込みを入れてしまった。
「……そんなこと、ない…」
「あ!また戻りやがった!!!顔逸らすな!子供か!!!」
都合の悪いことはそ知らぬ顔をする、というような反応。ボニーがすかさず突っ込めば、は耳を塞ぐような仕草をする。思わずぐいっと腕を掴んで放そうとすれば、そのやり取りを見ていた宿屋夫婦が笑い声を立てた。
「仲が良いんだねェ、さんが女の子を連れてきたからどんな子かと思えば。明るくってはっきりしてて良いこじゃァないか」
「いやいやかーちゃん。おれは最初っからボニーちゃんは悪いこじゃないと睨んでたね。賞金首だっていうけど、この子の目はにごっちゃいないよ」
「そこ何勝手に言ってんだ!!ウチは海賊だぞ!!もっと違う反応にしろよ!!」
別に怖がってほしいわけではないが、何だこの…。
「…気分は……一人息子が、初めて家に恋人を連れてきた…」
「黙れ!!真顔で何言ってんだてめぇ!!!」
適切な例えが浮かばずボニーが眉を寄せるその一瞬、心底真面目な顔でが呟く。とりあえずボニーはの頭をべしんっと引っ叩いて、老夫婦を振り返った。
「大体てめぇら!途中から見てたがこの島の連中は危機感ってもんがねぇのか!こいつが倒したからいいものの…海賊相手に無茶してんじゃねぇよ!!」
「いやいや、優しいお嬢さんじゃないか。なぁかあちゃん。海賊だっていうのにきちんとあっしらの心配までしてくれて」
「そうだねぇ。やっぱり女の子はこう優しさがないとだめですよ。さん、良い子とお知り合いになれてよかったですねぇ」
ボニーの怒鳴る言葉なんぞまるで聞かず(いや、一応聞いてはいるのだろうが)都合よく解釈する老夫婦に、その二人の勢いにはなれているのか特に何も反論することなくがこくん、と頷いた。
ぶちっ、と、ここでボニーは切れてもいいだろう。
全く理不尽ではないはずだ。自分は海賊で、しかも相手は一般人。容赦する必要だってないはずだ。
ぐっと、足を踏み込んで再度怒鳴ろうとする。が、しかし、その前に、先ほどまでのふざけた気配を消し去り老夫婦二人がボニーとに頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
「お陰でこの町は、明日も変わらずやっていけます」
突然のこの変わりよう。ボニーは「お、おい」と戸惑い、を見る。は何を考えているのかわからぬ平板な顔のまま、首を傾げた。
二人が困惑していると、まだ頭を下げ続ける夫婦。そのうち女将のほうが顔をあげ、はたっとボニーを見つめて口を開いた。
「この島は海軍本部からも離れているし、駐在所というものもありません。前後の島が無人のために、人の往来はそこそこ、しかし立ち寄った船乗りたちの需要はあるからと潤う島でございます。しかしこのご時勢、来る船乗りの大半は海賊。海賊相手に一方的な搾取をされぬに足る交渉術など持ち合わせる物はおりませぬ。数年前まで、この島は酷い有様でした。立ち寄る海賊たちに良い様にされ、奪われ。それでも殺されはせぬのです。生き地獄の日々でした。多少武道に覚えがあっても、たがかしれているというもの。それで、この島の住人たちは考えたのです」
「怯える姿を見せれば連中はますます声を張り上げて己らの力を振りかざします。遠いジャヤのように完全に海賊たちを客に出来ればいいのですが、この島はあくまで一時休憩・補給程度にしか仕えません。水の都のように自警団を作れるほどのものもおりません。そうなれば我らに出来ることは、怯えぬことなのです。連中が何をしましても、我らは悲鳴一つ上げません。寧ろその騒動を楽しむように、一筋縄ではいかぬ住民であると、そう、彼ら見せ付けねばならぬのです。強気な顔は仮面。されどその仮面は鉄だと思えば、それで連中からの支配を免れるというのであれば、何の苦しいことがありましょう」
後半は、同じように顔を上げた主人の言葉。ボニーとはじっと聞き入る。
なるほど、とボニーは思った。ここの住人たちがやいのやいの、と囃し立て「乱闘歓迎」という姿勢を示したことに、ボニーは「ここに長いしたくない」とそう感じた。海賊なら他の海賊が騒動を起こし、それなのに住民がまるで引かぬ、と言う様子を見るだけで楽しめるだろう。騒動を「娯楽」と割り切っている住民たちを面白いと思うだろうし、さすがグランドライン、と感心するものだ。
そして「あの島の住人はおっかない」とでも噂が立てば、面倒なことになるとわかっていてちょっかいをかける海賊はいない。その上、この島は貴重な補給地なのだ。面倒ごとを起こして台無しにするというリスクを、海で生きるからこそ海賊たちはしなくなる。
「………でも、おれは…礼を言われるようなこと…は、して、ない」
ボニーは納得するように頷いたが、しかし、は眉を寄せた。子供が癇癪を起こす前のようにむっと眉を眉間に寄せ、首を降る。
「……まだ…船には、海賊の残りが…いる。いまは、大人しい…でも、いつまでか…わからない…」
「そういや、そうだな。いつまでも帰ってこねェってんで様子も見に来る。捕まったなんて知ったら奪い取りに来るだろうな」
冷静に考えて、のしたことは状況の悪化だ。
海賊に手を出させない、ことをここの住人たちは徹底していた。それはこちらが手を出しても、それはあくまで「正当防衛」の範疇で、海賊たちも「犬に噛まれた!」程度のことだ。彼らには捕らえるほどの実力もなかったというのもあるが、はそれをしてしまった。
「……やったら、やりかえされる……」
ぼそり、とが小声で言えば、老夫婦は顔を曇らせるどころか、静かに首を降った。
「それでも、さんが助けてくれなきゃ、うちの人は殺されてましたよ。これまで、何度かそういうこともあったんです。一人、二人の死者は出てきた。覚悟はしてます。でも、今日はそうならずによかったと、そう思ったんですよ」
海賊船長を海軍に引き渡すために海軍へ連絡も取っているのだという。それなら残った海賊たちも船長を取り戻すのが先か、それとも海軍が到着するのが先か、とそういうことを天秤にかけるに違いない。船長の人望がどの程度あるのかは知らないが、基本的に海賊だ。老人二人はそこまで彼らが強い結束があるとは考えないと言う。
「…って、おい!!海軍に連絡したのか!!?」
そこまでの考えはいいのだが、しかし、ボニーは飛び上がった。
海軍に連絡をした、ということは、海軍が来る。(当然だ)
どこまで報告したのかは知らないが、もしかすると己がいることも伝えられているかもしれない。そうなればボニーはすぐさまこの島を逃げ出さねばならないではないか。
「まだウチの船のログはたまってねぇんだぞ!!どうしてくれるんだ!!」
この島は見晴らしがいい。隠れることは不可能だ。海軍が来れば目ざとく発券される可能性ばかりが高い。だというのに、まだボニーの船はここに到着したばかりで、ログは溜まっていない。前の島に引き返すことも出来るだろうが、海軍が「次にこの島にジュエリー・ボニーが来る」と判っていれば増援を送って待機するに決まっている。
すぐさま船に戻って仲間と対策を相談しなければならない。
ボニーは舌打ちして、出口に足を向ける。
「……それなら、おれも、行く」
と、その腕を今まで沈黙していたが掴んだ。
「はぁ!!?何言ってんだお前!なんでお前が来るんだよ!!」
こんなときにまたこのバカの戯言に付き合う気はない!と、ボニーはつかまれた腕を振り払おうとしたが、意外に強い力で掴まれ、振り払えない。
「……次の島まで…行ける」
「!そうか!お前のログは溜まってんのか!なら寄越せ!」
自分よりも長くこの男が滞在しているのならログが溜まっているということか。思い当たってボニーは顔を輝かせる。この島にどこかへの永久指針でもあるのならそれを奪うつもりだったが、手っ取り早くいて助かった。ぐいっと、つかまれた腕とは反対の腕での服を掴めば、が眉を寄せた。
「……おれは、ログポーズは…使わない…」
「じゃあ永久指針か?!どこまでのだ!!!」
「……そいうのじゃ、ない」
じゃあ何だ、とボニーは詰め寄った。ログポーズはグランドラインで唯一仕える道具だ。それを使用せぬ、というのはありえない。疑うように睨めば、ごそごそと、が懐を漁った。
「……黄金の…羅針盤…行き先を、教えて…くれる」
取り出したのは懐中時計より一回り大きい、しかしの大きな手には丁度良い大きさの、古びた羅針盤である。文字盤にはびっしりとボニーには判らぬ文字が書かれ、繊細な作りをしている。黄金に赤、それに飾りの鎖にはルビーのリンゴが添えられている。
「そんなんで航海できんのか?」
骨董収集癖があれば喜ぶだろうが、生憎ボニーにそういうものはない。子供っぽいこの男の子供の妄想かと、そう切り捨てれば、何を考えているのかわからぬ無表情のままがボニーの手を羅針盤の上に乗せた。
「……行ったことのある、場所を思い浮かべて…みて…」
「……何がわかるんだよ」
「……」
問うても答える。それで、ボニーはむっとして手を引っ込めようとしたが、はそれを許さない。ヘタレ・気弱な印象のあった男のこの強引さ。ボニーは眉を跳ねさせ、大人しく頭の中でこの島に来る前に立ち寄った島を思い浮かべた。
サラサラと、羅針盤の中で砂金が舞い、硝子の覆いをすっかり隠す。カチカチとめまぐるしく針が動く音がして、そして、カチリ、と、小さく鳴った。
「……××島。この小さな針が、行き先への方向になってる」
「……正解かどうかなんてわかんねーぞ」
「…………嘘じゃ、ない」
羅針盤を見れば、確かに小さな針がどこかを差している。揺らしても位置を変えても必ずその位置に戻る。ボニーはログポーズを持っているわけではないから、これが正確かどうかはわからない。だが否定できるだけのものもないので、呟けば、がじっと、ボニーの目を見つめてきた。
まあかな目。炎よりももっと、深い業の濃い色をしている目だと、そう思った。ボニーは顔を顰め、から顔を逸らす。
「おい、ジジィ」
「…あっしのことですか?あっし、まだ若いつもりなんですがね」
「煩ぇ。この島に、永久指針か、それかログの溜まったログポーズはねぇのかよ」
ありませんね、と即答で返された。
あったらとっくにこの島を出ている、ともいわれボニーは納得する。ログポースというのは、どこにでもあるものではない。それなりの貴重品。そのことを思い出し、ため息を吐いた。それならこの怪しさ満点の道具に頼らなければならないのか。
「信じてやる。ウチに寄越せ」
「……きみが欲しいなら、あげる。……でも、おれしか、使えない……」
「ずりぃぞ!!!そんなのアリか!!!」
とりあえず今はこれを使うしかないのだと、そう諦めたのに、この事実。ボニーは叫んでを睨んだ。
「…………母さんが、おれに…くれた。……おれしか、使えない」
は相変わらず無表情だが、ほんの少しすまなさそうな目に見える。母親からのもらい物、と、それを聞きボニーは奪う、という選択肢を取り下げた。ここで嘘をつく理由も見当たらない。それに、これが本物だとすれば、これまで他に見なかったのは疑問である。この男だけのもので、本当に、この男しか使えぬものなら、これまで見てこなかったのも頷けよう。
ボニーはじぃっとを見つめる。黒縁眼鏡、分厚い硝子の向こうの目は不安そうに揺れている。ボニーがここで断れば「置いて行かれる」とでもいうような目だ。置いていくも何も、別に仲間でもなんでもない。だというのに、ここでボニーが選ばねば、酷く悲しい状態になるのだと、それが当然のような顔をしている。
「……うちの船に乗るんなら、そのぼそぼそっとした喋り方を止めろよ」
一瞬ボニーは、が政府の送り込んできた刺客か何かなのではないかと、そんなことを考えた。何もかも演技。ありえる。これまで見たこともない不思議な道具を持ち、そして一発の銃弾で大勢を倒した。だが、この男の顔は見たことがないし、(偽名かもしれないが)名前も聞いたことがないのだ。大物の顔、賞金稼ぎ・賞金首、海軍の魔女、殆ど必要な情報は把握している。だが、この男は見たことがない。
(…裏切るのなら、その時は殺せば良い)
とにかく今は、海軍に捕まらぬ事。仲間とこの島を無事に出ることと、そう船長としてボニーは判断し、椅子に座るを見下ろした。
「次の島に行くまで、お前を乗せてやる。妙なマネしやがったらジジィにして海に突き落とすからそう思えよ!」
仲間にするわけではない。海賊見習い、でもない。だがこの男を船に乗せると、そうボニーは決めた。そこで負うリスクや何もかもを覚悟すると自身に言い聞かせ、真っ直ぐにを見つめる。
「……ありがとう、ボニー」
きつい口調で言ったというのに、こちらの言葉を受けて、見かけばかりは大きく屈強そうなその男、まるで子供のように嬉しそうに笑った。
Fin
(2010/09/08 20:06)
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