「うー……」
あぁ、の癇癪が始まるな。低いうめき声、というより自分の思い通りにことが運ばなくて段々苛々してきたという声が聞こえて来た。ドレークは手元の書類から目を放し、部屋の中央、一番安全快適優遇された場所、柔らかなクッションの張られた安楽椅子に腰かけているに顔を向けた。
午後の海軍本部、目立った騒動もなく穏やかな時間の流れる頃合い。隣の部屋では大将赤犬が執務中、目立った遠征もないドレーク少将は例によって例の如くのお守なんぞさせられることになり自分の仕事を魔女の控室に持ち込み仕事を片手間にの相手をしていた。そろそろ時計は三時を示す頃だったからの「お茶」が始まるんじゃなかろうかと頭の隅で思いはした。ドレークが茶を入れることもあるが基本的には自分で茶を入れる。ドレークが少々仕事に没頭してからほんの一寸意識を放した途端きちんと準備されているお茶会セットにドレークが驚くのが面白いから、と言う理由でだ。
「最初っからむき出しにしてればいいんだよっ」
「芯が折れたのか」
長い付き合いだ。まるでわけのわからぬ言葉でも聞けば大抵今日はどんな理不尽だとすぐに予想がつく。癇癪を起しかけた理由は、なんとも他愛もない。手元を見てみればのその小さな手にある鉛筆の芯がぱっきりと折れてしまっている。基本的に羽ペンを使用することが多い海軍本部でありながらは羽ペン、特に(赤犬に投げつけられてトラウマでもあるのか)インク瓶を使用するのを嫌がる。だからあまり普及していない製図用の鉛筆をが使いやすいように態々アーサー・バスカヴィルが作らせた。六角で細長い木の棒の中に芯が入っており、削れば書けるようになる。それを使ってきゃっきゃと日記帳やら何やらを付ける姿は本当に幼い子供のようだった。
「ちょっと力こめたら折れちゃって、全く根性ないんだ」
「かしてみろ」
ぶつぶつと悪態をつくに近づいてドレークは芯の折れた鉛筆を手に取る。一応アーサー卿は鉛筆削りなるものをセットで寄越してきたけれど、それはの寝室の方にあってこの控室にはない。ドレークは軍人としてのたしなみというか、いざと言う時に役に立つだろうと思って常に持っている小さめのナイフ(サバイバルナイフともいう)を取り出し鉛筆に刃を立てた。力加減を間違えさえしなければ削ることはそう難しくない。そうしてジョリジョリと器用に削るその手元をが興味深そうに眺める。刃物を扱っている時にに近づいて欲しくはない。細心の注意を払ってはいるが何ぞあって怪我をしたらどうするのだ、と、護衛という意味だけではなく染まりきった心配性ゆえに、ドレークはナイフを動かすのを止めた。
「いいな、いいな、ねぇ、なんか楽しそう。ディエス、ぼくにもやらせなよ」
なんだその命令系は。
「お前はどこのジャイ○ンだ。ダメに決まってるだろう。小さいとはいえ刃物だ。お前に刃物を渡したなどと、大将に知られればお叱りを受ける」
あと鷹の目が来る。に殺傷能力のある刃物を渡したヤツは俺が自ら斬るとそうマリンフォード十に宣言してまわった大剣豪を思い出しドレークは胃を抑えた。まったくどいつもこいつも。
「大丈夫大丈夫、ぼく怪我なんてすぐ治るしー」
自信たっぷりに言い切る。それは刃物を扱って怪我をすることは確定だけれども治るから大丈夫、ということか、それとも怒った赤犬に殴られても治るからいいとそういうことか。どちらでもタチの悪い開き直りだとドレークはため息を履いてナイフをしまう。これ以上興味を凭れては問題だ。
「コラ、治ればいいとかそういう問題じゃないだろう」
「どう違うのさ」
「怪我なんて、できるだけしない方がいいに決まってる」
普段のの口調をまねた。「そんなの決まりきってる」とそうはっきりと宣言する。その時宣言される言葉は大抵悪魔っ子発言なのだが、常々ドレークはそこまで真っ直ぐに言い切れる自信があることをすごいと思っていた。自分ははっきりと「そうに決まってる」と確信を持って言えることがあるだろうか。そう悩むこともある。けれどこのことばかりは大丈夫自信を持てると自身をもってして決めて言えば、がきょとんと顔を幼くさせた。青い目がキラキラと不思議そうに輝く。
「そういうもの?」
「あぁ、そうだ」
「変なのー」
「何がだ。痛いのはお前だって好きじゃないだろ」
でたらめな、けれど一定の法則を独自に持っているというは怪我など負ってもすぐに回復、修復される。けれど痛みはきちんと人並みにある。「慣れている」と言うが痛みを好む性癖は安心したことにドレークの知る限り持っていない。
「そりゃね」
「じゃあ何が変なんだ」
肩を竦め、は椅子に腰かけたまま立っているドレークを見上げた。
「だって、怪我なんてできるだけしないほうがいいなら、痛いのは皆嫌いなら、なんで海兵なんているの?ばかみたいー」
ころころと喉を震わせて笑う。小馬鹿に仕切ったその態度、あぁ、なるほどとドレークは頷いた。
「ひょっとしなくとも、機嫌が悪いんだな?」
ため息を吐いての頭をぽん、と叩く。この性格悪魔っ子は普段からそれはもう人の神経傷口にずかずかと塩付きの指を突っ込んで引っ掻き回すような外道だが、それでも「海兵」について小馬鹿にする発言は滅多にない。
ぽんぽんと叩いているとがぎゅっとドレークの腹に顔を埋めてきた。その細腕を回して抱き着いてくる。中々に珍しい。ぐいぐいと可能な限り頭を押し付けようとしてくるものだからドレークは少し躊躇ってから床の上に座り込み、すっぽりとその体を受け止めてやる。
「なんだ、怖い夢でも見たのか?水の都で何かあったのか?誰かにいじめられた…いや、それはないか。お前に限ってそれはない。誰かをいじめて思ったような反応がなくてスネてるのか?」
「……」
「言わないとわからないんだがな」
唐突に、こういうことがある。何の前後関係もなく突然がドレークに「甘え」たがる。いやドレークには理由がさっぱりわからぬことが多いのだけれど、きちんとの中では理由があるらしい。途方もない時間を生きてきた。それなら些細なことで様々なことを思い出すこともあろう。その苦しみなのか悲しみなのか、なんと呼べばいいのかわからぬ感情。ほんの一寸でも理解してやれればいいのだが、思い悩む時期はドレークの中でとうに過ぎている。多分は情緒不安定なのだろう。それも当然だ。自分だったら、途方もない時間を生きていてそれでも「自分」というものを保っていられただろうか。は透明感が強い。丸いビー玉、ガラス玉のように透き通っていて、周りの色を反射させて「それが」自分だとそう振る舞うところがある。だから勝手に色を付けられけれど時々何かしらを思い出して不安になる。今のドレークがわかるのはそれくらいで、きっとそれ以上をできるようには一生ならない。なろう、という気をドレークはもう持てない。
「ねぇ、ディエス」
「ん?どうした」
ぽつんと言ってがぎゅっと顔を押し付けた。みぞおちのあたりがぎゅっと締まるようなそんな感覚を覚える。小さな声と小さな言葉で何ぞ言おうとして言えぬ。その様子。震えもしない泣いているわけでもない。なぜ、どうして、なんで、と、こちらにはさっぱりわからぬ始終に尽きるのに、その妙な姿はドレークに憐れみを覚えさせるのだ。胸に押し付けられた頭を何度かゆっくりと撫でてこんな光景を(黄猿以外の)大将に見られたら確実に自分は殺されるんだろうとそんなことを思った。焼死と凍死ならどちらがマシか、いや、そんな楽に死ねるわけがないか、と気付いたら憂鬱になった。
「ねぇ、ディエス」
「なんだ、
今このタイミングでため息を吐くとが気にする。自分の所為かと遠慮して離れていく。それがわかっているからドレークは何とか抑え込んで黙っていた。がまた暫くして口を開いた。先ほどと同じ言葉だが、さっきの一寸躊躇う色が消えていた。顔を埋めてくぐもった声のままがぽつりと言葉を続けた。
「すきっていって」
あぁ知ってるかこの部屋はしっかりアーサー卿やら何やらに盗聴されてるんだぞ一応名目は魔女の監視とか保護とかそういうご立派な名目で赤犬には1日遅れでその記録テープが渡されるんだぞ。などと言いたい気持ち、ぴくりと思わず顔を引き攣らせドレークは眉間に皺を寄せた。いろいろ思うことはある。しかし最初に自分の保身だけを考えてしまったことをドレークは悔やみ、ぎゅっと二本の腕でを抱きしめる。
「俺がお前を嫌うことはない」
当たり前すぎる。それこそ「決まりきってる」ことだと、今度は心の底から、完全完璧に言い切れた。が「すき」という言葉を要求している。そのままに受け取ることが正解ではないとわかっていた。だから保身を考えるべきではなかったのに、ついうっかり、あんまりにも控える悪の貴族やら大将殿が恐ろしすぎてついついそんな逃避をしてしまったが、そもそも何も恐れることなどない。
「まぁ確かに、時々お前の度の過ぎた悪戯に腹が立つこともあるし、ほんの少しはお前から離れたいと思ってしまうこともあるんだが、あぁ、頼むから泣くな、見えてないが見えてるぞ、そういう意味じゃない、お前が嫌いだからそう思うんじゃなくて、俺だって疲れることがあるんだ、俺に体力がないからで、別にお前の所為じゃないんだから泣かないでくれ、
言ってぎゅっと腕の力を強くする。息ができない、とが言った。身を捩る。けれど離れようとはしない。きっと「ごめん」と一言が言えればこの小さな体はいろんなことから救われるんだろう。けれどその一言が言えない。わかっている。だからドレークは抱きしめる力だけほんの少し弱めて、さらさらとした癖のない髪、その耳元に顔を近づけた。
「   」





++



 



たっぷりと生クリームを使いよくよく熟した苺が乗った柔らかなケーキを片手でむんずっと掴んでぱくりとやる。ナイフもホークも使わず手づかみでもしゃもしゃとテーブルマナーも何もあったものではないがこれで中々面白いとは知った。口元や手にクリームがついてベタベタになる。それらをぺろぺろと赤い舌で舐めとって、膝の上に乗せた手配書を眺める。グランドラインのとある島。狙った賞金首がとうに移動した後だったのでさぁ追いかけるかそれとも別のやつを探すか、偶然この島には手配書を配っている役所があったので足を運びいくつか貰ってきた。その帰りに美味いと評判のケーキ屋に寄って8つほどケーキを購入。これならホールで買った方がよかったんじゃないかとマリアに言われたけれどいろんな味を楽しみたいからこれでいい。ある一定の開き直りをしてからは食を拒むことしなくなった。ドンとこい。食べれるものは何でも食べてやるとそんな決意というほどでもないけれど、よく食べるようになった。ぱくぱくぱくぱくと主に菓子の類を。マリアと喧嘩をしたときに「糖尿病になって死ね!」という文句が出てくるようになった。そういうわけでベッドの上に腰かけ手配書眺めながらケーキをぱくつく。マリアは電伝虫でアーサーに報告にでも行っているのだろう。ひっそり行っているつもりでバレている。そしてバレていることをマリアもわかっている。そういう妙な共犯者。隣のベッドにはマリアの置いて行っても問題ない荷物が置かれている。手配書を一枚一枚汚れていない手でめくっては床に落とす。あとでマリアが拾ってまとめて置いてくれるだろう。そのうち最後の一枚になって、の顔が歪む。一寸の間があって、はそのまま仰向けにベッドに倒れ込んだ。胸がむかむかとしてきてやっぱり生クリーム系を続けて食べるのはよくない。間にさっぱりとしたシフォンケーキでもはさめばよかったと後悔した。指がまだ油っぽく汚れているような気がして嫌になって、は膝の上の手配書で拭う。くしゃくしゃにして丸めて、ぽいっと捨てようとして結局もう一度広げた。少し油で色の変わった手配書にある顔を見ては眉を寄せる。

「ばかみたいに甘い」








Fin