「暑い夏、ハイ!やってきました真夜中の海軍本部幽霊捜索ツアー。ハイ、拍手〜」

薄明かりで顔を照らし雰囲気を出すよう心得ながら、クザンはノリに乗った声で切り出し集まった海兵たちに拍手を求めた。薄暗い室内には現在50人程度の海兵が集っている。皆辿ればクザンの部下になる、という所属の海兵たちで、このたびの戦争では後方支援でよく働いてくれた。階級は少佐以下のものではあるが、クザンが時折思いついて催す妙な行事に付き合ってくれる、良い部下たちである。

戦後のためあちこち怪我をしている姿も見られるが、真夜中というに海兵たちは皆気合十分、妙に盛り上がっていて、クザンが拍手を求めずとも歓声はあがっただろう。

「はいはい、どうもねー。やー、まさかこんなに暇人、じゃなかった勇気ある海兵の諸君が集まってくれるとは思わなかったわー。ね、皆、張り切ってやろうな、会談話」

日中は暑くてだれそうになるが、真夜中ともなれば風が涼しいもの。何も酔狂で今回のイベントを思いついた、というわけでもないが、ちょっとした慰安くらいにはなってよかったかもしれない。急ピッチで復興作業が行われているため、海兵たちには今のところ心休まる時間がないはずだ。それに、己らは無事でも近しい友人が戦死したものもいるだろう。何よりも、戦争体験後の精神的疲労があり、後遺症に苦しむ海兵が後を絶たぬ、とそういう話が昨日の会議では上がっていた。グラグラの実の力を経験した若い海兵たちは皆恐怖を刻まれ、日常生活への復帰が遅れている者もいるらしい。もう少し落ち着けば各所からカウンセラーを本部へ招くこともできるが、今のところとりあえず破壊されたものをもとに戻すことで手いっぱいなのだ。

クザンは、なにも夜眠れぬのはサカズキだけではない、と改めて思った。あの戦争では大勢が、たくさんのものを失い、見て、そして覚悟をしてきた。そのことを考えつつ、クザンは再び海兵たちに向き直る。

「はい、じゃあ改めて状況確認なー。ここ最近この海軍本部の中で子供の幽霊が出るっていう話がある。まァ、幽霊がいるかいないかという原点はさておいて、もしも子供の幽霊がいるってんなら、やっぱ海兵としては見過ごせないよね?」
「もちろんです!幽霊だろうと小さな子供が何か困っているのなら救いの手を差し伸べるのが海兵でしょう!」
「もしやあの世への道がわからずさまよっているだけなのかもしれません!一刻も早く安らかに眠らせてあげなければ!」

と、上記二人は前向きな意見である。しかし中には中々現実的な海兵もいる。

「いるとは思ってませんが、そういう噂が立つのは見過ごせませんね。一般人へ無駄に不安感をあおることになるかもしれません」
「原因を解明し、そのような噂は即刻払拭せねばなりませんね」

と、まぁ、幽霊肯定派と否定派が綺麗に二つにわかれているが、クザンとしては正直どちらでも構わないのだ。いるなら発見したいし、いないのなら、居ないという証明をすればいい。もともとクザンは幽霊が出るんだ、という噂話を耳にはさんだに過ぎず、お鶴のところにもその話は来ていたようだが、今のところ特に問題視はされていない。そんなことよりも解決させねばならぬことが多くあるのだから仕方ないとはいえ、しかし、他の問題が大きすぎる、重要すぎるからこそ、時にはこういう、ろくでもないことにも取り組んでみたくなるのだ。

「じゃあ、ま、皆、幽霊が出てきやすいように100話物語でもするかねぇ」





海軍本部幽霊騒動06





誰かあのバカを蹴り飛ばせ、とサカズキは何度目かになるかわからぬことを呟きつつ、扉の前で失神したバカな海兵を廊下に投げ捨てた。

どうも、どうやら阿呆極まりない妙な催しが現在行われているらしい。

「よりにもよって、肝試しか」
「……確かに、サカズキさんの執務室の前を気付かれずに通り過ぎないといけない、なんて肝試しとしては十分かもしれませんけど」
「何言うたか」
「いいえ、何も」

不敬な言葉が聞こえたため。じろりと部屋の中を睨み飛ばせば書類を整えたリコリスが素早く答えた。

海軍本部“奥”の真夜中。通常であればあたりはひっそりと静まり返り時折夏らしい虫の声がどこぞから響いてくる、というはずの静かな夜が、現在はそこかしこで気配があり、そして時々叫び声が上がったりで、サカズキには苛立たしくあった。

「煩わしいのでしたら、自室にお戻りになられたらよかったんじゃないですか?」

今夜はリコリスの手伝いのおかげで仕事が残っているわけではない。実は定時には上がれたが、やはりいつも通りサカズキは夜中まで仕事をする気でいて、当然のようにリコリスも付き合っていた。一時間前には例の食堂のコックが今夜も懲りもせず料理を運んできて、サカズキには多少様子は変わったが、これまで通り、とそう判断しようとしていた、その中にこの、奇妙な騒動である。

「なぜわしがあのバカのために部屋に戻らにゃならねぇ」

本日海軍本部でひっそりと行われているらしい「百話物語」という名の肝試し。誰だこの忙しい時にそんなバカなことを考えたバカタレは、と通達されサカズキは即座に顔を顰めたが、誰が考えたなど、そもそも考える方が間違っている。こんなことをしでかすバカは海軍に一人しかいないではないか。直々にクザンのあの能天気な頭を蹴り飛ばしに行こうと、そう思ったが、しかしリコリスが「海兵たちの慰労も兼ねているのではないですかね?」と進言してきたため、とりあえず怒りは収めた。

しかし、止めればよかったのだと、肝試しが始まってすぐにサカズキは珍しく自分の行動を後悔した。

「いやー、だってさァ、ただ怖い話してどっかに蝋燭置きに行く程度なんて良い歳した連中にとっちゃ怖くもねぇだろうしー?」
「……おどれ、よくもまぁわしの前に顔が出せたのう」

思考の中に同調するように能天気な声が聞こえてきて、サカズキはイラっと眉間に皺をよせ、現れた同僚を蹴り飛ばす。ガラガラと音を立ててある程度崩れながらも、これでどうなる海軍大将ではない。舌打ちをし、サカズキはどうすればこのバカを懲らしめられるかと考えていると、復活したクザンが、よりにもよってリコリスの手を掴み言い寄った。

「こんなクソ暑い夜に生真面目にこんな石頭の相手してないで、おれとどう?」
「おどれ、何しに来た」
「え、サカズキの秘書さん口説きに」

今ならリコリス(海楼石の効果あり)の手を掴んでいるので致命傷を与えられるだろうか。

そんなことを本気で考えていると、リコリスが困ったように眉を寄せている顔と目が合った。

「あの、サカズキさん。わたしはどうすれば」
「蹴り飛ばせ」
「いやいやいや、ちょっとちょっと、何教えてんのよ。おれ、一応大将よ!?」

来て即行人の部下にセクハラ発言するド阿呆なんぞ滅びて構わない。サカズキは心底真面目に答え、クザンが顔を引き攣らせた。そして命は惜しいのか、ぱっとリコリスの手を放す。その態度にはサカズキは満足して、とりあえずまだクザンが出ていく気がないことはわかっているため、ソファに腰を下ろし、片足を膝の上に乗せた。

「で、何の用じゃァ」
「まぁ、用もなくお前の部屋にゃ、もう来る気もねぇわな」
「殴り飛ばすぞ、おどれ」

妙に癇に障ることばかり言う。以前からだらけた言動ばかりだったが、この男の言葉には刺がなかったように思えた。それが何ぞ機嫌でも悪いのか、妙につっかかってくる。いちいち相手にするのもバカらしいのでサカズキは言い返したものの鼻で笑い飛ばし、ぎしり、とソファのスプリングを軋ませる。今のそのあたりで会談話を終えたらしい海兵が指定された部屋に蝋燭を置きに移動している気配がした。

「どうぞ」
「あ、悪いねぇ。わざわざ」

サカズキの向かいにクザンが腰をおろせば、すぐにリコリスがコーヒーカップを渡してくる。この部屋に備え付けているのは緑茶のみのはずだが、クザンはコーヒーを好む。態々そろえたのだろうか、と視線を向けると「私が飲みたかったんです」とそうあっさり返された。

クザンは受け取り香りを確かめてから、ほんの一瞬顔を強張らせる。

「どうした」
「いや、良い香りだなぁーと関心しちゃって。秘書さんって淹れるの上手いんだねぇ」
「気に入っていただけたなら光栄です」

サカズキ自身は珈琲は好まぬが、味にいちいちうるさいクザンを感心させるとは大したものだ。素直に思い、自分はあたらに注がれた茶をすする。深夜であるのであまり濃いものは入れないつもりらしいので聊か物足りなくはあるが、自分でいれるよりリコリスが入れた方が美味いので仕方ない。

「やー、なんか、あれだな、すっかりサカズキも秘書持ちの大将って感じじゃないの」
「手ぇ出すなよ」
「いやいや、男女の関係なんてわかんないよ?なぁ、秘書さん」
「これはわしの大事な秘書じゃァ。おどれの一夜の相手になんぞさせるか、バカタレ」

クザンの女癖の悪さはよく知っている。けして本気にはなれぬのに相手をその気にさせて何人泣かせたのか。人の男女関係にまで口をはさむ気はないが、自分の部下に手出しなんぞされた日には、正直サカズキはそのまま責任を取らせて娶らせる。

「大丈夫ですよ、サカズキさん。わたしにも選ぶ権利がありますから」
「酷…!!?何気に酷くないか秘書さん!!?おれじゃ不満ってこと!!?高収入高身長高学歴よ!?」
「肩書や容姿はさておき、内面に問題がありすぎるんじゃろう」
「お前まで!?内面に問題なんてお前もそんな変わらねぇじゃんか!」

人聞きの悪いことを言うな。このバカと内面を同類にされてはたまったものではない。サカズキはぎゃあぎゃあわめくクザンの頭をひっぱたき、リコリスに茶のお代わりを求めた。湯のみを渡せば特に言う必要もなく察し、奥の給湯室に下がる。一日目でここまで気遣いの出来る秘書というのは、傍に置いて悪くないものだ、とサカズキはこの一日で色々考えを改めた。すると、じぃっとクザンがこちらを見つめていることに気付く。

「なんじゃい」
「別に〜?」
「気色の悪い声を出すな。で、用件はどうした」
「あ、そうそう。お前と一緒に幽霊探しに行こうと思って」
「帰れ」

どうせロクな内容ではないと思っていたが、まさにまさしくその通りで文句をいう気力もわかない。素早く追い出そうとすれば、その腕をぐっと、妙に真剣な力の籠ったクザンに掴まれる。

「その幽霊が、ちゃんかもしれないって言ったらどうするよ」
「………本格的に、頭がイカレたか?」

言うに事欠いて、このバカは何を言うのか。サカズキは侮蔑を孕んだ目を向けようとしたが、しかし、睨み飛ばしたクザンの顔が、妙にほっとしたようなそんな表情になった。思ったような表情が浮かべられなかったのだ、とそう気付く半面、サカズキは即座にその腕を振り払う。

なぜ、クザンは認めないのだ。
あれはもう死んだ。どこにもいない。幽霊、超常現象なんぞ、サカズキは信じていない。

「赤い髪に、真っ白いワンピース、真っ赤な靴に小さな背の女の子だって、言うんだよ。その幽霊。なんで海軍本部にそんな幽霊が出るんだ?」
「わしが知るか」
「海兵とか、殺された海賊の幽霊ならわかる。でも、赤髪の子供の幽霊で、ここに出るなんて、もうちゃんしかいねぇだろ」
「あれは死んだ。幽霊なんぞあるものか」
「おれも幽霊は否定派かもしんねぇけど、でも、死んでもちゃんなら気合で出てくる気がする」

出てくる理由がない。

言おうとしてサカズキは躊躇った。理由など、己はわからない。あれの記憶、どんな女だったのか、何も覚えていない己が、がどう判断する生き物だったのか、それを言い当てることはできないのではないか。

だが、目の前のクザンは違う。悪意の弾丸に記憶を奪われてはいない。あれの記憶を、何もかもを覚えていて、だからこそ、諦めていないのか。そして、幽霊が「そう」だと言うのか。

「……」

焼けつくような嫉妬を、サカズキは覚えた。

誰よりも、何よりもあれを想う心は己の物であると、そう自負があった。たとえ記憶を奪われようと、トカゲの悪意にさいなまれようと、それでもあれを、を一番に理解し、感じているのは己であると、そう思っていた。だが違う、今、まさに誰よりもを切望し、求めているのは。

振り払った腕を、サカズキは逆に掴み返し、そのまま反対の手でクザンの胸倉を掴んだ。

「わしが違う、言うたら、違うと認めろ」
「お前はちゃんのこと忘れて綺麗なねーちゃんに自分の空席埋めさせられるけど、おれは違うから。おれは、お前と違う」
「おどれ、」
「今日さ、まぁ、今さっきだけど、はっきり思った」

ぴしり、と空気が凍りつく。ソファから、周囲の机からカップの中の液体から、何もかもが凍りついていく。クザンが本気で苛立っている、ということにサカズキは初めて気付いた。いつだって、苛立ち怒鳴る、怒気を露わにするのはこちらであったというのに、今は、サカズキ以上にクザンが怒りを表している。

「お前は、もういいよ。もう、いい。ちゃんのこと忘れて、大将でいりゃ、それでいいんだろ?」




+++



扉一枚越しに、青雉のその暴力的ともいえる言葉を聞きながら、リコリスはぐっと唇を噛んだ。

あの言い方はない。あんな言い方をして、赤犬が何も感じないとでも思っているのか。今すぐに飛び出したかった。だが、生憎と扉は氷によって目張りされ、リコリスは熱湯を沸かして氷を解かさぬ限り隣の部屋には戻れそうにない。

赤犬は黙っている。なぜ、反論しないのだ。

(あの人の心には、今もまだ薔薇の魔女がいる)

それはけして消せぬのだ、と、そう、リコリスはサカズキ当人に告げられた。あの人は、過去に縛られはしない。だが、けして、己の中の魔女を失うことはないのだと、そうリコリスは突きつけられた。

(いっそ、奪えればいいのに)

今、青雉の言葉を聞いてリコリスは確信した。

あの魔女は他人を不幸にすることしかできない。死してなお、生者をむしばむ、悪意そのものではないか。どれほど思い出が美しかろうと、もう彼女はいない。死んだ。それなのに、彼女を想う青雉は赤犬にずっと、魔女に縛られていることを望むのだ。

(そんなの、おかしいわ。どれほど魔女を想ったところで、彼女があの方のためにお茶を入れられるというの?悪夢を見ないように、願うことができると言うの?)

リコリスは、赤犬の眉間に寄った皺を間近で見た。堂々としていながらも、何か、心に深いものを抱えている。魔女が遺した消えぬ傷。サカズキは強い人だ。それを、傷などついていないという顔をして振る舞おうというのに、周囲は、傷だらけではないと気が済まない。魔女を愛した者たちは、だからこそ、魔女が愛した赤犬が魔女を失って堪えていなければ気が済まず、魔女の喪失をありありと付きつけるばかりなのではないのか。

リコリスは赤犬に愛されることによって、薔薇の玉座への資格を手に入れようと、そう思い近づいた。魔女を失ったこの世界には、薔薇の魔女の力の空席がある。その力が手に入れば、リコリスは己を貶めた者たちへ報復することができる。無力な女たちは魔女の資格を手に入れ、そして魔女の玉座をかけて争う。リコリスは到来「毒の姫」という二つ名の通り、魔女の資格は持ち合わせていなかった。どれだけ童話の知識を得ようと、リコリスは魔女にはなれない。だが、サカズキ、あの魔女が愛したあの男がリコリスを愛すれば、途端にリコリスは「勝者」となって他の魔女らを圧倒できるものになるのだ。

そう思って、そう、考えて近づいた。

だが、今新たに思う。

アーサー卿を前にした己を抱き上げ、そして前髪を払ってくれたあの人の、悪夢を己は払いたい。

(魔女なんて、この世からも、あの人の記憶からも、いなくなればいい)




Fin


(2010/08/16)