海軍本部幽霊騒動07
言いすぎた、とはクザンは欠片も思っていなかった。しかし大人げなかった、とは思う。自分はサカズキの現在の状況を知っている人間で、サカズキが故意にのことを忘れたわけではない、忘れたいと思っているというわけではないと、わかっている。それであるのに、あの言い方は、確かに大人げなかった。
だがしかし、腹が立ったのだ。
今日の午前中、妙に慌てて例の秘書がクザンの執務室にやってきた。それで慌ただしく書類を受け取り、そして去って行った。どうやらサカズキに10分以内に戻れとそう、無茶な指示を出されたらしいというのはその時の彼女の口ぶりからわかった。だが、その時のあの秘書の妙に嬉しそうな顔。クザンは赤い髪の女が、以外の赤髪の「女」という生き物がサカズキの隣にいて当然、という、その様子に腹が立った。
エゴだと、分かっている。自分勝手で、押しつけがましい感情だ。サカズキは何も覚えていないから、仕方のないこと、そう、分かっている。それでもクザンは、サカズキの執務室に常時いていいのはだけだと、そう思っている。サカズキの書類を自分のところに届けてくれる「サカズキのところの子」は以外であってはならない。自分は仕事をしながら、ひょっこりと「お使い、ぼくをパシるなんてサカズキって傲慢だよね!」とがやってくるのを待つのが楽しかった。時折甘やかしてお菓子を用意して待って、の為にコーヒーを入れて、他愛ない話をするのが、嬉しかった。サカズキのところから来るのは、だけでいい。それなのに、今日は違う、彼女が来た。サカズキの秘書、という堂々とした顔をして、早速サカズキの無茶な要求に答えるのが楽しい、というような顔をして、あのリコリス・ボルジアがやってきたのだ。
身勝手にも、クザンはサカズキに失望した。覚えていないとはいえ、それでもクザンは奇跡じみたものが、そして絶対的なものがとサカズキの間にはあると、そう信じていた。記憶などなくとも、サカズキはをけして忘れない、と、そう叫んだ時、クザンは「それでこそだ」と、そう、サカズキに憧れた。自分はけしての「一番」にはなれなかった。だがサカズキはなれた。その「なぜ」が、その、サカズキの強い意志ゆえだったのではないのか。その傲慢ともいえる意地に近い、強い意志を、サカズキは今も持ち続けているのだと、そう感じられ、クザンは素直にサカズキと共にセンゴク元帥の説教を受けた。
それだというのに。
サカズキの執務室には、二度と行く気になれないと、そうクザンは思う。かつてが座るために用意されたソファは、おそらくすぐにリコリスの居場所になるのだろう。のためにとサカズキがどこぞから取り寄せたティカップは、もともと備え付けられていた品としてリコリスが使う。が「クザンくんはコーヒー、サカズキは緑茶。二人とも同じにすれば手間かからないのにねぇ」と、そう面倒臭そうに言いながら、それでも自分であちこち回ってそれぞれの好みに合う豆と茶葉を選びストックしたものは、当然のようにあの秘書が扱うようになる。
リコリスが悪いわけではない。全ては、クザンの身勝手な感情ゆえだ。彼女は彼女なりに必死に自分の居場所を作ろうとしている。もしクザンがサカズキの立場なら、やはり同じように「良い子だ」とそう関心しただろう。だが、クザンはのことを覚えていて、そして、まだ、こんなにも彼女のことを想っている。
「苦しいの?ならいっそ、きみも忘れてしまえばいいのにねぇ」
「……っ!?」
のことを思い出すと、未だに息が苦しくなる。壁に手をつき、唇をかみしめた途端耳に聞き覚えのある声がかかった。
はっと、クザンは顔を上げる。
いつのまにか自分は夢でも見ているのだろうか?気付けば、歩いていた回廊ではなく、そこは白い薔薇の咲く中庭だった。
そうしてテラス、月明かりに照らされたその中央に、緋色のヴェールを被る、人影がある。クザンは冷静さを取り戻そうとして、しかし、頭の中でガンガンと何か期待のようなものが自己主張を始めた。
覚えている、この、人を小馬鹿にして皮肉を言うことに人生かけたような声。
「それ、褒めてるつもりかい?あんまり嬉しい評価じゃ、ないけど」
ヴェールを被る人物が小首を傾げるように体をわずかに傾ける。クザンは一歩近づこうとしたが、しかし足が動かない。これは夢の中なのか、というほど、妙に体がふわふわとする。脳に響くその人物の声は、確かに、記憶にある彼女のものとそっくりだった。
「お前さんが、噂の幽霊?」
赤いヴェールが、赤い髪に見えたのかもしれない。ヴェールの赤さとは対照的な純白のワンピース。それに、闇夜に赤く、黒く光る靴。小柄だ。クザンの腰までもない、小さな子供のように、思える。その少女、トン、トン、とリズムよく靴を鳴らしてこちらに近づいてきた。
「このあたりをうろついていたら、いつかきっと、探しに来てくれるんじゃないかって、そう思ったの。来てくれたのは、狙ってた人じゃなかったけど。このまま誰も来ないよりマシかな?」
「悪いね、サカズキじゃなくて。おれじゃ、不満?」
触れられる距離に、来た。だがクザンはそのヴェールに手をかけることを躊躇う。声は、彼女のものだ。背も、見える足の白さも、見た目のやわらかさも、そのものだ。
だが、違う。
「……っ、は、ははは、なぁに?酷いね、クザンくん」
パキパキと、音を立てて一瞬前まで少女がいた場所が凍りつく。だが何のモーションもない攻撃だったというのに、その少女はあっさりと回避した。高笑いを響かせながら一段高い塀に降り立ち、ヴェールをはぎ取る。
「なんでバレたの?変装、完璧だったと思ったけど」
「あらら、顔までそっくりなの?手が込んでるねぇ」
現れた顔は、髪の色こそ黒髪で目は金だが、まぎれもないと同じ顔だった。クザンはと同じ顔の少女を見て、自分の心臓が苦しくなるかとそう覚悟したが、湧き上がるのは失望感と、怒りのみでそれはない。
「魔女のフリをして何を企んでいる」
「ふふ、やだァ、クザンくんってばこのぼくが答えるとか思ってるの?」
「その顔と声で、おれのことそう呼んでいいのはちゃんだけだから」
ふっ、とクザンは氷の剣を手に握り、そのまま塀を切り倒す。ひょいっと、少女は跳ねてクザンの首を狙いに来た。だが浅い。クザンは反対に少女の腕を掴み、そのまま地面にたたきつける。みしっと骨の軋む音がし、少女の口から奇妙な悲鳴が漏れた。
「舐められたもんだよねぇー、能力者でもないただのガキがかなうとでも?」
と同じ顔をしているからとて、油断するなどまずない。クザンは、少女の確認をすることを躊躇った自分を思い出した。もうその時から「違う」というのは分かっていたのだろう。だが「もしかして」と、そう、自分の勘違いを期待した。もしかしたら、本人なのかもしれない。確認さえしなければ、期待は持てた。だが、頭の隅ではわかっていたのだ。
「ちょっとは期待しちゃった分、結構今おれ、落ち込んでんのよね。よりにもよってのフリするなんて、何?なぁ、もちろん、殺されても文句ねぇよな?」
ぎしっ、と、クザンは少女の腹を足で押さえる。年端もいかぬ少女相手にと傍目には非難されそうな光景であるが、の姿をし、そして「幽霊」であると周囲に噂させた人物がただの少女のわけがない。魔女の素質の持ち主か、あるいは既に魔女の階級を手に入れている者か。どちらにせよ、クザンは容赦する気はなかった。
体重をさらに書ければ少女が目を見開いて、呻いた。ミシミシと骨が軋む。こちらの足を払おうと伸ばされた腕は弱々しいが、しかし、その少女の指先が弧を描いた途端、クザンの足がぼきっ、と折れた。
「……詩篇、使えんの?」
「……酷いよ、クザンくん。ぼくのこと、こんな風にいじめるなんて。痛い…すっごく、痛かった」
げほげほ、と口から血を吐きながら、まだのふりをしようというのか少女が非難の言葉を吐く。クザンは砕かれた足を即座に修復させ、警戒するように少女を見つめる。
今のは、やピアが使う詩篇だ。魔女は扱えるものだと聞いているが、こうも目の当たりにすると聊か驚かずにはいられない。
ただの魔女候補、というわけではないのか。詳しいことはサカズキではないのでクザンにはわからないが、しかし、この少女を殺すわけにはいかないと、そう判断はできた。捕え、調べなければならない。そう判断すれば、少女がその金の目を薄らと細めてこちらを見上げた。
「このぼくを、捕まえられるとか驕れる愚かしさを、どう罵倒されたい?」
「おれ、ちゃん意外に面罵されてもちっとも反省しねぇから。悪いんだけど」
「ぼくが「」になる。だから、安心して傷ついていいよ?」
少女が繰り出した蹴りをクザンが掴んだ。そのまま凍らせよう、とする冷気に躊躇うことなく、少女が足を掴まれたまま、反対の足でクザンの腹をけり崩す。ガラガラとわき腹が氷となり崩れ、その隙をついて少女の掌がクザンの心臓部分に触れた。が、そのままゆるすつもりもなく、クザンは掴んだ足を放して少女の首を掴む。
殺すわけにはいかないが、半身を凍らせて砕く程度は許されよう。
ようは、死ななければいいのだ。
この、のまがい物のようなものを、クザンは許さない。一瞬でも、クザンは期待した。サカズキがもしも、この少女の狙い通り、そして自分が当初考えた通り、幽霊を探しに行き、そして期待してしまっていたら、どうなっただろうか。「違う」という事実を突きつけられた時、クザンは再びを失ったような絶望を覚えた。また、サカズキに絶望を与えることにならなくてよかった。そこまで考えて、やはり自分は、サカズキにを好きでいてほしいのだ、と、そう気付く。それがわかっただけでも、まだマシかもしれない。そう、自身の中で一つの決着を付け、クザンは本気の冷気を纏わせた。途端、感じ取った少女の顔に初めて恐怖の色が浮かぶ。
魔女候補の少女であっても、痛みへの恐怖はあるのか。そのあたりからして、もうではないとクザンははっきりと意識の区切りを付けられる。引き攣った少女の唇が震え、また何か言おうとした。だが、もうと同じ声で喋らせる気はクザンにはない。氷の短剣でまずは両手首を切り落とす。これで詩篇は使えまい。そうして、叫び唇に、そっとクザンは自分の人差し指を押し当てた。
「しー、静かにしようね。サカズキが気付いてきちゃうかもしれねぇだろ?」
先ほどまではあんなに高圧的だった少女が、今はすっかり血の気の失せた顔でガタガタと震えている。傲慢さはのフリをする演技。この弱々しさこそがこの少女の本質なのだろうと、そうは思った。だが、だからと言って手加減する理由にはならない。クザンは、以外の魔女に容赦したことはなかった。クザンにとって魔女とは唯一人で、シェイク・S・ピアやキキョウ、それにベレンガリアなど多くの魔女と面識があるにしても、しかし、のように同情する気も、また親しくする気もなかった。
魔女は海軍の正義にあだなす者だ。大将として、敵対する魔女を発見したら殺害、あるいは捕縛する。そうクザン当人が決めていること。だらけきった正義を掲げてはいるが、しかし、魔女に対してシビアにならねばならぬ、ということは理解していた。
叫ばれぬよう喉を潰そうとその細い喉を掴む親指の腹に力を込めようとして、ぐっと、クザンは服の裾を横から掴まれた。
「止めて、クザンくん」
薔薇の香りと、そして、記憶にあるより若干低めの声が耳を打った。
Fin
(2010/08/17 00:27)
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