「止めて、クザンくん」

聞き覚えのある声、ではない。けれどその言葉の響きにクザンの体は強張った。振り返るな、とそう言い聞かせる。再度の失望を味わうのか。この目の前にいる黒髪の魔女のように「違うのだ」ということを再び、実感しなければならなくなるのか。期待など何にも出来ぬと、そうわかる冷静な反面、しかしやはりクザンは、期待してしまうのだ。

触れられた手は、記憶にあるものよりも少し大きい。けれども女性の柔らかさ。クザンの覚えのある手はいつだって小さく、頼りなかった。けれどあの、戦争の最中のと考えれば、あのときの若干成長した姿を思い出せば、やはり、期待してしまうのだ。

凍りついたように動かずにいること数秒。一度ぎゅっと目を伏せて、クザンは振り返った。

ちゃ、」

振り返る。

夜の闇の中に最初に見えたのは、月明かりに鮮やかに輝く赤い髪。

燃えるようにはっきりとした(そこでクザンは思うのだ。リコリスや、これまで自分が愛人関係にあったどの赤毛の女性よりも、彼女の髪は赤いのだと)赤い髪。目の端に捉えてクザンの心臓が跳ねた。

息を呑んだその途端、クザンの耳を再度女の低い声が打つ。





 

 

 

 


海軍本部幽霊騒動 8話

 

 

 

 









「呼ばれなくても飛び出てじゃじゃじゃじゃーん。はい、おっはー。二部初登場、パン子さんでーす。世の御令嬢ども喜べよ、ってなんだ、青キジ?いい反応を期待してたのに、何だその嫌そうな顔は。つまらんぞ?」
「・・・・・うわー。がっかりー」

振り返った先、赤い髪を眼で追った先に、見えたのは記憶にあると同じ青の瞳。顔立ちも目を見張るような美しさ、であるのにかわりはないのだけれど、聴こえた声の低さと軽薄さ。クザンはげんなりとしてとりあえず見なかったことにしたかった。しかし空気読まない度合いは以上という定評のある彼女。おっはー、と見覚えのある仕草を無表情でした体制からふふん、とそれはもう愉快そうに目を細めて鼻を鳴らした。

「折角なのでそれっぽく呼んで声もマネしてみたんだが、卿、ものの見事に引っかかったな」

人を騙したところでまるで悪びれもない。むしろクザンの反応が気に入らぬとばかりに眉をひそめる身勝手さ。クザンは見なかったことにしてもう部屋に帰って寝ようかとそんなことをぼんやり考えつつ、額を押さえる。

「……色々突っ込みてぇことはあんだけどね?とりあえず一個確認していい?トカゲさん」
「うん?なんだ、大将青キジ」

この二日間のシリアスモードもこの方の登場であっさり崩壊するんじゃなかろうかと、そんな爆弾登場という展開。とりあえず何で今このタイミングで出てくるのかとか、ばっちり指名手配されている人間が何堂々と海軍本部を訪れているんだとか、のふりしての再登場なんて本当性格悪すぎるだろとか、自分じゃなくてこれが赤犬だったらどんだけ捻くれた嫌がらせになったんだとか、あれこれ突っ込みたいことはあった。

しかしクザン、そういう最もな問いかけは溜息一つで何とか今現在は押さえ込み、のんびりとした風体はそのままにトカゲ中佐の青い目を見つめる。

ちゃん、本当にもういないのか)

問いたい言葉は決まっていた。胸中で呟き、ぐっとクザンは自身の分厚い唇を噛む。

トカゲの目はの瞳より僅かに明るい青。別の世界ではと同じく「海の魔女」なんて呼ばれているらしいこの女。(別の世界ってなんだそのなんでも展開、などという突っ込みはもはや「トカゲさんだから!」という魔法の言葉で突っ込み深になる)しかしのように悪意の魔女、とは呼ばれぬからか、彼女の二つ名はただ一つ。それゆえ、トカゲという女はある意味以上に「海の魔女」という名に相応しい瞳をしている。深い深い海の色、どこか孤独を孕んでいたとはまるで違う明るく輝く青い目。絶望も破滅も何もかも承知の上でそれでも輝くトカゲの青い目。どのような時でも「おれは赤旗を嫁にするんだ」という、単純極まりなく自分勝手、けれどもその絶対さに縛られることも自由すぎることもなく突き通す雄々しいとさえいえる姿。そのトカゲの目。じぃっとクザンが見つめて数秒、胸中では何度も何度も同じことを問いかけるというのに言葉には出せぬ。そうしているとトカゲがまるで愛しいとでもいような、妙に慈愛に満ちた目でクザンを見上げてきた。

「賢明だ。あぁ、あんまりにも、懸命だよ。青雉、卿はいつだって冷静なんだ」
「……それ、褒めての?」

嫌味にしか聞こえぬとクザンは肩を竦めた。

聞ける訳がない。

トカゲは己を「青雉」とそう呼んだ。この海軍本部にいる「大将」の一人であるとそう扱った。

その上でクザンはの生死の有無を問えはしない。いや、トカゲに言われたから、というのは正しくはなかろう。その顔は、どこかに似ている。その瞳に宿る、相手が過ちを繰り返すのをただ黙ってみている、それでいて、案じるような気配が僅かに根底に隠れているその目が、クザンに言葉を紡ぐのを躊躇わせ、そして決意をさせた。

「……でもさ、教えては欲しいんだよ。今何が起きてんのかって。これから何が起きるのかって」
「は、ははは。何を甘ったれたことを。先に何が起きるかなんぞ誰かが教えてくれるのを待つのは思春期に占いにハマる女子高校生だけでいい」
「……ジョシ…?」

聞きなれぬ単語にクザンは顔を顰めた。言葉の響きから人間の一つの呼称だとは思うが、相変わらずトカゲは人にわかるようには話さない。

困惑しながらもとりあえずクザンはトカゲが同情して色々助言してくれるなんていう都合のいい展開を早々に諦め、先ほどから自分が腕を掴み離さぬ例の黒髪の魔女を見下ろした。

「で?この子は何者で、なんでトカゲさんがこの子を庇うのかって、それくらいは教えてくれるよなァ?」
「離せっ、この童貞ッ!!!」

もうの言動をマネることは諦めたのか、トカゲを警戒するようにちらちらと視線をさまよわせながら少女が叫ぶ。先ほどから逃げようと暴れてはいたが、クザンは腕一本の力で抑え込めるほどのものだ。トカゲはといえばクザンとの会話中はその少女の存在を忘れたように振る舞っている。

「童貞って…いやいや、おれが童貞だったのなんて何十年以上前よ?」
「煩い…!!!」

ある意味の癇癪にも似ているが、現在この少女にはにない必死さがあった。トカゲがフンと鼻を鳴らせば、途端少女の顔が引き攣る。

「わ、私は…!!!」
「ルール違反は、よくないと思わないか?それとも手っ取り早くこのおれと階位を競うか、小娘」

少女は何か言い訳でもするように口を開きかけるが、ぐいっと、トカゲはその首を掴んで言葉を遮った。クザンが手を離せばそのまま少女を吊り上げる。眼を細め、何ぞ不興を買ったといわんばかりのその態度。普段から悠々としている彼女にはあまりにも珍しい姿にクザンは眉を跳ねさせた。

トカゲは少女を吊り上げたままその毒々しいまでに赤い唇を歪めて首を傾ける。笑んで相手の意思を問うというよりは愚かしさを嗤うだけの見下した顔だ。実際見上げる形になっているというのにその圧倒的なまでの傲慢さにクザンはぶるっと身を震わせた。

「離せっ、この…悪魔!!あんたなんかに私の気持ちが、覚悟がわかるもんですか!」
「思春期のガキじゃあるまいし、一々他人への理解なんぞ求めるな、鬱陶しい。それよりも、おれとやりあうのならそれなりの気構えをしろ」

吐き捨てるように言ってトカゲはどさりと少女を投げ捨てた。少女の体は軽く尻もちをついて顔を顰めるが、トカゲに向ける敵意は増しその瞳を憎しみで輝かせている。こうして見るとこの少女、まるでに似ておらぬとクザンは改めて思った。最初に見た時はぼんやりとはあの子らしさがあり、それがほんの僅かにクザンを動揺させたのだけれど、こうしてトカゲを、と同じ配色、そしてどことなく似通った性格をしているこの長身のトカゲを前にしていると、そういう気がきれいさっぱり失せるのだ。

「で?何すんの?一応この子、詩篇使えるみたいだし、おれは捕まえないとまずいんだけどねぇ」
「卿は黙っていろ。この娘に決めさせる。おい、小娘、このおれとやりあうか?それとも何もせず殺されるか、選べよ」

トカゲがヒールで一歩前に踏み出せばカツン、と軽い音がした。だがびくり、と少女は顔を強張らせる。

この状況、何がどうなっているのかやはりクザンにはわからないのだけれど、目の前のこの少女はとピアしか扱えぬはずの詩篇を使用した。それなら政府に知らせるべきであるし、捕えて科学室に送るという手段もある。の死後も(この時クザンはの死を完全に認めた)変わらず世に詩篇は存在している。シャイク・S・ピアの手配書が回収され一見は彼女が堂々と政府に出入りできる身になっているように見えるものの、実際は七武海、海賊ドンキホーテ・ドフラミンゴの配下となっている。自由気ままどんな力にも縛られることのないあの油断ならぬ男が「シェイク・S・ピア」という「魔女」を擁することで、これまでピアが命を狙われる賞金首と並行して扱われていた「秘密裏に政府の命を受けて世の詩篇を回収する」ための「詩人」の仕事をしなくなった。

政府は新たな「詩人」を欲している。本来詩人というのは一世紀に一人、自然に誕生するかどうかというものを、十年以上前に政府は人工的に作り上げることに成功した。その実績から、政府はピアの事実上の離反をそれほど重大視してはおらぬ。だが、あまり長期的な詩人の不在は政府にとって良い状況にはならない。これまではという、ピアでも扱いきれぬ詩篇をどうにかすることができた反則最強キャラのが海軍本部にいたからどんな事態も事なきを得たが、今はいない。仮に再び人工的な詩人を作り上げることができたとして、決定的な何かがあれば、所詮己らはどうすることもできぬのだ。

だからこそ、クザンは目の前の、当然のように詩篇を扱った少女を捕えるべきだと、そう思った。

「その子が詩人になる可能性があるってなら、トカゲさん。悪いんだけど、おれがその子の代わりにお前さんとやりあうよ?」

ピキッ、と氷を纏わせてクザンはにらみ合うトカゲと少女の間に割って入った。そうしてにらみ合う一瞬、トカゲが目を細めて笑った。

「だ、そうだぞ?小娘、どうする。このままその男に守られるか」
「……私を、見縊るな!それがどういうことかくらいわかってる」

ぐいっと、少女がクザンを押しのけてトカゲの前に立ち向かった。意志の決まった瞳を向ける。躊躇うそぶりは欠片もなく、真っ直ぐ真っ直ぐにトカゲの青い瞳に挑むその少女の瞳。血の気の失せた唇を噛んで赤くし、少女は口を開いた。

「私と、魔女の決闘を」

受けるトカゲの瞳は青く、輝くばかりの美貌を僅かに陰らせる一瞬、赤々しい唇を艶然と綻ばせて少女に手を差し伸べた。

「敗者は灰になり、何もかも失う。勝者はその全てを得る。魔女の決闘、承諾した」






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りん、と鈴の音がした。サカズキは顔を上げて音の鳴った方向に顔を向ける。リコリスは離れの資料室に必要なものを取りに行かせているためこの執務室は己の他には誰もおらぬはず。例の肝試し大会なんぞというものはいつのまにか終了したのか、先ほどから無音だった。しかし、そこでサカズキは虫の声すら聴こえてこなくなっていたことに気付く。仕事に集中し過ぎていた、というのもあるが、らしからぬことと己を叱責した。

「……誰か、おるんか」

気配はない。だが鈴の音。確かに聴こえた。この部屋にそんな可愛らしいものがあるわけもなく、リコリスもそういった装飾品は付けていなかったはずだ。それなら誰ぞ来ての音か、この己に気配を探らせぬというのは大したものだと、そう思いつつ声をかける。

が、返事はない。

「……」

ふとサカズキは、先日にアーサー卿が話した「幽霊」なるものを思い出す。ばかばかしいと切り捨てたが、ふと思い浮かんだ。

サカズキは基本的に超常現象なんぞ信じていない。どんなことでも、科学的に解明できる。悪魔の実がいい例ではないか。少し前までは摩訶不思議、魔法か何かの仕業かとすら思われていた悪魔の実も、ベガパンクによって徐々にではあるが解明されてきている。

この世に解けぬ謎はない。「不思議」なんてものは存在しない、暴かれるためにあるのだと、それがサカズキの持論である。

しかしふと、アーサー卿の話した幽霊のことを、思い出す。

すると再度、りん、りんと今度ははっきり鈴の音が聴こえた。幻聴、ではない。そこまで老いてはいないと、そう誰がいるわけでもないのに呟いて、サカズキは席を立つ。

執務室の窓を開けた。一階ではないため外に誰ぞいるわけがないが、音は外から聴こえた。サカズキは窓を開けた瞬間宙に浮いてる人間でもいたら、それはそれで幽霊認定ではなく不審者認定だろうと、そう思って開いたのだが、しかしやはり、外には誰もいなかった。

妙に、落胆した己がいる。

(何を、バカな)

サカズキは目を伏せた。期待、したわけではない。だが、確かにほんの少し、何らかの「予想」はあった。奇怪な事件の裏には、あれがいるのではないかと。もちろんサカズキは、己がを殺したことをしっかりと覚えている。手にかけた。あれで生きているはずがない。だからこそ、のわけがないことはわかっている。クザンにも言い聞かせたではないか。もう二度と、が己らの前に姿を現すことはない。

だが、奇怪な事件。現実から少し離れた妙なことのその付近になら、あれが存在を許されることもあるのではないかと、そんなことを、期待ではない。サカズキは「予想」したのだ。

「……くだらねぇ」

現実はどうだ。
そんなことは起こるわけがない。今目の前にあるのは、暗い夜の景色。月と星の明かり、海が見えるだけではないか。これが現実だとサカズキは改めて己に刻み、くるりと反転して仕事に戻ろうとした。

ちりん、と、鈴の音。

「………どこから入り込んだ」

振り返ればいつのまにかちょこん、と、サカズキの執務机の上に、真っ白い子猫が座り込んでいた。金の鈴に白いリボンを首に巻いた、金色の目の猫の仔が小首を傾げるようにこちらを見上げている。

サカズキは自分が動物に好かれるようなタイプではないと思っている。それであるから、近づけば即座に逃げると思った。逃げるのならそれはそれで構わぬはずが、しかしサカズキは身動きが取れず、眉間に皺を寄せるだけにとどまる。

子猫はきょとん、としたあどけない顔のままサカズキをじぃっと見詰め小さく鳴いた。

と、次の瞬間サカズキはむんずっと子猫の首根っこを掴みあげて給湯室へ向かうと水を溜めてあったバケツの中に子猫を放り込んだ。

外道である。

突然水に放り込まれ子猫といえばパニックだ。ばしゃばしゃともがき、しかしバケツは滑るので爪が引っ掛からない。必死に水の中を暴れる子猫をじぃっと眺めるサカズキ、これでも正義の大将殿。はっきり言って百人が百人「アンタ何してんだ!」と突っ込む所業だが、サカズキは真面目である。

「水に沈むこともねぇ、能力者っちゅうわけじゃァねぇか」

んなことの確認のためにわざわざ子猫を溺死させかけてるのか、この男。そう誰か突っ込みを入れてやってほしいが、生憎クザンはいないし、リコリスも不在だ。生真面目にフム、と口元に手を当てて頷いて、やっと子猫を掴みあげた。

「能力者が猫に化けて侵入したと思うたが、おどれはただの畜生か?」

問いかけても返事があるわけもない。子猫は水に放り込まれたショックで体を震わせ、爪でサカズキをひっかこうとするのだが首根っこを掴まれぶらん、と吊るされているので小さな前足では届かない。何やら必死に鳴いているが、とりあえずサカズキは綺麗にスルーして、棚に入っているタオルで乱雑に子猫を拭いた。掌の温度を上げて火傷せぬよう気を付けつつ、子猫の水気を蒸発させる。

(………妙な、覚えが)

この自分が小動物とはいえ誰かの体を乾かすために能力を使うなど、初めてのこととそう呆れていると、しかし、サカズキは妙な錯覚を感じた。片手で子猫の体を押さえ暴れられぬようにし、もう片方の手で温度を調節して水分を蒸発させる。この一連の作業、覚えなんぞあるわけがないのに、実行してみればすんなりとできた。

何かを思い出そうとして、サカズキは顔を顰める。ずきり、と頭の後ろが痛んだ。眉間に皺を寄せ、一度目を伏せると子猫が小さく鳴く。

「……なんじゃァ、おどれ。わしに何をされたか忘れたんか」

顔を顰めたサカズキを、猫は気遣うように見上げている。その金色の目、猫に表情があるなどと思ったことはないが、こうして間近で見ればなんとなく、感情が伝わるような気がした。サカズキは溜息を吐いて子猫の頭を叩き、壁に背を付けてしゃがみ込む。あぐらをかいた体勢で足の間にタオルと子猫を置いた。

てっきり暴れると思った猫は意外なことにじぃっとしていて、サカズキの手が聊か乱暴にその体を撫でてもごろごろと喉を鳴らすばかりである。りん、と小さく鈴の音が鳴った。

「首輪をしてるっちゅうこたァ、おどれはどこぞの飼い猫か。ここまで迷い込んできたか」

実際能力者うんぬんよりあり得ることである。マリンフォードの街の復興作業は進んでいるが、まだ完ぺきではない。海軍本部内はその機能を停止させるわけにいかぬからと優先的に復旧している。そのためまだ家の直らぬ海兵が宿舎に飼い猫や飼い犬を一時預かりしているという話をサカズキも聞いていた。人間であれば仮施設での生活も可能だが、動物はそうもいかぬだろう。

リコリスが戻ってきたら飼い主を捜させる手配をさせるか、とそう思いサカズキは猫の背を撫でる。妙に人に慣れている。毛並みも良く、付けられたリボンも良い布だ。可愛がられているのだろう。それなら飼い主から離れて心細い思いをしているだろうに、あまり鳴かぬのだ。サカズキがぽん、と小さな頭を叩けば子猫が目を細め、ぺろりとサカズキの手を舐めた。一瞬サカズキが身を強張らせたことに気付かぬのか、子猫はそのままもぞもぞと身をよじり、タオルから這い出るとサカズキの体によじ登ろうとする。小さな猫だ。サカズキの握りこぶしほどもない。頼りないのに、その子猫。よじよじとおぼつかぬ仕草で必死にサカズキのスーツに爪を立てて登ろうとする。あんまり必死なもので、引き離すのもどうかと思いサカズキはそのままにした。子猫はゆっくりと、だが確実に上に上に上がり、やっとのことでサカズキの肩に顎を乗せる。

ぷはっ、と前足をサカズキの肩にかけ、満足げに一時停止した。その様子が誰かに似ている。サカズキは知らず声を上げて笑い、折角子猫が登ったのを悪いとは思いつつ首根っこを掴んで自分の顔の前に持ってきた。

「おどれは何がしたいんじゃい」

子猫は小さく鳴き不満そうな顔をする。折角のぼったのに!!とでもいうような眼をするものだから、サカズキは喉にひっかいたような音を立てた。と、子猫の首輪、鈴だけではなく何か小さなプレートが付いていることに気付く。飼い主の情報かと思いひっくり返せば、銀のプレートには子猫の名前らしいものが刻まれていた。

、っちゅうんか、おどれは」

呼べば猫が返事をするように鳴いた。





Fin



(2010/09/23 14:06)