目の前で繰り広げられる魔女の戦い、あまりにも予想外の戦いにクザンはただ唖然とするばかりだった。

以前、一度だけクザンは魔女の決闘というのを目の当たりにしたことがある。あれはいつのことだったか、海軍本部にシェイク・S・ピアから手紙が届いた。詩篇の宿った鏡があり、その詩篇の回収はシェイク・S・ピアには不可能であると。時折そういうことがあった。世に散らばる詩篇の回収、それが詩人に課せられた使命であるのだけれど、人工的に誕生した詩人であるピアは完全ではなかった。魔女であり、詩人である彼女は全ての詩篇を扱うことはできず、ある一定の階位を示す詩篇に関しては手出しできぬと、そういう部分がどうしてもあった。そういうときに彼女は世界政府に手紙を送る。(そういうことから、所詮ピアの賞金云々がただの茶番であったと知れるもの)その手紙を受けてが動く。クザンが立ち会った魔女の決闘は、そんなことから始まった出来事だった。

あのとき目撃した「決闘」は、と詩篇を宿った鏡を所持する魔女の戦い。武力を競う男らの争いとはまるで違う、知識と自尊心をかけて行われたもの。

しかし今現在目の前で起きているのは、がそうしたものとは随分と違う。

「……えっと、なに、トカゲさん。これってツッコミ待ち?」

シリアスモード、なんだかSっ気ノリノリのトカゲさんと、何やら決意したらしい黒髪少女の魔女の決闘。てっきりトカゲさんの長いおみ足が炸裂するような、そんな展開かとばかり思ったのだが。

「おれが体力勝負なんぞするわけないだろ。翌日、あれだぞあれ、筋肉痛」
「よそ見するな。まじめにやって」
「……あのさ、二人とも。なんでチェスしてんの?」

クザンの目前、繰り広げられるのは黒と赤の駒が盤上を行き来すると、そういう光景。トカゲが少女の決闘を快諾した途端、ひょいっと二人の目の前に現れたのは大理石のチェス盤。いや、それは正しくチェス盤と呼んでいいのかどうか、ちょっとばかり自信はない。何しろその盤上はクザンが見てきた一般的なものとは少々違う。駒からしても妙なのだ。普通はキング・クイーン・ビショップやら何やらがあるもの、色だって黒白が普通であるのに、まず駒の数がトカゲと少女では違う。トカゲは五つ、少女はそれ以上あるようだ。それに見ている限り、トカゲの駒は、キングらしい駒はなく薔薇の王冠をいただくクィーンらしき駒と、同じ種類の四つがあるのみ。

いや、まぁ、それはどうでもいいのだけれど、なんで魔女の戦いがチェス対決なんだ。

以前自分が見た決闘は、の目が赤く輝き相手の意識と戦うまさに魔女の決闘と相応しいものだった。が駆使する童話の力。挑戦者を圧倒し、まさに彼女こそが、と思わせるもの。

…なのに、なんでトカゲさんはチェス対決なんだ、とクザンは額に手を当てた。

コツン、とトカゲが駒を一つ動かす。少女の眉がぴくりと跳ねた。見る限りトカゲの優勢らしい。チェスのルールはクザンはもちろんわかるが、しかしこれはチェスルールなのか、とそういう疑問もある。

「まだ続けるか、小娘」

説明してくれないだろうかとそんなことをクザンが期待していると、カツン、とクィーンらしい駒を動かし、トカゲが静かに問うた。

「まだ敗けは決まってない」
「勝敗も読めぬほど愚かな娘じゃァないだろ。死ぬのが怖いか」

少女が駒を動かすたびに、トカゲの駒がそれを奪う。当初は少女の方が圧倒的に駒の数が多かったというのに、いつのまにか残すところ、少女のものはあと三つ。

トカゲは長い襟足を指で透き、足を組みかえる。その仕草は事後のけだるさを味わう女の姿に似ているようで、しかし相手を哀れむ眼もあった。少女がぎゅっと唇を噛み、駒を掴むはずの手をそのまま膝の上に戻してスカートを強く握り締める。悔しそうな表情から、トカゲの言葉の正当性を悟った。

「……あなたは、薔薇の魔女の座には興味ないはずでしょ。どうして、あたしの邪魔したの?」

一度俯き、そして顔を上げた少女の顔は幼い。先ほどまでトカゲを前に引かず敵意に瞳を輝かせていた様子があっさりと消えて、歳相応の少女のものへとなっていた。

どこにでもいるような、平凡な少女だ。そうクザンは思う。美人といわれれば、肯定できぬ、だが愛らしいとは思う。といってその愛らしさは顔立ちゆえのものではなく、幼い年齢ゆえに「かわいい」と思われる道理の粋を出ていない。あどけなく、いとけない、少女。

盤上の結末を受け入れて、当来の己を受け入れたというような、そんな顔。言葉遣いさえ、とげとげしさが消えて、今はただ静かに、ある疑問の解消を求める顔。

「あの日まで、あたしはただの女の子だった。うぅん、あたしだけじゃない。世界中のたくさんの女の子が、ただの女の子だった。でもあの日、あたしや、ほんの一握りの女の子たちは、今回のことの招待状を貰った。それはあなたが魔女の座を放棄したから。なのにどうして、あたしの邪魔、したの?」
「決まりきっている、おれは最初に言わなかったか?」
「言ったわ。えぇ、あなたは言った。あたしがルール違反をしたって、そう言ったわ。でもおかしいじゃない、貴方は魔女の座に興味はないのでしょう。誰がなっても、何があっても、構わないのでしょう」

その言葉はクザンも聞いている。珍しくあのトカゲが苛立ちを露わにしてそう言うたもので、よく覚えている。しかし、ルール違反とはどういうことだ。魔女の決闘にルールというものがあるのか、それはクザンの知るところではないけれど、そもそも「決闘」はトカゲが現れた後に始まった。それなら、ルール違反とは何に対しての?

疑問ばかりが増える。目の前の二人の魔女。クザンは詩篇を扱う黒髪の少女を確保しなければならぬとそう頭の中で思う反面、このままトカゲの好きにさせていれば、自分は蚊帳の外、という現状が変わるのではないかとそう思った。トカゲと黒髪の少女の間に入りたいわけではない。それ以前の、現在クザンの知らぬところで何かしらが起きている(アーサー卿、リコリス、それにサカズキそれぞれの)問題を「自分の問題」にもできる状況になるのではないかと、そう期待した。

黙っていれば、同じように沈黙していたトカゲが低く笑う。盤上はいつのまにか、少女の駒を後一つ残すのみとなった。少女の顔いろは月明かりでもはっきりと判るほどに青白い。それでいて、瞳ばかりは生気に満ちている。その奇妙な組み合わせがクザンには不思議であった。

トン、とトカゲが彼女の持つ駒の中で最も上位に位置するであろう立派な駒を進めた。真っ直ぐに少女を見つめ、怒りを込めるように言葉を放つ。

「卿の破ったルールは一つ。先代の喪が明けるまではあの男に手出しをしないという、唯一つのルールを、卿は無視した。おれが出張るには十分じゃァないのか」






海軍本部幽霊騒動09話






人の話し声がすると、リコリスは資料室から戻る途中の道で気付いた。行きは気付かなかったが、少し離れた所から何ぞ声がするではないか。

こんな夜更けに一体誰が、いや、青雉が肝試しなんぞ起こしているらしいのでその参加者であろうかと思いつつ、こんな奥にまで侵入するのは可能だろうかとも思う。首を傾げ、リコリスはそっと気配を探った。探る先に気配は二つ。

一つは青雉のものだ、そうなればもう一人は彼の部下の海兵だろうか。

そっと物陰から顔を出す。

月明かりに照らされた一角にて、靡くのは紅蓮のような赤い髪。

カッと、リコリスは一瞬で頭に血が上り、何も考えずに飛び出した。ヒールでは走りにくいとそう思われがちだが、毒姫、いや貴族の女性というものは「常に優雅たれ」が第一の義務。その中には高いヒールで走る訓練も当然のようになる。カツカツと鳴らして進み、リコリスはこちらに気付いて振り返ったその赤い髪の女の白い頬をひっぱたくべく手を振り上げ。

「このおれを殴り飛ばそうなんて、なんだこの命知らずな小娘は」
「あ。秘書さんじゃん。サカズキんトコの」

振り上げたリコリスの手は背後から現れたクザンによって掴まれ止められた。赤毛の女は片眉を上げて小首を傾げると、こちらを見下ろして目を細める。間延びしたクザンの声に、なぜかリコリスは苛立った。

どうして邪魔をするのか、この女は…!

「よくも…!!よくも私の前に姿を見せられたわね…!!!あの人が、どれほど苦しんでいるか…!どうしてもっと早く…!!」

リコリスは手首をクザンに掴まれたまま頭を振りかざして女を睨みつける。女の手元にはチェスの駒が一つと、足元には灰。何かしていた後だろうが、そんなことはリコリスには関係ない。敵意を向ければ赤毛の女がころころと喉を震わせて笑った。

「なんだ、小娘、その顔、その髪の色はなんだ?そういう顔の、そういう色の女が赤犬の秘書?おいおい、クザン、おれの知らない間になんだか面白いことになってるじゃァないか」
「っつーか何、知り合いじゃないの?トカゲさんと秘書さんって」
「まさか。初対面だよ」

白々と言うのか。リコリスには信じられなかった。それは確かに魔女からすれば己など記憶にとどめる価値もないだろう。だがしかし、リコリスはプライドを酷く傷つけられ顔を顰めると、乱暴に腕を振りほどき、真っ直ぐに薔薇の魔女、を見上げる。

「貴女が私を覚えていないくとも、私は忘れはしないわ。、私は貴女を倒すためだけに生きてきたのよ…!」
「……人違いだ」
「……ごめん、秘書さん。この人、ちゃんにそっくりだけど別の人」

これまでの苦しみや悲しみ、怒りを全て込めて宣言すれば、一瞬の沈黙ののちにとても言い辛そうに二人が口を開いた。

その言葉を受けて一瞬リコリスは「何を言い訳を…」と勢いを増したが、しかし、二人が心底「何言ってんだ」というような眼をするもので、もう一度まじまじと赤毛の女を見つめた。

間違いはないはずだ。

記憶にある、赤い髪に青い瞳。真っ白い肌。己が会った頃はまだ少女だったが、あれはもう随分と昔のことだ。あれからの時を考えれば目の前の女くらいには成長していておかしくない。顔立ちだって、同じではないか。この人を小馬鹿にすることに人生をかけているような、口元にうっすらと笑みを引き、卑しくもそれでいて圧倒的な品性を感じさせる傲慢さ。

「これでではないなら、貴方は誰なのよ」
「パラレルワールドから来ました☆パン子さんでーす、とか今更な説明しても信じないだろうな、まぁ、信じないよな」
「トカゲさんさ、もうちょっと信じてもらえる風に言ったら?」
「いやいや、青雉。このおれにそんな親切心があったらモモンガ中将はストレスなんぞ感じなかったぞ?」

苛立つリコリスと対照的に、飄々と二人の会話が弾む。リコリスがどれだけ疑っていても、あまり当人ら気にしておらぬという態度。ここでリコリスが「違うのなら証拠を」と言ったところで親切に答えはしないだろうというのは明白だった。

リコリスは沈黙してじぃっと、青雉が「トカゲ」という女を上から下まで眺めてみる。

「あなたがじゃ、ないの?」
「あんな臆病者になんぞなる気はない」
「ではあなたはただの人間?こんな時間に、こんなところに、青雉といるのが普通の人間、だなんて信じられないわ」

別に信じなくてもいいとトカゲは言う。そうして今更時間に気付いたかのように懐から懐中時計を取り出して顔を顰めた。

「おれは、一日十時間以上寝たい」

あくまで希望、というのは彼女の優しさのつもりなのだろうか。

リコリスは額を押さえ、とりあえずこの女性がかどうか、というのは保留にすることにした。こうして見てみれば、、ではないように思える。

飄々としたこの女性を前にして、リコリスは一瞬湧いた憎悪がきれいさっぱり消えたことに気付いていた。己の憎むべき敵は彼女ではないと本能的に察したのだろうか。

「…パン子さん?それともトカゲさん?どちらで呼んだらいいのかしら」
「どちらでも好きに呼べばいいさ」
「それじゃあ、トカゲさん」

名前にどうこういう気はないが、しかしちょっとばかり、パン子という名前は呼びにくい。それでリコリスが決めて呼び、頷く。

「ここで何を?見たところ、貴方は海兵ではないのでしょう。それなら、私は私なりの権限で貴方の身柄を拘束させていただきます」
「物騒なことを言う。おい、青雉。この女が赤犬の秘書というのは本当か」
「大将青雉にお答えいただくまでもありません。私は、大将赤犬の正式な唯一人の秘書官リコリス・ボルジアです」

名だけではなく今の立場を口にして、リコリスの胸は誇りでいっぱいになった。そうだ、この女が何者、それこそであろうと、己の今の立場は揺るがない。

大将赤犬、あの人が己を秘書だとそう認めてくれた。その自負がリコリスにはある。真っ直ぐに胸を張って名乗れば、清々しい気持ちだった。毒姫としてのプライドは今だってある。けれども生まれてからそうと決められたことではなく、己が努力して手に入れた「赤犬の秘書」という地位だ。

自尊心を持って言えば、トカゲが声を上げて笑いだした。

「ふ、ふふ…は、ははは!!ははははは!!」
「何がおかしいんです」

己の言葉が笑い飛ばされたことははっきりとわかった。いや、トカゲはリコリスが「嘘を言っている」と思って笑い飛ばしたのではない。リコリスの言葉を事実と理解してその上で笑っている。

リコリスが不快を露わにして強く言ってもすぐにはトカゲの笑い声は止まらなかった。青雉を見れば困ったような、呆れるような顔をしているが、それはトカゲに向けてのものだろうか?急に、リコリスは何か恐ろしい思いがした。

「私は、赤犬の秘書です」
「別に疑っちゃァいないさ、ま、本当だろうよ。大方アーサー卿あたりか?よくもまァ、考え付いたものだよ。一日二日で用意できるわけがない。あの男、こうなることがわかっていたのか?そうとしか思えないほどの手際の良さに、あぁ、笑ってしまった。卿を笑ったわけじゃァない。許せよ」
「……謝罪の誠意が感じられなわ」
「そんなものこのおれに求めるな」

未だくつくつと笑いながらトカゲは目じりを拭い、さらりと長い襟足を指で梳く。一挙一動に一々色気のようなものがあった。

謝る言葉を吐いただけで満足しろ、という傲慢さにリコリスは閉口し、しかしこの女性には常識が通じないのだと悟ってもきた。

この女、今リコリスにとって魔女の名と同じくらい忘れがたい人物の名を言った。そのことがリコリスを慎重にさせる。

トカゲは足元にある灰を靴の先で踏みにじり、指でつまんでいた駒をリコリスに投げてよこす。

「卿、に恨みがあるのか?」
「貴女がではないのなら、関係ないわ」
「考えあってここに来たんだろうが、珍しくこのおれが忠告しておいてやる。今でもまだ手遅れでないのなら、荷物をまとめて早々に、水の都にでも避難しろ」

唐突に突拍子もない言葉である。

「理由は?」
「卿程度じゃ、この場所で化け物連中と渡り合うのは不可能だ」
「あなたが何者かは知らない。でも、見くびらないで頂戴。私は、」
「毒姫だろ?そして、アーサー卿にかなりの高等教育・教養を仕込まれている。同年代じゃ群を抜く優等さだろうよ」

トカゲはリコリスを見くびってはいない。過大評価、でもない。正当に評価している言葉だった。そして、事実を的確に言い当てている。リコリスはたじろんだ。これまで己がそうと知らせぬ限り毒姫であることを当てたものはいない。しかしトカゲは息をするような気やすさで、初対面のはずのリコリスを丸裸にしつつある。

そのうち、この胸の内の憎悪まで暴かれるのではないか。そんな予感がし、リコリスは彼女との間に壁を作るように腕を胸に寄せた。

ちらり、と青雉を見る。この場を崩してはくれぬかと、そんな期待を込めてみれば、青雉が肩をすくめた。放置されるのかと思ったが、意外にも青雉はトカゲとリコリスの間に立ち、その背に己を庇ってくれた。

「あのさ、トカゲさん。なんだか知らないんだけど、この子が今いなくなったらサカズキが困るんだよ」

その言葉はリコリスには涙が出るほど嬉しいものだ。

己の存在価値を、認めてくれているのだろうか。赤犬の秘書であると、そして必要であると、そう言ってくれているような言葉に、リコリスは頬を赤く染めて青雉の広い背をじぃっと見詰めた。

気が緩んだからだろうか。不安が、一気に押し寄せてくる。目の前の女は何者なのだろう。記憶にあるの成長した姿としか思えぬのに、当人は違うというし、リコリスもなんだかそんな気がする。それでも青雉と親しげな様子、さらにはアーサー卿、あの悪魔そのもののような貴族を承知で、言葉ぶりからは赤犬とも懇意にしているようではないか。

その女が、己に「逃げろ」とそう言う意味はなんだ。善意とは思えない。だが「尻尾を巻いて逃げろ」というようなニュアンスとはまた違うようにも感じられた。

その奇妙な疑問が、リコリスの心を不安にさせる。そんな中に、青雉が己の前に立ってくれた。

リコリスは、そんな弱い心ではダメだと思いつつも感謝せずにはいられない。どうして己はこうも弱いのだろう。赤犬の弱さを知り、そして青雉の優しさを知って、こんなにも胸が痛くなってしまう。

魔女を失って大将二人がそれぞれに苦しみを抱えていることは判った。それでも、二人はリコリスを「秘書」とそう認めてくれた人で、その期待に応えたいと、そうリコリスは思ってしまっている。

「それと、忘れてたけど、トカゲさんって一応賞金首なんだよね。生け捕り限定だから殺しやしねぇけど、身柄くらい拘束させてもらうよ?」

ぴしり、と空気が凍り、軋む。ぞくりとリコリスは体を震わせた。その身ぶるいを皮切りに、カチャリ、とトカゲが銃を構えた。黒光りのする、女が持つには仰々しい銃である。真っ直ぐに青雉のこめかみに向けながら、しかしトカゲは引き金を引こうとせぬ。

「撃たないの?」
「卿こそ、おれを凍らせるために抱きつくとかしないのか?」
「いやァ、なんかトカゲさんに触るのって恐れ多くてさ」

おや、とトカゲが笑った。

「おれに触れていいのは赤旗だけだが、そうと言われれば悪い気はしないな」
「大人しく縛られてくれる?」
「おれはSであってもMにはならない。卿を縛るのならノリノリでやってやるんだが」

大げさに青雉が両手を上げた。そういう展開はちょっと、というようなおどけた素振り。ころころとトカゲは笑い、青雉に向けた銃口を己のこめかみへと移動させる。すぐにでも頭を打ちぬける、という危険極まりないその姿は、しかし妙に迫力があった。

「今更おれを捕えても意味はないぞ?今夜この場所に、このおれを呼んだのは五老星の狒々爺どもだからな」
「うわー、すっげぇKY展開じゃね?っつーか、あれか。おれはどんだけ気合入れても展開からおいてけぼり食らうわけね。あー、そう」

また自分の知らない情報に、クザンは「え、大将って上から数えた方が早い地位だよね?最高戦力って発言力とかねぇの?」とものすごく落ち込みたくなった。同じ大将でもサカズキとのこの違いって何だろうか。いじけたくなって膝を抱えようとすると、銃を下ろさぬままトカゲがふん、と鼻を鳴らす。

「そうでもないぞ。気付いてるだろ?の死後も、どういうわけか詩篇が御健在だ」

それはクザンも気付いている。だからこそ新しい詩人を必要としているうんぬんと考えたのだ。だがそれが何だと言うのか。

「まさかトカゲさんが詩人になるとか?」
「おれの赤旗への愛を語る吟遊詩人とかなら大歓迎だが、おれが人にパシられるわけあるか」
「ごもっとも」

ですよね、とクザンは素直に頭を下げた。そして顔を上げる間に、はたりと気付く。今のトカゲの言葉から考えるに、が死ねば詩篇は存在しないはずのものだったのか?

表情が変わったか、トカゲが口元を引いて目を細める。笑うと卑しさよりも他人への慈悲をどことなく感じさせるというのは、中々器用だ。

「で、赤犬の秘書とかいう、そこの毒姫は詩人と詩篇について知っているか」
「もちろん。私は魔女に関する、政府が知りうる限りの知識を叩きこまれているのよ」
「そのわりにおれのことは知らなかったみたいだから、政府が把握の全部ってわけじゃァないようだが」
「……とにかく、詩人と詩篇については知っているわ」

と、リコリスは請け負った。

その手の知識はクザンよりもあった。詩篇というのは千年前に存在した夏の庭の番人リリスのことを記したもの。全十三巻からなる膨大な文章は一行一行に力がこもり、扱うものが扱えば奇跡のようなことを起こせるという。

しかし詩篇を扱えるのは「詩人」とそして魔女のみ。その魔女というのは広い意味での魔女なのか、それともあの薔薇の魔女唯一人を指すのか、それはリコリスは知らないが。

「詩篇は夏の庭の番人が存在している限り世から消えはしない。世界に災厄を放ち、人々を苦しめるだけのもの。だからこそ世界政府は詩人を擁して詩篇を回収しなければならないのよ。人々の安全を確保するために」

数年前に、まだリコリスが幸せだった頃に、世界政府は人工的に詩人を作り上げることに成功したという。リコリスも名前は知っている。シェイク・S・ピアという女性だ。彼女は同時にペルル、荒野の魔女としての能力も備え持つ。その女性が政府の犬となり世界に散らばった詩篇を回収してきた。だが完璧な詩人ではないため、リコリスが聞いた限りでは政府は次の詩人の目星をつけているとか。そこまでをこの二人に話す義理はないと思い、口をつぐむ。

「模範的な解答だよなァ。青雉、こういう思考が、あれか?ロブ・ルッチみたいな政府至上主義な正義の使者を作るのか?」
「おれに聞かれてもねぇ。なんだかんだって、秘書さんは政府よりなのねって、今結構驚いてんだけど」

なぜか「うわっ…」と二人にドン引きさえれたが、なぜそんな反応をするのかリコリスには判らない。きっとこの二人は海軍よりなのね、とそう思うことにして、リコリスは言葉を続けた。

「でも、つまりトカゲさんは魔女の死後も詩篇が存在しているのは不自然であるということで、五老星の方々に情報提供を要請されたのね?」

リコリスは一瞬「では魔女が死んだというのは誤りか」とそう頭の中に浮かんだが、その可能性はないと頭を振る。魔女が死んだからこそ、今魔女の戦争が起きている。これは間違いない。だから、五老星が探るべくは「魔女の生死」ではなく「なぜ詩篇が存在し続けているのか」という、そちらの「違和感」だ。

トカゲというこの女が何者かはわからないが、政府の方々が意見を求める。そっくりのその容姿には何か、そういう情報を知っていて道理のような、何かがあるのだろうか。

「堅苦しい言い方はおれの好みじゃない。「なんでか知らないけど詩篇が動いてる。判らないから教えてパン子さん☆わからなくっても一緒に考えてネ」とかそういう展開ということで頼むよ」
「クザンさん、この人ってこういう方なんですか?」
「あー、なんかね、シリアス展開続いてると蕁麻疹が出るんだって」
「どういう体質なのかしら…」

まぁ、確かにこの短い間に何度もあったおちゃらけた言動から、その蕁麻疹とやらの説得力もあるのだが。眉を寄せていると、トカゲがにやにやと笑い、にんまりと口元を釣り上げた。

「まァ、おれも色々調べたいことがあったから丁度いいと思って招待を受けたんだがな。中々面白い展開になってるじゃァないかと、卿を見て早々に思ったよ。あとで紙に書き出してみたいよな。誰が何を企んで何をしているのか、とか」
「あ、それおれもすっごい見たい」

ハイ、とクザンは手を上げた。

一体今は何がどう起きているのか、彼にはさっぱりわからない。先ほどの黒髪の少女は、結局トカゲが駒を追い詰めて、灰になった。断末魔の悲鳴を上げる間もなく、少女の憎々しげなまなざしの強さだけを残し、灰になった。だが、そもそもなぜそんなことになっているのだろう。ルールとは、どんなゲームが世にはびこっているゆえのルールだ。リコリスが何か企んでサカズキの傍に来たのは判っているし、アーサー卿がそういうリコリスを利用してまた別のことを企んでいる、というのもわかる。ボルサリーノが齎した情報の、どこぞで起きてる連続殺人の犯人がの息子で、そしてマリアもマリアで何かしらを考えている。

そしてその上、詩篇が消えずまだ存在し続けている謎を解き明かそうと(そもそも何のために?)政府がトカゲを呼びよせている、という事実。

頭が痛くなってきた、とクザンが泣きごとめいて言うと、ふん、とトカゲが油断ならぬものをみる目つきでクザンを見上げてくる。

「見せてやる代わりに、それじゃあ卿が何を企んでいるのか教えてくれるんだろうな?」
「ありゃ、そうくる?」
「展開に取り残されたとかほざいて、ふふ、何かしらを腹に決めた面をしている男だろうよ」

ついっと、トカゲの指先がクザンのおとがいに充てられる。彼女は色気のある女ではあるが、誘う女の色香を出しはしない。何処までも生々しく妖艶でありながら、一切男の雄を刺激せぬ潔さがある。その間も片手は銃を握りこめかみに当てられているから、クザンは、上の意思を「知らなかった」と言い張ってトカゲを捕え、己の知らぬ情報を手に入れようと強行することはできない。

死ぬ気はないと言いながら、この女はクザンが力ずくで情報を引き出す、あるいは利用しようとでもしようものなら、あっさりと己のこめかみを打ちぬく。そういう覚悟がその青い目にあった。

「トカゲさんって、本当良い女だよなァ」
「当然だ。世界で一番良い男を嫁に貰うのだから、相応しい器量を得て然りだろう」

妙に、彼女の言動はを思い出させる。クザンは脳内でこれがのセリフだったら、とそう思うのだ。

……いや、まぁ、バカッポー極まりないのだが。

しかし、もきっとこういうことを言うのだと、そう思えて妙にクザンは胸がすっきりとする。ぽりぽりと頭をかいて、クザンは溜息を吐いた。

「で?結局自分の好き勝手に振る舞うトカゲさんは、このまま真っ直ぐマリージョアに行くの?」

それならこの海軍本部に立ち寄る意味はないだろう。いや、まぁ、黒髪の少女とどうこうするという目的はあっただろうが。

問えばトカゲがにやりと笑い、リコリスを一瞥してからどこぞの方向、サカズキの執務室のある方へ顔を向けてのたまう。

「とりあえず、がいないからって即行新しい女を傍に置くような大バカ者の面を拝みにいって嫌味の4つ、5つは投げてこようかとは思ってる」

その言い方、とても楽しそうだ。

というか、待ってくれとクザンは思った。

そもそもサカズキがリコリスを傍に置くようになってしまったのはを失い、さらに記憶まで奪われているゆえの不眠症からくるもので、それって、まずトカゲさんがやったんじゃないかと、そうツッコミを入れたい。

「……記憶をラス1まで追い詰めて、これ以上何すんの?」

がいないからと、即行以外の女を傍に置いている、というのはクザンも思うことがあるので、別にトカゲさんが蹴るなら俺は応援するし!とは思うのだけれど、そもそもサカズキが弱ってるのってトカゲさんの所為じゃん、とぼそり、と突っ込めばトカゲが眉を跳ねさせた。

「悪意の弾丸のことか。言っておくが、12発目を撃ったのはおれじゃないぞ」



Fin


(2010/10/03 22:48)