※注意、この話は無駄に長いです。
いや、12話で終了目指したら長くなりました。適度に休み、疲れたらセリフだけ読んでも可!
そして結局、12話で終わりませんでした←

後半ちょいエロなので注意。
サカズキさんが夢主以外とベッドインなんてイヤ!という人は後半飛ばしてください。









 

 

 

 



温めた徳利の底を持たぬように指先でつまみ、しかしやはり熱いのかテーブルの上においてからあちちと小声で言って耳たぶを押さえる。それなら冷酒にすればよかろうに、この女は「真夜中は熱燗と決めている」とほざいた。それにしても嫌味なほどに整った顔、片目を眼帯で多い隠しているもののそれでも損なわれぬ美というものは嫌がらせ以外の何物でもないのではないのだろう。サカズキはトカゲが差し出してくる徳利を無言で断り、自身で持って来た一升瓶から直接盃に注ぐ。

「おれが酌をしてやろうか」
「ほざけ、折角の酒が落ちる」
「ふふ、なんだ、良い酒なのか?それ。このおれとサシで飲むんだ。最高のものを用意するのは当然だがな」
「おどれなんぞと飲まにゃァならんなら、せめて酒くらいまともなものを揃えるわ」

リコリスとクザンを退出させ、構えるサカズキにトカゲは堂々と「一杯付き合え」とのたまった。受ける義理はない。魔女なんぞと酒を飲むなど悪い冗談にもならぬともちろんサカズキは一蹴にしようとした。リコリスがいなくなったため遠慮する必要もない。しかし蹴り飛ばそうとした途端にマリージョアより緊急指令が届いた。この真夜中に、と思う心があるわけではないが、その内容には色々思うことがあった。

双方が御猪口と盃に口をつけぐいっと飲み干す。何か肴があればよかったが、こう急では仕方ない。

そうしてサカズキは、己の目の前で二杯目を注ぐ女の顔を眺める。影を落とすほどに長い睫に、燃えるように鮮やかな赤毛。片方だけの青の瞳の、女である。

「そんなに見つめるなよ。照れるじゃァないか」

こちらの無遠慮な視線に気付きトカゲが軽口を叩く。殴り飛ばしたい衝動にかれたが、それを無視しサカズキは手に持った盃を口元に運び、しかしやはり顔を顰めた。この女はに似ているらしい。

(くだねェマネをするな)

何ぞ、思い浮かぶものがあるのではないかと、そんなことを一瞬考えた。によく似ているというトカゲの顔を凝視し、その赤、その青を真っ直ぐに目に入れれば、何か、感じるものがあるのではないかと。いや、違う。そんなことではない。そういう期待、ではなかった。サカズキは今、トカゲの赤を、青を、その肌の白さを「これがの色か」と、そう、見たのだ。

くだらないことをした、とサカズキは己を叱る。クザンに言った己の言葉を思い出せ。他人から聞いた情報であれを構成しようなど、そんなことは認めない。己は何一つ、他人からあれの情報を得るつもりはない。いや、しかしそんなことは不可能だと同時にわかってもいた。その根底、微かに自覚する、あるいは自覚せずにいられればと思う根底。確かにサカズキは乾いていた。想うだけでは足りぬ。あれを知りたいと、どんな瞳の色だったか、髪の色だったか、確かに知っていたはずのそれを失ったという葛藤は、確かにあるのだ。しかし未だにサカズキはその深層に蓋をしている。欲求など、抱いてはならぬとどこまでもストイックに己を戒めているのか、それともいっそのことの浅ましさとでもいうものか。

その心境が伝わったわけではないだろうが、からかうような口元をしていたトカゲが急に真顔になり、そしてコトン、と御猪口をテーブルの上に置いた。

「12発か」

少しの沈黙をしてからトカゲが口を開く。何のことかと確認する無粋さは、ない。

弾丸、悪意の弾丸。あの戦争で敵対したトカゲがこちらに放った魔女の悪意。サカズキの中にあるに関する記憶(前身である夏の庭の番人の記憶はある)を13に分け、そして弾丸によって砕かれた。

「とどめでも刺しにきたか」

五老星に呼ばれてノコノコこの女が来た、とは正直なところ考えにくい。賞金をかけられたとしてもさほど困りはせぬだろうトカゲが、本心からここへ来た理由というものをサカズキは考えた。

あの戦争でサカズキは12発、悪意の弾丸を喰らった。最後の一つを残すなど嫌がらせ以外の何物でもないと思ったが、ここでトドメでも刺しに来たのだろうか。無論、残った最後のの記憶である。戦争中、己の心よりも優先すべきことがある事態でならまだしも、この場でみすみす奪わせるつもりなどサカズキにはない。

もう誰にも、を奪わせるつもりはない。

言えばトカゲが笑う。ふん、と鼻を鳴らし、足を組んだ体勢のまま腕を組む。ソファにふんぞり返ってこちらを見上げる姿勢の傲慢さは身の程を弁えぬにもほどがある。サカズキはトカゲを睨むが、こちらの敵意などこの女に意味はないのだとも判っている。

「確認しにきただけだ。卿が本当に、12発も喰らっていたのかと」

ゆっくりとトカゲが首を傾ける。その目が探るように見つめるのはこちらの首元、露になった刺青である。以前冬薔薇が刻み込まれていたその肌に現在咲いているのは濃い色の薔薇である。と言って前回のもののように花の形が明らかになっているものではなく、一見はトライバルのようで、半身が明らかになれば「これは薔薇だ」とはっきり判るもの。魔女の薔薇ではないと明らかにわかるそれをうろんな目で凝視され、サカズキは眉間に皺を寄るとそのままトカゲの胸倉を掴んだ。

「貴様の仕業じゃろう。何を他人事のようにほざくな」
「11発分はな。12発目はおれじゃ、ない」

リン、と鈴の音がした。

サカズキはぴたりと動きを止める。そして真っ直ぐにトカゲの青い瞳を睨んだ。この女の言葉の9割が戯言、だが嘘はつかぬ生き物だ。

聞こえた鈴の音にサカズキはするりとトカゲから手を離し、いつのまにか起きてこちらに顔を向けている白猫に顔を向ける。

サカズキの怒気を感じ取ったのか不安そうな目をしている。その金の目を揺らし、が小さく鳴く。怖い、怖いと言うているように聞こえ、サカズキは眉を潜めた。怯えさせるつもりはなかった。トカゲという何をしたところで恐怖など感じることのないような女に怒気を出すよりは、このか細い生き物が怯えぬように注意を払うほうが上等か。ひとりごち、座りなおすと己の隣で縮こまっているの頭をぽん、とその大きな手で叩く。が再度小さく鳴いたのを確認してから、トカゲに顔を向けた。一瞬湧き上がった苛立ちも何もかもがあっさりと消えうせている。

「おどれ、何が言いたい」
「おれの話を聞く気はあるか」
「わしは魔女と取引はしねェぜ」
「おれの独り言扱いで構わないさ。聞けよ」

何も要求する気はないと、真剣な声で告げてくる。サカズキは片眉を跳ねさせて、ソファに背をもたれた。

まず、この場でこの女を殴り飛ばすわけにはいかない。五老星がトカゲに何らかの情報提供を求めてここへ呼んだ。その聞き手となるべくはセンゴク元帥だろうが、しかし、この女が「話したい」事を聞き、それを報告するのも大将としてせねばならぬことである。魔女の知識、今この海で何が起きているのか、あるいは何が起きようとしているのか。魔女の視点での話は、確かに知っておく必要はあった。

話せ、と促せば、トカゲが喉の奥で笑う。笑うと卑しさを感じさせる女の笑い声はどうも勘に触る。どこまでも人を不快にする女だと改めて認識し、サカズキは一升瓶を傾ける。片手で注ぎ、トクトクと軽い音がする度にの耳がピンと動く。おどれは飲めねぇぜ、とサカズキは興味深そうにこちらの手元を覗き込むに伝える。それをひとしきり眺めてからやっと、トカゲが口を開いた。

「今の卿の状況はありえない。まだ幽霊の方がマシだな」

なにそれアリエナイ、と再度口にして、トカゲがふんぞり返る。

地平線越えなんぞ非常識極まりない所業をした女から「存在がありえない」といわれるのはどういう言いがかりだろうか。

トカゲは片方しかない目で、奇妙な、いや、いっそおぞましいものでも前にしているかのような、そんなうろんな目つきである。

この己を幽霊扱いするとはいい度胸である。サカズキは眉を跳ねさせて不快を露わにするが、殴り飛ばそうとまでは思わない。いわれた言葉は不愉快だが、しかしこの状況下でこの女の唇は冗談・戯言をいうものではない。

何がおかしいのか、と己でも思案してみる。

おかしなことなら多くあろう。そもそも悪魔の実を口にした時点で、一般常識からすれば「ありえない身」にはなっている。それに魔女の弾丸を受けて記憶を失っている、というのも非常識といえば、これほど非常識なものもない。

今更か、と改めて思い、サカズキはトカゲの言葉の続きを待った。考えても埒もない。己に心当たりがない「当然」をこの女は「妙だ」と思っているのだろう。

猪口に何度目になるかわからぬ酒を注ぎ、口をつけてからじっくりと考え込むように沈黙し、トカゲは再度口を開いた。

「……このおれが11発しか放っていないのに、卿は今12発体内に込められてる」

それが異常だ。と、この魔女はいう。
クザンから聞いたときは耳を疑った。その後など我が目を疑った。と、そう言う女の唇を眺めてから、ふん、とサカズキは鼻を鳴らした。

「あの場には他にパンドラやシェイクス・S・ピア、それにカッサンドラの三人の魔女がおった。おどれ以外にもわしを撃つ理由のある者はおるじゃろう」

基本的にサカズキ、魔女に恨まれる覚えなら山のようにある。

「狂女の悪意は声、ピアは血。それにあの時既にキキョウは死んでる。あの場の魔女で悪意の弾丸が使えるのはおれ以外にはいなかったさ」

魔女の悪意を込めた弾丸の製造方法はサカズキの知るところではない。しかしはっきりとトカゲはサカズキを「ありえない」ものを見る眼で見ている。その言葉に嘘はない。

「それではあの場に、おどれら以外の魔女がいたと?」
「…いや、魔女じゃ、ない。何でもかんでも魔女関係にするなよ」

少し考え込んでからトカゲは思案するように口元に手を当てて呟く。独り言と言うに相応しい、些細な音である。まだこの女の中でも明確な答えは出ていないのだろう。

「ありえないんだ。たとえ他の魔女がいたとしても、このおれ以外が、赤犬の記憶を食い破る弾丸を使うことなんざ、不可能。けれど赤犬は今、確かに12発の弾丸を受けた後だ。そうだ、それは、間違いない」

ぶつぶつといいながら、トカゲがその青い目を細める。ソファに蹲るを一瞥し、そしてサカズキで視線を止めた。

そして次の瞬間には取り出した銃をこちらの額に向けている。

とんっ、とテーブルに片足をかけ、乗り上げるようにして銃口を突きつける。

「やっぱり、おかしいよなァ。自分の撃った弾の数くらいおれは把握している。だが、あと一発で卿からが失われるのは事実だ」

その目の真剣さと、真っ直ぐ伸ばされた腕をサカズキは確認してから、眼を細めてソファに身を沈める。それが不快か不可解か、ぴくん、とトカゲの形のよい眉が跳ねた。

「少しは怯えたらどうだ?おれの弾丸は卿からを奪えるぞ?」

唐突な行動である。この女が何を考えているのか、それはサカズキの知るところではない。第一、まずなぜトカゲは己からの記憶を奪ったのか。何の役に立つ。嫌がらせ、というのが最もだろうが、しかし、それだけだろうか、とも思う。魔女に対しては何もかも疑ってかかるべきだと、それがサカズキの持論。

で、あるからして、こうして真っ直ぐに「撃つぞ」といわれた所で動じるわけもない。

後一発で、己からが事実上は完全に失われることは理解している。魔女の弾丸は正確だ。一切の情もなく、己が唯一つ覚えている、とのあの最後のときを奪うだろう。だがサカズキは、こうしてトカゲの銃口を前にして怒鳴りつける気も、その腕を払う気もなかった。奪われたところで忘れない、というそういう意地があるわけではない。いや、あるにはあるが、それは今のこの、場違いな落ち着きようにはあまり関係がない。

黙っているとトカゲが眉を跳ねさせる。

「奪わせないという自信か?それとも、望んでいるのか?完全にを忘れてしまえば、卿、これで安心してあの秘書を傍に置けるからな。もう、苦しむことも無いものな?」

いっそ忘れられたらどれほど楽か、と、そういうつもりかとトカゲの赤い唇が尋ねる。云うに事欠いてそれか。サカズキは、よもやこの女の言動で笑うことがあるとは思わなかったが、あしらう意味ではなく、芯からおかしく思えた。

喉の奥で引っかいたように笑い、憮然としているトカゲを一瞥し、ソファの上で足を組む。

トカゲともあろう女が、随分と見当はずれなことを云うものである。

「そのどちらでもねェな。おどれは、その引き金を引かねェと、そう判りきっちょるけ、どうっちゅうこともねぇ」

忘れられたら楽だ、など、そんなことをこの己が思うわけがなかろうと、サカズキはトカゲを見上げる。

(あれが死んで、眠りが浅くなった。食がつまらなくなった。味気ない。仕事の合間に奇妙な違和感を覚えるようになった。時間の潰し方がわからなくなった。いつも、何かに渇いているような、そんな衝動にかられるようになった)

最後の弾丸を受ければそれらがなくなり、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに立つ「海兵」に「戻れる」のだ、などと、そのようなことを、この己が考えるわけがない。

あれを忘れて「楽」になるなど、そんなことはありえない。

言い放てば、トカゲがカチャリ、と引き金に指をかける。しかしこちらの答えが気に入らぬ、という顔ではない。サカズキの言葉に己のこれまでの行動を省みるような、そんな、奇妙な表情が浮かんだ。サカズキはほんの一瞬、この女でも迷うことがあるのかと、そんなことを考えた。

「……おれを、買い被るなよ?」
「事実じゃろう、おどれは撃たん」

別段この女のことを、サカズキはそれほど知っているわけではない。無駄に付き合いは長いが、しかし、それでも互いに気を許したことは一度とてない。表面的な付き合い以下しかしてこなかったが、しかし、サカズキはトカゲが己を撃つ、とは思わなかった。

意味が無い。

いや、意味のないことを堂々とするのがこの女でもあるのだが、このことに限っては、そうはせぬだろうという確信めいたものがあった。

己からを完全に奪うこと、それをする気があるのならとうにしている。そもそも己から記憶を奪おうと弾丸を放ってきた理由があるのなら、最後の弾丸は撃たないはずだ。

先ほどはトドメでも刺しにきたのかと、そう問うたが、こうして考えればトカゲがそうするわけがないと、そうサカズキは結論が出ている。

「……」

暫くの沈黙、互いにじっと互いを目前にして、そうしてふいっとトカゲが視線を逸らした。ひょいっと指を振れば手品のように銃が消える。

「各地で女が殺されてる事件については、卿はどこまで聞いてる?」

再び唐突な話題の変化である。だがサカズキとしても今の会話でわかったことはあった。

悪意の弾丸を、トカゲ以外の、そして「魔女」ではない何者かが扱うことが出来ている。そしてその人物はトカゲとは別の意思を持って行動している、ということだ。その人物、そして、次に出された事件の話でサカズキの頭には、一人の名が浮かんだ。

「猟奇事件のことか」
「あぁ、知ってるか?」
「ボルサリーノから多少は聞いちょる」

朝食の席で聞くような話題ではなかったが、そもそも大将が三人も集まってただの世間話というわけもない。サカズキはボルサリーノの言葉を頭の中で思い出しつつ、口元に手を当てた。

各地で起きる、女性ばかりが被害にあった事件。殺害された、というだけではない。まだ死ぬ前から子宮を奪われ、惨殺されている事件がこの暫く複数件起きている、とそういう話だ。

犯人は一人とそう判断できるやり口だが、しかし場所というところを考慮すれば複数犯であるとも言える。グランドラインの各地でほぼ同時期に起きている事件。そう飄々とあっさりとこの海を行き来できる者など、おらぬはず。

「では情報源はピアか。おれとソースは違うが、まぁ、ならばある程度おれの知ることと同じだな。子宮を奪う、なんて聞いておれは当初あの狂女、パンドラの仕業かとも思ったぞ?」

パンドラ・。あの女には子宮がない。それも当然だ。あの女は眠りにつく前、正確には捉えられる直前、子供を身ごもっていた。産み落とす前に捕らえられ、そして子宮ごと赤子を奪われている。(そしてそれをしたのはの前身とも言えるリリスだった)しかしサカズキは「パンドラではない」とそう見当付けていた。

「あの女じゃァねぇ」
「ふぅん、確信が?」
「わしを誰だと思うちょる」
「開き直ったドS亭主。……まぁそれなら話は早い。なら聞くが、・コルヴィナス。あれは何だ?」

はっきりと出された名にサカズキは顔を顰める。パンドラの仕業か、などと見当外れなことを言っておいてしっかりと重要なことを掴んでいる。この女はどこまでがフリなのだと改めて鬱陶しく思い、サカズキは足を組み替えた。

「わしが答えると思うのか」
「顔は拝んだ。名も聴いた。だがわからない。あの顔に、あの名の生き物、あれは「何」だ?」

何者か、正体、をトカゲは問いはしない。そこまで判っていて問う、その性根がサカズキには信じられぬ。この己が答えると思っているのか、いや、トカゲは期待はしていないだろう。ではなぜ口に出す。そう考え、サカズキは一つのことに気付いた。

「……貴様」

この女に親切心、などというものがあるわけがないのはサカズキもよくわかっている。あるのは自分自身の目的のための手段だ。それを考慮したうえで、なぜ今夜こうしてこの女が己の前に現れて、そしてあれこれと出来事を提示し、名を継げ、どういうことかと問うその意味は、一つしかないだろう。

「ふふ、おれができることなんぞ微々たるもの。だが卿には気張ってもらなければおれが困るんだよ」

助言、いや、手助けのつもりか。

サカズキが現時点で把握していること、それだけではないことが世で起きている。それらの謎解きはトカゲの領分ではないが、しかし「何が問題か」を、あるいは「一見無関係に見える物事の関連性の可能性」を提示してきて、それで、この女は何を企んでいるのやら。

「…面倒ごとか」
「面倒じゃないことなんてこの世にどれほどある?」
「わしは海兵としての義務を煩ったことは一度とてねェ」

軽口を一蹴にすると、ふとトカゲが真顔になった。

「リリスの日記に刻まれた詩篇が未だに消滅していない」
「よもやおどれまであれが死んでねェなんぞ幻想を抱いちょるわけじゃァねぇだろうな」

リリスの日記。魔女の悪意。その全てが記された書物。の死後も詩篇が存在している「異常」はサカズキも聞いている。や詩人の娘がおらぬ現在、だからこそにトカゲを呼び寄せたのではないかとも思う。まがりにも魔女であるのなら詩人の資格もあるのかどうか、とそのような考えだろう。

なぜ詩篇が消滅せぬのか、その謎も解かねばならない。

サカズキはがまだ死んでいないから詩篇が存在している、などと都合のよい解釈をするつもりはなかった。ふん、と鼻でトカゲを笑い飛ばせば、この悪魔のような女に似合わぬ妙に幼い顔でトカゲが首を傾げてくる。

「消滅しない「理由」は一つしかないじゃァないか」

謎解きは領分ではないはずだが、しかしあまりにも「常識」過ぎるゆえに制御される情報外なのか。ひょいっとトカゲが立ち上がった。座りっぱなしのためにかたくなった体をほぐすため大きく伸びをする。そうして部屋の扉に向かいながら、くるりとサカズキを振り返った。

「リリスがこの世にいる。それだから詩篇は未だ活動を続けている。なァ、それ以外にあるわけあるか?」





+++




こちらがあっさりと言った言葉に目の前の男が、おおよそ驚きというものを表現しないだろう仏頂面、ではないが堅い表情ばかりの男の顔が、あからさまに変わるのがトカゲには面白い。いや、面白いといってもいられぬのだ、と珍しく自身を制した。

リリス、リリス、リリスという、生き物。それがこの世に存在している、からこそに詩篇は蠢く。

言葉だけを聞けば、これまでの表面的な物事だけで判断すれば「リリス」というのはである。リリスの存在、つまりはの存在が詩篇によって肯定されていることであると、そういうことではないのだ。

「どちらのことを言うちょる」
「判っていればどんな咎があろうと卿には告げる。おれにもわからんことくらい、ある」

だからこそ、トカゲはあの黒髪の少女、クザンの前に現れてと名乗り、そして魔女の戦争のルール違反をしたあの少女と「決闘」を行ったのだ。

もしも、詩篇が肯定する「リリス」が、つまりはであるのならそもそも魔女の戦争は意味がない。が存在するのなら、悪意の魔女、薔薇の玉座の主はあの生き物をおいて他にいるわけがない。

しかし、トカゲは確認した。己に敗北した、あっさりと敗北したあの黒髪の少女は灰になった。

昨今このグランドラインで起こる猟奇事件。子宮を奪われた女の末路。被害者の女は魔女候補ではないのかと、そうトカゲは考えた。

で、あるのなら、魔女の決闘に敗れたゆえにあの惨殺死体になったのか。そう思って黒髪の少女と魔女の決闘を行った。ルール違反を咎めるうんぬん、というのもあるにはあるが、一番には、現時点での「現象」の確認だ。

(あの小娘は灰になった。すなわち、問題なく魔女の戦争、決闘、闘争の力は働いている)

魔女同士であらそえば、敗者は灰になる。その事実は変わらない。

しかし、魔女の素質のある女たちが「何者か」に殺されてはいるのだ。そしてその死体は灰にならず、子宮を奪われた無残なありさまとなるのみ。その醜い屍骸ばかりが曝される。女にとっての屈辱を、味わえと声高々に言うような、そんな印象をトカゲは受けた。

ピアやサカズキは、その犯人は魔女の息子、「・コルヴィナス」であるとそう予想しているようだ。トカゲも少しだけ、その可能性があるとは思う。だが、詩篇が存在し続けているのだ。

「夜の女王、井戸の中でパンドラを唆した、あの女の名も「リリス」と言ったか?」
「そう聞いちょる。しかし、あれの死の最たる理由はあの女を呼び出さねェためだ」

当人、気付いているのだろうか。トカゲが「詩篇の肯定するリリスはあのリリスか」とそう告げた途端に、拳を強く握っている。それはではなかった、という失望感ゆえ、ではないだろう。そうでは、ない。

もし夜の女王、詩篇が肯定するのがあの女であるというのなら、何のためには死んだのだ、と、そういう意味での、だ。

トカゲは眼を細めた。最後どのようなやりとりをサカズキとが行ったのか、それは知らない。聞いていない。そして聞く気もない。その記憶は二人だけのものだ。他人がどうこうしてよいものではないと、それは礼儀だった。トカゲのような女でも人に礼儀を持ちはする。その美学の中に、とサカズキの最期、があった。元々奪う気がなかったのもあるが、魔女の悪意でさえ、二人の最期だけは、けして手をつけてはならぬものであるべきだと、そうトカゲは考えている。

「……とりあえず、おれが卿に話せるのはここまでだ」

あれこれと頭を巡り、今すぐサカズキに伝えて起きたいことは多くあった。だが、それはルール違反だ。己は「」にはならぬと決めた。そうである己が必要以上にこの男に関与してはならぬし、何より、現時点で魔女の戦争が起きている、ということをサカズキに知られてはならない。

しかし、何も知らぬままではアーサー卿や、・コルヴィナス、それに「リリス」とは渡り合えぬ。特におっかないあのアーサー卿。よくもまぁ、あんなに外道な手をころころと打ってくるものである。サカズキは容赦ない男で、強さもある。しかし悪い意味でのしたたかさがない。素直に殺し合い、であれば負ける可能性を探すほうが難しいだろうが、今回の魔女の戦争を含む「出来事」は武力が強ければなんとかなる、ということでもない。そうであるからできるギリギリのところを、今現時点で口に出す。この男もバカではない。気付くだろうという、ある程度の確信、言うなれば信頼もあった。そして今はっきりとこちらに向けられる視線の強さを背で感じれば、その己の信頼は間違いではなかったのだと思える。

トカゲは扉に手をかけて、僅かに開いてから一度サカズキを振り返り、そしてソファで寛いでいる子猫に視線を移した。

どう見てもただの子猫。白い毛に金の目。小さな鈴がリンとなる愛らしい子猫、ではある。しかし妙に、その仕草が猫らしからぬように思える。一度はか、とも疑ったが、それは、ないだろう。だが、このタイミングでサカズキの執務室に現れている。ただの猫のはずがない。

「その猫、大事にしろよ」

言い捨てて、トカゲはぱたん、と扉を閉めた。そうしてすぐに視界に入る夜の闇、外の暗さ。見える月の鋭利なほどの尖り具合、赤い月は「魔女の月」だと、子供を外に出すんじゃァないとそういう童話はどこの海のものだったか。思い出そうとしてトカゲは面倒くさくなり、懐から煙管と取り出して口元にあてた。

(夜が、夜が深くなる)





++





トカゲの消えた部屋は途端に日常に戻る。夜も進むが、いつもどおりの大将の執務室。時計の針の進む音、外でなく虫の声が急に耳に入ってきた。自分にとって当たり前の場所であってもトカゲという生き物がいるとどこか奇妙な空間になる。

サカズキは聊か疲れを覚え(あんな女を相手にしたのだ)ソファに座り込むと飲み干しておらぬ盃を一気にあおった。

頭の中をトカゲの言葉が周る。

詩篇が存在する。存在するものは何かを肯定する。その対象を、考えた。

「……………可能性があるのなら、根絶やしに」

それが己のかわらぬ正義である。万に一つ、の一つは「起こらぬ」より「起こる」と考える。世を脅かす、平和を乱す「可能性」のあるものは、けして許しはしない。

夜の女王、あの女が存在するというのなら、己は一点の容赦も躊躇もなくそれを滅ぼす。それは確実だ。いや、寧ろそうするべき義務だけではなく理由もある。

理由、と、サカズキはそう考える己に顔を顰めた。

「くだらんことを考えるな」

考えた。一瞬、頭に浮かんだ。

リリスを探し出し、葬る「理由」が己にはある。が死んだ。己が殺した。その理由はリリスという最たる悪をこの世に存在させぬため。それが存在するというのなら、は何のために死んだのか。その死を侮辱させはしない。確実に、明らかに、この己があの女を葬ると、そう、一瞬、サカズキは考えた。

正義は、そんな「理由」はあってはならない。

サカズキは盃を置き、立ち上がった。正義のコートを纏う己を窓ガラスに映す。

私情を挟むな。そんな必要性がないほど、正義の義務は重いはず。拳を握り、サカズキは目を伏せた。己は海兵だ。そして大将である。それ以外の姿になど、なる気はない。

部屋の明りを消した。明日も早い。さすがにここ最近眠らぬことが多かったが、トカゲが五老星と接触する、というのであれば何かあるに決まっている。気は抜けぬが今のうちに休んでおくのが得策だ。明りを消し、そのまま仮眠室へ向かう。スーツを脱ぎ着流しに着替えるとそのまま寝台に体を横たえた。

天井を見上げ、息を吐く。

今日一日は妙なことが多くあった。リコリスは無事に部屋に着いただろうかと、そんなことを考える。トカゲと対面してなんぞあったらしいが、あの気の強い娘なら何とか乗り越えるだろう。クザンが手を出していないか一瞬頭に浮かんだが、娘ほどの年齢の女にはさすがに手を出すまい。

(いや、あれは年齢なんぞ気にせんか)

聞いた話では麦わら海賊団と遭遇した折に、一味の女海賊に声をかけたらしい。だらけきったあの男、女というものなら何でもいいのかと呆れる反面、いい加減身を固めればいいとも思う。

麦わら、と思い出しサカズキは苛立った。

あの海賊小僧。あの大怪我で生きている可能性は低い。だが、ゼロではない。戦争、あの時に赤髪さえ邪魔しなければ確実に殺せたものを。

未だ行方は知れぬよう。あの戦争が終わり、まだ数日しか経たぬが、これだけ探して見つからぬということで海軍内では死亡説も流れている。だが、死してはいないと漠然とサカズキは感じていた。あの子供、あのような生き物はそうそう死なない。

まだ己にはやるべきことが多くある。サカズキは額に腕を押し付けた。

魔女のことだけを己は考えていられるわけではない。黒ひげのこと、白ひげ海賊団の残党、抜けた七武海の後任者、海軍本部の復旧、さらには白ひげの死により起こる騒動。

(あれがおらねェ世界を、それでも迎える)

己がやらねば誰がやるというのだ。誰か、の適任者がいたとて、己がやらぬ理由にはならぬ。サカズキは深く息を吐き、目を伏せた。

クザンや、あの料理人の眼を見れいればわかる。と親しかった者、に情を抱いていたものは己が何か「変化」していることを望むのだろう。

だがサカズキは、そうはならない。そうするつもりも、気配も、欠片も、ないのだ。

あの時、死に行くを前に己は大将だった。海兵として、魔女を殺した。その姿があればこそ、あれはそういう道を選んだ。あれと出会ってから、変わらなかったこと。それを、今更悔いるような姿にだけは、なるつもりはない。

「わしが変わったら、あれが泣く」

顔も、声も思い出せないが、そんなことはあってはならぬと、そう思う。死んだ者が泣くわけもないのだが、そう、思うのだ。

「でも、私はあなたを変えたいの。サカズキさん」

そのまま明日の予定を組み立てようとしたサカズキの脳を揺さぶるかのように、静かに声が降り注ぎ、いつのまにかリコリス・ボルジアが体の上に跨っていた。




+++





こんなこと、まともな女がすることではない。

それはリコリスが一番よくわかっていた。しかし今は羞恥心など感じている場合ではない。一糸纏わぬ姿になって、外気が肌を刺す。完全なる暗がりならまだよかったのに、への気遣いのために設置されている薄明かりがリコリスの裸身をぼんやりと浮かび上がらせる。

羞恥で崩れ落ちそうになる膝に力を要れ、リコリスはまっすぐに大将赤犬を見下ろす。

その目に嫌悪感が浮かんでいないことに安堵した。娼婦のような振る舞いを下卑た行為だと、そう切り捨てられるのではないかと、それが恐ろしかった。しかし今目の前の赤犬の瞳にはただ「何をしている」という疑問しか浮かんでいない。

ぐいっと、リコリスは掌でサカズキの胸を押し起き上がろうとするそれを留めた。

なぜかあの時、青雉には利かなかったが、海楼石の成分を体に含んだ毒姫の力は効果を発揮している。身動きの取れなくなった男ほど女にとって都合のいいものはない。リコリスは泣き出しそうになる己の心を叱責しながら、口元に艶然とした笑みを浮かべる。

「こんばんは、サカズキさん」
「一応聞くが、誰かの差し金か」
「いいえ、これは私の意志で、目的です」
「手段じゃねぇのか」

憎らしいひとだ。こちらがこのようにあらわな姿になっているというのにまるで反応してくれぬ。普段から体温の高いひとであると聞いているが、今はリコリスが触れても「平熱?」と思える程度の温度。太股で脇腹を締め付ける、というのはやはり下品だろうかと思いつつ、リコリスは唇を噛み悔しげな表情をあえて浮かべた。

「私がお嫌ですか」

絶世の、というほどではないが己の顔は美しい。それをリコリスは自覚していた。そして体とて女の柔らかさがある。大将赤犬は女好き、というわけもないだろうが、このように迫られて何もせぬ無能ではないはずだ。

自分がどれだけみっともないマネをしているのか、リコリスは理解している。自尊心のある女ならまずこんなことはしない。

女の体が一つの武器、一つの有効な手段であることをリコリスはよく知っている。男と言うものは本能が強い。どうしたって抗えぬ、また意識下では女を征服する欲の強さがある。それらを上手く扱い、そうして逆に己の利へと転換するのが「毒姫」の教育。

リコリスは己の心が沈んでいくのを感じた。

たとえ有効な手であっても、できるなら、こんなことをしたくはなかった。そう、心の底から思う。

こんなマネ。己を落とし、そしてまた、赤犬を侮辱するようなことを、したくはなかった。

けれど、手段など選んでられない。
なぜわたしばかりがこんな目に、と思わずにはいられなくても、それでも、もう時間がないのだ。

「若い娘が何を考えちょる」

押し黙るリコリスにやっとサカズキが口を開いた。

それは拒絶の言葉である。労わりを含まぬということではないが、しかし、はっきりとした「拒否」だ。リコリスの顔から血の気が失せ、今にも恥で逃げ出したくなりながら、それでもサカズキの上から退かなかった。

「……わたしには、わたしにはもう、こうするしかないのよ」
「もっと自分を大事にせんか」
「大事に!?何をすればいいの!!わたしは、わたしはもう何もないのに…!」

いつのまにかぽろぽろとリコリスの目からは涙が溢れてきた。

悔し涙なのか、それとも、サカズキに「大事にしろ」と心をかけてもらったことに対しての嬉しい涙なのか、いっそ、己を恥じる涙なのかよくわからない。

自棄になって叫び、リコリスは赤犬の胸に顔を埋めた。男の臭いがする。クザンや、リコリスを害した男とは違うにおいだ。目を伏せ、震える自分の体を押さえ込み、リコリスは赤犬の心臓の音を聞く。

自分にはもう守るものなど、何もない。
何もかもが奪われた。利用されるために生かされて、そうはならぬようにと、逆に利用してやろうと思ってここへきた。

けれどここは、自分が思った以上の世界だった。正義の悪意がひしめき合う。いや、悪意、ではない。正義を貫く、いや、違う、リコリスにはまだはっきりと判らぬ、何か「強い」もの。人の意識。たとえば飄々としていた青雉が、次の瞬間あっさりと人の首を絞めるような、そんな油断ならないもの。馴れ合いをしているように見えて、何一つ、凍りついたままのような。そんな、世界。

この場所がいかに己にはまだ早いのか、リコリスは突きつけられた。けれど逃げ出すわけにはいかない。

己は魔女になる。

あの薔薇の魔女が「当然」のように持っていたものを手に入れる。

その為なら、売春婦の真似事だってしてやる。

そう決めてここへきた。赤犬に蔑まれても構わぬと、そう決めたというのに。己は赤犬が嫌悪していないことに安堵して、そして今、罵倒されずに身を省みてもらえたことに、暖かさを感じているのだ。

「……優しく、しないで。あなたがそうだから、わたしは……!」

もう時期に魔女の戦争が始まる。いや、既に始まってはいる。各地でひっそりと、密やかに魔女同士の殺し合いが始まっている。

しかし本格化はしていない。の、先代の喪があけるまでは誰も海軍本部には近づいてはならぬという魔女のルールがある。それを侵せば「審判」たる魔女に殺される。

リコリスは「毒」「姫」とつく生き物だ。魔女の素質も、素養もない。この戦争、争奪戦の参加資格すら持っていない。

の喪があければこの場所に、赤犬の周囲にも魔女候補の女たちが近づいてくる。自由に動けるようになった女たちを全てリコリスが追い払うのは不可能だ。その為に青雉、先代魔女を知る男を味方にしたかったが、それは見込めなくなった。

今のうちに、赤犬の「最も違い場所」を得なければ、リコリスには不利になる。

「あなたも私を利用すればいいのよ…!そうしたら、私は、私はこんなにも罪悪感を覚えることなんかないのに…!」

いっそ青雉のようであってくれればよかったのだ。それならリコリスはこんな気持ちになることはなく、ただの「男」として赤犬を扱えた。だというのに、赤犬は、そうはさせてくれない。

今も己を我侭な娘が駄々をこねているのをどうしたものかと考えるように顔を顰めている。

「おどれを使って得る利なんぞ、わしにはねぇじゃろうに」
「…あるわよ!」
「自分の半分も生きちょらん小娘を利用するなんぞ、わしの正義が泣くわ」
「そんなの関係ないわ!歳なんて!」

むっとしてリコリスは眦を上げた。涙で歪んだ視界ではあるが、赤犬の顔ははっきりと見える。

年齢なんて関係ない。
ここで抱いてくれれば私は魔女になれる。そして、きっとこの人が選んでくれたなら、己はその場で死ンだって構わないくらい幸福感に包まれるだろう。

リコリスはまるで暖簾に腕押しのような赤犬にじれて、ぐいっと首を掴むと己が全裸ということも忘れて詰め寄った。

が愛したあなたが私を選んでくれたら、わたしは薔薇の魔女になる…!そうなればあなたは再び魔女の所有者になれるのよ!!!」

そうなれば、己はもう誰にも害されることはない。世界貴族さえ跪かせる「道理」を得て、そして己をこれまで迫害した誰もかれもに報復できる。膨大な魔女の叡智、が培ってきた人脈、得てきた力の何もかもを次代の「薔薇の魔女」は得る。

本来、人に出来ることは限られている。英雄ならまだしも、ただの一般人、それ以下の、何の力もない無力な生き物は、たとえ己が誰かに蹴り飛ばされても、その誰かに正当に報復する手立てがない。唾を吐き捨てられても、物を盗まれても、家族を殺されても、同じだけのことをしてやれる力は、ないのが普通だ。

世界は平等ではない。何もかもが理不尽だ。それが「道理」になっていることを、リコリスや、そして世界の多くの女性が知っている。

その何もかもの理不尽をあっさりと足蹴にできる強さがあるのなら。
本来手に入れられるわけもないものが、目の前に提示されたのなら。

(魔女という、人と言い切れぬものに身を落とすことになったとしても、今の地獄を変えることができるのなら)

だから、恵まれぬ女たちは躍起になっての後釜を狙う。

「………そういうことか」

決意をこめた目でじっとリコリスが見つめ、そのまま黙っていると唐突に赤犬が口を開いた。先ほどまでとはまるで違う声音・気配である。

びくり、とリコリスは体を震わせた。全裸であることが急に「恐ろしく」なる。それは恥や寒さ、ではない。今、急に気配の変わった、大将赤犬を前にして何の防御もない生身を曝している己が愚かしく思え、そして恐怖が募る。真冬の雪山に全裸でいるような、そんな恐ろしさだ。

口を開けずにいるリコリスをぐいっと、赤犬が退かした。先ほどまでは確かに利いていた毒姫の力が消えうせている。

(まただ、どうして)

頭の隅でぼんやりとリコリスは思うが、しかし今はそれどころではない。

赤犬は着流しのまま壁にかけてあった正義のコートを纏い、そのまま部屋の出口へと大またで向かう。

リコリスの存在など忘れたかのような態度にリコリスはほっとした。殺されるかもしれないと思うほど、何かしらの怒気を感じた。その怒気が己に向けられているのではないと判った途端、リコリスは全身にびっしょりと汗をかく。

「明日も仕事をする気があるのなら服を着てそのままそこで休んどれ。わしは戻らん」

どこへ行くのか、まだ私は秘書でいていいのか、それらをリコリスが聞く暇も与えず、一方的に言い捨ててサカズキは部屋を出て行った。

ぱたん、と取り残されてリコリスは戸惑う。

そこへチリン、と小さな鈴の音がした。

サカズキが保護したという白い子猫だ。子猫はいつのまに部屋にはいってきたのかサイドボードの上にちょこんと腰掛けてリコリスを見つめている。

「……そんな目で私を見ないで頂戴、

リコリスはシーツをかき集め、猫の目に映る己の裸身を隠そうと俯いた。





Fin


 

 

 


(2010/10/27 PM21:04)

12話完結を目指しましたが、やっぱり無理でした←
でも話の展開的には次で終了できるので、もう少しだけお付き合いください。